レビュー2本立て

先日読んだ『熊本くんの本棚』のレビューをカクヨムに書いた

まだカクことをしていない、ヨムだけの人間がレビューを書いて良いのか?と一瞬悩んだが(ルール上良いのか?とマナーとして良いのかの両方)、作者のキタハラさんにもコメントをいただけたし、書いてよかった。

本当に、カクヨム登録している人にはとりあえず10話まで読んでほしい。
近々発売される書籍版は、どこが同じでどこか加筆訂正されているのか、とても楽しみ(書き下ろしパートもあるそうです)。

それから文学フリマで購入した『元祖オーケン伝説』に収録されている『人として軸がブレてんだ』を読んだ。
これは、どこにレビューを書いていいかわからないので、このブログに書く。もし他に良いところがあったら教えてください。

この小説は序盤が激しい。
いやあ、かっ飛ばしてんなぁー、っていうか読者に向かってエグい球を投げてくるなぁ、という感じか。
初っ端から160㎞のナックルカーブ(大谷とダルビッシュと田中マー君を足して3で割らないような奴)を投げ込んでくるので、もうこれはもう超人ベースボールの選手じゃないと打てないと思って、読むことを諦めてしまう人もいるんじゃないかと思うと、惜しい。
回想シーンあたりから、ちゃんと人が打てる球中心の組み立てになるので、どうか先に読み進んでほしい。

こうやって野球に例えるのはおっさんっぽいけど、本編にもちょこっと野球の部分が出てくるからいいでしょう。
しかしアナウンサーに“あの言葉”をつけて呼称するって、どうやったら思い浮かぶんだろう(褒め言葉)。

主人公は「屑」と片付けるほどの屑ではない。でも確かに人として(とくに男として)はてんで“イケてない”。軸がブレている以上に、きっと軸が見当たらないんだ。それがイケてない学生特有のモラトリアムな期間だったりする。
その鬱憤というか、抜け出したいけど抜けられない怠惰な日々の繰り返し(そしてそれでもなんとか生きていけるのだ)。
悔しいと思いつつも自分ではどうしようもない苛立ち。
そういう若さ特有の濁った部分を、自虐的かつ可笑しみをはらませて描く。

迷いのない(イケてる)学生生活を送った人にはなんのこっちゃだろう。
でもその時期、いじいじとオタク的な年月を送った者にはグサリと刺さる(僕もその一人だ)。
そしてこの小説を読んで、そんな年月を許してあげたくもなる。

正直に言えば、「締め切り」や「オーケン縛り」というものによって、慌てたなーという部分や、えいやっと進めたからか、やや辻褄が合わないところがチラチラと見えたりはするが(次、紙の本作るときは校正させてほしい)、縛りの中で“江戸川台ルーペ”らしさというか、彼独特の世界が披露されているのは嬉しい。逆に縛りがあったからこそ、焦点が絞れて、物語に身を委ねやすくなっているのかもしれない。
この世界が好きな人にはとことん愛される小説。
ある特定の人にしかわからない言葉で言えば、江戸川台ルーペの小説は「ファミ通」を愛読していた人にとって、絶対に好みだと思う(それも隔週の「ファミコン通信」だった時代のね)。

なんかまた一つ確実に、指名買いされる作家へ一歩前進したよなー、と思った。
そして、あいかわらず文系拗らせ男子(男性じゃなく)が惚れる女子(女性じゃなく)書くの上手いよね。ズルい。

そういうわけで、心に残った作品の感想はきちんと形にしておこうと、喫茶店に行ってレビューを2本書いた(家だとイマイチはかどらない)。

好きな作品を第三者に伝えるのって難しい。でも、それによって「これ、いいね!」と思う人が一人でも増えてくれたら、それはそれで嬉しい。
だから人は感想を書くのかもしれない。

はじめからやりなおし

久々に晴れ。

休日なので、いつもより遅く起きて(でもゴミ出しの時間には間に合った)週末の疲れを取り除く。

近々ギターを弾く機会をもらったので、午前中は真面目に練習。

いやー、それにしても自分のギター“弾けなさ加減”に(謙遜でなく)呆れる。
ずいぶん昔とはいえ、毎週路上で弾き語りしていたとは思えない。
それからも弾かない時期も多かったとはいえ、何十年かのキャリアで“バレーコードがまともに弾けない”というのは、完全に才能ないんじゃないかとやや落ち込む。

実際に弾くのは1曲で、その練習はもちろんしているが、改めて初心者用のギター教本を買ってきて、頭から初めてみた。
ブラッシングとかハームタイムシャッフルとか、そういうテクニックがあるんですね。
どういうテクニックか、やってみると、名前も知らずに雰囲気で使ってたことはあるけどね。(見栄をはる)

まあ、とにかくそういう状況。
でも、演奏の機会をいただいたので、とにかく足掻く。
弦も昨晩張り替えたのだが、ずいぶん前に買った弦なので、すでにサビがある。
これで本番に臨むのは気持ち的に萎えるし、弦ぐらいはきちんとしておきたいので(形から入るタイプ)、明日、改めて購入予定。

そんでもって頑張ってジムも行った。
体重はあいかわらず減らない。
ここ3日、アルコールも飲んでないんだけどなー。マズいなー。本気ださなきゃなー(口だけ)。

ほとんどいかないクイーンズ伊勢丹に行ったら、昨日ブログに書いた、カキフライ、エビフライ、カニクリームコロッケが並んでいたので、これもセレンディピティ的な奴だと思って買った(なにごとも解釈次第だな)。
晩御飯に食べる。
「揚げ物を控えないと…」というゴールドジムインストラクターの声が頭に響くが、ほら、反体制なのがロックだろ?(解釈次第)

それと、カクヨムでキタハラさんの『熊本くんの本棚』を読了。
いやあ、すごい小説だった。
しかも、自分にとっては“良いタイミング”で出会えた気がする。
レビューは改めてカクヨムに書く。

そして、文フリで触発された勢いのまま、小説を書き始めた。
出だしの部分と、思いついたシーン、セリフを書き出しているだけで、まだまだ先は長いが(どのくらいの長さになるかも不明だが)とにかく始めてみた。

結局、昔書いた奴ではなく、昨年に思いついた話をきちんと仕上げようと思う。
書きながら、書きたいものに実力がついていかないのを早くも痛感するけど、まずは仕上げてみる。
今年中にできるかな(やりなさい)。
ギターの練習をしなければいけないのに、小説に気がいってしまうのは、勉強しなきゃいけないのに漫画読んじゃうアレのような気もする。

ただ、ギター弾くのは楽しい。
できない自分にイライラするのは確かだが、弾くこと自体は楽しいし、この間音合わせした時も、ボロボロだったけれど、超楽しかった。

弾かなければ上手くならないし、弾けない不安は弾くことでしか解消できないのだ。

とはいえ、Fコードぐらいは綺麗に弾けるべきだろうけどね。
まあ、一歩一歩進んでいきましょう。

文フリのあと

そういうわけで文学フリマ東京に行ってきた。

僕が以前に行った2006年の会場は、秋葉原の東京中小企業振興公社秋葉原庁舎(長い)で、会場規模もブース数もかなり限られていて、もう少し地味なイベントだったように思う。
前回のときは芥川賞作家の長嶋有が出した『メルボルン1』という同人誌目的で行っただけなので、長嶋さんのブースに行って、緊張しながら少し会話をして(会話ってレベルではなかったけど)、ちらちらと他のブースを眺めながらひと回りしたものの、30分と滞在せずに帰宅した覚えがある。

今回の僕の目的は、なんといっても江戸川台ルーペが参加したアンソロジー本『元祖オーケン伝説』を購入するため。
とはいえ、せっかく出向くのだからと、事前にwebカタログでどんなブースが出ているのか調べて、興味のある本は試し読み&購入しようと考えていた。

さて、開場時間10分ほど前について、入場待ちの列に並ぶ。
会場の、東京流通センター 第一展示場(これはこれでそれなりに長い)は、予想よりも照明が明るく、また列に並ぶ人たちを見ると、着物や勝負服のような“ハレ”の格好の人もいれば、普段着で年配のご夫妻もいて、以前(13年前だ)とはだいぶ違う印象を受けた。前はもっと“いかにも”な人ばかりだった気がする。
ただ、スーツケース持参率が高いのは、このイベントが本を大量に買うことになるから、ということを物語っていた。

並んでいる場所から、会場内の様子がガラス越しに伺えて、「それでは、文学フリマ、開場します!」という運営の人の声と、出店者たちによる拍手が聞こえてくると、ガラス越しにも高揚が伝わってきて、こちらも楽しくなる。

果たして、会場に入ると、多くのブースが出ているわりには、通路にゆとりがあり、動きづらい感じはしなかった。
気になるところをローラー作戦で廻っていったが、やっぱり会場内は、文学好きらしいシャイな雰囲気で、「はしゃぎたいけど躊躇する」というアンビバレンスな思いを持っている人たちが多いなぁと、売り子さんからもお客さんからも感じた(そして、それは僕も同じだ)。
広いと思っていた会場も、ぐるっと廻ってしまえば、1時間とかからずに物色は済んでしまい、ここでようやく「曖昧書房」さんに出向き、江戸川台ルーペに会う。

作品を出している身分だし、忙しいだろうと挨拶だけで帰ることも考えていたのだが、彼のカクヨム仲間で初めてお会いした詩一さんも加わって話が盛り上がったので、リフレッシュルーム(休憩室)に移動して、本腰を入れて4人で身の上話や創作界隈の話をすることに。
さらに途中からげえるちゃん、たかなんさん、キタハラさんという、江戸川台ルーペつながりで「Twitterとカクヨムで見る有名人」たちも加わってオフ会の様相を呈してくる。

で、結局4時間以上そこで話していたよ。

文学好きという、ただ、その一点だけで(しかしものすごく大きな一点のおかげで)、初対面にも関わらず同じサークルのメンバーみたいに話せて、この上なく楽しかった。

総じて思ったことは、紙の本強くない?ってこと。
電子書籍を否定しないし、それで読む本もあるけれど(カクヨムだってサイトだし)、こと「文学」においては紙の本、まだまだ人気あるよ。
それから、表紙のイラストや装丁が素敵な本が多く、ジャケ買いしそうになった。個性が強いものが多いのは同人誌ならではなのか、その点は本屋でならんでいる本を見るよりも楽しかった。

若者の本離れ、とか言われるし、経営難になる本屋も多い昨今、事実活字を読む人口は減っているのだろう。
でも、決してなくならないだろうこの熱狂をどうにかして盛り上げたいし、僕も“端っこ”でいいから、これからもこの世界に混じっていたいな、と心から思う。

 

さて、最後にやや個人的な話を。

今回、文学フリマに行った目的のもうひとつは、人を引き合わせることだった。
そもそも、僕はそういうことを滅多にやらない人間だし、状況次第では「やらなきゃ良かった案件」になることも覚悟していたけれど、創作に関わる人のつながりは予想通り(逆に意外にも、か?)相性が良かったようで、リフレッシュルームでの懇親会はとても充実した時間になった。
思い返してみたら、そういえば今までも僕が人を引き合わせた時、その片割れの九分九厘は江戸川台ルーペであって、その点を踏まえても、合わせるべき人は間違いなかったな、と思う。

江戸川台ルーペはじめ、お話しした皆さん -詩一さんの家庭話、げえるちゃんのTwitterと違わぬ“げえるちゃんっぽさ”、たかなんさんの爆買いぶり、キタハラさんの漫談トーク- 具体的な創作苦労話はもちろんのこと、皆さんの醸し出す雰囲気とか、存在自体(物書きってちゃんと実在するんだー)という点が、とてもタメになりました。
燻っていた僕自身の創作魂にも火がつきました。あのメンバーでいつか共同制作できたら素敵だなー、と妄想したりしました(一本でも書いてから言おうね)。
そして、出店者として店を守っていた曖昧書房の斉賀 朗数さん、次回はぜひ色々お話し聞かせてくださいませ。
皆さん、改めて、ありがとうございました。

いつか、「この日から始まったのだ」としみじみ思いだせるものを作れるように、僕も今日から創作に軸を移動していきたい。

小さい思いだけれど、そう決意した、文フリのあと。

検索と読書

ネットを見すぎだなーと思う。

体感的にはわかっていたものの、昨日、iPhoneの「スクリーンタイム」という機能を初めて知り(遅いよ)、きちんと数字で提示された時間の長さに戦慄みたいなのが走る。
休みの日だとSafariを3時間立ち上げたりしてんだなー(あ、これはYoutube視聴が40分ぐらい入っているけど)。Twitterも50分ぐらいは平均で見てる。
これを半分ずつにできたらなーと、漠然と思った。
テレビもすっかり見なくなったので、こういうのは習慣で変えられるのではなかろうか。

さて前月に引き続き、9月も6冊読書を目標として達成した(ヤッタネ)。
読んだのは

『今昔百鬼拾遺 鬼』京極夏彦
『砕け散るところを見せてあげる』竹宮ゆゆこ
『宇宙探偵ノーグレイ』田中啓文
『堕落論』坂口安吾(集英社文庫版)
『河童・或阿呆の一生』芥川龍之介(新潮文庫版)
『笑うな』筒井康隆

と、8月と打って変わって小説ばかり。自己啓発本も途中まで読んでいるのが2冊あるが、それは10月読了にまわす。

つくづく、小説って最初の10ページぐらいが大事だなと思った。
『鬼』は最初からスッと入れたので良かった。
『砕け散るところ〜』は、ずっと前に買っておいて、5ページぐらい読んで放置してしまっていた。主人公がヒロインと会って、物語が動くあたりからグッと面白くなるので、これから読む方は40ページぐらいまで読んでみて判断してください。

『笑うな』は、学生時代に絶対読んでいるのだが(当時出ていた新潮文庫の筒井康隆作品は全部読んだので)、どの作品の内容も忘れていた(老人力?)。
自分が思っていたよりも風刺が“わかりやすいもの”が多かったが、自分の“面白いもの”の原点だなーと改めて感じた。
あと、安吾や芥川の小説、というかこの時代の小説家って、本当に魂の削り方が尋常でない。そうやれ、って言われても無理なぐらい俗人な僕ではあるが、色々と思うところはある。

今月も6冊読もうと思っているが、趣味の本だけでなく、ちゃんと自分の将来につながる本を読まないとね。バランスをとっていこう。

10月になっても暑い。
秋はまだか。

Delayed Holidays Days2

連休の中日。

とりあえず朝イチで実家に帰った。
その理由の一つは、月末の旅行のための、小さめのスーツケースと、普段着を買うためだ。
探せば自宅近くで買うこともできるのだろうけれど、どうしても買い慣れた郊外の大型ショッピングセンターで買うほうが間違いがないと思ったのだ。

で、スーツケースはサイズで悩んだ挙げ句に一番小さい、LCCでも機内持ち込み可能なものを買った。
1泊なら余裕、2泊には心もとない容量で、今回は2泊するのだけれど、今後の使用頻度を考えたのだ。これだとコインロッカーにも入るのだ。
だいたい国内旅行は1泊が多いし、来年はTrySailの地方公演を最低1回は追っかけるつもりなので(まだツアーやるかも決まってないが)、これを機に「梱包上手」を目指してみる。
友人にはハワイですら、ボストンバッグ一つで行くという強者がいるから(しかも女性)、自分にできないこともないだろう。

それから洋服も、手頃なシャツを2枚買った。
週に5日はスーツなので、普段着はほぼ買わないし、買うと3年は余裕で着回してしまうのだ(これって会社員あるある?)。
でも、洋服を買うのが特に好きではない僕も、いくつか店をまわってみると、けっこう楽しかったりする。これは自由にお金が使える、ということの嬉しさなのか、どうか(まあちょっと考えては、もう忘れちゃうんだけど)。

先月に続き6冊読書をする予定で、4冊目として、“ミロ先生”の愛読書でもある『堕落論』(坂口安吾/集英社文庫版)を読み終えた(“菅原氏”の愛読書『眼球譚』も読みたかったけど売っていなかった)。
坂口安吾の小説や文章を読んだことはなかったが、同文庫に掲載されている『恋愛論』や『文学のふるさと』といった評論というかエッセイが面白かった。
『不良少年とキリスト』は太宰治について書かれた文章で、これを読むと『斜陽』は読んでおきたいな、と思う。なにせ太宰の作品は教科書に載っていた『走れメロス』しか読んでいないからね(しかも、あれは「道徳」の意味で載っていたように思う)。

そんなわけで、当初の目的は果たせた休日二日目。
明日も半分は予定が決まっている。それ以外の部分をどれだけ有意義に使えるか、だな。

読了

8月の目標は6冊本を読むことだった。

5日に1冊(余り1日)という、本を読み慣れている人ならなんてことないペースなんだろうけど、かなり苦戦した結果、最終日の8/31にまるまる1冊読み切って達成!と、僕としてはちょっと劇的なオチ。

読んだ本は順番に

『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』ヤニス・バルファキス
『3時間半で国際的常識人になれるゆげ塾の速修 戦後史 欧米編』ゆげ塾
『マーベル映画究極批評』てらさわホーク
『会社員副業時代を生き抜くパラレルキャリアの始め方』かさこ
『もう一歩先の世界へ』苫米地英人/フィデル・カストロ・ディアスバラールト

kindle本が2冊あるが、これも1冊と数えておく(さじ加減)。

で、上の5冊を30日までに(もっと具体的にいえば『もう一歩先の世界へ』は31日の昼に)読み終えて、やっとこさ5冊読破。
この時点で半ば6冊読むことは諦めていたのだけれど、前日に知り合いから中村文則の『遮光』を勧められたので、買って読んでみたら、夜、一気に読み切ってしまったのだ。

いや、もちろん、自分で決めた目標を達成できないのは悔しいから(僕は本来“悔しがり”なのだ)、最後の1冊は意地でも読んでやろう、という気概はありましたよ。でも、あらすじから予想したよりもすらすら読めたので良かった。
決して“楽しく”“愉快な”小説ではないが、面白かった。
久しぶりに小説を読み切ることができたのも嬉しい(読んで途中になっていた『最後のトリック』はどうしても馴染めずに諦めました)。
中村文則については、まったく知らなかったのだけれど、作者がこの作品とデビュー作の『銃』を大切にしているそうなので(あとがきに書いてあった)『銃』も読んでみよう。

というわけで、一応、目標は達成できた(オメデトー!)。

で、僕が読んだ6冊中5冊はノンフィクションで、この傾向がここ何年も続いているので、一度流れを変えるためにも、9月はフィクション中心に読んでいきたい。
今月は特に冊数の目標は立てないけれど、やっぱり6冊ぐらいは読もう。

はてさて、結果はいかに。

読書月間

「このままじゃ自分はダメなまんまだなー」

というか「“惜しい人”で一生を終わるなー」と思ったのが2014年の夏。
それでどうしたか、というと、とにかく本を読もうと思ったのだ。

そうして1年で150冊ほどの本を読んだ。
読書家からしたら大したことはない量だろうけれど、もともと年10冊~15冊ぐらいしか本を読まなかった自分としては10倍以上の数だし、それまで読んでいなかった「自己啓発本」や「人生論」、「ビジネス書」を、休みの日にブックオフで買い漁ってはひたすら読むのはとても楽しかった。
最初の1年のペースには追いつかないが、それから5年で400冊以上の本を読んで、今ではブックオフ通いが趣味のひとつにもなっている。

果たして“惜しい人”から脱出できたかどうかはわからないが、あの時よりも自信は持てていると思うし、本を読んでいたことで共通の話題ができて、人との交流もより深くできるようになったこともある。

で、最近の自分には、なんとなく“突き抜けられない感”があって、これを払拭するにはどうしようか、と考えてみて、じゃあまた読書してみようか、と思ったのだ。
初心に戻ってみるのだ。

積ん読してある本からしばらく読まない本を軒並み処分し、自分の読むべき本だけ手元に残して、これを端から順番に読んでいこうと決めた。
今回は5年前のジャンルよりも「実用書」的な本が多く、読むペースは落ちるはずなので、無理せず今月は6日で1冊、つまり6冊読むことにする。
9月にもしかすると連休がとれるので、まずは今月、本を読み進める感覚を思い出すリハビリに充てて、来月と合わせて15冊読破する目標とする。
面白い本があれば、ブログネタにもなるので、それも良いだろう。

そんなわけで、候補から外れた本をブックオフで処分してきたら2100円になったけれど、代わりに2200円分の本を買ってきてしまって、また本が増えてしまうというヘボさ加減(もちろん売った量のほうが多いから実質は減ってるけれど)。
そんな“積ん読症候群”気味の僕ですが、果たして読むペースが買うペースを上回れるのでしょうか。

まあ、まずは1冊読み切るところから始めてみよう。

片付けと不買運動

年末に人を呼べたのが嘘のように、部屋が散らかっている。

所有物が多いのも一因だろうが、衣類、読む本、ノートなど、日頃使っているものが、気がつくと山積みになってしまっている感じだ。
そのせいか、今日は久しぶりに片付けをしたものの、あまり片づいた感がない。

片付けたり、模様替えをしても変化が感じられなくなると、なんとなく、もう引っ越そうかなーとも思ったりするが、今の部屋に不満があるわけではない。結局はマンネリをどう打破するか、ということなんだろう。
断捨離、とか、ミニマリスト、とかいう言葉が流行りつつあるが、僕には合わないっぽいので、自分なりの片付け法と、過ごしやすい環境づくりを編み出さなければならない。

その第一歩として、とりあえず本を買うのをしばらくストップしている。
それはAmazon primeを始めて、kindle unlimitedが使えるようになったのも理由ではあるけれど。
kindle unlimited、すごく良い。使っていなかったiPadを常に持ち歩くようになった。どちらかと言うと「紙の本派」ではある僕でも、無料(primeの月会費はかかるが)だし、けっこう読みたい本があるのが魅力的だ。

とはいえ、そっちの本ばかり読んでしまって、今積ん読になっているのを読まないので、部屋は片付かないままなのが問題ではある。
計画的な読書が必要だ。

このペースで部屋が片付くのはいつのことになるのだろうか(そう言いながら3年が経とうとしている)。

「空気の中に変なものを」

江戸川台ルーペは僕の古くからの友人である。

彼の文章は、昔から他の人のそれとは大いに違っていた。
「天才的」と言いたいが、それはきっと血の滲むような思いをし、魂を削って文章を書いているだろう彼に失礼だから、別の言い方をすると、とにかく心を掴まれる文章を書く人だった。
そんな彼が小説を書いた。
「空気の中に変なものを」

僕も彼も80年代後半から90年代が青春時代の世代だ。
そして(僕が彼と出会ったのは二十歳を過ぎた後だが)同じような青春時代を過ごしたのだと思う。

僕らの青春時代は理不尽だった。
先生の体罰は当たり前だったし、「そんなことで?」ということで怒られたこともある。女子はスポーツができて容姿の良い男子に群がっていた。
そんなことよりゲームやマンガと男子づきあいができれば、それはそれで良かった。良かったのだけれど、同時に身の回りのさまざまな理不尽に対するどうしようもない苛立ちを感じていた。
女の子に興味はあった。ただそれを後回しにするほど(後回しにせざるを得ない現実があったとして)ゲームや漫画などいわゆるオタク系なものに夢中だったナードな青春時代を過ごした者なら、その理不尽さを一度は感じたはずだ。
そして、僕らのほとんどが普通に大人になり、恋愛をし(学生のときにできなくても大人になるとできるものなのだ)結婚をし、いわゆる普通の幸せを手に入れる(独身の僕が言うのもなんだが)。
でも、あの青春時代の言われようのない理不尽さは常に心のどこかにわだかまりのようなものを残している。

だから僕はこの小説の「僕」に共感するのだ。

バブル経済の中、大人たちが浮かれて、いわゆる男女的な楽しさに興じている一方で、それを冷めた目で見ながら、そして羨ましくも思いながらも、僕らはファミコン(スーファミ)の新しいソフトや、ゲーセンでのストⅡの対戦に夢中だった。そういう80年代〜90年代の喧騒と、賑やかだったけれどもどこか湿った雰囲気を、江戸川台ルーペの小説は持っている。

そう、これは僕らの世代の小説なのだ。

彼は穏やかな中に激情をはらんでいるような、カラッとした陽気さを持ちながらどこか湿っているようなそういう文章を書く。シリアスな中に時々あらわれるユーモアも含めて、彼のアンビバレンスなその思いが文体となって現れている。

これは僕らの時代の小説なのだ。

僕らが経験したエンタメへのオマージュがところどころに散りばめられて、僕らはそれに共感しつつもこの不思議なそして狂気な物語の中に引き込まれる。

これは「大人の冒険小説」だ。
同世代の人にはもちろん、タグが気になった人はぜひ読んでもらいたい。

と、ここまで書いて、この小説に新しい章が加わっていたことに気づく。
続きの章となっているが、いわゆる“本編”のスピンオフの形になっている。
本編とは違った青春小説になっていて、本編はダークな部分が多いが、こちらは中学生のまっすぐな青春をリアルタイムで切り取ったような印象がある。

江戸川台ルーペの今の全力投球が感じられる小説。

小説好きな方はぜひご一読ください。
友人としてだけでなく、いちファンとしてオススメします。

投稿先によって書き方がかわるということを『その可能性はすでに考えた』で考える。

昨日のブログは、以前その映画(『恋はデ・ジャブ』)を観た直後に備忘録的に書いておいたものだが、そういう自分のすでに書いていたものを“発掘”する形で毎日ブログをこなしていこうかと思っている。

で、僕は一時期、読書してはその感想を書き留めておいたのだが、そのうちのいくつかを「ブクログ」というサイトで公開していた(というか現時点でも公開している)。
今日はその中から、ドラマ「探偵が早すぎる」を先日取り上げたので、同じ原作者 井上真偽の小説『その可能性はすでに考えた』の感想を転載してみる。

『その可能性はすでに考えた』2015年11月9日
事件の謎は「奇蹟」が起こしたことを証明するために、あらゆる全ての可能性を否定して事件を解決しようとする探偵、上笠 丞(うえおろじょう)。
裏社会の大物である(そして美女でもある)フーリンとともにひとつの事件が「奇蹟」によって起きたことを証明しようとします。
依頼された事件が、「カルト宗教団体の首切集団自殺」にまつわるという、猟奇的かつ特殊性の高い事件という点で、すでに荒唐無稽ではありますが、さらに、その事件のトリックの仮説をたてるライバルが次々と登場してきて、ミステリーというより「推理格闘小説」の様相を呈してきます。
このライバルたちが、またひとくせもふたくせもあり、お互い奥義を出し合うかのようなディベート合戦が繰り広げられます。
もともとの謎が突飛なこともあり、仮説もかなり暴論ですし(さらに小難しい点もあり)、反証も詭弁のような感じはしますが、読者がしらけない程度のレベルを保っていますし、合間に挿入される薀蓄の数々に、思わず読み進めてしまいます。
またダークかつハードボイルドな雰囲気の中で、アニメやゲームのキャラクターのような人物を登場させ、挿絵がないのにビジュアル的なかっこよさが感じられます。
とはいえ、普通に謎解きを楽しむ作品ではないし、トリックを想像する楽しみは少ないです。
ただ、その屁理屈にも似たディベート合戦と、後半にかけてたたみかける超展開は、他でなかなか味わえない愉快な物語でもあります。

うーん、なんだろう。
書いた内容はなんとなく覚えているし、確かに自分の文章っぽいんだけれど、このブログや備忘録で書いたものとはだいぶ違う感じで違和感がある(よそいき感と言ってもいい)。
その理由を考えてみると「ブクログ」って自分の読んだ本を人に紹介するのが目的のサイトだから、あらすじを書いたり、文体をですます調にしたりして、親しみやすく本を紹介しているから、だろうと思う。
これは「ブクログ」に書いている人たちがみんなそう、というわけではなく、自分が「本を人に紹介するときどう書くか」と考えた結果、こういう文体になったということだ。
どっちかいいかはわからないし、書きやすさ書きにくさもさほど変わらないが、単純に、投稿先によって文体が変わるのが自分のことながら面白いと思った。
それと同時に、自分の書いたものだから、そのままこのブログで使おうと思ったけれど、手を加えないとダメじゃん。とも。なかなか楽はできない。

そんなわけで過去文章をサルベージしつつも、自分の考える「ブログっぽい」文章でこれからも書いていこうと思う。
だんだんとこなれていけば良いのだけれどね。