平成最後の日(勘違い)

今日が平成最後の日だと一瞬思ってしまった。

明日には元号が発表されるが、あくまでも発表だけで改元は5月1日からなのだ(だよね?)。
でも、ここ最近、テレビのワイドショー系では、新元号をさかんに取り上げているので、もう今日が平成最後のような気がしてしまった(発表後もこのネタでどれほど引っ張るんだろうか)。
春はただでさえ出会いと別れの時期だというのに、この「平成最後」感が、よりその感情を高めている気がする。

昨日も少し書いたが、今年に入ってから身の回りのことが目まぐるしく動いていて、とりわけ2月3月はその傾向がより強くなった。
その上新元号。だからといって身の回りがどうこうはならないだろうが、世間的には改元のためのツール変更やら、改元セールやら、悪い意味では「改元詐欺」(もう出てるらしいのでご注意を)などで、てんやわんやになりそうで、4月はいったいどうなってしまうのやら。

とにかく準備をすることだろう。
元号が1ヵ月前倒しで発表されるのも、いろいろな準備のためだという。ならば、元号だけじゃなくて、全てのことを先に準備しておくことだ。
そう思いつつ、3月が終わる。なんか全然準備不足だ。準備不足を補いながら動きつつ、次の準備をする。書いているだけで若干しんどいけれど(へぼ)、一生懸命生きなきゃね。

4月は良いことの密度の濃い月でありますように。

スピーダップ

自分は決して動きが遅いほうではないと思っている。

あ、物理的に、ではなく、物事を進めるスピードとして、という意味だ(それはある意味「物理的」だが)。
思い立ったらなるべく早く行動するし(嫌なこと意外)、行動してからの速度も平均的には早いほうだろう。
そんな平均以上には動けていると思っていたのだけれど、最近周りの人達のスピード感が予想以上に速くて焦る。

たとえば僕にとって「今度」といえば、それは早くて来週、だいたい1ヵ月後、社交辞令であれば「気が向いたらいつか」となるのだが(最後のはアテにならないね)、平然と2日後を指定してくる人がいる。
他にも行きたいところがあればその日に行ってしまう人がいたり、気がつけば着々と自分のやりたいことを進めて形にしている人もいる。
それに比べると、自分の時間の使い方はずいぶんとのんびりしているなーと焦ってきたのだ。しかもそういう人たちが「ビジネス雑誌で特集されるデキる経営者」とか、実際どうだかわからない「Twitterで人生の格言みたいなのを話している人」とかじゃなく、ごく身近にいる人で、しかも全員年下なので、なおのこと、自分の時間感覚って凄い遅いんじゃないか?と不安に感じるのだ。けっこう無駄なこと省いているつもりなんだけどなー。ゲームもしてないし(でもインターネッツはしてしまうの。ダメじゃん)。

今年に入ってから、自分の身の回りで、予想外のことが起こり続けている。悲しいことや嬉しいことが突然やってきては去っていく。それが歳をとったということなのかもしれないが、それをオタオタと眺めているだけではどうしようもないじゃないか。そんなわけで、自分も負けじと予定を詰め込んでみた。

昨日は23時まで仕事だったが、今日は8時過ぎに出社。仕事後に一旦帰ってジムでのワークアウトを組み込んでみた。そしてその後地元の飲み会に参加。
正直、身体はキツイけれど(ヘボ)、このぐらいの時間配分で進んでいかないと、あとで後悔しちゃいそうな感じがするからね。

時間を有効に使う、ということは、一生懸命生きる、ということなのかもしれない。

なんて言ってて、3日坊主で終わる可能性も十分ありえる。
まあ「体験」のつもりで(チキン)数日、スピードアップして密度の濃い日々を送ってみよう。

レッツスパ

今月、東久留米にオープンした「スパディアム ジャポン」(略称スパジャポ)に行ってきた。

近未来感の強い外観

友人がどうしても行きたい、ということで、夜に急遽出かけてみた。
温泉だけなら750円とリーズナブル(他、レンタルタオルが300円)だが、30000冊あるというコミックが読める場所は岩盤浴ゾーンにあり、岩盤浴料金650円を追加しないと入れない。
なので、この施設をフルに使うなら1400円(プラスタオルで1700円)が必要となる(ホームページから事前払いで1400円になるらしいです)。
そんなに長居できるわけではないけれど、今回は偵察という意味合いもあって岩盤浴にもトライしてみる。

まずは温泉。
ドデカイ大浴場はないが種類が豊富で、ジェットバスも、強力なものや筋肉を鍛えるもの、威力は同じでもジェットが当たる位置が違うなど、どれひとつ同じものがなくアトラクション感覚で楽しめる。
僕はあまり得意じゃなかったけれど「塩サウナ」というめずらしいサウナもあった。

つづいて岩盤浴ゾーンに行ってみる。
岩盤浴も効能や室温が違うものが5種類ぐらいあるのだが、ひとつ問題なのは、床が熱くて歩くのが大変ということ。石の床なので熱がこもっているのだ。思わずガニ股で足を上げて小走りというマンガみたいな歩き方をする羽目になった。他のお客さんをみていると普通なので僕の足裏が弱いのか、みんな見えないソールを履いているのか(SF)普通に歩けるのが不思議だ。友人も熱がっていたのでとりあえず僕だけじゃないみたいだけどね。
ただ岩盤浴自体はとても良さそう。石の上にバスタオルを敷いて寝てみると、思った以上にリラックスできる。自分の身体の重みで石をジャストフィット(言いたいだけ)の位置にできるので、寝心地が良い。疲れている時にはしっかり眠ってしまいそうだ(若干、脱水の心配があるけど、そのへんはどうしてるんだろう。素朴な疑問)。

その後ヘッドマッサージを50分受けて、今回の滞在は2時間半ぐらいだったのだけど、感想としては、ここは「岩盤浴込みで、一日かけて遊ぶところだな」ということ。
次回は休みの日に朝から晩まで居座る感じで行ってみたい。今回のように夜だけなら温泉だけで良いかも。食事もフードコートなどが温泉ゾーンにあるので困らない。ただ休憩スペースは小さく岩盤浴ゾーンのほうに充実しているので、「お風呂だけサッと入って帰る人」と「朝から一日のんびりする人」と完全に棲み分けしているのかもしれない。料金から考えると、一日利用するつもりでくるほうがお得だと思う。
改めて考えてみれば、温泉ってのんびりするところだしね。

そんなわけでオープンしたばかりの「スパジャポ」。
施設もできたばかりで綺麗。食事メニューも美味しそうなものが多いので、近場の方はぜひレッススパしてみては?(ブログみたいな終わり方だな)

干支一周40000km

愛車「RX-8」の点検日だった。

これで丸12年乗ったことになる。干支一周、亥から亥まで、長いような短いような感覚。
買った当時は自動車通勤だったので、年間15000キロぐらい走ったものの、約1年で電車通勤になると、途端に週1回程度近所に買い物するだけになり、一人暮らしになった今、実家に置いてある愛車は月に1、2度乗るだけで、12年でわずか40000キロしか走っていない。
とはいえ、車があることで結構遠出をしたり、コストコで買い出ししたり(限定的だな)と役にたつことは多く、手放す気にはならない(それにしても維持費はバカにならないけどね)。

それでも、もうちょっと乗りたいなー、乗ってやらなきゃなー、と半年ごとの点検時にいつも思う。思うけど実行されない。
一番良い手は、実家から今の自宅に持ってきてしまうことだが、実家付近と自宅付近では、駐車場代が3倍くらい違うのがネックなのと、移動したからといってそうそう乗る機会が増えるわけではないだろうと思うからだ。

目的のないドライブが好き、という人もいるだろうが、僕はやっぱり目的がないと運転しないタイプだ。行った先でのパーキング探しも悩むので、都内なら電車のほうが良い。
ただ、自分にとっては大切な資産だし、当時悩みに悩んで(清水の舞台から飛び降りて)買ったものだし、思い出のつまった車だし、なにせまだガンガン動くのだから、有効活用することを今後とも探っていきたい。

とりあえず関東ドライブの本買うところから始めましょうかね(考えが浅い)。

西谷国登&新納洋介 デュオ・リサイタル

ヴァイオリニスト 西谷 国登とピアニスト 新納 洋介のデュオ・リサイタルが開催された。(at ヤマハ銀座コンサートサロン)

前回の西谷さんのリサイタルでは、新納さんのピアノは伴奏という役割が強かったが、今回のコンサートの趣向はピアノのソロ曲とヴァイオリンのソロ曲を揃えて、交互にソロを弾く、という、いわばダブル主演という形をとるということ。
ヴァイオリンもピアノも楽しめるのは贅沢だが、演奏者(とくにピアニスト)にとっては気の抜けない構成と言える。

1曲目の ファリャ作曲/クライスラー編曲 歌劇「はかなき人生」よりスペイン舞曲 は、ヴァイオリンのテクニックが詰まった曲で、西谷さんの手元の動きと、そこから奏でられる音を聴くことで、ヴァイオリンを弾けない僕にでも「すごいことやってるなー」というのがわかる。舞台が室内楽サイズのため、技術が間近で見え、よりその凄さが感じられた(このあたりは選曲の妙だ)。

続いてピアノのソロ。
次のヴァイオリンソナタへつなぐ意味もあってか、 グリーグ作曲「トロルドハウゲンの婚礼の日」op.65-6 を演奏。
新納さんのピアノソロを初めて聴いたのだが、ヴァイオリンリサイタルで感じた、ていねいさの中に遊び心のある演奏はそのままに、さらに男性ピアニストらしい大胆さと音の厚みがあって、ピアノの性能を120%ひきだすような演奏だった。

そして前半の最後は グリーグ作曲 ヴァイオリンソナタ第3番ハ短調op.45。

今回のコンサートが“ダブル主演”であることを意識したのか、たとえヴァイオリン・ソナタであっても、新納さんが前に出るというか、主張の強い演奏をしているように感じた。
それは「室内楽」というサイズならではなのかもしれないが、ヴァイオリンリサイタルのように裏方に徹して支えるというだけでなく、時には競いながら、時には寄り添いながらといった、ヴァイオリンとピアノの攻防のような印象をもった。
西谷さんも時にそれを受け止め、時にピアノを引き出し、なおもヴァイオリンの音色と混ざり合わせ、曲を昇華させていく。

二人のコンビネーションが2回のリサイタルと2枚のCDで結実してきたからか、あるいは室内楽的な場だからか、ともすれば、ヴァイオリンソナタという形式では「伴奏」として没個性となってしまうピアノ演奏を、新納さんは、ピアニストにしかわからないマニアックな魅力だけでなく、ヴァイオリンと渡り合うことで、この曲におけるピアノ自身の魅力を十分に披露していた。
そして西谷さんのヴァイオリンもそれを承知の上で「ヴァイオリン・ソナタ」という定石を守るようにコントロールしていく。
それは決して主導権を握り合うといった争いではなく、お互いの信頼関係の上で成り立つ、熟練した達人の演舞を見るような感覚だった。

あるベテラン俳優はセリフを脚本通りにせず、内容に沿いながらもほぼアドリブで芝居をするそうだ。それに周りの役者がどう反応するか、どう絡み合って、それでも筋書き通りに話を進めていくのか、といった勝負のような、知的ゲームのような高度なやりとりをしていると聞いたことがある。
音楽は、特にクラシック音楽は楽譜通りに演奏するのが定石で、それを崩してしまっては邪道になる。「定石通りではつまらない、崩しすぎると白けてしまう」というジレンマの中で、西谷さんと新納さんが、お互いの力量を信頼した上で、クラシックから逸脱しないギリギリの丁々発止の演奏が行われた。

西谷さん自身もリサイタル直前のブログ

新納さんと演奏することは、特別楽しく熱いです!自由に演奏させてくれるだけではなく、奏者の良さを色々と引き出してくれます。そして、伴奏に徹しているわけではなく、新納さんも色々と仕掛けてくださるので、音楽のキャッチボールが見事に出来てる感じで面白いです。観ている側もそう思ってもらえればと思います。

と書いているように、演奏者達の狙いどおり、聴いているこちらも、心地よい疲れが出るような素晴らしいヴァイオリンソナタだった。

休憩をはさんで、新納さんのソロは ブラームスの6つの小品op.118より第2曲。

演奏前に、新納さんから、もともと予定ではショパンを演奏する予定だったが、ピアニストにとってショパンとリストは特別な曲で、それを弾いてしまうと、その後はもう弾けない、というぐらい神経を使うらしく、この曲に変更したというコメントがあった。
これはとても興味深い。考えてみれば当たり前のことだが、演奏者は、力加減やペース配分を考えて演奏会のプログラムをつくる。
新納さんにとっては、自身のピアノソロと、ヴァイオリンソロの伴奏、ヴァイオリン・ソナタの演奏と、これだけ盛りだくさんの内容に加えて、ここでショパンを組み込んでしまうと、演奏のレベルが保てない、ということだろう。
聴く側はあれもこれも演奏してほしいと思うものの、高いレベルの演奏で楽しませるためにプログラムというものがきちんと決められているんだな、と改めて考えさせられる。

ピアノソロに続いての ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調では、グリーグでの競り合いから少し抑えめに、そのゆったりとした曲調も手伝って正統派にまとめていた。「緩急」で言えば、今回のプログラムの「緩」を担ったヴァイオリン・ソナタらしいまとまった演奏だったと思う。

そのあとに、ラフマニノフの曲を3曲ソロで弾いた新納さんだが、この時はまさに圧巻だった。
最初の 楽興の時op.16より第3番 の時から、曲の世界に浸っているのはわかったが、 前奏曲集op.23より第6番 でさらにエンジンがかかり、続く 第2番 では、鬼気迫る熱演。
新納さんがピアノを弾いて曲を歌っているというよりも、ピアノ自身が歌っているように聴こえる不思議な体験をした。
トークのときは、その人柄か、素朴で控えめに話すのに対して、ピアノでは雄弁に語る、むしろピアノに語らせる、ピアノ自身が歌っているように錯覚させる演奏を初めて聴いた。聴いているこちらにも緊張が走るような熱演。
とても良いものを聴けた。

そしてプログラムの最後を締めくくるのはサラサーテ作曲の カルメンファンタジーop.25。

西谷さんから演奏前に説明があったように、この曲には様々なヴァイオリンのテクニック、それも「超絶技巧」と呼ばれるものが多く使われている難曲。この曲を2時間近くの演奏会の最後にもってくるのだから、二人の力量の凄さとお互いの力量への信頼度がわかる。
その説明どおり、ヴァイオリンという弦楽器ひとつで、これほどの表現が可能なのだ、ということを見せられた(文字通り“視覚的に”)。
実際にヴァイオリンを弾く人は曲を聴いただけで、そこに使われているテクニックがわかるのだろうが、実際に見て、改めてその技術の高さが分かる曲。
西谷さんの左手の動き、弓の動きひとつひとつが演奏者にはお手本となり、聴衆には超絶技巧として楽しめる。
これこそ西谷国登というヴァイオリニストの真骨頂だと感じさせた。

テクニック曲で始まり、それを上回るテクニック曲で終わる。
そういった趣向も含まれたリサイタルだったと思う。

さて、アンコールにもふれておきたい。

本コンサートが、テクニックで魅了して終わったのに対し、アンコールは、西谷氏と新納氏の二人の“競演”のエクストララウンドといった様相だった。

「愛の挨拶」では、新納氏の楽譜が見当たらず、“愛が行方不明になる”というハプニングもあったが(無事、ステージ裏で見つかった)、ここでも最低限の約束事は守りつつ、お互い自由に弾き合うという演奏で、生演奏でしか体験できないものを聴かせてもらった。

その意向をさらに押し出したのは、ダブルアンコールの「好き勝手チャールダッシュ」。
これは、クラシックというよりジャズの感覚に近く(ジャズアレンジという意味ではなく)お互いが、この曲でどれだけ遊べるかにチャレンジした演奏。
プロ同士なら練習中にこういう遊びをするんだろうな、と思うが、それを観客の前で披露して、しかもきちんと楽しませるというところが二人のプロフェッショナリズムなのだろう(もちろんアンコールだからできること、と、チャールダッシュは誰もが聴いたことがあるだろう、ということも計算済みで)。

とにかく2時間、ただ「良い演奏を楽しんだ」という以上に「二人が作る世界に引きずり込まれて参加してきた」といった感じのリサイタルだった。
次回、二人の演奏を聴く際には、聴衆もその世界に引き込まれる覚悟が必要かもしれないなと思える、録音では得られない、まさにライブの楽しさを最大限に感じる圧巻のデュオ・リサイタルだった。

気づきのジム

2ヵ月ぶりにジムに行った。

「忙しくてジムに行く暇がないから仕方がない」なんて言い訳をしているうちに、体重は危険区域をゆうに過ぎ、もはや手遅れじゃないかというところまで増えてしまった。
端的に言えば「かなり太った」。

ここ最近のダイエットは失敗続きだが、さすがにこれはマズイと思うレベル。
久しぶりに会った取引先の人に「貫禄がついていいじゃないですか。私もだいぶお腹がでてきましたよ」と言われたけれど、僕にはそういう「宿題やってない」、「オレもやってないから大丈夫!」という“大丈夫”はいらないのだ(だいたいその人は僕より20も年上なのだから!)。

そんなわけで(付け焼き刃であることは重々承知の上で)ジムへ行った(このブログの出だしで「1ヶ月ぶりにジムに行った」と書こうとして調べたら、前回行ったのが2月の頭で余計戦慄みたいなのが走る)。
とりあえずワークアウトを少しでも始めなければいけないのだ。

久々のジムは少し戸惑う。なんとなく、久しぶりであることを気取られてはいけない気がするのだ。
そうやってまごまごとストレッチをしていると、太極拳の演舞をしている年配の女性がいた。師範というわけではないだろうが、かなりキレのあって姿勢のいい動きに思わず目がいく。
カッコイイ。
太極拳は年配になっても「闘える」武道と言われていて、僕も以前に習いたいと思っていた。そういうカッコイイ先輩の姿を見ると改めてやってみようかなという気になる(せめて体験だけでも←チキン)。
だが、今の僕はそんなことを考えられる状態ではない。まずは痩せる、というか“標準の自分に戻す”ことが先決なのだ。あんまりデカイこと考えると、目の前の目標が崩れる場合もあるので要注意だ。

その後、以前と同じルーティーンで、腹筋と背筋と胸筋のマシンを使う。
そして、今日やっと腹筋のマシン(アブドミナルクランチ)の正しい使い方を発見する(いまさらかよ)。
僕の行くジムのマシンでは、ジェットコースターのようなバーを上から下げて椅子に身体を固定するのだが、このバーが今日はじめてジャストフィットしたのだ。今まで、特にジャストフィットしなくても気にならなかったけれど、ジャストフィットしたら、今まで以上に腹筋に負荷がかかる(当たり前)。つまり今まではマシンの性能をきちんと引き出せていなかったのだ。これがわかっただけでも今日、ジムに行った甲斐はあった。
ビバジャストフィット!(言いたいだけ)

それからウォーク&ランを30分する。
いつもよりスピードをあげて頑張ってみた。思ったより走れる。きちんと走れると気持ちが良いと感じるのは、真剣味が違うのかもしれない(少なくとも今日だけは)。

同時刻に、僕が以前参加してヘトヘトになった下半身を鍛えるトレーニングレッスンが行われてるのを横目で見た。
参加者全員、僕より年上だろうけれど、ほとんどの人がちゃんとレッスンについていっていて驚く。
いや、先輩方、どういう鍛え方してるんすか!
別に見た目がアスリートっぽい人達ではないのに、僕よりも体力あるのだろう、っていうか僕がなさすぎなのか。そういうの見ると本当に「負けてらんねー」って思う。
もっともそれ以上に「俺、このままだと10年後動けなくなるかも」という不安のほうが高いかもしれない。

そんなわけで、久々のジムは学ぶことが多かった。諸先輩方を見習って、これから鍛える。
っていうか、まずは“ジャストフィットの(言いたいだけ)自分”に戻すのだ。

ダイエットが上手くいったら、ブログで報告します(一向に書かれないようでしたらお察しください)。

インド発ファンタジー 『バーフバリ 伝説誕生』

ネット界隈(主にTwitter)で大評判だった『バーフバリ 伝説誕生』を観た。

インド映画をちゃんと観るのは初めてだ。
『きっとうまくいく』をナナメ観したことはあるが、あの映画はインド映画(というかボリウッド映画か)では必ず言われる“歌って踊って”のシーンはなかった気がする(ちゃんと観てないので違ってたらすみません)。

さて、この『バーフバリ』。王位継承者である赤ん坊が、内戦に巻き込まれて孤児として育てられ、運命に導かれるようにして自分の王国へ戻ってくるというストーリーのファンタジー活劇。
インドが舞台というだけでなく「メイド イン インド」の映画のせいか、どことなく抹香臭いファンタジーに仕上がっている(たとえば『アラジン』は中東ペルシャの話だけれど、ディズニーのにそういう印象ないよね ※補足 調べたら『アラジン』の舞台アグラバーっていうのがインドのアーグラがモデルだそうで、まさにインドの話みたいです)。

で、あまりに大評判だったせいか、ハリウッドの大作のようなものを期待して観ると、特撮(CG)はちゃさいし、アクションもそこそこといったところ。
ただ、後半に戦争シーンがあるのだが、これは物量と撮り方で迫力があった(金かけてるなーと思った)。

主人公がはルックスはいかにもインドの人だけれど、キャラクターはカッコいい。男性力が強いというか“マッチョ”なキャラなので、“ジェンダーフリー”だなんだと言われる昨今でも、インドではこういうキャラがカッコいいとされているのかな(「王子」という地位からイメージされるキャラクター像なのかも)と思ったりした。

それから歌は状況説明として使われていた。ナレーションを歌にしている感じ。意外にも踊りはなかった(よね?)。
もちろんセリフを歌う場面もあるが「ミュージカル」とはそこが違う感じ。
『ムトゥ』とかもそうだったのだろうか。あれはインドの「ミュージカル」だと思っていたのだけれど(未見のくせに)。

さて、この映画がちょっとモヤっとするのは、途中から突然「先代バーフバリ」(演じるのは同じ人)の話になってしまうところだ。
それも、シームレスにつながっている感じで、「あれ?今のバーフバリどうなった?」と、しばらくの間、置いてけぼりになった。これはもう昔の話で押し切るのだな、と踏ん切りがついてからは落ち着いたけれど、そんなふうに前半は不遇の王子の冒険活劇、後半が先代バーフバリの戦争エピソードになって、話の展開が急。
途中から違う映画を見た感じになってモヤっとした。

それでも、先代が活躍する戦争シーンは、前述した通りに見応えがあって、敵をなぎ倒すガジェットのついた騎馬や、伸びる鉄球付きの錫杖など“J-RPG”に出てきそうでワクワクしたりした。こういうアイディアはハリウッドではでないんじゃないかな。

そしてどういう流れで終わるのかと思っていたら、完全に尻切れトンボで終了して愕然としたのだが、この映画はもともと2部完結で作ったらしく、そう思って見るとまあ許せる。『2』があるのは知ってたけれど(というか録画してある)、『1』で完結した話の続きだと思っていたのだ。

で、『1』だけを観た感想は、悪くないけど、絶賛というほどでもない。もっとも続きは観たくなるけどね!
この映画が「前半」であることを考えると、後半まで観てから、感想を書くことにしよう。

→To be continued!

3月も終わる頃というのに

花粉症はいたしかたない。ただ、この寒さはなんだ。

そう言いたくなるのも当然、というくらい関東は昨日から冷え込んでいる。
寒いので鍋が食べたくなったが、4月も近いというのに「一人鍋セット」はもうないよなーと近所のスーパーに行ったら、幸運にも一人用牛モツ鍋があったので購入。
欲を言えば「海鮮ちゃんこ鍋」みたいなのが食べたかったけれど、贅沢は言えない。この時期にまだ一人鍋があったことだけで嬉しい。

そして寒いからといって花粉が手を抜いてくれるわけでもない。
とくに今日は目の痒さと鼻のつまりがひどかった。そのほうが摂取量をコントロールできるだろうと、1日1回のアレジオンをやめて、一日2回朝夕飲む薬に変えたら、図ったように午後5時過ぎから鼻水が垂れるようになって、薬の効果が正確すぎて感心した(逆にね)。
ちゃんと効果はあるという証明なんだろうけど(逆にね)。

明日からはまた、春らしい暖かい陽気になるようなので、体調コントロールに励みたい。
それにしても、去年はいつ頃、花粉シーズンが終わったのだろうか。
正直、あと1ヵ月この状態だったりすると辛い。

めずらしく連続ドラマを観たので

普段あんまりドラマを観ない僕だが、今シーズンは2本観たのでそれについて書く。

1本目は「トレース 科捜研の男」(それにしてもこのタイトルはどうにかできたよね)。
これは途中参加で観たのだけれど、海外ドラマみたいに、1話完結でありながら、過去に起きた殺人事件の謎を追うという大きな物語が軸になっていて、途中から観てもなかなか面白かった。
主演の錦戸亮は、演技は上手いとは思わなかったけれど(失礼)、特殊な生い立ちをした主人公の悩みみたいなものは感じられた。あとなんだかんだジャニーズはカッコいいよね。
パートナー役(?)の船越英一郎は、2時間ドラマとは違った演技をしているのが、よくわかって面白かった。2時間ドラマのときのほうが可動域が広い芝居をしている感じ。月9だからか、このドラマではもうちょっとサラッとしていた。
ドラマを見る世代のことを意識しているのかなーと思った。それでいて、きちんと主役を引き立てていて、やっぱりしっかりした役者さんなんだなーと改めて英一郎の凄さを知った(いまさらながら)。
謎解きはまあ予想の範囲内といったところだったけれど(悪役だろーという人はやっぱり悪役だった)、この物語が終わった先の登場人物たちの物語が気になる作りになっていた。
僕の想像した月9とは違ったけれど(「トレンディドラマ世代」だからね)なかなか良かったですよ。続編ができたら観たい。

それから「相棒」。
気がつけばもうシーズン17。定番でありながらマンネリ化しないのは立派。今シーズンで鈴木杏樹が卒業という予想していなかった展開があったけれど、及川光博が「相棒」卒業後、それまで以上にドラマに出演している様を見ると、鈴木杏樹もより活躍できるといいなと思う。
反町隆史の、他の役者と若干演技プランが違うんじゃないかという感じの芝居も、見慣れたのか、あえてそのギャップを狙っているのかわからない具合に馴染んできて、これはこれで良いと思えるようになってきた。むしろもうちょっと見ていたい。
最終回は無難な終わり方をしたので、来シーズンにも期待したい。

と、ここで気づいたら、一応両方とも刑事ドラマだった。だいぶスタンスは違うけどね。
小説でミステリーをそんなに読むわけじゃないけれど、ドラマは推理モノが好きなのかもしれないなーと自己分析してみる。

来シーズンもなにか観ましょうかね(どんなドラマやるか、なにも知らないけれどね)。

イチロー引退

イチローが引退した。

メジャーでの成績は落ちてきていたものの、まだ日本のプロ野球ではやれそうな気がしていたし、今回の“興行”で、巨人入りに一歩近づいたかと思ったりもしたけれど、やっぱりマリナーズで現役を終えたいという思いは強かったのだろうね。
気がつけば、イチローもすでに45歳。投手で50歳までやった山本昌という化物みたいな人もいるものの、普通に考えたら4〜5年前に引退していてもおかしくないぐらいに来ていたのだ。逆に、ここまで一線で活躍できたのはさすがのひとこと。

引退会見はダイジェストでしか見ていないが、印象に残ったのは、小学校の卒業文集に「ドラフト1位で契約金1億」と書いたのに、その夢が叶わなかったことを「挫折」と言っていたこと。
今でこそスーパースターだけれど、確かにその時点では「挫折」だったのだろう(実際にはドラフト4位)。また、それを克服して今のイチローがあるのだから、これはある意味、挫折を経験した人、今、思うように物事が進んでいない人への心強いメッセージになる。

イチローは終始自分のペースで話していて、それでいてどんな質問にもきちんと答える。そこにユニークなやりとりが起こって、「イチロー節」と言うけれど、「イチロー節」で片付けてしまうことの想像力のなさ、メディアの「タグつけておしまい」といった軽さを感じてしまった(同じ意味で「なおみ節」もね)。
質問に対して優等生的発言ではなく、自分の気持ちを伝える。多分綺麗事を言わない人なんだろう。だから、泣かせようとか感動させようという質問にはツッコミを入れて、期待通りの答えを言わない。
それはある種の誠実さだと僕は思う。

50歳まで現役でやれると思ったイチローですら、予定通りにいかなかった。
その上、振り返れば順風満帆に見えるその経歴も、決して華々しいシーンだけではなかった。
もともとの才能のみならず、不断の努力で様々な偉業を成し遂げた人がそうなのだから、まだ何もやりきっていない僕が、ちょっとしたつまづきで「挫折」とか言ったり感じたりするのは不誠実だよね。「イチローぐらい努力した」と思えて、それでも結果が伴わなかった時にそう思うべきだ。
ひとつ、自分もやりきってみますか!と、現役を引退する選手に力をもらうという、そんな不思議な会見だった。

イチロー選手、本当にお疲れ様でした。