2020開会式

東京オリンピック開会式を、後半から見た(1時間ちょっとかな)。

なんというか、総合的に僕の嫌いな「学園祭実行委員」のノリを感じた。
知ってる曲が流れるのは素直に「おおっ」ってなるけれど、単なるファッションとかアイコンで使われてる感じがした。

コミケが金になると思って、物見遊山で入ってくるメディアとか芸能人のあのノリ。“ウェイ系”の人たちがサブカルを消費しはじめる、あの嫌なノリを感じた。
「楽しさ」を感じる部分が違うんですよ。
こっちはこっちで楽しくやってるんだから、そこを「俺らも理解してるよ、楽しいよなー」っていう見当違いなウェイ系のノリで消費すんなよ、って思った。

ピクトグラムのは、1964年の東京オリンピックから始まる導入の映像は良かったけれど、パフォーマンスは正直スベったよね。中の人たちの身体能力は相当高いんだろうけれど、慌てて時間に合わせてるからか、映画泥棒みたいなキレキレな動きは感じられなかったし「頑張ったで賞」しかあげられない。
もうちょっと尺をきっちり取って、中の人のパフォーマンスを見せてあげてほしかったな。あと、なんとなく「ラーメンズ」案件っぽさを感じた(ラーメンズに対する印象、合ってる?)。

同じくSNS界隈みると小林賢太郎案件らしいが、なだぎ武のくだり。
なだぎさんは好きだし良い役者さんだと思うが、あのコントみたいなのはいらない(何一つ演出の効果を感じない)と思ったし、劇団ひとりの出る映像もリアルタイムで各地のランドマークの照明が、映像と連動してライトアップされるならすごいけれど、違うでしょ?
なら、それは入れる必要感じなかった(荒川静香が出たときだけ「おお、荒川静香だ」って言った)。
あと、森元会長案件と思われる海老蔵の歌舞伎も、歌舞伎知らない自分でも、歌舞伎ってああじゃないよなと思うような無理くり取り入れた感じだった。

聖火リレーで言うと、印象的だったのは王、長嶋、松井の揃い踏み。
僕は巨人ファンじゃないが(むしろアンチ)、それでもこの3人が並ぶ姿は画として良かった。
長嶋さんの姿を見られたのはファンなら感慨深いだろうが、コロナ禍の中、あの体調の方を連れ出すなよ、というのが率直な感想。
もし、出てもらうなら車椅子に乗った長嶋さんを松井さんと王さんが押せば良かったんじゃないかな。っていうか長嶋さんのアテンドをずっとしていた松井さん、本当良い人だよな。万全ではない長嶋さんに気持ちまで寄り添っているのが伝わった。本当の意味でスターだと思う。改めて尊敬。

で、そんなことをつらつらと考えたのだけれど、前提として、そもそもジョックのイベントであるオリンピックの開会式がナード系ロックンローラーを自称しているオレに合うわけなかったんだよね。それを忘れていたのだった。合わないものをとやかく言うもんじゃないよね(もう書いちゃったけどさ)。
だから、ジョックの奴らがわかったふりしてナードなもの(漫画の吹き出しとかゲーム音楽とか)使ってんじゃねーよ、っていう気分になるんだな。

多様性を謳っているけれど、その“みんな”の中に僕は入っていないんだろうなーという疎外感を感じた開会式。すべてがただのパッチワーク。うわっつらだけで、本質的なものをUniteしてない。そして好きなものが、違う形で消費されていくのも悲しく思ったよ。なんとなくそれが電通クオリティなのかもしれないけれど(偏見です)。

そんな、オリンピックと付かず離れずの日々が始まったよ。
とにかくみんな無事でありますように。

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