STADIA発表でゲームについて考える

グーグルがゲーム業界にSTADIAというプラットフォームで参入するhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000030-jij-n_ame

日本では“スタディア”という発音で報道されていたけど、実際の発音は“ステイディア”みたいだね。日本でも今後はスタディアで呼ばれるのだろうか。
外務省からヴが消えるというニュースを見て、話の中身よりも「呼び方」のほうが気になってしまう。

さて、このSTADIA。
ようはSwitchだのプレステ4だのといったハードである「ゲーム機本体」を買わなくても、PCやスマホがあれば、STADIAのゲームがプレイできるというもののようだ。もちろんハイスペックPCとスマホでは画面の綺麗さなどが違うんだろうけれど、この「そのソフトができるゲーム機をもっていないとプレイできない」というジレンマを外す「ハードフリー」という考えは昔からのゲームユーザーの夢だったりはする。

僕はWindowsがその役割を担うことを期待していたのだけれど(これもまあOSをゲーム機と考えたら、完全なるハードフリーじゃないけれどね)、けっきょくマイクロソフトは未だにゲームハードを販売していることから見ると、ゲーム業界って、ハードからは脱却できない仕組みになっているのかなと思っていた(SteamというのはWindows OSさえあれば遊べる、その考えに沿った感じなのかな?)。

そこで、グーグルだ。スマホ自体の性能もあがってきたし、そもそも、今、一番ゲームをしているのは、ゲームの「性能」を気にしない人が大多数、という世の中の変化をグーグルは見込んでいるのだろう。一部のゲームマニアをターゲットにするより、ツムツムやパズドラをやる人たちを取り込む方がよっぽどビジネスになるはずだ。
ゲーム業界の衰退は、結局、ゲームマニアの期待に答えることを続けてきてコスト過多と売上減少から脱却できなかったことに起因するのだと思う。もっとも、それは「衰退」というよりも神の見えざる手よろしく「正しい需要と供給」のサイズに落ち着いたともいえる。

僕もそれなりのゲームファンではあるが、画面の綺麗さはSwitchでもう十分だし、それよりも自分の考えるインプットが、正しくゲーム上にアウトプットされればそれが一番楽しい。結局、それができてるゲームが「良いゲーム」で「長く遊びたいゲーム」なんだよね。

STADIAについてはまだまだ情報が整理しきれていないし、なにより、まだ日本での展開は考えられてないようなので、日本でプレイできるようになってからちゃんと考えることにする。

さて、今のゲーム業界では、往年のゲームマニアを喜ばすというニッチな戦略を打ってきていて、過去の名作をダウンロード専売したり、パッケージにして売る商売がこのところ多いが、それはそれで正しい戦略だと思う。僕のようなおっさんゲーマー世代は、今のゲームよりも過去のゲームをやりたいのだから、その需要を満たせばいいのだ。それでも日本で(テレビゲームの発展に一番寄与しているはずの国で!)販売されないものも多く、日本ではもうそういう商売も成り立たないのかと悲しくなる(STADIAの展開から日本が外されているのもその証左だろうしね)。Amazonのおかげでどうしても欲しいものはカバーできてるから、まあいいけれど(海外版の『SNK 40th Anniversary Collection』と『Sega Genesis Classics』はそれで買った)。

で、そんな中、老舗のコナミから創業50周年を記念して「アニバーサリーコレクション アーケードクラシックス」が発売されるという嬉しいニュースが出た。まさに僕がゲームセンターに通っていた頃のラインナップから8作品がセットになったものだ。
ただ、このラインナップを調べると、プレステ4ではすでに全作品がダウンロード販売されていた。今回はSwitchやXbox one(一応忘れてませんよ)にも出るので僕のようにSwitchしか持っていない人には嬉しい話だが、プレステ4ユーザーで往年のゲームファンはおそらく、ここに入っているゲームをほとんどダウンロード購入している気がするので(少なくとも『グラディウス』シリーズ3本はしているだろう)、今さら感しかないのだろうか。
そう考えると、この「ゲーム機」の枷を外そうとするSTADIAの動きはやっぱり気になってくる。

1983年にファミコンが発売されてから35年が経った今、家庭用ゲームの歴史を大きく変える出来事になるのか、それともやっぱりゲーム業界にはハードとソフトの関係を継続しなければならない事情があるのか。
ゲームファン以上に「ゲーム業界ファン」としては目が離せない展開ではある。

願わくば一部のファンドが儲かるだけでなく、ゲーム業界全体がポジティブな展開になりますように。

C級ワインレビュー『WMC メルロー』

昨年の秋頃から(夏かもしれない)、日常的にワインを飲むようになった。

その一文だけだとセレブ感満載ではあるが、実際に飲んでいるのは1000円未満、もっといえば500円前後のデイリーワイン。これをあえて(その価格から見て)“C級ワイン”として話を進める。

そのC級ワインを色々と試し飲むなかで、以前ブログに書いた「チュカロ カベルネ・ソーヴィニヨン」という、自分にとっては「もうワインはこれでいいじゃん」という代物を見つけたわけだが、やっぱりそれでは志が低い気がするし(何の?)、他のワインも飲んでみようということで、これから同価格帯のC級ワインを定期的に飲み比べていこうと思う(結局、志低いな)。
ちなみに、タイトルのC級はワインにもそうだが、僕のレビューの質についてもC級ってことで付けてるので、ワイン通の方は軽く読み流してください(予防線)。
このレビューは今後「チュカロ カベルネ・ソーヴィニヨンを超えるC級ワインはあるのか?」というテーマでお送りしていきたい。

記念すべき(笑)第1回に取り上げるワインは、ワインメーカーズチョイスという西友が輸入しているワインのメルロー。

説明には「果実やベリーを思わせる香りをまとったふくよかな味わいのワインです。ハンバーガーやパスタ料理などによく合います」とあって、それを示すアイコンも入っている。

どんな料理と合うのか、凝ったアイコン

僕は「今晩の夕食はマックかなー」と考えていたので、ハンバーガーに合うなら、これ飲んどこう!と(僕の)定番であるチュカロと一緒に買ったのだった。だから第1回目に取り上げることになったのは、特にセレクトしたわけではなく単なる偶然である。

以前、ワインを1カ月に1回、多くても月2回程度、カルディで1000円台ぐらいのワイン(これをB級ワインとする)を飲んでいた時は、僕はカベルネ・ソーヴィニヨンよりもメルローが美味しいと思っていたはずだけれど、C級ワインを飲むようになってからはメルローがエグくて苦手になってきた。なんというか喉にまとわりつくような感じ。
メルローの一般的な特徴としては「果実味があるのに、タンニン少なめ。まろやかで丸みのあるふくよかさ」(『図解 ワイン一年生』)、「カベルネ・ソーヴィニヨンと比べると渋みと酸味が少なく、まろやかで濃厚なのが特徴。丸みがあり、なめらかな口当たり」(『男のためのハズさないワイン術』)とあるのだが、この「まろやか」というのが僕にとっての「エグさ」なのかもしれない。そうなると、全体的にメルローは僕の好みではないのだろう。
美味いメルロー飲むと違うのかもしれないが、あくまでデイリーワインとしては僕はカベルネ・ソーヴィニヨン派だとわかる(自分への備忘録)。

で、結論を言ってしまうと、チュカロのカベルネ・ソーヴィニヨンのほうが圧倒的に勝ち。

渋みがあって酸味が少ない。それと味の複雑さはなく、ストレートに「酒」という印象(これはC級ワインにありがち)。ぶどうの種類とかの前に、なんとなく「アルコールそのもの」の味がするのだ。
そのせいか酔いは早い。グラス2杯目で「酔ってるなー」という感覚がある。
良く言えば、雑味がなく単純な味わいで気軽に酔える、といったところか。

合わせた食事はマクドナルドのチキンナゲット5ピース(マスタードソース)、フライドポテトL、チーズバーガーで、ナゲットやポテト(ケチャップとマスタードソースつけた)には合うような合わないような、ケンカもしないが仲が良いわけではない程度の組み合わせだった。

ところが、チーズバーガーと一緒に食べたら、ワインが美味くなった気がするのだ!
アイコンで「ハンバーガーと合う」って言ってるだけのことはあるのか、ハンバーグとケチャップの肉味と酸味が、このワインの単純さをカバーしてくれるようだ。

ワインと食事を合わせて、より美味しくいただくことを「マリアージュ」という(言い方がフランスっぽいよね)。
僕はあんまりこれを感じたことない。なぜなら考える前にワインを飲んじゃうからなのだが、今回については自分でもびっくりするほどワインの味の印象が変わったので、ちゃんとチーズバーガーとワインを味わいながら(確認しながら)食べましたよ。

まさか、こんなC級ワインで「マリアージュ」に気づくとは思いもしなかった。

そんなわけで、多分、僕は今後もチュカロばっかり飲むだろうけど、ハンバーガーにはこのメルローは良い。というかメルローはどれでもそうなのだろうか。
次回は別のメルローで試してみたい。

DATA:
WMC チリ産ワイン
購入場所 西友
価格 498円(税抜)

僕がブログを書く理由

高野ザンクはペンネームだ。

なぜペンネームを作ったのかといえば、僕は本名が“強すぎるから”だ。「剛力彩芽」とかそういう意味の“強すぎる”じゃないし、徳川とか豊臣とか、そういう家系が強すぎるというわけじゃない。田中 実さんと違って(一番多いフルネームみたいです←トリビア)、単純に本名が珍しく、多分漢字フルネームだと簡単に特定されてしまって、それが嫌だからだ。
特定されてしまったからと言って、とくにマズイわけではない(多分)。書いている内容が、普段の自分と違うというわけでもない。普段は温厚にふるまっている分、ブログをそのイライラのはけ口をしている、ということでもないし、たまに良いこと書いてるじゃん、っていうのは、内容読んでいただけるとおわかりだろう(だよね?)。
当たり障りのない内容なのだから、本名で書いて身バレしたって別に構わないじゃん!と、(良くも悪くも)自分でも思うのだが、まあなんというか、ペンネームを使う一番の理由は「ああ、あの人、こんなこと考えてんのね?ウフフ」とか思われてしまわないか、という不安があるからだ(完全に自意識過剰)。

最近、ブログのアクセス数について友人と話して、ひとりが「ネタによって1000超えるけど、最近は300ぐらいのもあってイマイチ」だの、もうひとりが「ツイッターでバズって(炎上して?)50000リツイートされた」とか言っている中で、このブログの今週の訪問者数、平均3人だからね!
最大の日でも8人!(いつもありがとう!)
しかも1回「米国領サモア」からアクセスされてるからね!(完全にスパムだよね。サンキュー!でも最大アクセス8人だからね!効果ナイヨ!残念!)

そんなブログで、ペンネームだの身バレだの言ってるの、ちゃんちゃらおかしい。

逆に言えば、それでもブログを続けていられるって幸せなことだ。週刊少年ジャンプだったら、もう2話目で後ろから2番めのポジションだろうし、6話で打ち切りになった、あの伝説の漫画「セコンド」を超える勢いで打ち切りになっているはずだ(僕、好きでしたよ「セコンド」、1話の減量失敗しちゃう話を今でも覚えている)。
そのあたりワールドワイドウェブは寛容だ。

話が脱線した。

で、あいもかわらず中年サラリーマンの思いつき(愚痴ですらない)をうんうんうなりながら更新し続ける中で、「僕がブログを書く理由ってなんだろう」と考えてみた(一応考えるんですよ、僕も)。
そうしたら、つまり結局、僕は自分の好きな「娯楽」について書きたくて、このブログをやってるんだよなーという結論にたどり着いたのだ。
それが僕にとっての「娯楽」であり「趣味」なのだ。つまりはそこに尽きる。

その思いは今月閉鎖してしまう「Yahoo ジオシティーズ」でホームページビルダーでつくったホームページを公開していたときから変わっていない(あれはもう20年も前だ)。
そしてその時も本名は使わずニックネームだった。今以上にしがらみないのに。

なぜかといえば、やっぱり「特定されてしまう自分」が「好きなものについて語る」ということが「恥ずかしかった」からにすぎない。本名でないことでキャラをつくるわけではない。いつも以上に攻撃的になるわけでもなく、逆に「いい人」になるわけでもない。それはいわゆるネットの中の「通称」=文字通りの「ニックネーム」という感覚だった。

そして今、僕はネット上では(それから本業でないことに携わる時は)「高野ザンク」を名乗り始めているが、だからといって、それは本名の僕と違う存在ではない。ただの通称。その方が自分が「やりやすいから」だ。

ただその本質を忘れてしまっていて、ペンネームの活動も、本名での活動もなんだか無理にキャラクターをつくろうとしてしまっていたから、ブログの筆が進まなくなってきたんだなーと気づいたら、ずいぶんと気が楽になった。
ペンネームを名乗ったからといって、新しいことや変わったことをする必要はないのだ。ようは使い分けだ。長嶋有とブルボン小林のように。古くは阿佐田哲也と色川武大のように(いや、そんな高名な方々を引き合いにだすまでもないけど)。

ということで、このブログは“僕の”初心に返って、娯楽について気ままに書いていくことにする。
とはいえ明日からも全然変わらないと思います。ポンペイの落書きみたいに、2000年後「ある独身中年サラリーマンの生態」として未来人のネタになっていればいい、とか思っているぐらいだし、訪問者8人だし(自虐)、つらつらと日記みたいなものも続くはずだ。

でも、ひとつ違うのは、このブログの「役割」に自分が気づいたことだ。続けるうちに、ブログの内容がその「役割」にひっぱられて変わっていくことだろう。
それが良い方向に行くのか、力尽きてしまうのか。
まあこれからもお付き合いくださいませ(特に8名の方々 サモア含め)。

『Re:LIFE〜リライフ〜』

ヒュー・グラント主演の映画『Re:LIFE〜リライフ〜』を観た。

一発屋だった脚本家が、仕事にあぶれて田舎町の大学の脚本クラスの講師になって人生を見つめ直すという話。
あらすじからわかるように、ものすごいベタなヒューマン・ロマンティック・コメディだったが、安心して観られるし“裏切らない”ストーリー。

僕はヒュー・グラントが全盛期だった頃の映画を全く観ていないが、この映画の前に『ラブソングができるまで』を観て、それは枯れたヒュー・グラントがすごくカッコよくて、内容も好きなタイプの作品だったので、それと似たような映画だろうな、と思って観たら、予想通りだったので良かった。
それもそのはずで、調べたら脚本・監督が同じ人だった(マーク・ローレンス)。

『ラブソングができるまで』では音楽、この『Re:LIFE〜リライフ〜』では脚本という作品を題材に、モノをつくるということへの情熱や葛藤を軸にして、一度は栄光をつかんだものの、落ちぶれてしまった男の再生を描いている。
ヒュー・グラントの、落ちぶれ加減は“仕事はない”状態ではあるが、そこまでダメ人間にはなっておらず、脚本家としてのプライドは捨てていないというところが、共感できる。あと素直に枯れたヒュー・グラントがカッコいい。若い頃はもっとカッコよかったんだろうけど、なんというか、男からみても憎めないチャーミングな魅力がある(「このおっさんを、好きという女性は見る目があるなー」という感じがするのだ)。マリサ・トメイとの会話も知的でユーモアがあり、こういうカップルは理想だなと思ったりする。

映画好き、ストーリー作り好きにオススメしたい良品。

低空飛行

朝起きると目が痒くて困る。

花粉症のせいにして、自分の低空飛行(あるいは予備電源運転)を正当化してはいけないのだが、少なくとも朝の行動はつねにスローがかかっているような状態。気がつくと出勤時間5分前、なんてここ最近よくあること。

そんな中、今日は比較的早めに仕事を終え、帰宅時間もそこそこ早かった。だから何ができるわけじゃないが、身体は休めることができる。
次の休みは明後日の火曜日。ちょっとした予定が入っていたけれど、これをキャンセルして完全オフにしたので、明日一日乗り切って、火曜の休みに駆け込むつもりだ。
ハワイ旅行以降、完全オフの日がなかったので、無事にたどり着きたい。
部屋もだいぶガチャガチャしてきているし、片付けをしなければならない。
そして本気で引っ越しを考え始める。その前に余計なものを処分しまくらねば。

去年と大きく違うところは、月曜が嫌ではなくなったこと。
それは日曜が仕事になったため“サザエさん症候群”にかかることがなくなったということだけではなく、一応、それなりにやりたいことを職場でやれてるからだろう。これに甘んじることなく(いや、こういう状況だからこそ)より自分のやりたいことやろうと思うのだ(思うのはタダだけどね。行動しないとね)。

そんなわけであと一日、低空飛行で乗り切ります。

春眠

花粉症の薬のせいか午後から眠気に襲われる。
遅い昼食を取りながら読書をしていたものの、眠気でページが進まなかった。

あるいは眠気は春の到来のせいか。

職場がなんとなく慌ただしく落ち着かなかったのも、よくよく考えたら春先って毎年こんな感じだなーと思い返した。なんというかお客さんもスタッフも若干浮足立つという感じ。
この感じが「一年が始まる感じ」に一番近い。年越しよりも年度で一年を捉える頭になってきているのだろう。

そんな中、5月のイベントに向けての予習をしたりした。
自分のやりたいことに関わることなので、きちんと準備をしておきたい。

今年は(つまり今年度は)やりたいことをたくさんやらないとね。
頑張れ、僕。

『キャプテン・マーベル』

非の打ち所のないヒーロー映画でした。

と、それ以上、何も言えない(特にネタバレっていうものはないけれど)、「とにかく見て!」っていう感想の大傑作娯楽映画だった。

もちろん『アイアンマン』から続くマーベルシネマティックユニバース(MCU)のいちファンとして、その集大成である『アベンジャーズ / エンドゲーム』につながるという今作を観るのは必然だったけれど、正直、そんなに期待はしていなかったのだ。
でも、あまりに面白かったので、役者陣についてや、制作のバックグラウンドが知りたくて鑑賞後にパンフレットを買ってしまったぐらい(同じように思った人は多いようで、僕同様、鑑賞後にパンフレットを買い求める人で売店に列ができていた)。
それと、最近のMCU映画が、前作なりその関連作を見ておかないといまいち入り込めない作りになっていたのと違って、単独のヒーロー映画として面白かったのも人に薦めたくなる理由の一つだ。MCUを観ているとわかるトリビアも多いけれど、それを知らなくても話には十分ついていけるし、逆に今回の話は知らないほうが楽しめるストーリー展開かもしれない。

主演のブリー・ラーソンは芯の強さの中にチャーミングさが見えてキャラクターにピッタリだし、コンビを組むサミュエル・L・ジャクソンは、そうそうこういうキャラクターが真骨頂だよね、ということを思い出させるような生き生きとした演技を見せる。
この二人だけじゃなくて、どの役者もハマり役だし、演技が上手い。こういう荒唐無稽な娯楽映画で、演技云々を言うのもなんだけど、逆にこういう娯楽映画だからこそ、演技が上手い人がやると荒唐無稽な世界にも説得力が出るのだろうと思った。
あと、アクション過多ではなく、セリフ劇なのも楽しい。ユーモアのある掛け合いをしながら世界の危機に立ち向かう、というスタイルは007やインディ・ジョーンズのようなスタイルのヒーロー映画のようで楽しかった。最近のMCUは深刻な話になってきているので、そういう肩肘張らず楽しめるのも良かった。
あと、猫!猫じたいも可愛いが、猫と戯れるサミュエル・L・ジャクソンのことが絶対好きになる(ここだけややネタバレ? 笑)。

『キャプテン・マーベル』はMCUの中では「エピソード0」的な位置づけなので、今までMCU映画を観ていなかった人が、これをきっかけにこの世界のファンになったら嬉しい。MCUはただの娯楽映画ではなく、現代社会の問題をベースに描いているものが多いからだ。
2009年にマーベルはディズニーに買収されているけれど、楽しみながら、大きなテーマについて考えさせられるというディズニー映画らしさを持っているところも買収の要因のように思える。

もう一回、劇場で観たいと思うし、ソフトは絶対買ってしまうな、というぐらいのイチオシ映画。
SFが嫌いでなければ、ぜひ観てください。
デートムービーにもいいと思いますよ(僕は独りで観たけどね!)。

『アウトレイジ 最終章』

観るタイミングとしては今しかないだろうと思って『アウトレイジ 最終章』を観た。

件のピエールは予想以上に主要人物で、この物語が動く原因となったりしていて、そりゃあ、自粛になるよね、という感じの出演量。
とはいえ、他のビッグネームの前には、善戦してるなー程度の役回りでもある。

前2作以上に騙し合いと悪人度があがっている感じはしたが、筋道が通っている点では面白かった。
「最終章」という看板に偽りなしの幕引きだった。

それにしても、この映画が自粛になってしまうのは惜しいと思う。簡単には言えないことだけれど、作品と出演者の不祥事はわけて考えられればなーと、そう思った(今ならではの感想)。

夢は大きく

と言っても、夜見る夢の方の話。

昨夜は疲れもあってか、ずいぶんとぐっすり眠れた気がする。
そんな中、やや大作な夢を見た。

友人と大分に行く計画を立てていた。その出発日が今日だった。夢の中の日付で3/16。つまり今週末だ。
今月は家族でハワイに行ったばかりなのに、さらに大分旅行まで組み込んでいるなんて。ただ、本当に計画したっけ?口約束だけじゃなかったっけ?という確信が持てない状態だったので、旅行の証拠を探すと、大分までの電車の乗車券をすでに買って持っていることに気づく(なんと電車旅だ!)。
いや、というか、そもそもなんで大分なんだ?とくに縁もゆかりもないし、なにか行きたい名所があるわけでもない(大分の名誉のために補足すると、たくさん名所はあるはずです!でも、自分が今パッと思い当たるものがないだけ)。
一緒に行くはずの友人に「本当に大分行くんだっけ?」と電話しようと思いつつも、乗車券も見つかっている今さら「何言ってんの?」と不機嫌になられても困るので、まずは家族に伝えておこうと、近未来のペデストリアンデッキみたいなところで(なぜか)、家族に大分行きを伝える(母はなぜかアフロだった)。
そんでもって、ああ大分かー、今月そんなに会社休んで大丈夫かなー、2泊で帰ってこれるかなー(どうやら2泊3日らしい)、と思っていたところで、徐々に覚醒して朝に至る。

本当は大分に言って、超能力ウォーズでも始まれば、もっとスケールの大きい夢になったんだろうけど、現実には(夢の話で現実には、っていうのも変だね)こんなところだ。まだ疲れてんのかもしれない。

ところで、昔読んだ三谷幸喜のエッセイの中で、「「ぐっすり」というのは「Good sleep」が語源なんじゃないか」ということが書かれていて、真偽のほどは不明だが僕はこの説が好きだ。人に話して「へぇー」と言ってもらえそうな部分も含めて。

そして今日が始まる(もう11時)。

ひとやすみひとやすみ

ハワイから帰ってきた翌日から仕事をして、今日、ようやくの休み。

旅行の荷物を片付けるために、実家と自宅を往復したりしているうちに一日が終わる。ドッと疲れが出たわけではないけれど、ようやく一息つけたという感じ。

旅先で色々思うところがあり、帰国したらアレやろう、コレやろう、と決意したもののズルズルと毎日を怠惰に過ごしてしまっている気がする。
今日、一息ついて、その決意を忘れないうちに、やりたいことにつながるやるべきことをやろう。

と、いいつつ、疲れには勝てない。蓄積疲労みたいなものを癒やしつつ、ミリ単位で活動を始めましょう。

では、また明日!