『エクス・マキナ』

ケーブルテレビで放送された『エクス・マキナ』を観た。

この映画は観たいような、でも自分の苦手なタイプのようなで、録画していたものをしばらく放置していたのだけれど、気になったままだと心身に良くないので意を決して観た(それほどのものじゃないか)。
で、予想は半分当たり、半分ハズレ。苦手とまではいかないが、好きなタイプではなかった。
ひとことで言えば「マッドサイエンティスト VS 人工知能」で、さあアナタはどちらにつくか?という展開。

オチは観てください。

とにかくAI役のアリシア・ヴィキャンデルが可愛くて、そりゃあ惚れるだろうと。美人で知的で純粋で無垢。
惚れる要素満載で作られているのだから、主人公だけでなく、映画を観てる男性が彼女(といっていいのかね)を「好ましく思う」のは当たり前だし、それはズルい。
映画の中で、なぜAIが女性型アンドロイドでなければいけないのか、というエクスキューズは一応あるが、作品としては「そうでないと話が進まないから」ということだ。

二次元キャラへの恋愛の警鐘なのかなーと思ったりもするが、それは特に語られない。
というか、AI含め、遺伝子操作などの人類の、神の真似事への警鐘が、この映画の根底にはあるのだろうと思う。ちょっと危ぶみすぎな気もするけれどね。

でも、この映画を見終わって思うのだ。
たとえばSNSで個人として存在しているアカウントは本当に個人なのか。
もっと言えば、教えてもらったLINEのやりとりは本当に“その本人”がやっているのか。本当はSiriがやっているんじゃないのか。
僕らは毎日、そうやってチューリングテストをさせられているんじゃないだろうか。

そんな、ゲシュタルト崩壊をちょっと起こす作品。
まあ、基本、信じていきましょう。

ちなみにこのブログは100%本人が書いています。
(AIのほうがもっとカッコいい文章書けるはずだ)

『人魚姫』

シャウ・シンチーが監督した『人魚姫』(2016)を観た。

当時、劇場に観に行こうかと思いつつ、その前に観た『西遊記〜はじまりのはじまり〜』が面白かったけれど、けっこう細かい描写がエグかったので、スルーしてしまったのだった。それから2年経ってケーブルテレビで観た。

話は単純で、お金のためなら環境破壊も気にしない大富豪と、それを阻止するために刺客(ハニートラップ)として送り込まれた人魚の恋を描いているのだけれど、どこかマヌケでシュールな感じは一連のシャウ・シンチー映画っぽい。話は深刻なのに、どことなく牧歌的なのでユルく観れる。
環境破壊や行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らしているようで、それをひとつの題材としてラブコメディにしているあたりが押し付けがましくなくて良いし、純粋(というか素朴)な二人の愛情を前にすると、そういうメッセージ性を別にして、二人の恋を応援したくなる。
概ね大団円なところも楽しい。

自分のやってきたことが、多くの人(今回の場合は人魚だが)に悪影響を与えていることに、ヒロインと出会ったことで初めて気づき、自分のこれまでの行いを見直す展開は『アイアンマン』を思い出すし、それからの主人公の行動には胸が熱くなった。
あと、主役二人が愛すべきキャラクターでとても良かった。

笑って楽しんで、ちょっと社会問題を考える契機にもなる、という点からすると、けっこう映画として「王道」なんじゃないかなと思ったりした、愛すべき作品。

『アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜』

ポスターやタイトルからして、僕はこの映画はきっと甘酸っぱい恋愛映画なんだろうなーと思って、見たいような観たくないような思いでずっとスルーしていた。

わりとその予感はあたっていたのだけれど、すごい面白い映画だった。観ておいてよかった。甘酸っぱいけれど(前半が特に)、心地よい映画。

主人公が「タイムトラベル」というものすごい能力を持ちながら、善人で良かったなーと思う。
結果のわかっている株やギャンブルで大金を稼ぐ、というえげつないことに使う発想はなく、「ちょっとあのひとことを言わなければ良かった」とか「あそこにいかなければよかった」というのをやり直すことにだけ使い、自分と自分の大切な人々がより良くなる(それもズルっぽくない程度に)ために、ちょっとした失敗をやり直す程度にとどめているのが良い。
そして、その「善きこと」をしたせいで自分がピンチになるんだけれど、それでもギリギリまで能力を使わずになんとかしようとするところも、滑稽だけれどカッコいい。

自分が運命の女性だとわかったメアリーとどうやっても一緒になろう、しかも、彼女の気を引こうというところも可愛らしい。すごく恋愛をしたくなる。
そして主人公が歳を重ねるうちに、自分の大事なものが、恋愛から家族そして人生という大きなものに変化していく様が描かれていて、素敵な作品。

あと、とにかくレイチェル・マクアダムスが可愛い。
『シャーロック・ホームズ』でも『ミッドナイト・イン・パリ』でも可愛かったけれど、ちょっと鈍くさいけれど知的で美人という役柄が特に良く似合っていた。惚れるよ。

この映画のようにやり直しはできないけれど、それでも、毎日真剣に人生やっていきたいよね、としみじみ思う。

『ボヘミアン・ラプソディ』

僕が初めて「クイーン」を聴いたとき、フレディ・マーキュリーはすでに亡くなっていた。

大学の友人が大ファンで、彼から「グレイテスト・ヒッツ」(vol.1)を借りたのがきっかけだった。その後、自分でそのCDを書い直して、学生時代と卒業後の一時期はやたらと聴いた。

当時、クイーンが有名なアーティストであるということはわかってはいたけど、僕にとってはベスト盤しかもっておらず、洋楽なら他にビリー・ジョエルやヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース、フィル・コリンズのほうが好みだったので、知識としては「フレディ・マーキュリーがAIDSで死んだ」ということぐらいで今日まで来た。
だから、この映画を絶対観よう、という気はなかったものの、やたら評判が良かったので、やっぱり観てみようと思ったのだ。

さて、フレディ・マーキュリーの自伝というより、あくまでも「クイーン」の歴史を、彼を中心として、バンドの結成から再結成して出演したライブエイドまでを映画化したもの。
もちろんフレディ・マーキュリーという唯一無二のアーティストの存在は大きいものの、このバンドが、決してワンマンの力でのし上がったのではなく、それぞれが影響しあって偉大なバンドたりえている、というのが面白かった。
とくにブライアン・メイのまとめ役としての能力がなかったら、このバンドはもっと早くに空中分解して、元の鞘に戻ることもなかったのではないかと思う(まあ、この映画で描かれていることが事実なら、だけど)。

実話をベースにしているので、フレディが破滅へと向かっていった原因が「あいつ(観た人はわかりますよね)が全部悪いんじゃねえか!」という描かれ方が本当なのか(っていうかあれでいいのか?)という点や、バンドとして挫折がなさすぎるのはストーリーとして気にはなったが、フレディの孤独や、アーティスト、そして人間としての魅力が伝わり、それを踏まえてのクライマックスであるライブエイドの歌唱シーンは、彼のそれまでの人生と歌詞の内容が相まって泣けた(さほど良い曲と思っていなかった「レディオ・ガガ」もすごく良かった)。

フレディ・マーキュリーの人生で、彼がゲイ(バイ・セクシャルとも言えるが)であることを描くのは避けられないけれど、それをブライアン・シンガーがどう描くのか(あるいはゲイのアイコンにしすぎるのではないかと)、途中でちょっと頭をよぎったけれど、最終的に、ゲイだろうがなんだろうが、人間としての付き合い、つながりで、メンバーや周りの人間が彼を「ひとりの人間」として付き合っていることも感動的だった。

あと、この映画がヒットしている理由は、観た人それぞれで心を揺さぶられる部分が違って、そして、ともかく自分の人生と重ね合わせて考えさせられる部分が多いからだと思う。
映画の中で、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞が「意味がわからない」と指摘されたときに、「歌詞は聴く人それぞれに委ねる」というようなことを言っていたのだけれど、それと同様に、映画の意味を「観る人それぞれに委ねられる」作品。

「クイーン」というバンドの偉大さを痛感するとともに、映画としてのスケールの大きさも実感する。確かに凄い映画だ。
そして、当然のごとく「グレイテスト・ヒッツ」を(今度はVol.2も含めて)買いたくなってしまった。
映像の力と音楽の力をまざまざと見せつけられる映画だった。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』

前作『シュガー・ラッシュ』は2年前にケーブルテレビで観て、大お気に入り映画になったので、『シュガー・ラッシュ:オンライン』を劇場に観に行ってしまった。

前回は、ゲームの楽屋裏があったらどんな感じか、を描いていたが、今回はインターネットの楽屋裏を描く。
インターネットの世界の描き方(可視化)が見事で、インターネットに“中の世界”があったら、こういう感じだろうなーというのが良くわかる。
それと、インターネットはオフラインの世界よりも怖く、悪いもの(不正なもの)と正しいものの区別がつきにくさや、悪意が増幅してしまう感じも表現している。
それにひっぱられてか、ディズニーとしては攻めるくらいに、シニカルでブラックな笑いが多く、前作よりもその路線が強くなったかも。

僕は2年前に観たけれど、実際は前作から6年もたっている。
前作はヴァネロペ役の諸星すみれの演技が可愛すぎて、それもこの映画の魅力だったが、6年たった今回もその魅力が変わらなくてすごい(ラルフ役の山寺宏一はもちろん!)。

ラルフは大人で、ヴァネロペは子どもな見た目をしているけれど、それはキャラクターだから、とも言えて、どっちも中身は子どものよう。
ストーリー展開としては、その二人がそれぞれの「大人」になることを描いている。なので前作のように、ハッピーエンドで大団円。という結末ではない。
でも、この二人の関係は「親友」と描かれているが、「恋愛」や「友情」といった言葉では表せない二人の「絆」の、その思いの強さゆえの衝突を、二人でどうやって乗り越え、そして乗り越えた先には新しい関係があり、関係を更新して、さらに「絆」は深まるのだ、ということを改めて考えさせられる(もちろん、実際には残念ながらそこでサヨナラしてしまう関係もたくさんある)。シンプルだけど強いメッセージを入れるあたりはディズニー映画らしい。

単純に、ネットの世界の戯画化でネットあるあるが(まさかアレが入ってるの?みたいに、ネットで流行ったものを知っていれば知っているほど)楽しめたり、ディズニープリンセスが勢揃いして、しかも声優が同じ(つまり松たか子も神田沙也加も出ている)という豪華さやら、マーベルやスターウォーズもグループであるので多くのパロディができるディズニーの強さを感じたりした。

あと超個人的見解だが、クライマックスのシーンで、僕はファミコン通信で連載していたマンガ「しあわせのかたち」の「Dr.オリマ」の回を思い出したのだ。
それは同じくゲームをパロディにしているマンガだったから思い出したのか、この映画製作者が「しあわせのかたち」を読んだことがあるのか、はたまた、ああいう演出はこれまで使い古された手法なのか(桜玉吉自体がパロディをやってたからね)、誰か知っている人は教えてください。

少しほろ苦さが残る結末だったけれど、主人公二人の関係性が今後どうなっていくのか。もちろん続編をぜひ作って欲しい。

『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』

『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』を観た。

前作は同じ世界観である『ハリー・ポッター』シリーズよりも面白いと思ったので、続編もぜひ観たかったのだ。

J.K.ローリングはもう自分の好きなこと書いて、それで人気を得られるんだから、人生楽しくて仕方ないだろうなーと思う。もちろん創作の苦しみやら、葛藤やら、じゃない部分での悩みはあるだろうけどね。

この映画では、前作ではさほど感じられなかった『ハリー・ポッター』シリーズが持っている「暗さ」を継承してきて、単純にでてくる動物(?)の可愛さを愛でたり、魔法活劇を楽しんだりする部分は少ない。子どもがワイワイと楽しめる映画じゃない(『ハリー・ポッター』も後半はそんな感じだったけどね)。おどろおどろしさというか、人間の闇の部分が描かれてるので、親子でぜひ!という感じではない。
それと僕は、この映画が続編ありきで作られてる、って知らなかったので、きちんと完結せずに「次回に続く」という展開にモヤモヤした。

あと、前作はニュートが主体的に物語を進めていったけれど、今回はもっと大きな流れに巻き込まれた感じで(印象としては007の『スカイフォール』っぽい)、主役としてよりもストーリー回しの役割が大きく、彼自身の活躍らしい活躍がなかったのが残念。『ハリー・ポッター』サーガ(って勝手に言ってますが)のニュート・スキャマンダー編としては「つなぎ」の作品なので、これ単体で考えると、どうしたって消化不良。もちろん、続きを観たくさせるのだから、その点は上手いけれどね。
続きがあることがわかって、次回作が完結編だろう、なんて調べてみたら、なんとこのシリーズ全5作の予定だそうだ。
あと3作付き合えるか、って言われるとちょっとしんどい(時系列で言うと過去の話だから、結末がわかってしまっている、というのも長丁場に付き合う気力が削がれる理由のひとつ)。

キャラクターたちは魅力的なだけに、もうちょっとコンパクトにまとめてくれたらなーと思った。
と言いつつ、次作も多分観るだろうけどね。

映画 『search/サーチ』

全編PCの画面で展開する映画と話題の『search/サーチ』を観に行った。

前評判の高さ通り、最近見た映画の中では一番面白かった。その一番の理由はシンプルな筋書きでわかりやすいからという部分だろう。
父娘のすれ違いが起きた流れをスッキリ説明して、娘が失踪する頃には、すでに感情移入ができるようになっている。
それから良質のミステリーとして定石と言える「ヒントは全て画面の中にある」、そして「張った伏線をきちんと回収する」ということができているからだ。この映画はそれをミステリーの謎解きだけではなく、きちんと父娘関係のもどかしさにまで伏線を張っていて素晴らしい。
事件の謎を解くと同時に、知らなかった娘の謎にまで迫っていく中で、自分の娘を信じたい思いと、疑惑の増す状況証拠を突きつけられる父親の葛藤が上手く描かれている。演じるジョン・チョーも熱演。

全編PC(スマホも含む)の画面で進行する、という試みが目立つし、もちろんそういうトリガーがなければ、僕はこの映画に惹かれなかった。もっと言えばありきたりのミステリー映画で話題にもならなかったろうけど、思いついたアイディア一本勝負ではなくて、どうやったら画面の中で、そして溢れる情報(特に視覚情報)の中に、どうやったら観客に見てほしいものをちゃんと見てもらえるのかが良く考えられている。

Windowsの起動音や、iPhoneの着信音が流れたりするPCあるあるの部分でニヤリとし、リアルとネットでの人間の立ち居振る舞いの違いに呆れ(アメリカでも同じなんだね)、味付けとして面白い。
でもそれ以上に、メールを送るのか、文面をどうするのか、はたまた電話をかけるのか、しばらく放っておくのか、そういう選択するときの悩みや逡巡が視覚的にわかって共感を生む。PCを前にした人間なら誰でも思い当たるだろう、その間の使い方が絶妙だった。

ところで、主人公を含めて、この映画の登場人物たちは本当にPCを活用している。もしこれが本当のガジェット活用なのだとしたら、自分が使っている機能なんて、まるでペアレンタルコントロールされている状態のようなもんだ。
先日iPhone XSを手に入れたというのに、その能力の3%も引き出せてないんだろうな。反省しきり。

さて、この映画、結末がわかるまでハラハラしたけれど、最後の最後までお見事な構成だった。拍手したいぐらいの思い。
もう一度見直して、見落としていた情報をしっかり探してみたい。

『おじいちゃんはデブゴン』

爺さんと舐めてかかったら、超強かった、というパターンが好きだ。

そんなわけで爺さんになったサモ・ハンが超強い映画『おじいちゃんはデブゴン』を観た。

僕は『デブゴン』シリーズを観たことがない。
もっと言えば、全盛期のジャッキー・チェン映画だってロクに観ていない。だから、この映画が『デブゴン』っぽいのかどうかはわからない。太っているから愚鈍だろうと思ってみたら強かった、というのが『デブゴン』というタイトルから推測されるフォーマットだが、それを考えれば、“太っている”が“歳とっている”に変わったものの「実は引くほど強い」というフォーマットは守っている(ちなみに原題は『ボディガード』でデブゴン関係ない。というか、昔の『デブゴン』シリーズも、別にシリーズとしてつながってるわけではないらしい)。

前半は、近隣の少女に亡くした孫娘の面影を重ねて、友情のような愛情のような関係を築いていくという牧歌的な感じで進むが、後半1/3ぐらいは少女の父親を殺したマフィアの連中と血みどろの戦いが起こるという超展開。
サモ・ハンは強いしカッコいいけど、寄る年波か、ファイトシーンにスローモーションや骨が砕けるCGといったビジュアルエフェクトが多めに使われていた。個人的には、戦っている時の“間”というか“決めポーズ”みたいのがなかったのが、残念だった。
マフィアとの死闘しかり、突然のカーチェイスしかり、内部抗争しかりで、しっちゃかめっちゃかな展開で終わりそうになったけれど、最後に救われる話になっているので、観終わった後の印象は良い。

あと、往年のカンフースターがたくさん友情出演しているので、その時代の映画をよく観てた人はより楽しめるだろう(僕がちゃんとわかったのはユン・ピョウとユン・ワーだけど)。
みんな動けるうちに、ジャッキーも合わせて『プロジェクトA』の三人組が勢揃いする映画を撮っておいてほしい。

それからアンディ・ラウが普通に出演していて、僕が観る映画のアンディ・ラウはダメ男役が多い気がするが、この映画でも紛うことなきダメ男役だった。
それでいいのかアンディ・ラウ。

サモ・ハンを慕って、いろんな人が出てみたよ、という感じの映画だけれど、家でダラダラと「ながら観」するには良いカンフー映画だった。

恐竜アトラクション 『ジュラシック・パークⅢ』

『ジュラシック・パークⅢ』を観た。

これでシリーズ全てを観たわけだが、リアルタイムで観たのは最新作だけなので、今、この時代で昔の作品をどうこう言うのはちょっと躊躇われる。
でも、せっかく観たからには、感想を言っておきたい。

とにかく『Ⅲ』は前2作と作風が違う。
恐竜を使ったアトラクション部分を強化して、小難しい生命論や倫理観はアラン博士のセリフの中での批判程度に留めたことで、恐竜パニック映画としてまとめた感が強い。主人公が1と同じだしナンバリングタイトルなのに、外伝っぽいのはそのせいだろう。
なので過去3部作の中では、サラッと見るのに一番良いと思う(時間も94分と短い)。

もちろん前2作あっての『Ⅲ』だと思うが、「恐竜のいる島でサバイバル」という設定だけ知っておけば、これだけ観ても楽しめる。
『ジュラシック・ワールド』も設定だけ知っていれば、悩むことなく観れるけれど、その流れはこの『Ⅲ』から続いているのかもしれない。

前半はあんまり恐竜がでないので、予算が少なかったのかな、と思っていたら、後半はオンパレードだったので、そのあたりの盛り上がりの配置も計算されているようで、大人気作の3作目を作ることの難しさを感じられたりする。

尻切れトンボな終わり方が少し物足りないけれど、前2作の伏線などに結論を出さずに終わらせたことで、のちに『ジュラシック・ワールド』が作られたと考えると、これで良かったんだろう。主人公たちと一緒に、恐竜の島の探検を疑似体験するにはシリーズ一番の出来だと思う。

で、全部観た今、僕が一番好きなのは『ジュラシック・ワールド』。
エンターテイメント映画として一番バランスが取れている気がするのだ。

古典としての『ジュラシック・パーク』はリスペクトしつつ、まだこのシリーズを観ていない人には『ジュラシック・ワールド』を観ることをオススメしたい。

『アンダー・ザ・シルバーレイク』

評判が良かったので『アンダー・ザ・シルバーレイク』を見た。

評判通りの面白さ、というわけではなかったけれど、なかなか印象深いアート系の映画だった。
あと、R15+って、結構きわどいんだなぁと思いました。言動がきわどいだけじゃなくて、モザイクかかる感じの映像もあって(それも序盤に)、それからグロいっていうか残虐な感じのところもあるので、その点要注意。

内容は、夢か現実かわからないような展開をしていくんだけれど、明確な答えがでるわけではなくて、すべて見る人の解釈によるみたいなところがあります。

主人公は知り合いになったというか、一目惚れみたいな感じで近づいていい雰囲気になったけど、突然翌日に失踪してしまった女性を探して、謎というか暗号を解いていくんだけれど、なんというかジメジメした空気感の映画でしたね。
嫌いではない(むしろ好きな)タイプの作品だけども、結局何が何だかわからないというか、全てを観客に投げている感じがした。主人公の素性も謎だし(ただちょっとしたほのめかしはある)。
たくさん含まれているというハリウッド映画や芸能界へのオマージュや、舞台となっているシルバーレイクという地域性とか、そういうのがわかって見るならもっと面白いんじゃないかな(「犬殺しに気をつけろ」ってやたら言われてることだとか)。
日本人で、主人公にあんまり共感できない生き方をしてる僕としては、多分この映画の面白さを半分ぐらいしかわからないんだろう(ただ謎解きにNES=アメリカのファミコン が使われてるのとかは共感できたよ)。
フルに楽しむには映画(とくに昔の映画)についての知識がいるのかなと思うような映画ではありました。

主演のアンドリュー・ガーフィールドは角度によってはすごくかっこいいけれども、時々関根勤に見えたりもして、話に集中できなくなったりもした。でも、なかなか味のある役者さんだった。

純文学の小説を読んだみたいに、後でいろいろと思い出す感じの映画。
典型的な娯楽映画ではなくて、ふとした時にあのシーンはどうだったとか、とかこのシーンはこういう意味じゃないか、みたいなことを思い出す映画でした。単館上映系の映画が好きな友人と見たら、色々と解釈をし合えて面白いと思う。