あの日から

少しずつ記憶は薄れていく。

2011年3月11日は職場にいた。ビルの8階は今ではパニック映画のワンシーンみたいに揺れた。一瞬、死を覚悟して叫びたくなったけれど、お客様の前であることをすぐに思い出して耐えた。

揺れがトラウマになって仕事を辞めた人もいた。
原発を恐れて東京から離れた人もいた。

あの時のどの決断が正しかったかは、いまだにわからないし、どの決断もその時に選んだベストだったのだろう。
幸い、僕はあの震災で親しい人と別れることもなく、今日まで生きてこられた。
その間、僕は誰かの役にたてただろうか。
その間、僕は誰かの力になれただろうか。
そして僕自身、きちんと生きてこれただろうか。

たいそうなことはしていないけれど、ただ、当たり前の日々は「当たり前ではない」ということだけは忘れずにいよう(厄介なことに時々忘れてしまうのだけれど)。
「それなり」に生きていく時間を少なくしよう。
どんなに細い記憶になったとしても、忘れないで、繋いでいくことだけはしていこう。
次に災害が起きた時に、あの日よりも力になれるように。