イチローが引退した。
メジャーでの成績は落ちてきていたものの、まだ日本のプロ野球ではやれそうな気がしていたし、今回の“興行”で、巨人入りに一歩近づいたかと思ったりもしたけれど、やっぱりマリナーズで現役を終えたいという思いは強かったのだろうね。
気がつけば、イチローもすでに45歳。投手で50歳までやった山本昌という化物みたいな人もいるものの、普通に考えたら4〜5年前に引退していてもおかしくないぐらいに来ていたのだ。逆に、ここまで一線で活躍できたのはさすがのひとこと。
引退会見はダイジェストでしか見ていないが、印象に残ったのは、小学校の卒業文集に「ドラフト1位で契約金1億」と書いたのに、その夢が叶わなかったことを「挫折」と言っていたこと。
今でこそスーパースターだけれど、確かにその時点では「挫折」だったのだろう(実際にはドラフト4位)。また、それを克服して今のイチローがあるのだから、これはある意味、挫折を経験した人、今、思うように物事が進んでいない人への心強いメッセージになる。
イチローは終始自分のペースで話していて、それでいてどんな質問にもきちんと答える。そこにユニークなやりとりが起こって、「イチロー節」と言うけれど、「イチロー節」で片付けてしまうことの想像力のなさ、メディアの「タグつけておしまい」といった軽さを感じてしまった(同じ意味で「なおみ節」もね)。
質問に対して優等生的発言ではなく、自分の気持ちを伝える。多分綺麗事を言わない人なんだろう。だから、泣かせようとか感動させようという質問にはツッコミを入れて、期待通りの答えを言わない。
それはある種の誠実さだと僕は思う。
50歳まで現役でやれると思ったイチローですら、予定通りにいかなかった。
その上、振り返れば順風満帆に見えるその経歴も、決して華々しいシーンだけではなかった。
もともとの才能のみならず、不断の努力で様々な偉業を成し遂げた人がそうなのだから、まだ何もやりきっていない僕が、ちょっとしたつまづきで「挫折」とか言ったり感じたりするのは不誠実だよね。「イチローぐらい努力した」と思えて、それでも結果が伴わなかった時にそう思うべきだ。
ひとつ、自分もやりきってみますか!と、現役を引退する選手に力をもらうという、そんな不思議な会見だった。
イチロー選手、本当にお疲れ様でした。