遠い記憶と単純な発見

ふとしたことから小学校の時の記憶が蘇った。

そう言えば、毎日「日記」を書くという宿題あったよね?(僕の学校だけ?)
小学生で毎日違うネタを書くような日々を過ごしてるわけなくて、それでもなんとかかんとか400字詰めの原稿用紙を埋めていたものだ。

考えてみれば“酷い”宿題だったと思う。
先生の感想もだいたいが「良かったね」だった覚えがあるが、先生だって毎日30人ほどの生徒のクソ面白くもない日記を読むのはさぞ辛かっただろう。
一体、あれってなんのためにあったのか。

こうやって毎日ブログを書いてきた今日の今日まで、そんな過去を全く思い出さなかったのに、とある本が職場の机に置いてあるのを見て急に思い出した。
そして、あの時の「ネタがない日に必死でなにかを見つけて400字を埋める(実際は200字ぐらい書いてあればOKだった)作業」を、あれから30年以上たった今もやっているのだと考えると、なんというか、「絶句」する。
たまに「良いの書けた!」と思う感覚まで一緒な気がする。
あの時の幼い高野少年に、大人になっても同じことをやっているのだ(しかも趣味で)と伝えたらどんな顔をするだろうか(やっぱり「絶句」だろうか)。

もうひとつ今日発見したこと。
agree(アグリー 同意する)という英単語を聞くとなぜか「怒っているイメージ」がしていたのだけれど、それはangry(アングリー 怒っている)を連想するからだ。
そんな単純な思考回路をなかなか捕まえられなかった(スッキリした)。

けっこう生きてきたけど、日々発見だ(良いこと言った風)。

明日は急遽、仕事で遠出することになった。
片道1時間半の電車旅。スマホのバッテリーが切れないようにするのと、せっかくの読書チャンスっぽいので、ちゃんと本を持っていこう。