二分休符

このところわりと“しっかりとした”ブログを書いていたが、毎日、そんなにドラマティックなことが起こるわけでないので、今日一日の報告を。

とにかく雨で寒い。雨だと洗濯物が乾かずに困る(生活感満載)。
スポーツウェアも乾かないので、ワークアウトも中止にした(言い訳がましい)。

で、今日は休みだったので、ポッドキャストを録り、ケンタに行って読書をし、夜は『ジャスティス・リーグ』を観て終了。
『ジャスティス・リーグ』は、うーん、やっぱりDCコミックスのヒーローものはいまひとつ好みじゃないみたいです。バットマンは可愛そうなぐらい弱いし、逆にスーパーマンがチートすぎて、正直、このメンバーのコラボを続けるのは難しいだろうと思う。
でも、それなりに面白かった。ヒーロー映画自体は好きなのだ、うん。

ポッドキャストはAnchorにアップもしているけれど、公開は明日か明後日に。
もったいぶるほどではないが、一晩ぐらい寝かしておきたいのだ。

それから、音楽関係でやらなきゃいけない…というか声をかけてもらった案件があるので、ギターのコードをとったりした。
ギターについては、そもそも“ちゃんと”弾けるってレベルではないし、加えてブランクが長すぎる状態でどこまでできるかわからないが、声をかけてもらった以上、とにかく頑張る。

「ストロング」銘柄ではないが、アルコール9%のチューハイとハイボールを飲んだら、やや酔った。
3本目を開けようかどうか悩みながら、今日は終了。
明日も明後日も朝早いんだよなー、どうしようかなー(飲まずに寝ろよ)。

そんなこんなで休日はおしまい。
明日からまた頑張りましょう。

乱高下

体調は完全に回復、とまでは至らないけれど、芯はとれた感じ。

軽めの頭痛や鼻詰まりがまだあって「うーん、まだ症状が続きそうかなー」と思いながらも、今朝は出勤途中で道路横断するときに“走れた”ので(物理的に)、だいぶ良くなってるようです。

なんども書くのだが、風邪で体調が落ちたせいか、薬の副作用か、とにかく考えることが限定的かつネガティブになっていた1週間だった。
自分のことにしか気をつかえないし、その自分のことすら「どうでもいい」と思ってしまう。そういう「重い気分」が一番辛かったかもしれない。
身体が言うことを聞かないというのは、想像以上に辛いのだ。

そんな状態でうっかり『殺人者の記憶法』を、『新しい記憶』のほうも含めて観てしまって、余計に憂鬱な気分に。
原本(っていうの?)のほうが色々謎が残って、やや投げっぱなしとはいえ余韻の残る作品だったのに対して、『新しい~』のほうはカイザーソゼ的な編集で、辻褄合わないわ、後味悪いわでげんなりした(俺、病気なのに←自己責任)。
少なくとも体調の悪い時に観る映画じゃなかった。

それから『泥棒は幸せのはじまり』というB級コメディ(これは好きなタイプの話だった。オチがやや唐突で、もう一段オチがあるかと思った)と、『マグニフィセントセブン』も観た。『七人の侍』というか『荒野の七人』のリメイクだから展開はわかってるんだけどね。
クリス・プラットが好きなので、見せ場が多くて良かった。ガンアクションもカッコ良かった。具合悪い時はこういう感じの奴がいい(人はたくさん死ぬけど)。
心理戦みたいなのは観るべきじゃないな。

そんなこんなで、録りだめした映画を少しこなせたので、具合悪いなりに生活はしてたみたいです(いささか自信ない)。

また今日から頑張っていきますよー(葛根湯を飲みながら)。

30年越しのバットマン

マイケル・キートンが主演した『バットマン』を観た。

この映画、実に1989年の作品で、今から30年前の映画だ。
思い起こせば、当時、中学の友人のTくんと、プリンスが歌うテーマ曲について話してた記憶がある。

で、僕はマーベルコミックの作品(スパイダーマンとかX-MENとかね)は好きだが、DCコミックの作品(バットマンやスーパーマンだ)にはさほど興味がないので、この「古典」とも言えるティム・バートン監督の『バットマン』は未見だったのだ(っていうか、ティム・バートンの映画は『スリーピー・ホロウ』しか観てない。しかもDVDで)。

それでもって、今さらの感想は、序列がバットマン役のマイケル・キートンより、ジョーカー役のジャック・ニコルソンの方が上だったのが発見だったり、マイケル・キートンは典型的な二枚目じゃないけど、カッコいいなーと思ったり、やっぱり30年前の映画だから、特撮のちゃさいところや、展開のまどろっこしさは気になるけど、先日観た『バットマンVSスーパーマン』より面白いと思ったのは、映画として良くできているからなんだろう。
バットマンって、ダークヒーローの代表だと思うが、この映画で、よりその傾向が強くなったのかなーとも思う。

それでも僕はやっぱりマーベルヒーローのほうが好きだけどね。
ただ、30年の月日がたっても楽しめるというのは、監督、役者の実力なんじゃないかなーと思った。

なんだかんだヒーロー物が好きなのかもね。

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

2大スターの共演が話題になっていたのもあって『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』を観た(内容も面白そうだったからね)。

タランティーノの映画は『ジャンゴ』と『イングロリアス・バスターズ』しか観たことがないので、その作風をどうこう言えるような知識はない。
ただ、誰かのツイートで「時系列が込み入ってる」みたいなのを読んでいたので、この映画もそういうところが“タランティーノ節”なのかなーと思った。

古き良きハリウッドについても、僕は知らないので、時代の共有はできなかったけれど、ただ、あの時代のアメリカは今よりも騒々しくギラギラしていて、それに憧れた人たちの気持ちはよくわかる。
ただ当時のリアルなハリウッド(映画界)を描いているというよりは、これはおとぎ話なんだろうと思う。

落ちぶれたテレビスターのディカプリオはおっさんの悲哀と可愛げを体現していて共感できた(実際にそばにいたら厄介だろうけど)。その彼に付き従いながらも、自分をちゃんと持っているブラピもカッコよかった。
二人の関係を的確に表したフレーズが劇中でてきて(ネタバレではないが、印象的なのであえてここでは書かない)、こういう関係も、古き良き時代のもののような気もした。
そこに言及された時のブラピの反応もまた良い。

笑って泣けてハラハラして、160分という長尺も、飽きずに観られた。
当時のトリビアを調べた後に、もう1回観たい。

タランティーノ作品は敬遠していたのだけれど『レザボア・ドッグス』と『パルプ・フィクション』は観てみようかな、と思う。

お盆休み的な

自分にとっては定休日だが、世間的にはお盆休み。

『ライオン・キング』を観に行ったのだが、平日だと思っていたのが迂闊で、劇場は家族連れや中高生カップルで溢れていた。
スクリーンはさほどではなかったが、売店が激混みでびっくりした。
「映画不況」みたいなことを数年前から聞いているが、娯楽としての映画の力はなんだかんだあるのではないかと思う。

さて、『ライオン・キング』はアニメをDVDで一度観たことがあって、なんとなく筋書きを覚えている程度だったが、実際に超リアルなCGで“再現”された映像を見ると、「ああ、こんなシーンあったわー」と思い出すような感じがした。
CGは精巧に作られているが、「動物が演技をしている」と思うよりは、やっぱりマンガチックではあるが、それが良いのかもしれない。
ある一定以上リアルになると、もっと違和感があっただろうけれど、ギリギリ、リアルとアニメの境界線を狙った視覚効果だった。
なぜ、この映画を観たか、というと90%はジョン・ファヴローが監督だから、ということなんだけれど、世界最先端のCG技術も堪能できた。

そんなわけで、今日はレストランも喫茶店も混んでいた。
普段、平日休みばかりなので、逆に新鮮ではあったが、やっぱり、自分は平日休みが慣れてるのかなーとも思う。

そして明日からはまた通常営業。
とりあえず働いとこう。

観てから語る『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』

まずは『アサルトガールズ』という映画について語っておかなければならない。

押井守が監督したこの映画は、『攻殻機動隊』や『機動警察パトレイバー』などの作品を手掛けたアニメ界の重鎮がとった「実写」映画ということや、黒木メイサ、菊地凛子といった、当時旬の女優が出るということでそこそこ話題になっていたと思う。

押井監督のその前の実写映画『アヴァロン』が好きで、それがあったから、僕はこの映画を劇場に観に行った。
当時から友人だった江戸川台ルーペを誘って。

そして観た直後の感想はこうだ。

「支配人を呼んでください」。

いや、これは劇場で流すレベルの作品じゃない。
ハリウッド作品だったら確実にビデオスルーものだし、押井監督自身も劇場のスクリーンで放映されることを考えてなかったんじゃないかと思うぐらいの全然ダメダメで、嫌悪感しか残らない映画で、これを流した劇場支配人にコンコンと説教をしたくなる作品だったのだ。

付き合ってくれた江戸川台ルーペのおかげで、その溜まった感情を共有することができて、本当に助かったのだけれど、ひとりで観ていたら、多分観に行った自分を責める日々が続いたと思う。
そんな映画だ。

 

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はそもそも観るつもりはなかった。

悪評が立たなかったとしても、だ。
だから悪評がたったときには迷わずネットでネタバレ感想を見た。
それで一層観る気はなくなったのだけれど、もし劇場で観るのだとしたら、それは江戸川台ルーペと一緒に、としか考えられなかった。
そして、奇しくも彼がTwitterで「観たい」とつぶやいたのに反応し、その日のうちに観る日を決めて、一緒に観ることになったのだ。
いやはや人生は面白い。

さて、このあとはかなりのネタバレで語っていくので、知らずに映画を観たい方は、この先は観てからお読みください(観てない方は参考までにこちらを→過去ブログ「観ないで語る『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』」)。
観た方はきっと共有できる部分があるから読んでほしい。

そして、まだ観てない人に観た僕から一言だけ言わせてもらいたい。

この映画は、ドラクエファンであればあるほどネタバレを知ってから観たほうが良い。

(以下、ネタバレを含みます)

 

 

さて、ネタバレを知った自分が観た感想としては「思ったよりひどくなかった」だ。
支配人を呼ぶレベルではなかった。

はっきりネタバレすると、映画開始から90分ぐらいは、端折っているとはいえ、原作の『ドラゴンクエストⅤ』をきちんとトレースして進んでいくのだが、いざラスボスとの戦闘という時、それまで描かれていた『ドラクエⅤ』の世界は全部バーチャルリアリティでつくられたゲーム世界で、主人公は現実の記憶を封印され、ゲームセンターのVR設備に入っているいちプレイヤーだったのだ!という展開を見せる。

それだけでは事足らず、その世界を壊すために侵入してきたウイルス(ラスボスに寄生している)に、「ゲームばっかりしてないで大人になれ」と説教されるのだ。
これがドラクエファン、ゲームファンの思いを逆なでする演出と言われているのだけれど、まあ当然「喧嘩売ってるとしか思えない」演出だよね。
それにしても、この展開ははっきりと不快感を感じる驚きだった。

ウイルスが侵入して『ドラクエⅤ』の世界が止まった瞬間は、ネタバレを知っているのにドキドキしてしまったから、知らないで観たら絶叫してたかもしれない(それまた結構エグい、心を壊すような映像演出なんだよね。そういうところ凝らなくていいから)。

ただ、ネタバレ感想を読んだ時点では、現実の主人公が、もっとこう社会から逸脱した存在に描かれている(だって記憶なくしてゲーム世界に現実逃避するぐらいなんだから)と思っていたのに対し、実際の主人公は割とカジュアルにゲームを楽しんでいたので、救われた感じがした。
それで、この超展開については「思ったよりひどくなかった」と感じたのだ。

で、上記した展開はもちろん最悪なんだけれど、それまでの“本編”を見てるときに若干飽きてしまったのが、この映画がダイジェストものとしてもダメなところ。
ドラゴンクエストのゲームでは“堀井節”とも言える牧歌的なセリフやリアクションが多いので、それゆえ、物語を描く際にユーモラスな展開にならざるを得ないのかもしれないが、ボスとのバトルも「わわわー!」とか言いながら、思いつきの作戦で勝ってしまうという感じで、バトルの凄みがなかったのも不満。もっと、主人公らしい強さが欲しかった。
全体的にコミカルな言い回しが多く、話の持っていき方が初期のドラゴンボールような印象を受けた(ピンチに陥った時に仲間がかけつけるのは「友情・努力・勝利」の週刊少年ジャンプっぽくもあった)。

また今作のフローラはビアンカより断然可愛く、さらに聡明で献身的という「理想の嫁」として描かれている。
対照的に、出番もたいしてない「ただの幼馴染」で、主人公は「背中を預けられる」と言うけれど、その実“ガサツなだけ”に感じられる本作のビアンカを比べると、常に『ドラクエⅤ』でビアンカを選び続けてきた僕だってフローラを選びたくなるほどだ。

ここにも伏線があって、現実の主人公がいつもビアンカを選んでしまうので「今回は絶対フローラ!」と宣言しVRに入ると、自己暗示プログラムが作動してフローラを選ぶ道のりができるのだが、その実、深層心理ではビアンカを選びたがっている、というオチが後でわかる。
でも、これだけでは「深層心理がビアンカだ」とは限らないだろう。最初の「フローラを選びたい」という思い自体が、深層心理と同じ可能性もあるのだ。そういうあたりの雑さも酷かった。

で、最後の超展開に戻るが、アンチウイルスを使って、ウイルスを倒し、ゲーム世界を取り戻すのだけれど、そのアンチウイルス(最後の武器)のデザインが「ロトのつるぎ」。
僕はここで一番イラっとした。

山崎貴監督は『ドラクエⅤ』をプレイしていないらしいし(真偽は不明)、インタビューで「ドラクエだけに関わっているわけにもいかないので」と言った(これは本当)ことから、この作品に愛が感じられない、という批判もあるが、僕は、製作者が対象に必要以上の思い入れを持っている必要はないと思うタイプなので、そこはまあ良い(でも、総じて「愛のあるもの」のほうが人の心をつかむ確率は高いと思う)。
ただ「ここで、ロトの剣出しておけば、ファンは喜ぶんでしょ?」みたいな安直な考えを感じたのが、一番頭にきたところ。天空シリーズにロトの剣出すな。
「雑!」

でも、現実の主人公を、ゲームで育った大人に描いたことには皮肉を感じなかったことから、山崎貴は、この展開がドラクエファンに好意的に受け入れられると思っていたように考えていたのではないかと思う。
だから、逆に、今の批判の嵐に「なんで?」となっているのではないだろうか。
本人(とスタッフたち)にその気はないのに、結果的に喧嘩を売っているというピュアな悪意(これが一番タチが悪い)ともいえる。多分、これが観客に受け入れられる、感動してもらえる、という想いに溢れている。
「大人になれ」と言いながら、作り手がやってることが一番子供(というか、ひと昔前で言う厨二病)なんだよなー。

「僕らが解釈した『ドラクエ』ってこれです!どうですか!(キラーン)」

と出したものが全然ダメダメだと本人だけが気づかないという、ピュアな悪意。その作り手と受け手のすれ違いが逆に辛い。

結局、僕も含めて、ファンの思いは

「俺のドラクエをこんなにしやがって!」という思いに尽きる。

「ドラクエでそれやるなよ」と。

ただ、単独映画でこれやっても、単なる駄作だろうけど、ドラクエでやれば歴史に残る駄作だからなー。
その点だけには、関係者の確信犯的なものを感じる。

 

さて、何度も書くが、僕は「ネタバレ」を知っていてこの映画を観た。
でも一緒に観た江戸川台ルーペはそうではない。
物語の最後の最後まで感情移入していた世界が崩れ去った時、彼はどういう思いで、この映画を観ていたのだろうか。
それを思うと、終わった後も迂闊に声をかけられない心境だった。

駄作だということは共有できたけれど、今回に関しては100%思いを共有できたわけではなく、その点で江戸川台ルーペには申し訳なく思っている。

ゴメン、ルーペ。

でも、僕的には、この映画は江戸川台ルーペと観て正解だったとも思っている(彼的にはわからないが)。

ありがとう、ルーペ。

そして作品の感想ではないが、もうひとつ、どうしても触れておきたいことがある。
それは、上映後の観客の態度だ。

上映が終わった瞬間から、みんな堰を切ったように友達に感想を言い始めた。
賛否両論というより、否か「まあしょうがないか」しかないこの映画について侃侃諤諤語ることが楽しそうだった。
そう、これだけ「酷いもの」を観せられても、作品に関して、様々な意見を交わす姿は、断然「大人の態度」だった。

山崎貴は、作中でドラクエファンとゲームファンに「大人になれ」とケンカを売ったが、ほとんどの人がそのケンカに乗らず、「若造がなーにわかったようなこと言ってやがるんだ」的な扱いをされていた。
完全に子供扱い。もっといえば、煽ってみたものの、相手にすらされてなかったとも言える。

僕は、ドラクエという作品がいかに愛されているのかを痛感し、山崎貴がどんなに背伸びしても全くもって敵わない存在であるということがよくわかった光景でもあった。
その点で、山崎貴の(ドラクエと、そのファンに対する)完全敗北なのだ。

 

さて、これが、僕の『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観てから語れる全てである。

でも、これはあくまで、結末を知って観たからの話。
結末を知らないで観たとしたら、僕の感想は…多分「支配人」じゃない、

 

「関係者を呼んでください」。

観ないで語る『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』

『ドラゴンクエストⅤ』について、僕が語れるのは、内容よりもそれにまつわるエピソードのほうだ。

自分の中で『ドラクエ』は、「ロトシリーズ(『Ⅰ』〜『Ⅲ』)」とともに卒業した思いもあって、『Ⅳ』〜『Ⅵ』は自分で購入はせず、発売から少し経った頃に友人から借りたのだった。
特に『Ⅴ』は、当時珍しいゲーム好きの女友達(美人)に借りてプレイした。
お父さんもゲーム好きという(これまた当時としては)珍しい家庭に育っていた人だった。
まだ携帯がない時代で、僕は彼女の家に電話をかけて、まさに“その”お父さんが電話口にでてしまったことがあり、とてもビビった思い出がある(今、思い出しても若干焦る)。

その後『Ⅴ』はクリアしたものの、その人とは(なにかあったわけではないけれど)なんとなく疎遠になり、返しそびれてしまったスーパーファミコンのソフトはまだ実家にあり、いわゆる「借りパク」という状態になっている。
もう連絡が取れない相手なので、そのソフトはこのまま僕の実家で眠り続けるのだろう。
そのことをとても申し訳なく思っていて、結婚というのが大きなエピソードのゲームだけに、許されるならば責任とって結婚したいと思う(相手にはいい迷惑)。

さて、そんな『ドラクエⅤ』、クリアまでしたのに今ひとつストーリーは覚えていない。
結婚イベントなるものが衝撃すぎたのかもしれないし、当時はすでに大人だったので「もう、ドラクエとかじゃねえよな」みたいな思いで、なんとなく斜に構えてプレイしていたからかもしれない。
DSで出たリメイク版も子供が育ったところまでやったが、結局クリアしていないのだ。

自分にとって『ドラゴンクエスト』といえば結局ロトシリーズ(特に「Ⅲ」)が僕にとっての思い出であり、レジェンドであって、あとは「よくできた、安定のRPG」という感覚なのだろう。

それでも『ドラゴンクエストⅤ』はシリーズ屈指の名作、と言われているぐらい人気があり、それを原作にした映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が絶賛公開中であり、ネットでは絶賛炎上中でもある。

僕は、この映画のビジュアルを見て、3DCGで描かれたキャラクターがドラクエっぽくなく、つまり鳥山明感がなく、もっと言えば「こんなの俺の(俺の?)ビアンカじゃねえ!」という時点で、まったく観る気がなかった。
それでも、山崎貴という日本CG界では屈指のクリエイターが監督だし、佐藤健を初めとした出演者たちは豪華だし、なにより、ちゃんとスクウェア・エニックスや堀井雄二がお墨付きをつけている映画である以上、そうそうヘマするものはできないだろうとは思っていた。

でも、ヘマしたらしい。

前述のとおり、僕はこの映画を観るつもりがなかったので、どれだけヘマをしたのか、ネタバレ感想を読んでみた(だいたいストーリーはゲームで知っているので、ストーリーバレは別に構わないと思っていた)。

なるほどー、それは炎上するよなー、というのが率直な感想だ。

僕は、ゲームにとっての「良いストーリー」と、小説や映画の「良いストーリー」は別物だと思っているので、ストーリーが変わってしまったとか、そういうのはそれはそれでいいと思っている。
結局は、それが観客(というかほとんどのドラクエファン)に受け入れられなかった、という点が炎上の原因なんだろうけれど、それにしても、作っていた人たちは、この映画の観客、ビジネスマン的に言えば「ターゲット」をちゃんと考えていたのだろうか、と疑問に思う。

「これをやったらファン怒りますよ」と、誰かが言わなかったのかなーと思う。

堀井雄二がそれを言わないのはなんとなくわかる。
これまでの仕事ぶりをみると、一度自分の手から放したら、あとはクリエイターにまかせるというタイプに思うからだ。
でもスクエニは言ったほうが良かったんじゃないかなー。

僕が読んだ感想自体が、実は本当は「観た感想」ではなくて、「ネットで集めた情報の断片」から切り取り集められて書かれたものである可能性もなくはないので(インターネットってすっかりそういうところになってしまったから)断言はできないが、この感想が確かならば、それはゲームどころか、全ての娯楽を否定してしまうようなものだからだ。
もしくは自分のお客さんに喧嘩を売るようなものだ。

だからといって、この映画を「不謹慎だ!」、「上映停止だ!」とかやってしまうと、それはそれでダメではあるが、版権元として「チミチミ、そういうのはちょっとドラクエでやらないでくれたまえ」というひとことがあっても良かったじゃないか。

観てない僕が言えるのは、そういうことだ。

やっぱり、ドラクエは好きだから、悪評が立つのは残念なんだよな。

ところで、この映画を観るつもりが“なかった”とさっき書いたのだが、逆にネタバレ感想を読んだことで、「実際はどのくらいダメなのか」を知りたくなって、観に行きたいと思うようになった。
「目に見える地雷を踏みに行く」という傾いた行為ができるのは、すごく贅沢であり、ロックな感じがする。

そう思っていたら、友人が「観たい」ということをTwitterで呟き、そこから一緒に観ようという話が1日で決まって、まさにこのブログ公開した直後、劇場で観ることになった。

果たして、ネットの感想は事実なんだろうか。
本当にダメ映画なんだろうか。
そういう視点で映画を観るのは初めてだけれども、逆に楽しみでもある。

観ての感想はまた明日。

回復基調

よく寝た。

9時間16分。
快眠度は93%で、友人が「このアプリは睡眠時間が長ければ快眠度が高くなる」と言っていたけど、結局、そういうオチなのかもしれない。
でも、おかげで朝起きてから体調はすこぶる良い。なんとなくやる気もでている。睡眠ってやっぱり大事なのだ(←暗示にかかりやすいタイプ)。
ただ鼻をすすり気味で、喉もイマイチ本調子ではないが、考えてみたら喉については絶好調な日のほうが少ないので、これは平常運転なのだろう。

思い立って『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』を再度鑑賞。
3Dで観るチャンスは今日しかなかったので、予定を他にやりくりして、前回同様IMAX3Dで鑑賞してきた。
色々な意味で「映像」が肝の作品なので、せっかく劇場で観るなら没入感の高い3Dのほうが良かったのだ。

前回観た時も「傑作」だと思ったけれど、2回目観たら「大傑作」に評価が上がった。
謎がすべてネタバレされた小説を読み直す感覚なんだけれど、それゆえの安心感もあり、逆に、この場面でこのキャラクターはどういう思いでいるのかを見抜こうと、それを演じる役者の演技に注目しながらの鑑賞が超楽しかった。
あと前回も一ヵ所泣いたシーンがあったけど、今回は2ヵ所で涙ぐんだよ。
よくできた脚本、アクション映画としてのテンポの良さ、さらに全体を通してのコメディセンスといい、シンプルな恋愛観といい、僕の好きな映画の要素が全部入ってるから、好きなんだなーとも改めて思った。
同じ映画を2度劇場に観に行くというのは、僕にとっては珍しいことなので、ブルーレイまで待つか、とも考えたのだけれど、1回目を見終わってから、ずっと「あのシーンはどうだっけ?」とか「あそこでどういう態度だったっけ?」と、モヤモヤしていたものが、今回スッと解消された。
あとハッピーな気分で映画館を後にできた。前回の鑑賞後は自分が思っている以上に打ちのめされてたんだと気づいた。
そんなわけだから、気になっているものは、とっとと済ませてしまったほうが良いのかもしれない。

それから、来週、思いがけずにまた“夢の国”へ行くことになったので、本気のタイムスケジュールを作り始める(前回うまくいったので味をしめた)。
ただファストパスの仕組みが変わったり、新アトラクションが始まったり、なにより夏休み期間といった部分で、展開(混雑具合)が読みにくい。でも準備だけはしておくのだ。

その「夢の国計画」を立てるのと、ブログ更新のために、喫茶店で作業しようと思ったら、夏休みのせいか、どこの喫茶店も混雑していて、ようやく4件目の喫茶店で落ち着いて、このブログを書いているのだ。
夏休み侮りがたし。

若いカップルとか(カップルってなんであんなに楽しそうなんだろう)、はしゃぐ子供たちを見たりして、夏を満喫してぇなー、と思いつつ、今日はおっさん同士の飲み会。
それもまあひとつ「満喫」だ(よね?)

みなさんも夏をエンジョイしましょうね!(ややヤケ気味)

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

リブートした『スパイダーマン』映画の2作目であり、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で一旦ケリのついた物語の後日談でもある。

ネタバレはしていませんが、察してしまう部分もあるのでご了承ください。
事前情報なしで観たい方は、観てから読んでいただけると嬉しいです。

『アベンジャーズ』でめちゃくちゃになってしまった複雑な設定を力技でまとめていて、前作の「明るく楽しい娯楽ヒーロー映画」路線になんとか軌道修正してスタートさせたのがすごい。

ピーター・パーカーがアイアンマンの庇護から離れて一人のヒーローとして成長する過程が、『アイアンマン』第1作をなぞる部分もあってファンとしては嬉しい。
単純な感想としては、MJ役が「ブスかわ枠」になっているのはコミックからなのか、キルスティン・ダンストの影響なのか(いや、キルスティン・ダンストもゼンデイヤも可愛いですよ。でも典型的美人ではなくて。そう考えると、『アメージング・スパイダーマン』でエマ・ストーンが演じた恋人がグウェン・ステイシーだったのは「あえて」のような気もする)とか、新レギュラーのアンガーリー・ライスが可愛いとか、役者としてのジョン・ファブローが生き生きしてて、やっぱりこの人好きだわーと思ったとか、そういうものになるのだが、本筋は、最後までフェイクとリアルの区別がつかない展開で、頭がついていけなくなった。

マーベル映画は、単純なヒーローものではない。
X-MENは差別の物語だし、キャプテンアメリカでは、国家の正義の欺瞞を描いたり、そういう何かしら考えさせられるものが込められてはいるけれど、今回は「仮想現実による嘘」という、とても身近な脅威を描いている。
僕たちは知らず知らずに深刻な問題に直面していて、同時に信じることの難しさを痛感する。僕らは簡単に騙されてしまう世界にいるのだなー、とこの映画で思う。そこにリアルな映像が入っていたら、まあ大抵のことは信じてしまう。
昔、『バトルランナー』という映画があって、主役のシュワちゃんがニセの映像によって無実の罪を着せられるのが発端なんだけれど、もう、そういうのが現実に起こりうるという世界に僕らは生きている。
ここ数年で(おそらくそれはトランプが大統領になってからだ)「フェイクニュース」という言葉が当たり前に使われるようになった。そして「フェイクニュース」というものが本当に「嘘」なのか、そうでないか、ということも含めて、僕らは判断を迫られる時代になってしまった。
この映画の展開は、そういう社会的なメッセージを持ちながら、作品自体の中でも、観客を惑わすような仕掛けが入っている。

映像技術や編集技術が進むと、悪意をもってそれを使っている人には敵わないよなーという漠然とした恐怖を感じる。
今回の敵は、戦闘能力は皆無なのに、技術と心理戦に長けていて、たとえスパイダーマンであっても苦戦を強いられるというのが面白くもあり、怖くもあるのだ(だって僕らには危機を察知できる「スパイダーセンス」がないんだもの。イチコロだよ)。

さらに、そういう思いを強くさせたのが、恒例のエンドロール後のシークエンス。
いつもは「オマケ」的なものなのに(前作のなんか、本当にひどかった)、今回は作品の根幹に関わる部分を描いていて、その衝撃が全部持っていったからでもある。
さんざん、本当か嘘か、現実が仮想現実か、というのを劇中やってきたのに、さらに追い打ちをかけるように、「え?そういうこと?」と思わされるオチ。
小説で言えば「叙述トリック」のようなことをやっているのだ。
最後まで観終わった後に、「あの場面のアレってどうだったっけ?」と、もう一度確認したくなるように作られている(観なおさなくても、あるキャラのあるセリフに違和感があったのが、これで納得したりした)。

そういうことを考えると、外見は「快活な青春娯楽ヒーロー映画」でありながら、マーベル・シネマティック・ユニバース作品の中でも異例の「ミステリー映画」になっている。心理的にジワジワくるタイプ。
こういうの好きだけど疲れる(でも、確認のため、もう一回観たい)。

信じることの難しさを描くのに、お人好しのピーター・パーカーは最適だったのかもしれないし、敵からも同情されるほどの彼の善人さがよけいに際立ち、応援したくなる。いつまでもピュアな青年でいてほしいと思うし、軽口を叩きながら戦うスタイルを続けてほしい。

そんな「えー、どうなってんの?」的なラストだったので、次の展開がどうなるのか、すぐに観たい。
単独映画は早くて2年後ぐらいだろうが、MCUに組み込まれているから、他の作品で「その後のスパイダーマン」は少し描かれるのかもしれない。単独映画として成立しているのに、続きが気になって仕方がない。
長生きせねば。

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』を見た。

タイトルからして、マーティン・フリーマンが『SHERLOCK』で有名になった後、日本でDVD化したパターンだろう。
現題は『Nativity!』でクリスマスのキリスト生誕の演劇を題材に、教師と生徒の交流を描く“典型的な”ファミリー向けコメディ。イギリスでは好評だったらしく『3』まで作られている(マーティン・フリーマンは『1』にしか出ていない)。
それなりに楽しく観れて大団円、といった王道さは、安心して見ていられた。

マーティン・フリーマンは、こういう、ちょっと“こじらせた”大人の役がよく似合う。そして上手い。
冷めた目で世間と距離を置き、皮肉を言いながらテキトーに過ごすが、何か(誰か)に巻き込まれたときに、イヤイヤながらもそれに付き合い、なんだかんだで期待以上に成果を上げる、という感じ。この映画の教師役しかり、『SHERLOCK』のワトソンしかり、『ブラック・パンサー』のエヴェレット・ロスしかり(考えたら『ホビット』のビルボもそんな感じじゃない?)。

なんというか、しれっとしながら「ここぞというときに頼りになる」キャラクターが多い。そして上手い。
その姿を見て、イギリス人って厄介だなーと思いつつ、その「愛すべき厄介さ」(僕はこれ「男の可愛げ」だと思うんだけれど、女性にはあんまり同意してもらえない気がする)を体現できる俳優なんだと思う。好きなタイプの役者さん。

とか書きつつも、そんなに彼の出ている作品を見ていないのだけれど(『SHERLOCK』はケーブルテレビでしょっちゅうやってるイメージの「ピンク色の研究」をいつも斜め見する程度だし)。今さらながら、追いかけていきたいと思う。