アイルビーバック

色々あって古巣の職場に復帰。

でも立場が変わったのと、もう“出来上がっている”場所に戻ったので「絶対にこれをやらなければならない」ということがまだ定まらず。
これから少しづつ自分でやること見つけないといけないと思う。それはそれで難しいことだけれど、やりがいがあるとも言える。

今後は自分の好きなようにやろう、とも思っているので、まずは自分のデスクまわりに個性を出してみた。写真立てを買ってきて好きな作家さんの絵(ポストカード)を飾ってみたり、マイ文房具を揃えたり、飴ちゃんを用意したり。
そんなことをしながら、まだ前に置いてきた仕事などをしていたらあっという間に一日が過ぎた。そして想像以上に疲れた(多分気疲れ)。

古巣復帰を喜んでくれる人が想像よりも多くて嬉しかったりもする。
あとは期待に応えられるように頑張っていこう。

『ピクセル』

『ピクロジパズル』ですが、コレクション率59.2%まで来ました。

難易度が「星4つ」というものになってきましたが、今のところノーヒントで、また勘に頼るのではなくきちんとロジックで解けているので楽しいです。
風呂場のタイルを塗りつぶしたくなるくらいに頭から離れなくなってきていて、ほとんど小学生の時にファミコンばっかやってたみたいな状況になっております。
前にも書いたけど、ドット絵とイラストロジックの相性はとても良いのだ。

さて、そんなわけで映画『ピクセル』を観た。
これもまあ、3Dドット絵みたいな形で描かれた宇宙人と、元天才ゲーマーがゲーム対決するというSFアクションコメディです(無理矢理なつなげ方)。

もちろんゲーム好きが作った映画なんだろうし、ところどころに小ネタが入るけれど、ゲームという対象に対する愛は『シュガー・ラッシュ』ほどではないなあという感想。その小ネタみたいなものがゲームファンにとっては面白いんだけれも、そもそもこれってゲームをネタにしながら「ゲームファン向けか」と言われるとそうでもないように感じた。
ナード(オタク)な主人公たちが、優秀な軍人たちを差し置いて世界(どころか地球の)平和を守る、という図式は痛快だけれど他の映画にも見られるし、そのオタクの愛の対象がこの映画では「ゲーム」という設定。
ただ、アダム・サンドラー主演という、アメリカとしては普通にA級ハリウッド娯楽作品かもしれないけど、日本ではB級コメディとしてビデオスルーで扱われてしまいそうな作品なのに、普通に劇場公開されたのは、やはり日本生まれのゲームを題材にしているからだろう(それにしてもアメリカのアダム・サンドラー好き、ウィル・フィレル好きは理解できないんだよなー。ベン・スティラーの魅力はなんとなくわかってきた)。CGのレベルも高いし、お金かかってる感じはするけれど、どことなくマイナーな雰囲気なのは、いわゆる日本にやってくる「大作」よりは少し格が落ちるからだと思う。

宇宙人が「ギャラガ」で攻めてきて、「アルカノイド」で追撃されるのはわかるけど、その次の攻め方(最初の対決)が「センチピード」という日本人では決して流行ったと言えないゲームなあたりが、アメリカで人気のあったビデオゲームなのかな、と文化の違いを考えると面白い。「パックマン」や「ドンキーコング」がきちんと対決に入っているのは良いですな。
そして想像した通り、絶対にQバートが出る!
アメリカ人はゲームといったら「Qバート」なんだろうか。

話としては面白かったし、思い返すと、その「面白かった」にはゲームネタが面白かった、というのも多分に含んでいる。オープニングの自転車で疾走するシーンなんかはもう「ペーパーボーイ」のオマージュだろうと想像したり(後半、敵で出てくるしね)、“あの犬”が登場したり、そういう小ネタを探しながら見るとより面白い。
そうじゃなくても、元のゲームのルールさえ知っていれば(知らない人のために劇中でなんとなく説明しながらやっている)、単純明快で楽しめる健全なファミリー娯楽映画。
軽ーい感じで楽しい気分になりたい時に観るのがオススメ(レンタルDVDでね)。

区切り

この1年、本当に色々あった。

人生において、もっとも「ダメだー」と思った日もあった。
周りの人には大変ご迷惑をおかけしました。
そんな日々が、今日、ひと区切りついた。

こういうことは、なかなか簡単には終わらないようになっていて(それはそれで人生ってドラマチックだなーと思うが)、ラスト3日で想定外のトラブルが立て続けに発生したりもした。でも、それもなんとかこなして、今日という日を終えた。

そして僕はひとつ役割を終えた。

明日一日休んで、明後日からは新しい役割を持つことになる。
それをやりきる自信はまだないけれど、やろうと思う気持ちはある。
非常に抽象的で、僕にしかわからないブログだけれど、毎日更新しているのだ。たまには備忘録的なものがあってもいいだろう(ほぼ備忘録のような気もするが)。

これからは幾分、好きなように、大胆にやろうと思っている。
そういうのがこのブログでも出てくれば、まあ、この1年も意義があったと思えるだろう。

そんなわけで、今後とも、このブログをよろしくお願いいたします。
当面はゲームばっかりやってるんでやっつけ更新になりそうだけどね(結局それかよ)。

ダラゲー

巡り合わせが良くない日もある。

今日はわりとそういう日だった。
今週は休みの日も仕事をしてしまった(せざるを得なかった)ので、結局疲れが溜まっている、ということなんだろうけれど、帰りに人身事故で電車が止まり、50分くらい電車の中で足止めを食ったので、さらに疲労困憊。

あと10分早い電車だったら問題なかったのに、という感じ。
池袋でレイドバトルしなければよかった(それはやるんだ)。
まあミュウツーだったしね(ゲットもできた)。

止まった電車の中では『ピクロジパズル』やって暇をつぶした(だんだんステマみたいになってきたな)。

なんだかんだでゲームに振り回されている気もする。
でも、好きだからいいか。

今はそういう時期なのかもしれない(自己弁護)。

リスキー

ブログ更新の時間がだんだんと遅くなってきた。

余裕をもって書いていればいいのだが、いざとなるとなかなか書けないものだ。ピクロジもあるし(ハマりすぎ)。

今日も22時頃に更新しようと思っていたのに、「リーガルV」を見てしまったり、『ピクロジ』をやったり(くどい)と、気づいたら23時をまわっていた。
そして、この緊急避難的なやっつけブログになるわけだが、ここで一瞬ヒヤリとすることが。

このブログはレンタルサーバーを借りてwordpressで作っているのだけれど、「サーバーが見つかりません」と表示されて、一瞬つながらなかったのだ。
とはいえ、もう一度ログインして入れたので事なきを得た。
だけど、こうやってギリギリの更新をしていると、サーバーの都合で毎日更新が途切れてしまう可能性もあるのだ。これはひとつ覚えておかなきゃいけない。

でも、リスクヘッジの方法はとくに思いつかないんだけどね。
少なくとも、できるだけ23時前には更新をかけるようにしよう。

さあ、明日はどうでしょうか?

イラストロジック中毒

iPhoneのアプリで『ピクロジパズル』というのが配信された。

ゲームメーカーのコナミが作っていて、往年のコナミのゲームキャラの(ハドソンを買収しているのでハドソンのキャラも)イラストロジックだ。

アプリで出ているイラストロジックは当たり外れが多いので、基本スルーしていたのだけれど、コナミ&ハドソンのキャラが出てくるというので、早速ダウンロードした。
イラストロジック自体が好きだけれど、出てくる絵柄が「花」とか「しんかいぎょ」とかばかりだと、テンションが上がらない。でも、自分の知ってるゲームキャラが出てくるだけで楽しみが何倍にもなる。

先日、Switchの『ピクロスS2』をクリアしたけれど、これがそういうモチーフばかりで、ちょっとがっかりしていたのだ(だって同じメーカーが出した「ピクロスDS」は任天堂キャラが出るのがあって、それが楽しかったのだ。今回それが全くないなんて!)。

で、この『ピクロジパズル』。ものすごく面白い。
いや、スマホの小さい画面なので操作性は悪い。違うマスを塗りつぶしてしまってイライラすることも多い。
でもクリアして出てくる絵柄がおなじみのキャラというだけなのに、それがすごく楽しい。さらに絵柄はコレクションされるので、集めたくなる心理を見事に突かれている。難易度も今のところクリアできるレベル。
コンプまでの達成度が出ているのだけれど、2日で23.4%まで来た。

イラストロジック好きならわかるだろうけど「あと1問だけ!」を何度も繰り返し、気がつくと2時間近くやってしまっていた。とてもマズイ。
あと、BGMが『ツインビー』だの『グラディウス』だのでそれもまた中毒性を高めてしまっている。
レトロゲームファン&イラストロジックファンホイホイに見事に嵌ってしまった構図。
もとがドット絵だからかキャラクターの再現度も高い。そういう点でも、レトロゲームとイラストロジックの相性はとてもいいのだ。

まあ、このペースで行けば1週間くらいでコンプリートできるはずなので、ひとまず終わらせてしまおうと思う(皮算用)。

『キャビン』

ホラー映画とパニック映画は嫌い(怖い)から見ないのだけれど、“新感覚”ホラーという触れ込みと、脚本が『アベンジャーズ』のジョス・ウィードンだったので『キャビン』を観た。

とはいえ、怖いので昼に見るという作戦をとった。それでも、目を背けてしまうシーンがあったので、まあ成功だったと思います。

公開時はいわゆる、
パーリー系の若者が田舎の別荘でウェイウェイ言わせてたら化物に襲われる・・・という典型的なB級ホラー映画と思いきや、予想を裏切る展開の連続!
という紹介をされていたように思うけれど、作品の中では、それを秘密にしているわけではなくて、裏があるということは初っ端から提示されている。
その辺りも“新感覚”なのかもしれない(改めて予告編見るとその辺明らかになってましたね)。

で、ホラー映画好きな人には、そういう意味で面白いわけではないんじゃないかなーと思う。
ホラー映画のパロディというかオマージュを入れているけれど、その後ろに大きな「何か」があるとわかって見てしまうので、化物が持つはずの「呪い」とか「恨み」みたいなものを観客は共有できない。終わりに向けて滅茶苦茶になる展開は笑えるけれど、これを「ホラー映画」というくくりにしたらホラー映画ファンに怒られそうな気がする。
「B級感」という意味では、確かにそうだけどね。

大きな目的の前では、人間の感覚は麻痺してしまうというか、その麻痺を取るための手段が酔って騒ぐことみたいなことが一番のホラーなのだな、とまさかの現代社会への批判がテーマだったりして、ジャンルフリーな映画ではあった。
観終わって神妙な気分になるとは思わなかった。

面白かったかというと微妙だけれど、気になっていたので観て良かった映画。
こういう切り口の娯楽作(でいいんだよね?)もアリと思ってみると楽しい。

『ラブ・アゲイン』

『ゲット スマート』を観て以来、大好きな俳優であるスティーヴ・カレルが主演のラブコメディ。

『ラ・ラ・ランド』コンビの(っていう言い方は失礼だが)、ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンが出ていて、二人共演映画の特集のひとつとしてケーブルテレビで放送したのを観た。

話自体は、離婚の危機を迎えた夫婦を中心とした片思いというか、一方のベクトルが強い恋愛模様を描いたもの。
イケメンナンパ師のライアン・ゴズリングに、真面目一辺倒だったスティーヴ・カレルが弟子入りして男を磨くのだが、その描かれ方はサラッとしていて(でもマジックテープの財布がダサい扱いなのはアメリカも同じだとわかった)、メインは結局、それぞれの一途な思いだったりする。

エマ・ストーンは『ラ・ラ・ランド』のときよりまだ垢抜けてないが、この後立て続けに有名作に出る片鱗を見せつける。
単純にいえば可愛い。チャーミングという言葉はこの時のエマ・ストーンのためにあるんじゃないかと思うほど。
特にボーイフレンドにキレた後、ライアン・ゴズリングと会話するシーンはとても可愛い。惚れる。この二人のシーンはとても愛らしい。
この男二人のそれぞれの恋愛が並行して描かれていたかと思いきや、そこが交錯する意外な展開を見せ、最後まで楽しめる。

恋愛って客観的に見ると、すごくバカだなーと思うのだけれど、それが愛おしく感じるのも確かなのだ(原題の『Crazy,Stupid,Love』は、なるほどこの映画の内容を正しく伝えている)。

自分もこの映画のスティーヴ・カレルに負けず劣らず恋愛不器用ではあるけれど、人を好きになるって素敵だなーと思える作品。

『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』

雑誌の映画評で見て、劇場で観たいと思いつつ、行けなかった映画。

主人公は40代ぐらいの中年男で、犯罪組織の末端としてその日暮らしをしている。
主人公の日々の生活はタバコを片手にヨーグルト(多分ダノン。4つ小分けのパックになってるやつ)を食べながら(この姿がなぜかサマになっている)アダルトDVDを見るだけ、というところに、人生に何も目的がない様子が見てとれ、なんとも悲哀を感じさせる。

この男が、隣人の仕事仲間と一緒に仕事(といってもチンピラ的な汚れ仕事)をしていたら、ハプニングが起こり仲間が目の前で殺され、自分も死んだはずが手に入れていた力のおかげで生き残ってしまう。その罪悪感からか、殺された仲間の娘を失敗した仕事の依頼人たちから助けることになる。この娘は精神が壊れて「鋼鉄ジーグ」の世界に逃避してしまっているのだが、そんな彼女を匿いながら、この依頼人たちと戦うことになる。

スーパーパワーを手に入れるのが放射性物質を全身に浴びたから、と、その前提はよくあるものなのに、マーベルコミックやDCコミックのような話ではない。ただ、現実にスーパーパワーを手に入れた人が本当にいたとしたら、こういうふうになるんじゃないかというリアリティがある。なにせ、パワーに気づいた後に大金を手に入れた主人公がやったことは、ヨーグルトを大量買いしてDVDを大型プロジェクターでみることなのだ。質的変化ではなく量的変化しかできないところにもまたリアリティを感じる。

この主人公が初めはヒロインに巻き込まれつつ(というかその色っぽさにのめり込みつつ)、やがて彼女のことを本当に愛おしく思うようになり、彼女の求める「鋼鉄ジーグ」になろうとする過程の描き方が良い。引き込まれる。
この子がすごい美人じゃないんだけどエロ可愛くて、どちらかと言えばブス可愛い。「子」とか書いてるけど、20代前半ぐらいの設定だと思う(でも演じてる人調べたらこの時すでに30歳だった。女優!)。

生きる意味もなく、ただ漫然と人生を送っていた男が、彼女と出会い(そして愛し)生きる意味を見つけた後の展開は、胸熱で感動的だし応援したくなる。

また、敵役(これまたマフィアの大ボスではなく、その世界では認められていない小物なのが悲哀を感じさせる)がとにかくクズすぎて、心底イライラする。憎まれっ子世に憚るの文字通り、いつまでもしつこいところもいい。この配置がとてもおもしろい。

そして伏線をきちんと回収する良い脚本も隙がない。僕はイタリア映画をそんなに見ていないので、これがイタリア映画っぽい、とかはわからない。でも、ヨーロッパ映画らしいジメッとした空気が漂うし、サンタンジェロ城のそばを疾走する映像は美しい。人生を考えさせられる映画。とても好きなタイプの映画だった。

エンドロールが終わった後も、彼は人々の平和のために戦い続けるのだろう。

僕とMacbook

Macbookを愛用している。

愛用している、といっても、実家にデスクトップPCを置いてきたので、ひとり暮らしをしてからはMacbookをさわる機会が多くなって、メインPCになっただけではある。
iPhoneを買ってから、なんとなく「mac」に憧れて(というかノマドで働くならmacだよね、という形から入って)衝動買いしたものだが、なんだかんだ、今とても役立っている(一番驚くのは、マウスなしでも全然構わないようになったことだ!)。

僕のMacbook Airは「Early 2015」というバージョンなのでかれこれ3年使っていることになる。ひとり暮らしをする半年ぐらい前に買ったような覚えがある。
iPadもiPhoneもいいけれど、文字を打つ、というか、長い文章を打つのは結局、ちゃんとしたキーボードのほうが捗るのだ。今ではすっかりブログのためだけにあるようなものだ。

さて、なんでダラダラと自分のMac歴を書いているかというと、今、ブログを書こうとMacの蓋をあけたら、昨日の夜からスリープ状態だったことに気づいたからだ。そういうの始めてだったので、ついついMacbookについて書きたくなった。
バッテリーが12%になっていて若干慌てた。
完全にバッテリー切れで立ち上がらなかったら、きっと原因がわからずパニクってただろう。

なんか電子機器に弱くなってきた気もする。
歳をとると一律でそうなるものなのだろうか。ちょっとだけ不安になってきた。

ガジェットについて少し真剣に勉強してみよう。