要請なんていらない

2週間前はまだ楽観的だった。

ウイルスがそこに存在しなければ、マスクも消毒も無用の長物だし、実際に罹患する可能性は極々わずかだと思っていたし、そう考えても問題ない状況だった(と思う)。

潮目が変わったのは、やっぱり先週の都知事会見だろう。
オリンピックが延期になって東京都の感染者数は、3/22からカウントして2、16、17ときて突如41人にまで増える。ここから「無症状感染」をしている人が多くいるのでは、という思いが俄然高くなる(その後2日間60人超えで今日は13人だったけれど)。
実際、この人数増加は、2週間前に95人だったものの今や20000人を超える感染者数になっているニューヨーク市に似ているらしい(3/26のニュースから)。

と、なると今週末には(検査数にもよるが)、この数字に近くなる恐れは当然あって、もはや、自分は元気だから大丈夫とは言えない状況になってきた。
つまり、元気でも感染している可能性があるということ。

正直に言えば、僕自身には全く自覚症状はないけれど、自分が感染していないと確信が持てない。

「THE満員電車」の悪名高いJRの某S線のほどの乗車率ではないけれど、それなりに混雑している通勤電車を使っているし、全員マスク着用とはいえ数十人いる人達と一緒に働いている。
その中で「自分がウイルスを拾わない」なんて確信持てないし、それは誰も保証してくれない。

なので、僕ができることとして、必要最小限の人たち(仕事と買い物だね)以外に、人と会うことを自粛することにした。
僕がもし感染していて、それを大切な人にうつしてしまって、そこからの広がりで誰かが亡くなったとしたら、とてもこの先の人生を無邪気に過ごすことはできないからだ。

「そんなに心配なら仕事にも行くなよー」と言われてしまうかもしれないが、そういう立場にない、というかそれをするほどの度胸はない(それと、自分の仕事は不急だけれど不要ではないと思っているのもある)。

世界で感染拡大してしまっている都市の人は、自分からの感染で大切な人を亡くして、「3週間前に戻って、自分の行動をやり直したい」と思う人が多く、その人達からすると感染拡大が顕著でない日本は、まだその“やり直したい3週間前”の状態にあると、誰かがツイッターで言っていた。
それなら、今、自分がすることは「やり直したい」と3週間後に悔やまない選択なんだろうと思ったのだ。

「非常事態宣言」が出てからでもいいかな、とか、今週末まではいいかな、と思う自分もいるけれど、どうも政府の対応は1〜2週間遅いと思っているので、自分の感覚を大切にしてみる。

実際、外出自粛“要請”なんてクソくらえと思う。
そんなものなくても、僕は自分の判断で、外出自粛を決めるのだ。それについて誰かのせいにはしない(補償もないのに要請だけするな、と政府に物申すのは別の問題だけどね)。

週末を乗り越えて、そういう思いに至ったわけだけれど、もちろん、志村けんさんが亡くなったことがとても大きい。
だって「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とか「志村けんのだいじょうぶだぁ」で育った世代だもの。そういう方が、新型コロナであっというまに亡くなったというのを目の当たりにして、ビビるのも当然だろう。

だから、とにかく“自分の判断で”自分の行動を制限することにした。
幸運にも、このコロナ禍が意外と簡単に終息して、後々「ザンクは大袈裟だったよなー」と親しい人たちに鼻で笑われたとしても、その人たちを失わなかったのならば、それで良いと思っている。

ただでさえ交友関係の狭い僕が、プライベートで誰とも会わないとなると、その後孤独になっちゃうかも、という不安がなくもないけれど、自分で決めた「自粛」なのでご理解ください。逆に「スカイプ呑み会」とか、新しい交流法ができるかもしれないしね。

これもツイッターで見たけれど「家にいるだけで世界が救える」と考えれば、それでいいじゃない。

とにかく皆さん、体調管理と予防だけは大切に。
僕も自粛しながら、それだけは一層気をつけます。