『グリーンブック』

映画『グリーンブック』を観た。

第91回アカデミー作品賞を受賞した作品で、黒人差別がテーマの映画。
大作ではないので、そのテーマがアカデミー賞をとった一因かなと思う部分はあるが、アカデミー作品賞という冠がなくても、すごくいい映画だった。

「黒人差別」と言っても、僕にはあまりジャストでピンとこない部分がある。当然その歴史は知っているのだけれど、アメリカで根付いている「差別」というのは僕のような日本にずっといる日本人が考えるよりも、実際に体験をしている人たちの実感にはとてもかなわない。
学生時代に国際法のゼミをとっていた友達が、差別について論文を書こうとした時に「色」と言う言葉を論文のタイトルに使おうと思ったら、担当教授から「色」と言う言葉自体がもう差別なんだよって言われた、と聞いてなんとも難しい世界だなと思ったりしたが、実際にこの映画の中では法律で黒人が差別されても良い、差別するものなんだということが常識になっている時代が舞台になっている。

なのでテーマは重いのだけれど、ただこの映画が素敵だなと思うのは、そういう環境にある物語でありながら、メインになっているのが、2人の男性の理解のしあい、友情の育みで、大上段から差別がどうの、差別がいけないみたいなことを訴える映画ではないことだ。だからこそ、より差別について考えさせられるのだけれど。

ただただ黒人差別の法律があるという理不尽さが淡々と描かれていて、そこでやはり主人公2人はぶつかるし、悩む。
特に黒人ピアニスト ドクター・シャリーは天才的なピアニストで、アーティストとしては賞賛されるのに、一個の人間になった途端に差別が始まる。
あからさまな暴力などは、例えば夜の飲み屋とかで行われたりして、それはもちろん衝撃的ではあるけれど、それ以上に普通のレストランに入れないとか、洋服が買えないとか、店の人や警察が「まぁ黒人なんだからそういう扱いをするの当たり前でしょ」と考えているシーンが出てきて、これが法律で決められてるって、やっぱりこれは理不尽だったよね、っていうことを自然に思えてくるのではないだろうか。

主人公トニー・リップを演じたヴィゴ・モーテンセンは、本当に上手い。
ニューヨークの下町育ちで、多少の悪事も全然大丈夫、何事にも動じないみたいな、そういうキャラクターを違和感なく作っていて、粗野なとっぽい感じの、でもあのどこか憎めないお茶目さがあるところが面白い、いいキャラクターを演じていた。
ドクター・シャリーを演じてアカデミー賞をとったマハーシャラ・アリも、何事にも動じない信念の強いアーティスティックな面と、(黒人としてだけではない)彼ならではの孤独さが伝わってきた。

この映画は差別という重いテーマを持ちながらも、基本的に笑いの部分、それはズレの笑いだけど、2人の環境のズレとか、生きてきた世界観とか、見ているものの違いからくるズレをおかしく描き、結局“珍道中”になるところがあって、そのやりとりの面白さ、おかしみみたいなものがとても楽しい。
黒人が差別されて当たり前という南部に、いかに凄腕の用心棒というか、揉め事処理屋みたいな人を雇っていくとしても、やっぱりそれは大変な挑戦で、命の危険に晒されてドキドキハラハラするシーンもあるが、最後の最後までとても良い映画だった。
もちろん差別について色々と考えさせる作品だけれど、それ以上に、違いの多い二人が友情をはぐくみ、お互いに理解が生まれるという点に、人と人のつながりの可能性を感じて胸を打たれる。
とても素敵な映画です。

『バーフバリ 王の凱旋』

インド映画『バーフバリ』の完結編

この映画は『1』と『2』で前後編になっているので、両方観てやっと納得、という感じ。
どちらかだけ観るとなると、『2』のほうが面白いと思うが、『1』で主人公(特に先代バーフバリ)の人となりが描かれているので、『2』だけだとキャラクターに感情移入しにくいだろう。
いずれにせよ、片方しか観ないと魅力は半分以下になる。
時系列としては『1』が「現代パートの“起承”→過去パートの“起承”→現代パートの“転”」、『2』は「過去パートの“承転結”→現代パートの“転結”」となっていて、なかなかややこしい。

『1』でもそうだったけれど、現代のバーフバリは生まれつき超人(特に戦闘能力の高さ)といった感じなのに対し、先代バーフバリは天賦の才のみならず、良君に育ったという過程が見えるので、主人公としては先代の方が魅力的。
息子である現代バーフバリと同じ役者だし、設定的に「生まれ変わり」っぽさもあるので、同一視して見ればいいのだろうけれど、そのあたりがやや乱暴かなーと思った。

乱暴なのは、話の展開もそうで、聡明なはずの人がわかりやすい計略にみるみると嵌っていくのが若干イライラしたし、退屈もした。
そこには親子関係や嫁姑関係などいろいろなものがあって、結局は誰しも人の業には抗えないという深いメッセージがあるのかもしれないが、ストーリーとしては単純な流れ。
ただ、これが古典や神話だと思えば、元来、古典や神話はわかりやすく単純な筋書きなのだから、細かいことは言いっこなしで単純に楽しんでください、ということなのだろう。

『1』でJRPGっぽいと感じた世界観は『2』だと、より「スーファミ時代のスクウェア」っぽい感じになって、そういうの好きだった人はより世界に浸れるだろう。
アクションも『2』はより派手、かつ人間離れしたものになって痛快。
特に弓矢のシーンはカッコ良すぎて笑える。バーフバリという伝説の超人の大活躍を楽しむ映画、としては確かに面白かった。

そんなわけで、漫画的な戦争伝記映画としてはハリウッドに負けてない。
というか、その独特の世界観は日本のほうがウケるのだと思う。
そういうジャンルに興味があれば、ぜひ『1』、『2』両方観てください。

韓国映画『LUCK-KEY』

韓国のコメディ映画だけど、原案は邦画の『鍵泥棒のメソッド』らしい。

僕は『鍵泥棒のメソッド』のほうを観たいと思いつつも未見だったので、リメイク版である今作(厳密には原案だけらしいが)を先に観てしまった。
リメイクだと知ったのは観た後なので、事前にそれを知っていたら多分後回しにしたと思う。ただ良質のコメディだったので、観て良かった。

主人公がイカツイおっさんの殺し屋で記憶喪失になって、手にしていた身分証明書などから、自分を売れない役者(しかもだいぶ年若)だと思い込む。
ただ素性が殺し屋なので、包丁を扱えば器用にカリナリーアートみたいなことはできるし、アクション(喧嘩)はお手の物だし、そのあたりの「本当は凄腕なだけに無意識でできちゃう」という点を楽しめるコメディ。
基本的に登場人物がみんなどこか抜けている“いい人”たちなので(悪役まで憎めない感じ)安心して見れるし、基本ハッピーエンドな感じが良い。
こういう「あからさまなコメディ」にはやっぱりハッピーエンドが似合う。

主役を演じるユ ヘジンは脇役として活躍している俳優さんらしく、イケメンではないし普通のおっさん然としているのだが、どことなく愛嬌があり役にぴったりハマっている。
記憶喪失をしたからといって、人間、ピュアになるわけではないだろうが、看護師との不器用な恋愛や、その家族との微笑ましいつながりも、途中から全てにおいて本当に応援したくなる感じ。

漫画的なコメディとして明るい気分になれる作品だった。
次は『鍵泥棒のメソッド』も観てみたい。

インド発ファンタジー 『バーフバリ 伝説誕生』

ネット界隈(主にTwitter)で大評判だった『バーフバリ 伝説誕生』を観た。

インド映画をちゃんと観るのは初めてだ。
『きっとうまくいく』をナナメ観したことはあるが、あの映画はインド映画(というかボリウッド映画か)では必ず言われる“歌って踊って”のシーンはなかった気がする(ちゃんと観てないので違ってたらすみません)。

さて、この『バーフバリ』。王位継承者である赤ん坊が、内戦に巻き込まれて孤児として育てられ、運命に導かれるようにして自分の王国へ戻ってくるというストーリーのファンタジー活劇。
インドが舞台というだけでなく「メイド イン インド」の映画のせいか、どことなく抹香臭いファンタジーに仕上がっている(たとえば『アラジン』は中東ペルシャの話だけれど、ディズニーのにそういう印象ないよね ※補足 調べたら『アラジン』の舞台アグラバーっていうのがインドのアーグラがモデルだそうで、まさにインドの話みたいです)。

で、あまりに大評判だったせいか、ハリウッドの大作のようなものを期待して観ると、特撮(CG)はちゃさいし、アクションもそこそこといったところ。
ただ、後半に戦争シーンがあるのだが、これは物量と撮り方で迫力があった(金かけてるなーと思った)。

主人公がはルックスはいかにもインドの人だけれど、キャラクターはカッコいい。男性力が強いというか“マッチョ”なキャラなので、“ジェンダーフリー”だなんだと言われる昨今でも、インドではこういうキャラがカッコいいとされているのかな(「王子」という地位からイメージされるキャラクター像なのかも)と思ったりした。

それから歌は状況説明として使われていた。ナレーションを歌にしている感じ。意外にも踊りはなかった(よね?)。
もちろんセリフを歌う場面もあるが「ミュージカル」とはそこが違う感じ。
『ムトゥ』とかもそうだったのだろうか。あれはインドの「ミュージカル」だと思っていたのだけれど(未見のくせに)。

さて、この映画がちょっとモヤっとするのは、途中から突然「先代バーフバリ」(演じるのは同じ人)の話になってしまうところだ。
それも、シームレスにつながっている感じで、「あれ?今のバーフバリどうなった?」と、しばらくの間、置いてけぼりになった。これはもう昔の話で押し切るのだな、と踏ん切りがついてからは落ち着いたけれど、そんなふうに前半は不遇の王子の冒険活劇、後半が先代バーフバリの戦争エピソードになって、話の展開が急。
途中から違う映画を見た感じになってモヤっとした。

それでも、先代が活躍する戦争シーンは、前述した通りに見応えがあって、敵をなぎ倒すガジェットのついた騎馬や、伸びる鉄球付きの錫杖など“J-RPG”に出てきそうでワクワクしたりした。こういうアイディアはハリウッドではでないんじゃないかな。

そしてどういう流れで終わるのかと思っていたら、完全に尻切れトンボで終了して愕然としたのだが、この映画はもともと2部完結で作ったらしく、そう思って見るとまあ許せる。『2』があるのは知ってたけれど(というか録画してある)、『1』で完結した話の続きだと思っていたのだ。

で、『1』だけを観た感想は、悪くないけど、絶賛というほどでもない。もっとも続きは観たくなるけどね!
この映画が「前半」であることを考えると、後半まで観てから、感想を書くことにしよう。

→To be continued!

『Re:LIFE〜リライフ〜』

ヒュー・グラント主演の映画『Re:LIFE〜リライフ〜』を観た。

一発屋だった脚本家が、仕事にあぶれて田舎町の大学の脚本クラスの講師になって人生を見つめ直すという話。
あらすじからわかるように、ものすごいベタなヒューマン・ロマンティック・コメディだったが、安心して観られるし“裏切らない”ストーリー。

僕はヒュー・グラントが全盛期だった頃の映画を全く観ていないが、この映画の前に『ラブソングができるまで』を観て、それは枯れたヒュー・グラントがすごくカッコよくて、内容も好きなタイプの作品だったので、それと似たような映画だろうな、と思って観たら、予想通りだったので良かった。
それもそのはずで、調べたら脚本・監督が同じ人だった(マーク・ローレンス)。

『ラブソングができるまで』では音楽、この『Re:LIFE〜リライフ〜』では脚本という作品を題材に、モノをつくるということへの情熱や葛藤を軸にして、一度は栄光をつかんだものの、落ちぶれてしまった男の再生を描いている。
ヒュー・グラントの、落ちぶれ加減は“仕事はない”状態ではあるが、そこまでダメ人間にはなっておらず、脚本家としてのプライドは捨てていないというところが、共感できる。あと素直に枯れたヒュー・グラントがカッコいい。若い頃はもっとカッコよかったんだろうけど、なんというか、男からみても憎めないチャーミングな魅力がある(「このおっさんを、好きという女性は見る目があるなー」という感じがするのだ)。マリサ・トメイとの会話も知的でユーモアがあり、こういうカップルは理想だなと思ったりする。

映画好き、ストーリー作り好きにオススメしたい良品。

『キャプテン・マーベル』

非の打ち所のないヒーロー映画でした。

と、それ以上、何も言えない(特にネタバレっていうものはないけれど)、「とにかく見て!」っていう感想の大傑作娯楽映画だった。

もちろん『アイアンマン』から続くマーベルシネマティックユニバース(MCU)のいちファンとして、その集大成である『アベンジャーズ / エンドゲーム』につながるという今作を観るのは必然だったけれど、正直、そんなに期待はしていなかったのだ。
でも、あまりに面白かったので、役者陣についてや、制作のバックグラウンドが知りたくて鑑賞後にパンフレットを買ってしまったぐらい(同じように思った人は多いようで、僕同様、鑑賞後にパンフレットを買い求める人で売店に列ができていた)。
それと、最近のMCU映画が、前作なりその関連作を見ておかないといまいち入り込めない作りになっていたのと違って、単独のヒーロー映画として面白かったのも人に薦めたくなる理由の一つだ。MCUを観ているとわかるトリビアも多いけれど、それを知らなくても話には十分ついていけるし、逆に今回の話は知らないほうが楽しめるストーリー展開かもしれない。

主演のブリー・ラーソンは芯の強さの中にチャーミングさが見えてキャラクターにピッタリだし、コンビを組むサミュエル・L・ジャクソンは、そうそうこういうキャラクターが真骨頂だよね、ということを思い出させるような生き生きとした演技を見せる。
この二人だけじゃなくて、どの役者もハマり役だし、演技が上手い。こういう荒唐無稽な娯楽映画で、演技云々を言うのもなんだけど、逆にこういう娯楽映画だからこそ、演技が上手い人がやると荒唐無稽な世界にも説得力が出るのだろうと思った。
あと、アクション過多ではなく、セリフ劇なのも楽しい。ユーモアのある掛け合いをしながら世界の危機に立ち向かう、というスタイルは007やインディ・ジョーンズのようなスタイルのヒーロー映画のようで楽しかった。最近のMCUは深刻な話になってきているので、そういう肩肘張らず楽しめるのも良かった。
あと、猫!猫じたいも可愛いが、猫と戯れるサミュエル・L・ジャクソンのことが絶対好きになる(ここだけややネタバレ? 笑)。

『キャプテン・マーベル』はMCUの中では「エピソード0」的な位置づけなので、今までMCU映画を観ていなかった人が、これをきっかけにこの世界のファンになったら嬉しい。MCUはただの娯楽映画ではなく、現代社会の問題をベースに描いているものが多いからだ。
2009年にマーベルはディズニーに買収されているけれど、楽しみながら、大きなテーマについて考えさせられるというディズニー映画らしさを持っているところも買収の要因のように思える。

もう一回、劇場で観たいと思うし、ソフトは絶対買ってしまうな、というぐらいのイチオシ映画。
SFが嫌いでなければ、ぜひ観てください。
デートムービーにもいいと思いますよ(僕は独りで観たけどね!)。

『アウトレイジ 最終章』

観るタイミングとしては今しかないだろうと思って『アウトレイジ 最終章』を観た。

件のピエールは予想以上に主要人物で、この物語が動く原因となったりしていて、そりゃあ、自粛になるよね、という感じの出演量。
とはいえ、他のビッグネームの前には、善戦してるなー程度の役回りでもある。

前2作以上に騙し合いと悪人度があがっている感じはしたが、筋道が通っている点では面白かった。
「最終章」という看板に偽りなしの幕引きだった。

それにしても、この映画が自粛になってしまうのは惜しいと思う。簡単には言えないことだけれど、作品と出演者の不祥事はわけて考えられればなーと、そう思った(今ならではの感想)。

『スクール・オブ・ロック』

今さらながらだが、映画『スクール・オブ・ロック』を観た。

型破りな教師が子どもたちにロックを教える、という「ロック版GTO」みたいな内容と思いきや(「GTO」みたことないので想像です)、イケてないロックミュージシャンがニセ教師に成りすまして、10歳の子どもたちとバンドを組み、賞金のかかったコンテスト優勝を目指す、という内容だった。
なのでロックの歴史的な説明はあんまりない。

硬すぎる名門校の真面目な生徒達が、主人公と触れ合うことで、人生は型通りでないことを知る。最終的には大団円で、ステレオタイプな展開ではあるけれど、スカッとした。
それは、この映画で描かれる、子どもたちの内に秘めた鬱屈や情熱ややるせなさは、大人でも持っているからだと思う。社会に出ても、ほとんどの人が(程度の違いはあれど、)この映画で描かれる子どもたちと同じ思いを抱えているからだろう。僕だってそうだ。

「ロックは反抗の意味だ」とこの映画では言っているけれど、なんでもかんでも反抗するのではなく、「自分の生き方を通す」という意味で考えれば、実は人生で「ロックする」のは簡単ではない。ただ、そういう生き方をカッコいいと思ってくれる人もいるはずだ。
この主人公は、決して“いい人”には描かれてはいない。ただ、その「突き通す生き方」は子どもたちの心をつかみ、触れ合った人々の心もつかむ。
テーマはロックだし、音楽の力(楽しさ)がメインではあるが、そういう「生き方」をテーマにした清々しい映画。
コメディならではの、すべて上手くいく大団円のハッピーエンドも悪くない。

自分の生き方をちゃんと見つめ直そう、という気分になる映画(こんなに破茶滅茶だとマズイけどね)。

『ズートピア』

ディズニーアニメ『ズートピア』を観た。

そこかしこから聞こえてきた「とても面白い」という噂に違わずとても楽しく観た。これまた図らずも僕が好きな「バディもの」で、そのあたりも楽しめた要素。
主人公ジュディの表情が『シュガー・ラッシュ』のヴァネロペとそっくりだなーと思ったら、監督が同じ人(リッチ・ムーア。この映画だと共同監督だけど)だった。

肉食動物と草食動物の分類が、この映画だと差別と区別についての下敷きになっていて、それは今のアメリカの抱える問題の隠喩なんだろうと思う。目的のためなら、多少の手段の倫理的逸脱もやむを得ないと嘯く者や、善人のようでいて、これまた目的のためには冷徹に物事を実行する者、そういう人たちが権力の中にいるのだ、という風刺が垣間見られる。
そうした舞台のズートピアは理想のアメリカ合衆国でありつつ、結局、差別意識や偏見から逃れられない現在のアメリカの姿を描いている。
夢を叶えようと思えば、誰にでも叶えるチャンスはあるといいながら(それは確かに真実を含んでいるけれども)、実力だけではなく、出自も問われてしまうのだ。このあたりが深い。

とはいえ、それを声高に主張するわけではなく、ウサギ(草食)のジュディとキツネ(肉食)のニックのバディぶりと、小気味のよいアニメ展開を楽しみながら、こういう大きいテーマについて考えさせるあたりがディズニーの真骨頂なんだろう。

ジュディ役の上戸彩はなかなか良かった。続編が作られても声優は同じままにしてほしい(ディズニーは声優選考が厳しいから、多分変わらないだろうけれど)。

夢に向かって頑張れば乗り越えられること。差別という問題を抱えながらも、それを克服して、皆で共により良い社会を目指そうとする思いを大切にすること。
そんなことを思わされる素敵な作品だった。

『ナイスガイズ!』

ラッセル・クロウとライアン・ゴズリングのバディもの、『ナイスガイズ!』を観た。

バディもので肝心なのは、とにかく相棒を組む二人の相性が良いかどうかに尽きる。それはキャラクターによるものだけでなく、俳優同士の相性にもよる。
とりわけ仲良しでなくてもいいと思う。仲が悪くても、ちゃんと噛み合いさえすれば、観ているほうとしてはきちんと「バディ」として観れる。
最悪なのは、お互いがお互いに興味を持っていない場合。これは二人で主役、という意志がなく、俺が主役でお前が脇役、という感じで演じてしまっているのがミエミエで、全然噛み合わないので面白くない。
僕が観た中では『ショウタイム』のロバート・デ・ニーロとエディ・マーフィ、『ゴースト・エージェント/R.I.P.D』のジェフ・ブリッジスとライアン・レイノルズがその例で、これはもうバディものとして観てるのが辛くなるレベルだった(『48時間PART2』もエディ・マーフィが大スターになってしまったがゆえにニック・ノルティが完全に引き立て役でガッカリした)。

さて、そういう点で、この映画はちゃんと「バディもの」しているのが良かった。腕力勝負の示談屋とろくでなし探偵といった、デコボコというよりボコボコなコンビが面白い。
コントみたいなコメディシーンが多いのに、展開はハードボイルドなのも70年代を舞台にしているから雰囲気に合うのだろう。

それと、二人のバディぶりをさらに魅力的にしているのが、ライアン・ゴズリング演じる探偵マーチの娘ホリー。しっかりしているができすぎない、でも芯が通っている、という彼女の存在が2.5人組のような関係を作り出している。

『アイアンマン3』が僕的にはひどかったので、シェーン・ブラックの映画に対してあまりいい印象はなかったけれど、この作品は面白かったし、続編があるっぽいつくりなので、期待している。
ぜひホリーを演じるアンガーリー・ライスが大きくなる前に作ってほしい。

軽く笑えるバディ活劇としてオススメの1本。