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見た目とエチケット

インフルエンザの猛威が身近にも侵食してきている。

だいたいどこの職場でもあると思うが、インフルエンザにかかった時のルール、というものがあって、本人の場合は数日間の出勤停止やら、家族がかかったらマスク着用、とかが僕の会社でも採用されている。
で、同じ職場の人がかかった場合に、マスクを着用するか否か、というのが接客業としてはとてもグレーで、ちょっと困惑している。

一昔前、まだインフルエンザというものがこれほど猛威を奮っていなかったころ、接客業の人間は風邪にかかっていようがなんだろうが「お客様の前でマスクしてはいけない」という決まりがあったように思う。店員がみんなマスクしていたら(この店はきっと何かの病原菌に侵されているに違いない)と思われて敬遠されてしまうからだろう。
確かにそれは「見た目」としては怖いと思う。ただ、逆に言えば、感染する病気にかかっている人もマスクをしていないわけで、健康面からみれば、その店は不誠実ということになる(病気の人を働かせるな、というのはちょっと置いておいて)。
体調は良いのだけれど、ウィルスは持っているかもしれないから、ということでマスクをしている店員がいたら、それはそれで誠実な人、という考え方もできる。
「健康だからマスクしないわけでもないし、不健康だからマスクをしているわけでもない」という命題を前にして、果たして接客業のとるべき道はどこにあるのだろうか。
かかっている恐れがあればするが、予防のためのマスクはしなくていいだろう、というのが落とし所のような気もするが、そもそもマスクの予防効果ってそんなにすごいのだろうか、という根本に疑問がでてきてしまう。

そこでひらめいたんだけれど、「いきなり!ステーキ」で店員さんがしている、あの透明なマスク。接客業の人はあれを採用してはどうだろうか。
いや、あれはウィルスは防止してくれない、ということなら、マスク会社(ってあるの?)は、ああいう透明でウィルスを防止してくれるマスクを開発するべき。そこにビッグビジネスの種があるはずだ。

※数年後、本当に主流になってたら褒めてください。

スーパーマリオオデッセイプレイ記録 中盤編

ちまちまと進めてきて、ようやく終盤にさしかかかった模様。まあボスの本拠地に乗り込んだからそう思っているので、本当はまだまだ先が長いのかもしれない。

ここまで進めてきて、つくづく「スーパーマリオ」というゲームはジャンプアクションゲームなんだな、と思う。敵の能力をモーフィングできる今作でも、攻略の要になるのはBボタンを使ったジャンプ。そのあたりが徹底しているというか、すんなり遊び込める要因のようにも思う。

実際は、もっと各ステージでやりこみ要素はあるのだけれど、とりあえず先のステージにすすめるようになったらどんどん先に進んでいて、まずは一回クリアしてみようと思っている(ゼルダもやりたいし、ね)。

多分、今は最後のステージにたどり着いた。クリアしてからまた感想を述べたいと思います。

休日前の飲酒について

4日ほどアルコールを飲まないでいた。

そのかわりノンアルコールビールで紛らわせていたのだけど、けっこう紛れるものだなーと思いつつ、今日、ビール解禁したら、やっぱりビール美味しいですね。
飲んだのはプレミアムモルツなんだけど、なんだろう、この味をノンアルコールでは出せないんだろうか。あるいは、やっぱりアルコールが入っているから「美味しい」と思うのだろうか。“旨味”のモトが、麦芽かアルコールか、どちらにあるか探りたくなる。
とかいいながら、ビール以外でも酒類が好きだから、アルコールに騙されているんだと思うが。

なぜしばらく(といっても4日ですが)酒を断っていたかというと、飲んじゃうとやっぱり何をやるにもかったるくなる気がするから。せっかく自由な夜の時間を酔っ払って過ごしたらもったいない気がしてきたのだ。
それでも今夜飲んだのは、明日が休みなので飲みながらマリオやって、それでいいや、という、休み前のダラダラもまた良しと思ったからだ。

結論としては、酒はたまに(そしてできれば誰かと一緒に)飲むのがいい、ということだけど、結局明日も飲んでしまいそうな予感。

なにごともほどほどがいいよ、ほどほどが(おっさんっぽい感想)。

親和性

雑誌って美容院で読むためにあるんじゃないかと思う。

昔から床屋も美容院も、つまり髪を切る場所が苦手だ。その理由は、店員さんと会話をするのが苦手ということに尽きる。さらに言えば「仕事なんですか?」とか「今日は何してたんですか?」とか、初対面にもかかわらず、結構プライバシーに踏み込まれるのが嫌なのだ(たいてい噛み合わないし)。
僕はあなたと楽しくおしゃべりしにきたのではないよ、髪を切ってもらいたいのだよ、と思ってしまう。かといって、黙ってるのも手持ち無沙汰でそれはそれで居心地が悪いんだけど。
散髪中に雑誌を読む、という行為もまた苦手だったのだけれど、最近お世話になっている美容院では、グッズ情報誌と「Number」を出してくれるので、それを読むようにしている(ちなみに店員さんも仕事が丁寧で気に入っている)。

グッズ情報誌を買うかと言われたら、まず買わないが、散髪中は読んでしまう。そして紹介されたものは買ったり、試したりしてしまうんだよな。
ワイヤレスヘッドホンも、Bluetoothスピーカーも、そこで読んだ雑誌のランキングが高いものを買った。紹介されてた飲食店にも行った。
なぜか、散髪されながら読むと印象に残る気がするのは僕だけなのか。

買った雑誌も、家で読むと途端に興味が薄れたりして、中身の半分も読まずに処分してしまうので、より、美容院での雑誌のパフォーマンスが際立つ。
でも考えてみたら、そもそも雑誌って、そうやってパラパラと短時間で読むものなのかもしれない。その瞬発性が散髪時間というものにジャストフィットしているのではなかろうか。

難しく言ってみたけれど、つまり美容院で雑誌読むと良い時間つぶしになります、という話です。

拡散から集中へ

最近どうも調子がよくない。
原因はいくつかあって、そのうちのひとつは「やるべきことに集中できてない」ということ。そして、その理由の中でも大きいのは、所有している本が多すぎることだ。

4年前の夏。
僕は本当にヘタレていて、そんなヘタレが原因で、打ちのめされるような出来事があった。(このままじゃずっと俺、惜しい人だ・・・)という悩みに嵌ってしまったのだ。
それを打破しようと考えついたのが「とにかくやたら本を読もう」ということだった(デカいブックオフを近所に見つけたのもそう考えたひとつ)。
本を読むことは比較的好きで、本屋でバイトした経験もあるから読書自体に抵抗はなかったけれど、今までなんとなく恥ずかしくて敬遠していた自己啓発本やビジネス書を中心に、とにかく気になったものを手当たり次第読んでみた。その結果、真面目な仕事術の本からマユツバ気味のスピリチュアル本も含め、最初の1年で150冊は読破した。
その後もペースは落ちているが、ブックオフに行っては実用書を物色するのが趣味と言っていいくらいになっている。
そんなことをしていたら、読むペースよりも買うペースがあきらかに早くなってしまい、積ん読ばかり。引っ越して2年に満たない6畳ワンルームの自宅だけでも50冊以上の本がある。

この読書習慣、そしてそこから得た知識は僕の糧になったし、おかげでだいぶヘタレ状態からは脱出できたと思っている。反面、あまりに色々な種類の本を読んだせいか、やるべきことが決められずにどれもこれも中途半端になってきてしまった感もある。つまり、自分のしたいこと、やりたいと思うことに集中できずに、気持ちが散漫になってしまっているということ。

本を読み始めたときは、とにかく手当たり次第の知識が欲しかったので良かった。でも自分のやりたいこと、人生の道筋がだいたい見えてきた今は、もう広く浅い知識ではなく、集中した深い知識を得る段階に入ったのだと思う。

そんなわけで、何度かブログでも本を処分したことを書いたが、今度ばかりは「自分の進む道とは関係ない」本は惜しくても処分することにした。興味があったから買ったわけだし、捨てる前にちょっとページをめくると「これは読んどいたほうがいいな」とかいう思いがちらつくけれど、思い切って処分する用の箱に入れている(だいたい経済関係の本が多いです。苦手意識のあらわれ)。

あと、ひとりぐらしを始めた時の夢である「友達を呼んで鍋パーティー」という(リア充)イベントができてないのも、本の量が多いせいだと思っているので、なんとか今冬にイベント発生フラグがたてられるように処分&掃除をやり抜くと心に決めた。
リア充になるためには、ここが集中のしどころなのだ。

友達をどう集めるかはその後考える。

マイナス気温

寒いとやる気がでなくなる。
ということを言い訳にして、ダラダラとしてしまう休日。本をちょこちょこと読みながら、片付けをしたりする。

暖かくなってほしいけれど、これから2月にかけてぐんぐん寒くなるんだよなー。なんて思ってたら、今の時点で-2℃で明日は-6℃になるらしい。晴れるようだから雪になってしまうよりは、マシなのかもしれない。でも寒い。去年の今頃ってこんなに寒かったっけ?覚えていない自分もちょっと怖い。

とにかく風邪をひかないよう、乗り切らねばと思ってます。

なってみてわかること

仕事が遅番だったので、夕食を買いにいつものコンビニに行くと、なんと惣菜&菓子パンがひとつもない!しかもいつもはかなりの量が置いてある弁当、麺類の棚も全て空っぽ。張り紙に「大雪の影響で納品がない」と書いてあり、なるほど日頃はいかに物流がしっかりしているのかと、今さらながら思った。
カップ麺で済まそうかと思ったが、味気ないので近所の松屋へ。ここでも「一部商品が提供できない」との張り紙。それでもさすがにメインの牛丼はあるだろうと券売機をタッチしたら、牛丼類全滅。ここで軽く戦慄みたいのが走る(そして、311の日の夜を思いだす)。諦めて、ラーメン屋に入ったら、こちらはなんとかメニューが揃っていた。

当たり前だけれど、僕が普段意識しているのは小さい“世の中”であって、実はそのほかにも意識しない“世の中”があって、つながっているのだ。己の想像力の欠如に自嘲気味になったりした。

いつもの当たり前の風景は、ほんの少しのことで当たり前ではなくなってしまう。いや、結構な大雪だった。でも、身の回りで大きな事故もない(それも見えてないだけかもしれないが)のに、コンビニや牛丼屋からモノが消えるのだ。
当たり前をやるのも、どこかの誰かが頑張って、それがつながってできているのだ。なら僕も頑張るしかないじゃないか。

そう思わせられた雪の日の夜。

そして雪が降る

思ったより積もりましたね、都心。

帰りに電車に乗るのに、入場規制の列がすごくて唖然くらったけれど、別の改札からすんなり入れて、帰宅まで思ったよりは時間がかからなかった(ノロノロ運転ではあったけどね)。こういうのも、まあひとつの盲点だったりする。「あっちの改札が空いてます!」と言ってしまうと、収集がつかなくなってしまうのだろうけれど、動いたほうがいいこともある、ということを学んだ。
多くの企業が一斉に、早期帰宅指令を出したようだが、サービス業で営業もしているのに、そりゃあないよー、と思ったりもする。言うは易し、行うは難し。現場を放って帰るわけにもいかないし、ね。その辺、納得いかない思いもあるし、それが入場規制に至る混雑を生み出した一因のような気もして、こういう時、なんかもっと上手い方法あるんじゃないかと感じる。
安全に運行している鉄道会社に敬意を感じたりもした。

それにしても予想以上に積もっていて、一番積もっていたのが自宅マンション(アパート)の入り口で、足跡が一つしかなくて、「一体どういうところに俺は住んでいるのだ」と(別の意味での)若干の不安を感じた。でも無事に帰れただけ良いのかもしれない。

明日は晴れるようだけれど、凍った地面には要注意だな。
みなさんご注意くださいませ。

降雪前夜

東京でも雪の予報がでている。
iPhoneの天気アプリでも、明日の13時からの雪確率が100%になっていて、こりゃあもう間違いなく振りますね、と覚悟を決める。日が落ちてからの気温の低下も肌で感じられる。
湿度があがることはウィルス対策としては悪いことではないけれど、交通機関が乱れるほどの雪では困ってしまう。こどもの時のように、はしゃぐだけではすまないくらいには大人になってしまった。それを寂しいと思う余裕もなく、ただ、積雪量があまりひどくないことを願うだけだ。

果たして明日はどうなっているのか。

セレンディピティ

昨日、友人のフェイスブックの写真が「ラクサを食べてる写真」だと聞いて、今まで一度も聞いたことのなかった「ラクサ」という言葉、そしてモノを知った(シンガポールのローカルラーメンだそうです)。

そうしたら、今日、食堂のメニューに「ラクサ風ラーメン」という日替わりメニューがあってびっくりした。いわゆるタイ風の辛いラーメンがあまり得意ではないので一瞬迷ったけれど、こういうセレンディピティには積極的に関わるようにしているので、結局食べた(ラクサ“風”だったせいかさほど辛くなく美味しく食べました)。

セレンディピティとは、幸運な偶然という意味だけど、僕はこういう、知ったばかりのことや気にしていたことが、別のところで起こった場合に意識している。きっと「何か」あるんだろう、と思っているのだ。自然と収まるところに収まりそうな予感がする。その感覚を大切にしたい。