やる気のでない後半戦スタート

やる気でないデー。

それでも午前中、ランニングはした。前2回走ったのと全然違うコースをグーグルマップで物色して、市内を走った。
美味しそうな石窯パンの店や、ジャンクなホビーが並んだ怪しい店を見つけたりでき、街中を走るのはこういう楽しみがあるなーと思った(パン屋は今度行ってみる)。

午後は駅前に買い出ししがてら本屋へ寄ったら、『奇譚蒐集録〜北の大地のイコンヌプ〜』の表紙の絵がすごい好みで「ジャケ買い」してしまった。前作もあるみたいだが、とにかく表紙に惹かれたし、単独でも大丈夫そうなので縁だと思って読んでみる(あらすじ読んで面白そうだったしね)。
それと同じように『増山超能力師大戦争』も表紙が素敵で、これは始めから読んだほうが良い感じがしたので、『増山超能力師事務所』を買った。誉田哲也は『ストロベリーナイト』を読んだ時になかなかページが進まなかった覚えがあるが、第1話はすいすい読めた。話も面白い。基本、キャラのたった物語が好きなのだ。

ダラダラとしているうちに夜になり、『ブロークンシティ』観て、今日はおしまい。
硬派な、それでもやっぱり「マーク・ウォールバーグもの」で面白かった。

やる気がでないことの一因は、まあ、やっぱり感染者が増えていることだけれど、その不安を言い訳にしちゃいけない。
自分が元気でいるうちはやるべきことをやらねば。

明日から仕切り直して頑張ります。

タクジでヨイシースー

仕事疲れに適応してきた。

……という幻想を見ている気もする。
だから、今日はもう帰宅するなり、買ってきたお寿司(先週買ったやつよりちょっとだけいい奴)を食べながら、ビールを(第3の、だけどな)飲んでしまった。
街は昨日に続いて急激に人が多くなった気がするが、自分のそのうちの一人だからなー。なんともいえない。
そんなこんなで日曜を乗り越える。

映画監督の押井守の本『凡人として生きるということ』(幻冬舎新書 2008年)を読んだ。
押井監督が自身を「凡人」って言ってしまうと、凡人のハードルがあがっちゃうよねーと思いながらも、やっぱり独特の視点でのものの見方で物事を切っていてとても面白かった。同意できない部分も当然あるけど、そこがまた“押井節”なのかもしれない。

天才の身でない我々は、情熱を持ち続けることしか、この世を渡っていく術がないのだ。
(中略)
自分の美学と情熱があれば、富と名誉に煩わされることなく生きていける。

情熱かー(そして美学かー)。
自分は、どっちも中途半端な気がするので、きちんと情熱と美学を持って生きよう(って、言って満足してしまうタイプの人間)。

そんなことを思いつつ、まずは明日の仕事に全力投球。
あと1日、なんとか乗り切るよー。

半日読書

昨夜は1時半まで読書していた。

WILD TURKEYを飲みながら(しかも8年だよ!贅沢!)、読みかけだった『ファクトフルネス』を読み終えて、それから太宰治の『斜陽』を読んだ。
ここ2年ぐらいで気づいたのだけれど、僕は読むのが平均より遅いようだ(いまさらかよ)。あと、読んでいる途中で別のこと考えたりしちゃって、その部分を読み返したりするのも遅読の原因だと思う。
『斜陽』を読んでいる時は、比較的そういうことがなく、集中して読めたものの、それでも昨夜は半分までしか読み切れず、今日の午後に残りを読んだ。

太宰治の小説と言えば、『走れメロス』と『富嶽百景』を“教科書で”読んだだけだったので、女性視点一人称で書かれていることにやや面食らった(そんなレベルの読み手です)。
でもすごく面白かったし、太宰の他の小説はもちろん、チェーホフの『桜の園』も読んでみたくなった(『斜陽』を読んだのは、『熊本くんの本棚』の書籍版を読む前に読んでおこうと思ったからなのだが、それもまた同じ感覚だろう)。

あと、新潮文庫版で読んだのだけれど、「現なま」とか「助平」という言葉にまで注釈がついていて、どういう人を読む対象にしているのだろうとふと思った。
読書感想文を書く中高生向けなのか、はたまた、もう現代ではそういう言葉を使わなくなってきているのか。自分の言語感覚もアップデートしないといけないのかもしれないね。

他に、積ん読だった『アド・アストラ スキピオとハンニバル』も3巻途中まで読んだ。
ハンニバル戦記を題材にした漫画で、すでに13巻で完結しているので、最後まで読んで、それから『ローマ人の物語 ハンニバル戦記』を読み直そうと思う。
この漫画で描かれるハンニバル像と、スキピオ・アフリカヌス像は、自分の思い描くものとは違うけれど、これはこれで面白い。
読み切ってから感想を書きたい。

それから、人生初、独りでカレーを作ったり、ベタなRPGをしたくて『FINAL FANTASY Ⅻ THE ZODIAC AGE』を買ってきたのだが、その話はまた明日(まだ食べてないし、遊んでないのだ)。

読書すると、休みが充実した気がする。
それはそれで良い傾向かも。

積ん読解消開始

『スポットライト 世紀のスクープ』観た。

隠蔽された大きな事件に立ち向かう新聞記者たちの話。面白かった。
“正義”って難しいけど、今の社会にも「スポットライト班」みたいな人たちがいてくれることを信じてみたい。

出勤日だけど、日々の課題はクリアした。
意志があればできるもんだなあと思う。

あとは、積ん読を少しでも減らそうと読書に励む。
読み切る(もしくは読むのを諦める)まで、その時買わないと二度と会えなさそうな“よっぽど”の本以外は買わないことにした。
良いペースで読み切るとしても1カ月は優にかかりそうだから、実際は2カ月ぐらい見ておこう。ほとんどが実用書でページが多いし、自分の読むスピードは早くないのだけれど、1ページずつコツコツとね。
とにかくネットを見る時間減らして(ここ大事)、ガシガシ読みましょう。

『文学性の女』という小説について

カクヨムという小説投稿サイトで、現在「第5回カクヨムWeb小説コンテスト」が行われている。

そこに友人であり、僕がファンでもある江戸川台ルーペが『文学性の女』という小説を応募している。
このコンテストは読者選考があるのだけれど、その選考期間が明日、2/7(金)までなのだ。そこで、ぜひこの小説を1話だけでも読んでほしいと思って、このブログで宣伝している。

2年前に、彼の長編前作『空気の中に変なものを』についてのブログでも書いたように、心を掴む文章を書く人だし、エンタメ的な展開を純文学的なテイストでストーリーテリングをする人なので、小説好きなら読むのが楽しい作品だと思う。
中でも最新作の『文学性の女』はバランスが良く、多くの人が(中でもプロ、アマチュア問わず“ものづくり”をしている人が)共感できる作品だ。
とはいえ、好き嫌いはあるので、誰が読んでも面白い、なんてことは言えないし、ショッキングな描写もややあるので、まずは1話か2話読んで、合いそうだったら読み進めてほしい。

と、いうのは、江戸川台ルーペのファンとして、読者選考を突破して、この作品をプロの編集者に読んでほしいと思うからだ。
あとは、中間選考まで残れば、鳥貴族で1回おごってもらえるだろうというリアフレならではの魂胆もあるけれどね(さらに大賞とったら焼肉だよね!)。

もちろん結果はどうあれ、彼は他人の評価関係なく、小説を書き続けるだろうけれど、彼の小説を好きという人が増えたら、とても嬉しい。

ちなみに、僕のレビューも書いたので、ご参考まで。
「普通に生きることの難しさ」(文学性の女)

というわけで、読者選考期間は今日、明日まで。
スマホで読めるので、ぜひ1話だけでも読んでみてくださいませ。

ブログカクヨム

オフ。

思った以上に週末の疲れが残っていて、予定の時刻より30分遅く起床。
それでも、頑張ってジム行った(偉い)。
ギターも10分練習した(これも偉い)。

痩せるためには、痩せるためのプロセスを経なければいけないし、演奏が上手くなるには、演奏を続けなければいけない。
すぐに効果は現れないけれど(体重は変わらないし、バレーコードはカスる)、ひと月後にはマシになっていると信じてやろう。

カクヨムに、江戸川台ルーペの小説『空気の中に変なものを』のレビューを書いた。
この作品を多くの人に読んでもらいたいという気持ちのほかに、カクヨムコン(文芸キャラクター部門)に応募しているそうなので応援の意味も込めて。

以前、ブログにも書いたのでそれを参考にしながら…とコピペして補足するように書き始めたのだけれど、途中でどうにも違和感を覚えた。

なんか、そのレビューにはやっぱり私的なことがたくさん含まれているのだ。

僕のブログを読んでくれる人(そう、そこのあなた!アリガトー!)は、僕という人間を少なからず知っている人だと思っている。
「C級ワインレビュー」なんかは、グーグルで検索かけられてるので、例外かもしれないけれど、僕個人のことは知らなくとも基本的には僕の友達の友達だったり、Twitterの投稿を読んだりして「なんとなく、こいつはこういう人だ」とわかっている人がほとんどだろう。
それに、ブログはいわばホームグラウンドだから、「僕」という要素が強く出ていてもいいし、特に意識してなかったけれど、そういう“我を出していい”場所なのだ。

でもカクヨムは、もっと第三者的な目線が求められるような気がする。

もちろん、自分で小説を書いている人は「個」を出して良いし、出すべきだと思う。
「好きな作家さんの好きな作家が好きになる」(好き好き言い過ぎ)ということはよくあることだし、僕もそうやって好きな作家が増えてきたから。
ただ、僕はまだ書いてない人間なので、これは「レビュアー」としての気構えの話だ。

完全に第三者的な、客観的なレビューというのは無理だと思う。それはただの紹介記事だ。
でも、その作品の魅力を伝えようとする時に、“個”を普遍的な“一般論”に落とし込んで書くというのは、ブログで感想を書くよりも難しい、というか、もっと違う能力が必要なのだ。

その一つが語彙力。

僕が大好きな2大ツッコミ人は、アンタッチャブルの柴田さん(再始動おめでとうございます!そして嬉しい!)と、くりぃむしちゅーの上田さんなんだけれど、二人とも状況や自分の思考を言語化する能力がものすごく高い。
ツッコミの種類はちがうけれど、お二人とも状況把握の早さと豊富な知識を持っていて、本当に凄い(それと標準語で面白いっていうのも凄いことだ)。

いざ小説を書こうとして、それを如実に感じている今だけれど、レビューでも語彙力って大切なんだなー、と痛感した。
そんなわけで、書くだけでなく、読むも大事。
バランスよくいかないとね。

ところで改めて『空気の中に変なものを』はややエグい小説ですが、エンタメありの純文学的要素ありで、ハマる人にはハマる読み物なのでマジおススメです。
物語読むのが好きな大人は是非読んでくださいませ(学生はこっそり読もうね)。

最後の最後で、自分の語彙力の乏しさ満載。

精進しまーす。

レビュー2本立て

先日読んだ『熊本くんの本棚』のレビューをカクヨムに書いた

まだカクことをしていない、ヨムだけの人間がレビューを書いて良いのか?と一瞬悩んだが(ルール上良いのか?とマナーとして良いのかの両方)、作者のキタハラさんにもコメントをいただけたし、書いてよかった。

本当に、カクヨム登録している人にはとりあえず10話まで読んでほしい。
近々発売される書籍版は、どこが同じでどこか加筆訂正されているのか、とても楽しみ(書き下ろしパートもあるそうです)。

それから文学フリマで購入した『元祖オーケン伝説』に収録されている『人として軸がブレてんだ』を読んだ。
これは、どこにレビューを書いていいかわからないので、このブログに書く。もし他に良いところがあったら教えてください。

この小説は序盤が激しい。
いやあ、かっ飛ばしてんなぁー、っていうか読者に向かってエグい球を投げてくるなぁ、という感じか。
初っ端から160㎞のナックルカーブ(大谷とダルビッシュと田中マー君を足して3で割らないような奴)を投げ込んでくるので、もうこれはもう超人ベースボールの選手じゃないと打てないと思って、読むことを諦めてしまう人もいるんじゃないかと思うと、惜しい。
回想シーンあたりから、ちゃんと人が打てる球中心の組み立てになるので、どうか先に読み進んでほしい。

こうやって野球に例えるのはおっさんっぽいけど、本編にもちょこっと野球の部分が出てくるからいいでしょう。
しかしアナウンサーに“あの言葉”をつけて呼称するって、どうやったら思い浮かぶんだろう(褒め言葉)。

主人公は「屑」と片付けるほどの屑ではない。でも確かに人として(とくに男として)はてんで“イケてない”。軸がブレている以上に、きっと軸が見当たらないんだ。それがイケてない学生特有のモラトリアムな期間だったりする。
その鬱憤というか、抜け出したいけど抜けられない怠惰な日々の繰り返し(そしてそれでもなんとか生きていけるのだ)。
悔しいと思いつつも自分ではどうしようもない苛立ち。
そういう若さ特有の濁った部分を、自虐的かつ可笑しみをはらませて描く。

迷いのない(イケてる)学生生活を送った人にはなんのこっちゃだろう。
でもその時期、いじいじとオタク的な年月を送った者にはグサリと刺さる(僕もその一人だ)。
そしてこの小説を読んで、そんな年月を許してあげたくもなる。

正直に言えば、「締め切り」や「オーケン縛り」というものによって、慌てたなーという部分や、えいやっと進めたからか、やや辻褄が合わないところがチラチラと見えたりはするが(次、紙の本作るときは校正させてほしい)、縛りの中で“江戸川台ルーペ”らしさというか、彼独特の世界が披露されているのは嬉しい。逆に縛りがあったからこそ、焦点が絞れて、物語に身を委ねやすくなっているのかもしれない。
この世界が好きな人にはとことん愛される小説。
ある特定の人にしかわからない言葉で言えば、江戸川台ルーペの小説は「ファミ通」を愛読していた人にとって、絶対に好みだと思う(それも隔週の「ファミコン通信」だった時代のね)。

なんかまた一つ確実に、指名買いされる作家へ一歩前進したよなー、と思った。
そして、あいかわらず文系拗らせ男子(男性じゃなく)が惚れる女子(女性じゃなく)書くの上手いよね。ズルい。

そういうわけで、心に残った作品の感想はきちんと形にしておこうと、喫茶店に行ってレビューを2本書いた(家だとイマイチはかどらない)。

好きな作品を第三者に伝えるのって難しい。でも、それによって「これ、いいね!」と思う人が一人でも増えてくれたら、それはそれで嬉しい。
だから人は感想を書くのかもしれない。

はじめからやりなおし

久々に晴れ。

休日なので、いつもより遅く起きて(でもゴミ出しの時間には間に合った)週末の疲れを取り除く。

近々ギターを弾く機会をもらったので、午前中は真面目に練習。

いやー、それにしても自分のギター“弾けなさ加減”に(謙遜でなく)呆れる。
ずいぶん昔とはいえ、毎週路上で弾き語りしていたとは思えない。
それからも弾かない時期も多かったとはいえ、何十年かのキャリアで“バレーコードがまともに弾けない”というのは、完全に才能ないんじゃないかとやや落ち込む。

実際に弾くのは1曲で、その練習はもちろんしているが、改めて初心者用のギター教本を買ってきて、頭から初めてみた。
ブラッシングとかハームタイムシャッフルとか、そういうテクニックがあるんですね。
どういうテクニックか、やってみると、名前も知らずに雰囲気で使ってたことはあるけどね。(見栄をはる)

まあ、とにかくそういう状況。
でも、演奏の機会をいただいたので、とにかく足掻く。
弦も昨晩張り替えたのだが、ずいぶん前に買った弦なので、すでにサビがある。
これで本番に臨むのは気持ち的に萎えるし、弦ぐらいはきちんとしておきたいので(形から入るタイプ)、明日、改めて購入予定。

そんでもって頑張ってジムも行った。
体重はあいかわらず減らない。
ここ3日、アルコールも飲んでないんだけどなー。マズいなー。本気ださなきゃなー(口だけ)。

ほとんどいかないクイーンズ伊勢丹に行ったら、昨日ブログに書いた、カキフライ、エビフライ、カニクリームコロッケが並んでいたので、これもセレンディピティ的な奴だと思って買った(なにごとも解釈次第だな)。
晩御飯に食べる。
「揚げ物を控えないと…」というゴールドジムインストラクターの声が頭に響くが、ほら、反体制なのがロックだろ?(解釈次第)

それと、カクヨムでキタハラさんの『熊本くんの本棚』を読了。
いやあ、すごい小説だった。
しかも、自分にとっては“良いタイミング”で出会えた気がする。
レビューは改めてカクヨムに書く。

そして、文フリで触発された勢いのまま、小説を書き始めた。
出だしの部分と、思いついたシーン、セリフを書き出しているだけで、まだまだ先は長いが(どのくらいの長さになるかも不明だが)とにかく始めてみた。

結局、昔書いた奴ではなく、昨年に思いついた話をきちんと仕上げようと思う。
書きながら、書きたいものに実力がついていかないのを早くも痛感するけど、まずは仕上げてみる。
今年中にできるかな(やりなさい)。
ギターの練習をしなければいけないのに、小説に気がいってしまうのは、勉強しなきゃいけないのに漫画読んじゃうアレのような気もする。

ただ、ギター弾くのは楽しい。
できない自分にイライラするのは確かだが、弾くこと自体は楽しいし、この間音合わせした時も、ボロボロだったけれど、超楽しかった。

弾かなければ上手くならないし、弾けない不安は弾くことでしか解消できないのだ。

とはいえ、Fコードぐらいは綺麗に弾けるべきだろうけどね。
まあ、一歩一歩進んでいきましょう。

文フリのあと

そういうわけで文学フリマ東京に行ってきた。

僕が以前に行った2006年の会場は、秋葉原の東京中小企業振興公社秋葉原庁舎(長い)で、会場規模もブース数もかなり限られていて、もう少し地味なイベントだったように思う。
前回のときは芥川賞作家の長嶋有が出した『メルボルン1』という同人誌目的で行っただけなので、長嶋さんのブースに行って、緊張しながら少し会話をして(会話ってレベルではなかったけど)、ちらちらと他のブースを眺めながらひと回りしたものの、30分と滞在せずに帰宅した覚えがある。

今回の僕の目的は、なんといっても江戸川台ルーペが参加したアンソロジー本『元祖オーケン伝説』を購入するため。
とはいえ、せっかく出向くのだからと、事前にwebカタログでどんなブースが出ているのか調べて、興味のある本は試し読み&購入しようと考えていた。

さて、開場時間10分ほど前について、入場待ちの列に並ぶ。
会場の、東京流通センター 第一展示場(これはこれでそれなりに長い)は、予想よりも照明が明るく、また列に並ぶ人たちを見ると、着物や勝負服のような“ハレ”の格好の人もいれば、普段着で年配のご夫妻もいて、以前(13年前だ)とはだいぶ違う印象を受けた。前はもっと“いかにも”な人ばかりだった気がする。
ただ、スーツケース持参率が高いのは、このイベントが本を大量に買うことになるから、ということを物語っていた。

並んでいる場所から、会場内の様子がガラス越しに伺えて、「それでは、文学フリマ、開場します!」という運営の人の声と、出店者たちによる拍手が聞こえてくると、ガラス越しにも高揚が伝わってきて、こちらも楽しくなる。

果たして、会場に入ると、多くのブースが出ているわりには、通路にゆとりがあり、動きづらい感じはしなかった。
気になるところをローラー作戦で廻っていったが、やっぱり会場内は、文学好きらしいシャイな雰囲気で、「はしゃぎたいけど躊躇する」というアンビバレンスな思いを持っている人たちが多いなぁと、売り子さんからもお客さんからも感じた(そして、それは僕も同じだ)。
広いと思っていた会場も、ぐるっと廻ってしまえば、1時間とかからずに物色は済んでしまい、ここでようやく「曖昧書房」さんに出向き、江戸川台ルーペに会う。

作品を出している身分だし、忙しいだろうと挨拶だけで帰ることも考えていたのだが、彼のカクヨム仲間で初めてお会いした詩一さんも加わって話が盛り上がったので、リフレッシュルーム(休憩室)に移動して、本腰を入れて4人で身の上話や創作界隈の話をすることに。
さらに途中からげえるちゃん、たかなんさん、キタハラさんという、江戸川台ルーペつながりで「Twitterとカクヨムで見る有名人」たちも加わってオフ会の様相を呈してくる。

で、結局4時間以上そこで話していたよ。

文学好きという、ただ、その一点だけで(しかしものすごく大きな一点のおかげで)、初対面にも関わらず同じサークルのメンバーみたいに話せて、この上なく楽しかった。

総じて思ったことは、紙の本強くない?ってこと。
電子書籍を否定しないし、それで読む本もあるけれど(カクヨムだってサイトだし)、こと「文学」においては紙の本、まだまだ人気あるよ。
それから、表紙のイラストや装丁が素敵な本が多く、ジャケ買いしそうになった。個性が強いものが多いのは同人誌ならではなのか、その点は本屋でならんでいる本を見るよりも楽しかった。

若者の本離れ、とか言われるし、経営難になる本屋も多い昨今、事実活字を読む人口は減っているのだろう。
でも、決してなくならないだろうこの熱狂をどうにかして盛り上げたいし、僕も“端っこ”でいいから、これからもこの世界に混じっていたいな、と心から思う。

 

さて、最後にやや個人的な話を。

今回、文学フリマに行った目的のもうひとつは、人を引き合わせることだった。
そもそも、僕はそういうことを滅多にやらない人間だし、状況次第では「やらなきゃ良かった案件」になることも覚悟していたけれど、創作に関わる人のつながりは予想通り(逆に意外にも、か?)相性が良かったようで、リフレッシュルームでの懇親会はとても充実した時間になった。
思い返してみたら、そういえば今までも僕が人を引き合わせた時、その片割れの九分九厘は江戸川台ルーペであって、その点を踏まえても、合わせるべき人は間違いなかったな、と思う。

江戸川台ルーペはじめ、お話しした皆さん -詩一さんの家庭話、げえるちゃんのTwitterと違わぬ“げえるちゃんっぽさ”、たかなんさんの爆買いぶり、キタハラさんの漫談トーク- 具体的な創作苦労話はもちろんのこと、皆さんの醸し出す雰囲気とか、存在自体(物書きってちゃんと実在するんだー)という点が、とてもタメになりました。
燻っていた僕自身の創作魂にも火がつきました。あのメンバーでいつか共同制作できたら素敵だなー、と妄想したりしました(一本でも書いてから言おうね)。
そして、出店者として店を守っていた曖昧書房の斉賀 朗数さん、次回はぜひ色々お話し聞かせてくださいませ。
皆さん、改めて、ありがとうございました。

いつか、「この日から始まったのだ」としみじみ思いだせるものを作れるように、僕も今日から創作に軸を移動していきたい。

小さい思いだけれど、そう決意した、文フリのあと。

検索と読書

ネットを見すぎだなーと思う。

体感的にはわかっていたものの、昨日、iPhoneの「スクリーンタイム」という機能を初めて知り(遅いよ)、きちんと数字で提示された時間の長さに戦慄みたいなのが走る。
休みの日だとSafariを3時間立ち上げたりしてんだなー(あ、これはYoutube視聴が40分ぐらい入っているけど)。Twitterも50分ぐらいは平均で見てる。
これを半分ずつにできたらなーと、漠然と思った。
テレビもすっかり見なくなったので、こういうのは習慣で変えられるのではなかろうか。

さて前月に引き続き、9月も6冊読書を目標として達成した(ヤッタネ)。
読んだのは

『今昔百鬼拾遺 鬼』京極夏彦
『砕け散るところを見せてあげる』竹宮ゆゆこ
『宇宙探偵ノーグレイ』田中啓文
『堕落論』坂口安吾(集英社文庫版)
『河童・或阿呆の一生』芥川龍之介(新潮文庫版)
『笑うな』筒井康隆

と、8月と打って変わって小説ばかり。自己啓発本も途中まで読んでいるのが2冊あるが、それは10月読了にまわす。

つくづく、小説って最初の10ページぐらいが大事だなと思った。
『鬼』は最初からスッと入れたので良かった。
『砕け散るところ〜』は、ずっと前に買っておいて、5ページぐらい読んで放置してしまっていた。主人公がヒロインと会って、物語が動くあたりからグッと面白くなるので、これから読む方は40ページぐらいまで読んでみて判断してください。

『笑うな』は、学生時代に絶対読んでいるのだが(当時出ていた新潮文庫の筒井康隆作品は全部読んだので)、どの作品の内容も忘れていた(老人力?)。
自分が思っていたよりも風刺が“わかりやすいもの”が多かったが、自分の“面白いもの”の原点だなーと改めて感じた。
あと、安吾や芥川の小説、というかこの時代の小説家って、本当に魂の削り方が尋常でない。そうやれ、って言われても無理なぐらい俗人な僕ではあるが、色々と思うところはある。

今月も6冊読もうと思っているが、趣味の本だけでなく、ちゃんと自分の将来につながる本を読まないとね。バランスをとっていこう。

10月になっても暑い。
秋はまだか。