そしてまたいちから

また一週間が始まったよ。

昨日は労働(言い方)した後に、自分が所属する音楽集まりの「打ち上げ」に参加した。
コロナ後初のライブをやったので、その打ち上げだったのだ。
僕はつまり「労働」(言い方)のためにライブに出なかった身なので、打ち上げだけ出るのもどうかと思ったのだけれど、お祝い気分を一緒にしたいので参加したのだった。

で、たいして酔っ払ってないのに(ようは記憶がはっきりしているのに)、思い返すと、自分の“中学男子生徒的”ふるまいが出てしまったり(「夜の」伊集院光的変態さ加減に近いかもしれない)、あんまり良い記憶がない。ただ楽しかったのは事実。

こういう「思い出したくない過去」がフラッシュバックする時、僕は「死にたい!」と思わず口にしてしまうのだけれど、昨日のことはあまりそうは思っていない。むしろ「恥を忍びながらも生きたい」という感覚。

死にたいと死にたくないを繰り返し恥ずかしながら今日も生きてる

ここ半年ぐらい、そういう感覚でずっといたのだけれど、恥ずかしいことを抱えながら、というか、もう恥ずかしかろうがなんだろうが、生きよう、生きていこうと思うようになった。これ、なんというんだろうね。ひらきなおり?(年齢的なもの?)

そんなわけで、細かいこと気にせず、繕わず、自然体で生きていきたいな、と思ったりしている(世界観でかいな)。一からやりなおしです。

気づけば2022年もあと1か月ほどだ。
来年、同じ状態でいないように、これからちゃんと進めること進めましょう。