きちゃう

イニエスタがヴィッセル神戸加入って、すごい時代になった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180524-00000015-goal-socc

世界中の現役選手の中で一番好きなプレイヤーが日本でプレイするのだから、必ず観に行かないといけない。予定をたてよう。

イニエスタのどこが好きか、というと、チャンスメイカーにもフィニッシャーにもなれるところと、やっぱりヌメるようなドリブルだろう。そのプレイを生で見たい。

ちなみに歴代の選手も入れると一番好きな選手はロベルト・バッジョ。
結局、速くてテクニックのある選手が好きなのだ。

フェルナンド・トーレスも鳥栖に来る(なぜ鳥栖?と思ったけど)という報道もあったが(結局アメリカに行くようだ)、かつてのJリーグバブルの時の「一昔前の大物」ではなくて、ピークは過ぎたとはいえ現役のワールドクラスが移籍してくるのは、日本にもサッカーが根づいた証拠なのかもしれない(ここ数年まともにサッカーを観ていない僕には断言はできないが)。

楽天は「パンダフル」しか好きじゃないが、今回については良い仕事しました。
お金って大事だ(それ結論?)。

ニュー祈願パラダイス

5月はどうも上手くいっていない。

4月もイマイチだったような気がするけれど、GWはボーッとしているうちに終わってしまったし、その後もうまく自分のペースをつかめないでいる。

そんな時、ふと部屋の一角にある御札に目が止まった。

僕はここ4年ほど、いつも初詣に行く大宮の氷川神社でご祈願をしてもらっている。厄年の間だけはお賽銭だけでなく、強めのご祈願(お祓い)をしていただいたほうが良いと思っていたからだ。
で、早生まれのため厄年が始まるのが数えなのか満年齢なのかがわからず、一番最初に行った時にまだ前厄ではなかったため「災難除け」になり、そこから去年後厄が終わるまでの4年間、ご祈願していたのだ。
もう厄年は過ぎたので、今年はもういいかなーと思っていたのだが、「余裕があればしてもらっておいたほうが良いかもな」という気持ちと、今月感じていた良くない流れをどうにかしたい思いが重なり、ご祈願に行ってきた。

4年間はひとりで行っていたのだが、今年は母と出かける用事が重なったので、母と一緒に行くことに。僕は自分の災難除け、母は家内安全をお願いする。

僕は神様に対しては「良いことは自分でなんとか切り開いていくので、悪いことから守ってください」というスタンスでいる。
ラッキーなのも嬉しいけれど、良いことは「自分でやった」感が欲しいし、そこまで神様に頼るのは贅沢な気がするからだ。でも、理不尽なことや、なるべく嫌なことからは守ってほしい(それもまあ十分贅沢だけれど)。
なので、厄除けや災難除けはまさに神頼みをしておきたいと思う。

いつもは僕の他に4〜5組のご祈願をする人や団体がいるのだが、今年は、僕と母の二人だけ。神様へのお願いをウチだけで独占してしまい、ありがたいような恐れ多いような気持ちになる。
そのせいか神主さんの祈祷も良く響いたし、言葉も良く聞こえた。
「オオカミがうんぬん…」という言葉が聞こえたので、「ああ、この神社の守り神は狼なのか」と、狼の群れが僕の周りに現れて災難に向かって吠えて守ってくれている絵面が頭に浮かんだのだが、後々考えたら「大神」だと気づき、複雑な気分になった。
まあ、名作ゲーム『大神』が好きだから、その主人公アマテラスを想像したと思えばそれもまた良しだ(あれは犬だけれど)。

ご祈願を済ませて、少しだけど運気が持ち直した気もするので、5月後半から頑張っていきたい。

ノスタルジック通り

昨日の送別会が行われた会場のある通りは、僕が中学、高校時代によく通ったゲームセンターのある通りだった。通りを挟んで大小2件のゲーセンがあったが、今はもうどちらもない。

まだ、対戦格闘ゲームが流行る前だったので、友人と繰り出しては、思い思い好きなゲームに興じていた。

そのゲームセンターには、高校1年の時によく行っていたはずだ(なぜならば一緒に行ってたのが高1のクラスメートだと覚えているから)。

大きい店のほうに行くのが主流で、プレイした覚えがあるのは、「ハードパンチャー」、「パロディウスだ!」、「マーベルランド」、「エイリアンストーム」とか。プレイはしなかったけど、向かいの小さなゲーセンに「ピストル大名の冒険」と、「ウイニングラン」が入っていたのをよく覚えている。

あと、造作の甘い動物のぬいぐるみが景品だった頃のUFOキャッチャーも結構やった。今よりも設定が甘くて取りやすかったのだ。

大きいゲーセンはコンビニになり、小さいほうは居酒屋になっている。

それでも、その通りに行くと、あの時の無邪気さと若さが蘇ってくるのは不思議だ。

おっさんになっただけかもしれない。

個性的な送別会

時期的に珍しいが、会社で退職される方がいて、その人の送別会だった。

定年退職に近い感じなので、湿っぽい感じではなく「卒業します」的なノリだったんだけれど、送られる人の要望がたくさん盛り込まれていて個性的な楽しい会だった。

僕の世代は「好きなように生きる」ということができなかった世代だ。
バブルの頃はまだ学生だったし、社会人になる直前に超氷河期となったので、大人になって(つまりひとりだちして)から、イケイケドンドンなことをしたことがない。
いや、僕の世代でもそういう人はいないわけではなかろうが、それは広告代理店だのテレビ局など華やかな企業に就職した一握りの人たちだと思う。
あの界隈はけっこう長いことバブルを引きずることができていた。

今回、送られた人は世代的に言って、資本主義経済の、というか日本の高度経済成長の良い時代を体感した人なはずだ。
日本自体が浮かれに浮かれて、消費することが正しい、みたいな時代も経験してきただろう。
それを羨ましいとかは思わないのだけれど、じゃあ、僕があと20年たって、いったい何を“経験”として個性をだせばいいのだろう、と真剣に考える。
もっと言えば、僕の世代では「世代」で語れる「個性」なんてないはずなのだ。

だから、自分は、自分である、という個性を、自分で主張していかなければいけない。今はそういうシビアな時代なのだと思う。逆に言えばひとりひとりが個性をだせる、大きなチャンスの時代なのかもしれない。

自分が何者で、何が好きで、何ができるのか。

まずはそれを主張するべきだろうと、送られる人を見て、そう思った。
あるいは、ただ酔っ払ってるからかもしれない。

ディレクション

毎日ブログを書くという行為はいったいどういうことなんだろうか。

他の人の事情はわからないが、僕の場合は誰かに脅されているわけでもないし(「毎日ブログを更新しないと髪の毛を一本ずつ抜いていくぞ」とか)、1年書き続けたら賞金がもらえる賭けをしているわけでもない。
知り合いの「芸事」で生きている人が毎日ブログを更新しているけれど、そういう「販促活動」みたいなものでもない。

ただ、なんとなく、だ。

ただ、なんとなく、をかれこれ5ヵ月続けている(と、振り返ってみて、ずいぶん続けてきちゃったな、おい。と自分にツッコミを入れてます)。

それなりにネタを探して書いているつもりだが、毎日となると、どうにもこうにもネタがない時期がある。
以前ブログを1年毎日更新した時も、やっぱりネタがなくて、

疲れた。明日頑張る。

みたいなので終えた日もあった気がする。

包み隠さずなんでも書いてしまえばいいのかもしれないけれど、日記と違うから、あまりにもパーソナルなことは書かない(パーソナルなこと全開なときもあるけど、それでもひとに見せる体で書いているんですよ)。
僕のブログは、1000年後ぐらいに発掘されて「2018年に日本という国で生きていた中年男性の日常」みたいな扱いをされれば、それでいいと思っているのだが(ポンペイの落書きのように)、ありがたいことに現時点でこのブログをチェックしてくださっている方も数人いるので、ダラダラと文章を垂れ流すだけではなく、ちゃんと方向性をつけないといけないな、と思い始めている。

好きなことだけ書いていればいいのか、社会問題について取り上げればいいのか、全然はっきりしていないけれど、しばらく迷走しつつ、方向づけしていくつもりだ。

とりあえず毎日更新は続けようと思う。

10日ほどの健康志向

あと10日ほどで健康診断。
そんなわけで体調管理に余念がない。

とまでは言わないが、少しづつ節制したりしている。
食事と運動。

今週2度目のジムへ行って筋トレとランニングしてきた。
ジムで体重を測ると思ったより低い数字がでて「おっ!」と喜ぶが、翌日自宅で測るとだいたい増えている。なんだろう。手品?

食事のほうはなかなか上手くいかず、ついついカロリーオーバーしてしまうわけだが、体重を減らすには「食事9割、運動1割」という話を同僚から聞いたので、それが本当なら9割のほうをなんとかしないといけないのだ。
ラーメンとかフライドチキンとか、ましてやフライドポテトとか、しばらく厳禁だ。

美味しいものはカロリーが高いのはなぜなんでしょうね。

ゴーストバスターズ

『ゴーストバスターズ』を1と2続けて観た。

今、考えるとなんでこの映画があそこまで大ヒットしたのかよくわからない。そこそこ面白いけど「誰でも楽しめる」映画じゃない。
主役もさえないおっさん達だし、「サタデー・ナイト・ライブ」の面々が少し派手目なSF映画を作った、という本当にそれだけの内容。

多分、お化け退治のガジェット(レーザー銃と捕獲装置)のデザインとか、ノリの良さ(テーマソングも含めて)がウケたんだろう。
当時、僕はこの映画をスクリーンで観ていないけれど、主人公たちの装備が、現実の延長上にあるガジェットっぽくてカッコイイ、と思っていた。

「2」の評判が良くないのは、逆に「大衆向けの映画」として作ったからのように思った。キレイにまとまっているけど、前作のような“アドリブ感”が少ない。
お蔵入りになった「3」はどんな感じだったのか、脚本だけでも観てみたい。

あと、この映画のビル・マーレイの魅力は、今観ても、僕にはイマイチわからない(キャラも感情移入できない)。
『知らなすぎた男』とか『恋はデジャブ』ではすごい良いのに。

ところで、僕には勝手に『ゴーストバスターズ』の一場面だと思っていたシーンがある。いや、正確に言えば頭では違うとわかっているのに、今回観た際に、そのシーンがでてくるのは『1』だったけか『2』だったけか、と身構えたぐらい。

とある老婆がスーパーに入って、売り物のトマトの品定めをするために、トマトに指を突っ込んでいくのだ。それに気づいた店員に追いかけられる、というシーン。

そう、これは『タンポポ』の1シーンのはずだ。

でも、僕には『ゴーストバスターズ』のシーンのような気がずっとしていた。このシーンがなかったことで「あれ、これ(ケーブルテレビなのに)カットされてんじゃね?」と一瞬思った。
なぜか、僕の頭では『タンポポ』と『ゴーストバスターズ』が一部ごちゃまぜになっているのだ(しかも元は邦画なのに、頭だと外国人で再生される)。
なぜなのか、その謎はいまだ解明されていない。

妖怪のせいかもしれない。

走る原因

東京大学が、合奏の際になぜ意図せずにテンポが速くなる(業界用語で「走る」)のか、その原因を解明したらしい。
https://clarinet-labo.com/run/

合奏は確かに走りがちだ。僕も合唱時代に経験している。ちゃんと指揮の先生がいるのに走ってしまう(ちゃんと指揮を見ていないだけかもしれないが)。
この研究結果を簡単に言えば「速い人にテンポを合わせるから」という理由。
納得いくようないかないような、それでいてだからどう解決すれば良いのか、少し残念な研究結果だと思う。

音程はピアノのようなラならちゃんとラの音が出る楽器が入っていれば、フォローができそうな気がする。
それは正しい音程を出す楽器に合わせれば良いからで、(僕は合唱しか経験はないが)高い音に合わせがちになっても、どこかで修正できる。

テンポには「絶対音感」のような「絶対テンポ感」はないのだろうか?
そういう能力を持つ人が指揮をして、そこに合わせれば走らない(走っても修正効く)はずだが、逆に正確なテンポでの演奏を聴いてもつまらないのかもしれない。
機械の演奏がつまらない(かどうか、ちゃんと実験したわけではないけど。)ように、音程もテンポもちょっとしたズレが味になるのだろうか。

そうすると設計図である譜面通りに弾いても、それ以上に良い出来の演奏がある、ということなのか?
それって作曲家としてはプライド傷つくんじゃないのか?
とか考え始めるとキリがない。

そういうところが、音楽を含む芸術の奥深さかもしれないが、今度はそういう検証結果が知りたい。

解明されても、僕にはほとんど理解できないだろうけど。

招集

私は株主である。

とか偉そうなこと言ってみたが、去年、地元にあるチェーン系飲食店が応援したい感じの良いお店だったのと株主優待がわりと良かったので100株(1 単元)持っているだけだ。
それでも昨日、「株主総会招集ご通知」なるものが届いて、思わず「うぉぅ」と声が出た。
あ、俺、株主なんだ、って。

参加しない場合でも、議案についての賛否を表明して送ることになっているらしい。
すごい、なんだか一企業を動かしている人間みたい(錯覚ですね)。

日時的には参加できそうな感じなので、株主ヅラして株主総会行ってみようかと思ってしまう。社会科見学のつもりで。

それにしても、こういうことで社会とつながっているんだなーと改めて思ったりする。

明後日から本気出す

今日は朝から夜遅くまで仕事だった。13時間労働。

午前中は外出して、とても貴重な経験をしてきた。緊張して疲れたが、なんとか良い結果に終わったのでとりあえずはひと安心。
もうそれだけで今日は帰ってもいいぐらいの仕事をこなしたつもりだけど、そうはいかないのが勤め人の辛いところでもある。せっせと22時半まで勤め上げた(電池切れ気味で20時くらいから安全運転したけどね)。

5月に入ってから半月、思い返せば怒涛の日々だった。色々ありすぎて、情報量に脳が追いついていかない感覚(ちょっと前も同じこと書いたな)。
そしてきちんと休むための休息を取れなかったのもある。明日は、ようやく完全オフなので、これを日に体制を整える。

まあ、これをやる気の先送りとも言うのだろうけど。