タイムカプセル

昔、演劇をしていた時期がある。

といっても、メンバーは4人(最初は7人いたが色々あって最終的には4人になった)で、社会人サークル的な活動だった。
それでも僕は本気で脚本家になりたいと思っていたけれど、多分それはまだ若かった僕の“甘っちょろい本気”だったのだろうと今は思う。

文学フリマで出会った人たちに触発されて「俺も小説書きたーい」という、その“甘っちょろい本気”に似た“こどもっぽい憧れ”みたいなものが出てきたのだが、そういえば、昔、自分が書いた脚本だの、書かなかった物語(「小説」というよりは「物語」だ)のプロットだのを、実家から持ってきたんだよなー、と籠の中のファイル類を物色してみたら、自分の書いた脚本を見つけたのだ。

ちゃんと舞台にかけた、つまり演じてくれる人がいて(そのうちの一人は僕だ)、お客さんに観てもらったものが2作。
処分したと思っていたので、これがちゃんと残っていたのは嬉しかった。

そのうちの1つは、最初で最後の「本公演」で演じたもの。
「死刑囚たちが、減刑を求めて芝居をする」という大きな流れは覚えていたが、自分で書いたくせにセリフは全部忘れていた。
逆算すると、執筆したのは1997年のはずで、今から22年も前なわけだから、正直言えば「黒歴史」だし、「わー、俺の文章、拙い!恥ずかしいー!」となるのが普通だが、文章力自体は現在とさほど変わらず(そっちが問題だろう)、そういう恥ずかしさはない(ないのか!)。

むしろ、「これ、本当に俺が書いたの?」っていう感覚。

厳密に言えば、人間は日々細胞が生まれ変わるのだから、22年という歳月で「僕」というものはすっかり変わっているのだろう(ややオカルトっぽい話だが、高野ザンクは無宗教です)。
もっと単純に言えば、これを書いた時点から、それまでと同じ年数の人生を歩んできたのだから考え方が変わるのも当たり前。
この物語は、大学卒業したての自分が、その当時の世相や自分の状況を反映して作ったもの、だから、今の自分が“やや他人事”のように感じるのは当然なのかもしれない。

それにしても、だ。

書いたことを覚えている脚本はいい。
舞台にかけた2作もそうだし、他に映像作品用の喫茶店を舞台にしたものや、人数が揃っていればぜひやりたかった「プラットホームの待合室が舞台のもの」と、「売れないペンションが舞台のドタバタ」(基本的に舞台転換のないシチュエーションコメディばかり書いていた)も、書いたことは覚えていた(ただ、読み直していてオチをどうしたのだろう、と本気でわからなかった。そして最後まで読んで「俺っぽいなー」とも思った)。

でも、唯一、全く書いた覚えがない「バスケ部もの」が出てきたので驚いた。
読み終えた今でこそ、確かに自分が書いた気がするが、それは記憶のすり替えのような気もする(トータル・リコール)。

「1461days」と書いて「4years」と読ませるタイトルや(キザだね)、そう名付けた理由がオリンピックイヤーをモチーフにした話だったことはなんとなく思い出した。
でもバスケって。

僕はバスケにほぼ興味がないのだ(『SLAM DUNK』を最初のちょっとだけ読んだぐらい。しかもジャンプの連載時に)。
そんな僕がバスケ部を舞台にした話を書いているし、回想場面として、試合の再現も描いている。なんでバスケを選んだのかなーと色々考えてみると、メインキャラが男5人でスポーツもの、というとおのずと「バスケ」しか選択肢がなかったのだろう。舞台にすることを考えて「登場人物を7人に絞る」ということを一番に考えた結果なのだと思う。
計画的というのか、気を使っているというのか(それ以上にバスケファンに謝ろうね。ごめんなさい)。

江戸川台ルーペがカクヨムに進出した時に、自分も「小説書きたーい」となって(デジャブ)、小説のアイディアを考えて以来メモを書きはじめているのだけれど、なにかを公開するなら、発掘した脚本を小説に手直しして出すのが近道かなーとも思っている。

その理由のひとつはすでに一旦は書き上がっているからということ。
もうひとつは、20年以上前の自分のために、この物語をちゃんと公開してあげたいな、という、ある意味ひどく自己満足な理由だ。
それから、若い自分の文章は、人生について目論見の甘さを感じるものの(今も甘いけどな)、そのモチーフは、結局、今と変わっていないんだなと気づいたので、これを「今の自分」が出すのは、まあ自然な流れのように思える(さらに20年間寝かせてみる、という手もなくはないが)。
何かの思し召しに思えなくもない(繰り返しますが無宗教です)。

そういうわけで、まずは手書き原稿を、ワードに打ち直すことから始めてみる。

タイムカプセルを開けて良かったのか悪かったのか。
それがわかるのは、まだ先の話。