焼肉屋での加藤シゲアキ線考

江戸川台ルーペと焼肉を食べた。

彼が書いた『新しい日』が「第6回カクヨムWeb小説コンテスト」の中間を通ったら、焼肉をおごる約束していたので、その約束を果たすためにだ。

それに加えて、3月に行ったTrySailのライブ「Double The Cape」の打ち上げでもあり、お互いに10篇の短編小説を書いて“皆勤”した「KAC2021」の打ち上げという意味合いもあった。

お祝いなので柏にある“牛角よりちょい良さげ”な焼肉屋で食べた。
超美味かったし、値段もお手頃だった(奢るといいつつ、ルーペさんにも少し出してもらった)。柏と船橋にしかない店のようだけど、また行きたい。

内容的に、先月のツイキャス「ザンクとルーペの読書感想文 『オルタネート』編」で言いたりなかったことを主に喋った。
「感想文」の中でルーペさんの言った「加藤シゲアキ線」というものが、この小説を語る上で芯を食っている表現のように思って、それをもっと拡げれば良かったね、という(僕のひとり)反省会のような感じになった。
ルーペさんに言わせっぱなしじゃなくて、キャス後半に自分も「加藤シゲアキ線」に言及していたので、そこは「よく拾えて偉い」と我ながら思っているけど。

僕がこの小説を「いい小説」と思いつつ、オススメ度「中」なのは、結局、青春時代にモテた人の視点で書かれていて、そこに属するキャラクターたちはキラキラしてリアリティを感じるのに、そうでない人物像がステレオタイプだったり、踏み込みきれてない感じがしたからなんだろう。

アメリカのハイスクールの「ジョックとナード」(ジョック=アメフト得意な人気者でチアガールをいつも侍らせている感じの学生、ナード=ガリ勉系オタク学生)で考えると、この小説は「ジョック視点」から書かれていて、僕のような「ナード視点」な学生だったものからすると、「ああジョックから見るとそういう感じだよね」という諦観みたいなものを感じるのだ。もちろん、これはイケてるイケてないだけではなくて、世代や学生時代の環境(僕は中・高と男子校だった)もあるんだろうけれどね。
ツイキャスの最後に「そっち側とこっち側」という言い方をしたけれど、あれは「加藤シゲアキ線」と「僕ら側の線」と言えばわかりやすかったかな、と思ったりする。
ちなみに日本はアメリカほど(もちろんそれはドラマや映画でみる「ステレオタイプ」でしかないけれど)わかりやすい構図ではないのは、おそらく日本の学生はジョックとナードの間の「中間層」がほとんどだからのようにも思う(ちなみに僕の青春時代は中間層よりのナード側だった)。

あと、最近、高野麻衣さんが書いた『マンガと音楽の甘い関係』という本を読んで、『オルタネート』は読み方が独特な登場人物の名前とか、意味や伏線というよりも「ロマンチック」だから登場させたような物事や固有名詞など、少女マンガと通じるところが多くある気がした。なので女性により響く小説なのかなと思ったりもしている。

でも、これは改めて『オルタネート』について考えるとそういう感想だということ。
「読書感想文」は僕とルーペさんの“ライブで生み出されるグルーヴ”に(少なくとも僕は)重きを置いているので(あとリアタイしてくれる方のコメントからの軌道修正も)、アレはアレで違った面白さがあると思っている(手前味噌だが)。

そんなツイキャス、今一度置いておきますので、まだの方はぜひお聴きください。

その他、Webで小説を読んでもらうことの難しさや、推しの尊さについて(「加藤シゲアキ線」から派生したせいか、特に夏川椎菜の「オタサーの姫」的魅力について)、飽くことなく語った。
考えてみればルーペさんと(呑んで)話すのは、昨年11月の「Agapanthus」ライブの打ち上げ以来。キャスの後に通話で話すことはあったけど、ちゃんと顔を合わせて語ることの大切さを実感したりする。

あとエヴァンゲリオンの『序』、『破』、『Q』を貸してくれた。
リアルタイムで同じ時間を歩んでこなかった僕は「ブーム」としての、あるいは「信仰」としての「エヴァンゲリオン」を感じることはできないので、同じ熱量を持つことは決してできないだろうけれど、それでも観ておくことにする。

まだまだ自分の見識が浅いことを認識する今日この頃。
気づいているうちに色々と吸収していこう。