休みのつかいかた

昨日の休みは、そういったわけでレビューを2つ書いた。

書き物をするのには、家よりも外で書いたほうが進む(今のところ)。
周りに人がいることと「せっかく書くために出てきたのだから」というもったいなさがそうさせるのだろう(それでも、レビュー2つ書くのがやっとやっとだけどね)。
小説も、第1章というかチャプター1的なものは書けた。でもまだまだ人に見せられる状態じゃないから、まずは先に進んでいこう。

などと思っていたら、全然別の話が浮かんだ。それは間違いなく、昨日レビューを書いた2作品に影響を受けているのだが、クリスマスの話なので、これを先に書くことにする。

クリスマスかー(遠い目)。

『熊本くんの本棚』のレビューの中で、「太宰治の『斜陽』が好きならば、この小説は好きなはず」というものがあった。恥ずかしながら太宰の小説は教科書で読んだ『走れメロス』と『富嶽百景』(掌握)だけだったので、ここはひとつ読まなきゃ、と文庫本を買ってきた。
そのレビューを必要十分条件とするならば『斜陽』は好みの小説なはずだ。
けっこうな量の積ん読を抱えているが、これはなるべく早い段階で読みたい。

それから、先日、同僚から、ハンニバル戦記について書かれた『アド・アストラ』という漫画があると聞いて、本屋で探したがなかったので、改めてブックオフで見つけて4巻まで買ってみた。
僕は『ローマ人の物語』のハンニバル戦記は3回読んで、ハンニバル=ブラピ、スキピオ・アフリカヌス=ヘイデン・クリステンセンで脳内ハリウッド映画化していたぐらい大好きな話なので、どう描かれているか楽しみ。

1巻をちょっと読んだ限りではハンニバルもスキピオもアンチヒーロー的に描かれていて、僕のもっているイメージとは違うけれど、もうすでに完結している漫画らしいので、最後まで読んでみようと思う。

それから、マクドナルドのビーフデミチーズグラコロを食べた。グラコロ自体、初めて食べた(「ナルダー」の風上にもおけない)。限定メニューとしてはアリだと思います。ハンバーガーともう一品、って時に食べたい。

それなりに使えた休日だったのは良かった。

この調子で12月を過ごしていこう。

レビュー2本立て

先日読んだ『熊本くんの本棚』のレビューをカクヨムに書いた

まだカクことをしていない、ヨムだけの人間がレビューを書いて良いのか?と一瞬悩んだが(ルール上良いのか?とマナーとして良いのかの両方)、作者のキタハラさんにもコメントをいただけたし、書いてよかった。

本当に、カクヨム登録している人にはとりあえず10話まで読んでほしい。
近々発売される書籍版は、どこが同じでどこか加筆訂正されているのか、とても楽しみ(書き下ろしパートもあるそうです)。

それから文学フリマで購入した『元祖オーケン伝説』に収録されている『人として軸がブレてんだ』を読んだ。
これは、どこにレビューを書いていいかわからないので、このブログに書く。もし他に良いところがあったら教えてください。

この小説は序盤が激しい。
いやあ、かっ飛ばしてんなぁー、っていうか読者に向かってエグい球を投げてくるなぁ、という感じか。
初っ端から160㎞のナックルカーブ(大谷とダルビッシュと田中マー君を足して3で割らないような奴)を投げ込んでくるので、もうこれはもう超人ベースボールの選手じゃないと打てないと思って、読むことを諦めてしまう人もいるんじゃないかと思うと、惜しい。
回想シーンあたりから、ちゃんと人が打てる球中心の組み立てになるので、どうか先に読み進んでほしい。

こうやって野球に例えるのはおっさんっぽいけど、本編にもちょこっと野球の部分が出てくるからいいでしょう。
しかしアナウンサーに“あの言葉”をつけて呼称するって、どうやったら思い浮かぶんだろう(褒め言葉)。

主人公は「屑」と片付けるほどの屑ではない。でも確かに人として(とくに男として)はてんで“イケてない”。軸がブレている以上に、きっと軸が見当たらないんだ。それがイケてない学生特有のモラトリアムな期間だったりする。
その鬱憤というか、抜け出したいけど抜けられない怠惰な日々の繰り返し(そしてそれでもなんとか生きていけるのだ)。
悔しいと思いつつも自分ではどうしようもない苛立ち。
そういう若さ特有の濁った部分を、自虐的かつ可笑しみをはらませて描く。

迷いのない(イケてる)学生生活を送った人にはなんのこっちゃだろう。
でもその時期、いじいじとオタク的な年月を送った者にはグサリと刺さる(僕もその一人だ)。
そしてこの小説を読んで、そんな年月を許してあげたくもなる。

正直に言えば、「締め切り」や「オーケン縛り」というものによって、慌てたなーという部分や、えいやっと進めたからか、やや辻褄が合わないところがチラチラと見えたりはするが(次、紙の本作るときは校正させてほしい)、縛りの中で“江戸川台ルーペ”らしさというか、彼独特の世界が披露されているのは嬉しい。逆に縛りがあったからこそ、焦点が絞れて、物語に身を委ねやすくなっているのかもしれない。
この世界が好きな人にはとことん愛される小説。
ある特定の人にしかわからない言葉で言えば、江戸川台ルーペの小説は「ファミ通」を愛読していた人にとって、絶対に好みだと思う(それも隔週の「ファミコン通信」だった時代のね)。

なんかまた一つ確実に、指名買いされる作家へ一歩前進したよなー、と思った。
そして、あいかわらず文系拗らせ男子(男性じゃなく)が惚れる女子(女性じゃなく)書くの上手いよね。ズルい。

そういうわけで、心に残った作品の感想はきちんと形にしておこうと、喫茶店に行ってレビューを2本書いた(家だとイマイチはかどらない)。

好きな作品を第三者に伝えるのって難しい。でも、それによって「これ、いいね!」と思う人が一人でも増えてくれたら、それはそれで嬉しい。
だから人は感想を書くのかもしれない。

つまづき

昨晩は3日ぶりに飲んだ。

そのせいか、朝はやや遅起き。師走だから焦んなきゃならないのにこの体たらく。

さて、小説は、思いついたことをメモするように進めているが、主人公の職業で早くもつまづいている。一旦考えてはあったのだけれど、人生設計を考えると違和感があるので考え直し。

書いてて(というより設定考えてて)、僕は結局、キャラクターが書きたいのかなと思う。書き始めたのが一人称だからか、主人公の思考で物事を考えてみる感じ。余計な思考も入ってくるので取捨選択が難しい。とにかく書いてはみる。

あと、今日、小説に使えそうな会話を偶然耳にしてメモを取った。そのくらいは創作脳になっているようだ。良い傾向?

それと問題のギターについては、なんとかなりそうな気配も見せてきた。テンポが早すぎてコードチェンジが間に合わなかったが、実際のテンポはもっとスローなので、比較的余裕がある。ただ、こんどはモッタリ感が出てきたので、程よいテンポを見つけないといけない。

そして弦を買い直した。ピックもいつものティアドロップ型のではなく、トライアングル型(おむすび型)に替えようかな、と思って、買い直した。教本にアコギならその方が良いと書いてあったのでね(今やっとココ)。

で、このブログの8割ぐらい書いておいて、帰宅したらアップしようと思ったら、人身事故で現在、電車内。今日中アップのために、こうやって車内で仕上げている。

プチプチとしたつまづきをしている。乗り越えていけるのだろうか。

またいい。明日、色々頑張りますよ。

はじめからやりなおし

久々に晴れ。

休日なので、いつもより遅く起きて(でもゴミ出しの時間には間に合った)週末の疲れを取り除く。

近々ギターを弾く機会をもらったので、午前中は真面目に練習。

いやー、それにしても自分のギター“弾けなさ加減”に(謙遜でなく)呆れる。
ずいぶん昔とはいえ、毎週路上で弾き語りしていたとは思えない。
それからも弾かない時期も多かったとはいえ、何十年かのキャリアで“バレーコードがまともに弾けない”というのは、完全に才能ないんじゃないかとやや落ち込む。

実際に弾くのは1曲で、その練習はもちろんしているが、改めて初心者用のギター教本を買ってきて、頭から初めてみた。
ブラッシングとかハームタイムシャッフルとか、そういうテクニックがあるんですね。
どういうテクニックか、やってみると、名前も知らずに雰囲気で使ってたことはあるけどね。(見栄をはる)

まあ、とにかくそういう状況。
でも、演奏の機会をいただいたので、とにかく足掻く。
弦も昨晩張り替えたのだが、ずいぶん前に買った弦なので、すでにサビがある。
これで本番に臨むのは気持ち的に萎えるし、弦ぐらいはきちんとしておきたいので(形から入るタイプ)、明日、改めて購入予定。

そんでもって頑張ってジムも行った。
体重はあいかわらず減らない。
ここ3日、アルコールも飲んでないんだけどなー。マズいなー。本気ださなきゃなー(口だけ)。

ほとんどいかないクイーンズ伊勢丹に行ったら、昨日ブログに書いた、カキフライ、エビフライ、カニクリームコロッケが並んでいたので、これもセレンディピティ的な奴だと思って買った(なにごとも解釈次第だな)。
晩御飯に食べる。
「揚げ物を控えないと…」というゴールドジムインストラクターの声が頭に響くが、ほら、反体制なのがロックだろ?(解釈次第)

それと、カクヨムでキタハラさんの『熊本くんの本棚』を読了。
いやあ、すごい小説だった。
しかも、自分にとっては“良いタイミング”で出会えた気がする。
レビューは改めてカクヨムに書く。

そして、文フリで触発された勢いのまま、小説を書き始めた。
出だしの部分と、思いついたシーン、セリフを書き出しているだけで、まだまだ先は長いが(どのくらいの長さになるかも不明だが)とにかく始めてみた。

結局、昔書いた奴ではなく、昨年に思いついた話をきちんと仕上げようと思う。
書きながら、書きたいものに実力がついていかないのを早くも痛感するけど、まずは仕上げてみる。
今年中にできるかな(やりなさい)。
ギターの練習をしなければいけないのに、小説に気がいってしまうのは、勉強しなきゃいけないのに漫画読んじゃうアレのような気もする。

ただ、ギター弾くのは楽しい。
できない自分にイライラするのは確かだが、弾くこと自体は楽しいし、この間音合わせした時も、ボロボロだったけれど、超楽しかった。

弾かなければ上手くならないし、弾けない不安は弾くことでしか解消できないのだ。

とはいえ、Fコードぐらいは綺麗に弾けるべきだろうけどね。
まあ、一歩一歩進んでいきましょう。

亜鉛

朝起きたら背骨の、というか肩甲骨のあたりが痛い。
しかも“鈍く”痛い。

知らない間にそこの筋肉を使ってるんだろうが、自覚がないというのはわりと厄介だな。僕は完全に猫背気味なので(どっちだよ)、それも原因の一つだと思う。
背筋鍛えないとなー(ラットプルダウン!)。

最近カキフライがやけに食べたくて、晩飯のカキフライ率が上がってきている。昨日も買ってきて(西友のヤスイ惣菜だ)食べた。
カキフライ自体もちろん好きだし美味しいのだが、食べながらこれはむしろタルタルソースが食べたいと同義だったりするな、という思いに至る。

カキフライとエビフライとカニクリームコロッケを“上質の”タルタルソースで食べたい。

あ、上質のレベルは松のやレベルでいいんだけど。
所詮その程度の舌だ(松のやディスってんじゃねえ!)。
あるいはタルタルが欲しければフィレオフィッシュ食べとけばいいんだよな、と思う程度にはマック脳(マックディスってんじゃねえ!あ、これは別にディスってないや)。

カキフライが食べたいのは、鉄分がたりてないからかもしれない(背筋痛の原因もそれかも)。
以前、亜鉛のサプリを勧められたことがあるが、亜鉛は不足もさることながら取り過ぎもよくないらしいので悩む(それを言ったらなんでもそうだが)。
気になって「亜鉛不足」で検索かけたら(インターネッツって便利ですね)、風邪をひきやすい、疲れやすい、集中力が下がるといった思い当たる節が続々出てくるし、しかもアルコールの代謝に関わる酵素は亜鉛が材料らしく、飲酒自体が亜鉛不足を促すようだ。心当たりありすぎる。

じゃあ亜鉛たくさんとらなきゃ!(いや、酒を控えろ)

そんな流れで、今晩食べたのは「いきなり!ステーキ」。
これまでのくだり完全破壊。
まあいいじゃないか、食べたかったんだもの(みつを。 嘘)

いろいろ満身創痍で始まった12月ですが、なんとか生きのびてやろうと思ってます。
ガンバロー。

師走きませり

12月に入った感想は「寒い」のひとことだ。

寒いとおしっこがしづらくなる成人男性は僕だけだろうか(狙いをつけにくい的な意味で)。
リアフレも読んでいるこのブログで、唐突に「おしっこの出方」とか書いていいのかと思うし、それとも同じリアフレが見ているといっても、キャッシュとして残るブログではなく、フローなTwitterで書けば良いのだろうか(どっちもやめとけ)。

昨日のブログで「己を破壊する」とか書いていたが、破壊というよりも、ただ単に「壊れちゃっただけ」だと思われそうだな。
まあいい。ブログぐらい書きたいこと書く(謎の達観)。

昨日書きたかったことは、つまるところ「チューニングを合わせよう」ということで、「破壊する」と言っても、突然スキンヘッドにしたり、ピアスの穴をあけたり、山に篭ったり、とかそういうことではない。
雑音が混じらず、DJの声やオシャレなミュージックがクリアに聴こえるラジオになろうということだ。壊れかけのRadioのままではいけない。
何も聞こえないし、何も聞かせてくれないままではいけないのだ。
思春期に少年から大人に変わるのだ(歌詞言いたいだけ)。

まあ、とにかく寒い。そして疲れた。
9:00(AM)に出社して9:30(PM)まで働いてんだ、そりゃあ、多少は壊れるよ(ひらきなおり)。
マジ疲労困憊、思考限界。
この僕が、ライムを決めたくなる。そのぐらいは疲れている(そして壊れている)。

そしてさきほど帰宅して、このブログを書きながら、ようやく晩御飯にありついている。
あ、おしっこの部分は先に書いてありました。食事時にそういうことを書くのは流石に憚られるので…(問題はそこじゃない)。

今週はわけあって音楽稼業に専念したいと思うので、食べたら少し練習して寝る。練習も大事だが、壊れっぱなしはよくないので、睡眠を十分とるのだ。

成果を出す日までリミットは1週間。
どこまでいけるかな。

ナニモノ

いつも何者かになりたいと思っていたし、今もそう思っている。

それは結局、他者との関わりで変わるもので、その点、今の僕は、比較的“上手に”何者かになっているのだろう。
ただし、自分がなりたいものになるのと、人から求められるものが必ずしもイコールとは限らないし、むしろ相反する部分の方が多い。

今の自分に、不満があるわけではないけれど、なりたい自分とはやっぱり違うんだよなー、とつくづく思う。

ものの本には、「自分のなりたい姿を考えて、道筋をたて、それを実行していけば、なりたいようになれる」と書いてある(それも結構多くの本に)。

だが、果たしてそうだろうか。
なりたい自分のための道筋を作って、幸いにもその道を歩み始めたとしても、その道は決して楽しいだけではない。自分の能力への落胆、現実と理想の解離、理解されない絶望感、その他もろもろの負の感情を呼び覚ますものも、もれなく待ち構えている。

鈍感ならば割とマシなのかもしれない。
「言い訳するってことは、そこまで好きじゃないんでしょ」と言われればそうかもしれない。
でも、それを乗り越えることは誰にでもできることではない。その苦しみから逃げ出してしまいたい葛藤を常に抱えることになるからだ。

だからこそ、歩み続けている人は、それだけですごいのだ。

今月の初めのほうに、自分が“そうであろう”と思った何者に、自分がなれていないことに、そして心のどこかでその何者になることを「しゃらくさい」と思っていることに気づいてしまったからだ。それはつまり、望んでいる自分でないということだ。
それでも僕はだらだらとめそめそと、物事を曖昧にぼやかしながら今日まで過ごしてきた。傍目には苦労なく見える日々も、本音を(そしてやや文学的に)言えばそういうことだ。

もちろんこういうのは、僕だけの感覚ではなく、誰しもがそうなのだろう(よくいう、「優雅な水鳥も水の中では…」という奴だ)。
そうやって今月を乗り越えてきて、荒波にのまれながらも格闘し模索し、自分の道を切り開こうとしている人たちを見て、結局、自分には覚悟が足りていないという思いに至る。

結局、

書かない不安は書くことでしか解消されない。
歌わない不安は歌うことでしか解消されない。
曲を作らない不安は曲を作ることでしか解消されない。

20年前の自分の文章を読み返して思い出す。
あの時の僕はいつも何かに怒っていた。苛立っていた。自分に対しても。
そして心の奥は今も変わっていない。

僕が昔から書いているモチーフに気づくと、それは「破壊と再生」についてだ。
そういうものをずっと考えてきたのに、僕は自分を一度もちゃんと破壊したことがない。だから当然、再生もない。

ロックとはつまるところ自分自身を破壊することだと思っている(少なくとも自分にとってはそういうものだ)。
破壊と、そして再生を繰り返していってこそ、ロックンローラーを名乗れるのではないかと思う。

日常に、狂気が侵食してくるぐらいじゃないと人生は面白くない。
それを体現している人達に触れて、自分のことを振り返った。

気がつけば僕はわりと傍観者の立場のところにいる。
傍観者であることを望んでいるわけではない。
でも、いつも当事者じゃないような感覚だし、気づけば、いつも当事者じゃないところにいる(集団の中で孤独を感じるのはきっとそのせいだ)。
ちゃんと当事者になる覚悟を持たなければ、僕はいつまでも、またぐるぐると曖昧な日々を送ることになる。

やっぱりそれは嫌だな、と今は強く思っている。
まず1回、自分を「破壊」してみなければいけないのだ。

そんな11月の締め。
今の思いの丈を書いてみたけれど、良いのだろうか。

でも、こういうのをブログにぶっ込んでいくのも、それはそれでロックって奴じゃない?

ポッドキャストの6

高野ザンクのNerdy Days ONAIR版 Vol.6」を配信した。

今週録った、ということで当然の流れで「文学フリマ」について語る回になっている。イントロの話だけ違うけれど、実は文フリで話してたときに出た内容にも関わるので、3本まるまる文フリがらみの話になってしまった(そういう回があってもいいよね)。

今月を締めくくる内容でもあるので、月末である明日に公開しようと考えていたのだけれど、話の中で、一番大事なポイントを話しそびれてしまったことに気づいた。
それで、補足的なものを明日ブログに書くとして、一日前倒して11月29日“いい肉の日”(言いたいだけ)に配信。

僕にとってポッドキャストはキャッシュなもので、かつ後で録り直しがきかないから、大事なことを話しそびれた場合を考えて、4回目からはある程度、脚本を作って臨んでいるのだけれど、今回は流れでしゃべったので、果たして「話しそびれた」。
もっとも話している「ノリ」にややそぐわないという点で、咄嗟に出てこなかったのかもしれない。

ポッドキャストの中で「今回は短めに」と言いつつ、Voi.5を超える30分の内容になってしまいましたが、何か作業のお供にお聴きいただけるとありがたいです。

二分休符

このところわりと“しっかりとした”ブログを書いていたが、毎日、そんなにドラマティックなことが起こるわけでないので、今日一日の報告を。

とにかく雨で寒い。雨だと洗濯物が乾かずに困る(生活感満載)。
スポーツウェアも乾かないので、ワークアウトも中止にした(言い訳がましい)。

で、今日は休みだったので、ポッドキャストを録り、ケンタに行って読書をし、夜は『ジャスティス・リーグ』を観て終了。
『ジャスティス・リーグ』は、うーん、やっぱりDCコミックスのヒーローものはいまひとつ好みじゃないみたいです。バットマンは可愛そうなぐらい弱いし、逆にスーパーマンがチートすぎて、正直、このメンバーのコラボを続けるのは難しいだろうと思う。
でも、それなりに面白かった。ヒーロー映画自体は好きなのだ、うん。

ポッドキャストはAnchorにアップもしているけれど、公開は明日か明後日に。
もったいぶるほどではないが、一晩ぐらい寝かしておきたいのだ。

それから、音楽関係でやらなきゃいけない…というか声をかけてもらった案件があるので、ギターのコードをとったりした。
ギターについては、そもそも“ちゃんと”弾けるってレベルではないし、加えてブランクが長すぎる状態でどこまでできるかわからないが、声をかけてもらった以上、とにかく頑張る。

「ストロング」銘柄ではないが、アルコール9%のチューハイとハイボールを飲んだら、やや酔った。
3本目を開けようかどうか悩みながら、今日は終了。
明日も明後日も朝早いんだよなー、どうしようかなー(飲まずに寝ろよ)。

そんなこんなで休日はおしまい。
明日からまた頑張りましょう。

タイムカプセル

昔、演劇をしていた時期がある。

といっても、メンバーは4人(最初は7人いたが色々あって最終的には4人になった)で、社会人サークル的な活動だった。
それでも僕は本気で脚本家になりたいと思っていたけれど、多分それはまだ若かった僕の“甘っちょろい本気”だったのだろうと今は思う。

文学フリマで出会った人たちに触発されて「俺も小説書きたーい」という、その“甘っちょろい本気”に似た“こどもっぽい憧れ”みたいなものが出てきたのだが、そういえば、昔、自分が書いた脚本だの、書かなかった物語(「小説」というよりは「物語」だ)のプロットだのを、実家から持ってきたんだよなー、と籠の中のファイル類を物色してみたら、自分の書いた脚本を見つけたのだ。

ちゃんと舞台にかけた、つまり演じてくれる人がいて(そのうちの一人は僕だ)、お客さんに観てもらったものが2作。
処分したと思っていたので、これがちゃんと残っていたのは嬉しかった。

そのうちの1つは、最初で最後の「本公演」で演じたもの。
「死刑囚たちが、減刑を求めて芝居をする」という大きな流れは覚えていたが、自分で書いたくせにセリフは全部忘れていた。
逆算すると、執筆したのは1997年のはずで、今から22年も前なわけだから、正直言えば「黒歴史」だし、「わー、俺の文章、拙い!恥ずかしいー!」となるのが普通だが、文章力自体は現在とさほど変わらず(そっちが問題だろう)、そういう恥ずかしさはない(ないのか!)。

むしろ、「これ、本当に俺が書いたの?」っていう感覚。

厳密に言えば、人間は日々細胞が生まれ変わるのだから、22年という歳月で「僕」というものはすっかり変わっているのだろう(ややオカルトっぽい話だが、高野ザンクは無宗教です)。
もっと単純に言えば、これを書いた時点から、それまでと同じ年数の人生を歩んできたのだから考え方が変わるのも当たり前。
この物語は、大学卒業したての自分が、その当時の世相や自分の状況を反映して作ったもの、だから、今の自分が“やや他人事”のように感じるのは当然なのかもしれない。

それにしても、だ。

書いたことを覚えている脚本はいい。
舞台にかけた2作もそうだし、他に映像作品用の喫茶店を舞台にしたものや、人数が揃っていればぜひやりたかった「プラットホームの待合室が舞台のもの」と、「売れないペンションが舞台のドタバタ」(基本的に舞台転換のないシチュエーションコメディばかり書いていた)も、書いたことは覚えていた(ただ、読み直していてオチをどうしたのだろう、と本気でわからなかった。そして最後まで読んで「俺っぽいなー」とも思った)。

でも、唯一、全く書いた覚えがない「バスケ部もの」が出てきたので驚いた。
読み終えた今でこそ、確かに自分が書いた気がするが、それは記憶のすり替えのような気もする(トータル・リコール)。

「1461days」と書いて「4years」と読ませるタイトルや(キザだね)、そう名付けた理由がオリンピックイヤーをモチーフにした話だったことはなんとなく思い出した。
でもバスケって。

僕はバスケにほぼ興味がないのだ(『SLAM DUNK』を最初のちょっとだけ読んだぐらい。しかもジャンプの連載時に)。
そんな僕がバスケ部を舞台にした話を書いているし、回想場面として、試合の再現も描いている。なんでバスケを選んだのかなーと色々考えてみると、メインキャラが男5人でスポーツもの、というとおのずと「バスケ」しか選択肢がなかったのだろう。舞台にすることを考えて「登場人物を7人に絞る」ということを一番に考えた結果なのだと思う。
計画的というのか、気を使っているというのか(それ以上にバスケファンに謝ろうね。ごめんなさい)。

江戸川台ルーペがカクヨムに進出した時に、自分も「小説書きたーい」となって(デジャブ)、小説のアイディアを考えて以来メモを書きはじめているのだけれど、なにかを公開するなら、発掘した脚本を小説に手直しして出すのが近道かなーとも思っている。

その理由のひとつはすでに一旦は書き上がっているからということ。
もうひとつは、20年以上前の自分のために、この物語をちゃんと公開してあげたいな、という、ある意味ひどく自己満足な理由だ。
それから、若い自分の文章は、人生について目論見の甘さを感じるものの(今も甘いけどな)、そのモチーフは、結局、今と変わっていないんだなと気づいたので、これを「今の自分」が出すのは、まあ自然な流れのように思える(さらに20年間寝かせてみる、という手もなくはないが)。
何かの思し召しに思えなくもない(繰り返しますが無宗教です)。

そういうわけで、まずは手書き原稿を、ワードに打ち直すことから始めてみる。

タイムカプセルを開けて良かったのか悪かったのか。
それがわかるのは、まだ先の話。