『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』

リブートした『スパイダーマン』映画の2作目であり、『アベンジャーズ/エンドゲーム』で一旦ケリのついた物語の後日談でもある。

ネタバレはしていませんが、察してしまう部分もあるのでご了承ください。
事前情報なしで観たい方は、観てから読んでいただけると嬉しいです。

『アベンジャーズ』でめちゃくちゃになってしまった複雑な設定を力技でまとめていて、前作の「明るく楽しい娯楽ヒーロー映画」路線になんとか軌道修正してスタートさせたのがすごい。

ピーター・パーカーがアイアンマンの庇護から離れて一人のヒーローとして成長する過程が、『アイアンマン』第1作をなぞる部分もあってファンとしては嬉しい。
単純な感想としては、MJ役が「ブスかわ枠」になっているのはコミックからなのか、キルスティン・ダンストの影響なのか(いや、キルスティン・ダンストもゼンデイヤも可愛いですよ。でも典型的美人ではなくて。そう考えると、『アメージング・スパイダーマン』でエマ・ストーンが演じた恋人がグウェン・ステイシーだったのは「あえて」のような気もする)とか、新レギュラーのアンガーリー・ライスが可愛いとか、役者としてのジョン・ファブローが生き生きしてて、やっぱりこの人好きだわーと思ったとか、そういうものになるのだが、本筋は、最後までフェイクとリアルの区別がつかない展開で、頭がついていけなくなった。

マーベル映画は、単純なヒーローものではない。
X-MENは差別の物語だし、キャプテンアメリカでは、国家の正義の欺瞞を描いたり、そういう何かしら考えさせられるものが込められてはいるけれど、今回は「仮想現実による嘘」という、とても身近な脅威を描いている。
僕たちは知らず知らずに深刻な問題に直面していて、同時に信じることの難しさを痛感する。僕らは簡単に騙されてしまう世界にいるのだなー、とこの映画で思う。そこにリアルな映像が入っていたら、まあ大抵のことは信じてしまう。
昔、『バトルランナー』という映画があって、主役のシュワちゃんがニセの映像によって無実の罪を着せられるのが発端なんだけれど、もう、そういうのが現実に起こりうるという世界に僕らは生きている。
ここ数年で(おそらくそれはトランプが大統領になってからだ)「フェイクニュース」という言葉が当たり前に使われるようになった。そして「フェイクニュース」というものが本当に「嘘」なのか、そうでないか、ということも含めて、僕らは判断を迫られる時代になってしまった。
この映画の展開は、そういう社会的なメッセージを持ちながら、作品自体の中でも、観客を惑わすような仕掛けが入っている。

映像技術や編集技術が進むと、悪意をもってそれを使っている人には敵わないよなーという漠然とした恐怖を感じる。
今回の敵は、戦闘能力は皆無なのに、技術と心理戦に長けていて、たとえスパイダーマンであっても苦戦を強いられるというのが面白くもあり、怖くもあるのだ(だって僕らには危機を察知できる「スパイダーセンス」がないんだもの。イチコロだよ)。

さらに、そういう思いを強くさせたのが、恒例のエンドロール後のシークエンス。
いつもは「オマケ」的なものなのに(前作のなんか、本当にひどかった)、今回は作品の根幹に関わる部分を描いていて、その衝撃が全部持っていったからでもある。
さんざん、本当か嘘か、現実が仮想現実か、というのを劇中やってきたのに、さらに追い打ちをかけるように、「え?そういうこと?」と思わされるオチ。
小説で言えば「叙述トリック」のようなことをやっているのだ。
最後まで観終わった後に、「あの場面のアレってどうだったっけ?」と、もう一度確認したくなるように作られている(観なおさなくても、あるキャラのあるセリフに違和感があったのが、これで納得したりした)。

そういうことを考えると、外見は「快活な青春娯楽ヒーロー映画」でありながら、マーベル・シネマティック・ユニバース作品の中でも異例の「ミステリー映画」になっている。心理的にジワジワくるタイプ。
こういうの好きだけど疲れる(でも、確認のため、もう一回観たい)。

信じることの難しさを描くのに、お人好しのピーター・パーカーは最適だったのかもしれないし、敵からも同情されるほどの彼の善人さがよけいに際立ち、応援したくなる。いつまでもピュアな青年でいてほしいと思うし、軽口を叩きながら戦うスタイルを続けてほしい。

そんな「えー、どうなってんの?」的なラストだったので、次の展開がどうなるのか、すぐに観たい。
単独映画は早くて2年後ぐらいだろうが、MCUに組み込まれているから、他の作品で「その後のスパイダーマン」は少し描かれるのかもしれない。単独映画として成立しているのに、続きが気になって仕方がない。
長生きせねば。

やめるのやめた

ブログタイトルを変更する、と言ってみたものの、一旦取りやめました。

なぜかっていうと、一応、念のため、同じタイトルを使っている人がいるかなーと思ってググってみたら、案の定、1件ヒットしてしまったから。
しかも、音楽活動している人のブログみたいで、それとかぶってしまうのはのちのち困りそうだし、実はこの新タイトルって“苦肉の策”で考えついたものなので「絶対これ!」という思い入れがない。だから、今、そのタイトルを使っている人のほうがタイトルに対する熱意があるのだろう。
なので、今回はその人に譲ることにする(偉そう)。

で、じゃあどうしようかな、と考えついたタイトルがもうひとつあって、それはきっとブログとしては誰も使ってないだろうし、かぶらないだろうと思っていたら、それはそれで、海外のネットショップの店名になっていて、使おうかどうしようか悩む。
世界は広いな。そして世界的にみたら、全く新しいタイトル、ってもう考えつかないんじゃなかろうか。

そんなわけで、しばらくブログタイトル変更は保留する。
ペンネームのときもなかなか決められなかったが、こればっかりは一度つけたら、すぐ変えるわけにはいかないからなー(いろいろ悩むわけです)。

とはいえ、このブログは「今日も誰かに会いに行く(仮)」といいながら、結局、たいして「誰か」に「会い」に行ってないのも事実。
もう少し、このグダグダな日常の切り取り、っぽい感じのタイトルを早めに決めます。

で、今日はポッドキャストの収録をして、そのあと『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』をとしまえんのユナイテッド・シネマに観に行ったのだが、練馬から電車を乗り間違えて、中村橋に行ってしまうという失態をおかしてしまう。
時間に余裕があったので間に合いましたが、自分のぼんやりさ加減に焦る。練馬の乗り換えはなかなかわかりにくいけれど、そういう間違え初だった(だいたい歩いて行っちゃうのでね←言い訳)。
それだけじゃなくて、IMAX3Dで鑑賞するために持参した3Dメガネが壊れていることに、上映開始間際で気づいて、慌てて買い直したりした。
そういう意味で、なんかこの映画とは“縁がない”のかなーと開始前にちょっと不安になったが、作品自体は面白かったし、マーベル・シネマティック・ユニバースのフェイズ3のラストを飾るにふさわしかったです。感想はまた。

それからブックオフでまたTrySailのラジオCDを見つけたので(前回はvol.6 で、今度はvol.3)、脊髄反射的に購入する。夏川椎菜のソロアルバムも買ってしまって、しばらくはTrySailがいれば生きていける感じになってきている。
健全な証拠(そうか?)。

TrySailと言えば、一緒にライブに行った江戸川台ルーペが「カクヨム」で近況報告を更新していて、そこで「TrySailを好きと言うと引かれてしまうかもしれないけれど、それをちゃんと言えない世の中は良くない」と書いているが(意訳。実際はそれを、すごい面白おかしく書いてますので、ぜひ読んでみてください)、まったくそのとおりだと最近の僕は思うのだ。

僕はTrySailファンであることを、リアルな知り合いにも(うざくない程度には)公言している。
自分から話題をふることはないが「TrySail好きなの?」とか「TrySailってどういう人たち?」と訊かれたら、迷うことなく「好きです」とか、「もちょかわいい、天ちゃん美人だしアレです、ナンスは気になる子」と正直に答えるようにしている。いや本当言うと、実際にそうはっきり答えたことはないが、答える気構えは常に持っているのだ。

それは最近、

「僕が、好きなもので定義されるのではなく、僕自身で定義されれば、何が好きだって構わないのだ。だから好きなものは好きと貫く。」

ということを心情としたからだろう。
自分の「好き」を否定されると、自分自身が否定されるような気がするけれど、自分というものをちゃんと持っていれば、そんな好き嫌いなんかどうでもいい。好きとか嫌いとか最初に言い出した人にもそれは伝えておきたい(『ときメモ』やったことないのにフレーズだけ使いたいタイプ)。それから、ひとの「好き」も馬鹿にしない。
そういう精神で生きていこうと思っています。

話がずれた。

まあ、なんだかんだと発言が「穿って」取られることが多くなり、言いたいことが言いにくい世の中だけれど、このブログぐらいは正直に書いていたいわけです(言いたいこと、というよりは、好きなことについて、だけれど)。
そういうようなことがわかるタイトルを探そう。

では、また明日。

半分、終い

2019年も半分終わった。

6月自体はイベントが多かったせいか、すごく長く感じたけれど、ここからが一気なんだろうな。
結局、今年初めに考えていたことを達成できなかった、というか、どんなこと考えてたか忘れてしまっている(まあそんなもんです)。

それでも2019年後半を“きちんと”始めようと、初日からジムに行ってきた。
久々なので(そればっか言ってるな)、それから仕事帰りのせいか、ちょっとマシン使って、25分で3.5kmのウォーク&ランしただけでヘロヘロになった。
サウナもいつもより熱く感じて5分いるのが精一杯。ヘタっている。
体重も、運動不足と暴飲暴食したから、当たり前のように、かなり増えてしまっていて、今日から頑張って落としていきます。

帰宅してカレーうどん作って食べた。
昨日、飲み会でだいぶ飲んだので、今日はノンアルコールの日。
最近は飲み、飲み、休肝、飲み、休肝、飲み、みたいな日々を送って、多少アルコールを控えつつあるが、「飲み」の日の酒量が増えているのであまり意味はないのかもしれない(特に今週は外飲みが多かったのだ)。

で、先月に、ブログをリニューアルすると言ってから何もやってないのですが、明日、タイトルが変わります。
どういうタイトルがいいかなー、とか色々考えたけれど、とりあえず、今のタイトルよりは良いと思います。中身は多分変わらないんだけどね。

そうして2019年後半戦が開始。
前半戦はまずまずだったと思うので、後半戦はこれをさらにアップできるように頑張っていきます。

早起き

ふと心配事があって、3時に目が覚めた。

この頃、夜中に1回は目が覚めることが多く、ただいつもなら水を飲んで、またすぐ眠りにつくのだけれど、今朝は、そのまま心配事が頭を巡ってしまって、なかなか寝付けなかった。

それから1時間ぐらいは微睡んでいたけれど、もうこれは起きてしまおうと一旦起き上がる。その時点で時間は4時5分。
目覚め自体は悪くなかったので、うまくレム睡眠とノンレム睡眠の1セットを2回拾えたのではないかなーと思って(90分1セットらしいです)、快眠度測定アプリをみたら、そうでもなくて快眠度は39%。そして見事に3時〜4時が「覚醒」していた(だからあながちこのアプリがいんちきとは思えないのだ)。

起きてから、しばらくTwitterを見たりしてたけれど、やっぱり、もう1回寝ておくか、と思ったのが5時ぐらい。実際に起床する予定は6時15分だから、あと1時間寝られる。今日は仕事が詰まっている日だから、ちょっとでも睡眠をとっておきたかったのだ。

その1時間もなんとなく微睡んでた感じだけれど、実際にアラームで目覚めた時は、元気ではある。
ただ、睡眠不足って、持続力が落ちる、という感覚があるんだよね。電池切れが早い感覚。
17時ぐらいまで持ってくれれば良いのだけれど、そればかりはやってみるしかないかー。

で、起きてしまった原因の心配事は、当然まだ解決されていないので、これも解決するように動かなければならない。それも早く起きてしまった原因のひとつなのだろう(早起きしたからって解決するようなことではないけれど)。

そんなわけで、朝の7時にこのブログを書いているわけだ。
今日一日、果たして乗り切ることができるのだろうか(「だろうか」って言ってても乗り切るしかないよね)。

とにかく皆さん、よい1日を!(説得力なし)

うらはら

バッドニュースほどではないが、好ましくないニュースをなんというのだろう。
ノーグッドニュース?

そういう感じの話を、週明けに聞いて、そのときは「へぇー」って感じだったのに、日を追うに連れ、その話がじわじわと自分にダメージを与えてきている。
んー、なんだろう、この感覚。

でも、よく振り返ると、こういう感覚は以前にもあった。
なんというか、その時のニュースはいつも、自分の「世間からの乖離」を感じるような話だからだと思う。
それはつまり「世間体」に関する話なのだ(具体的に書けないのに、ブログネタにしていて申し訳ない)。

そういうものを気にせず、自然体に生きる。
あるがままに生きる。

ということを、今までもなんだかんだとモットーとしてきたし、仙台旅行を終えて、その気持ちは一層強まったはずだが、なかなかどうして、それが難しい。
不惑を過ぎても惑ってばかりだ。

そういうふうに平静を装いながら、実はもやもやした思いを抱えてここ数日過ごしているわけではあるが、そういうのを(このブログでは別として)“あえて出さない”というところは、まあ大人らしいと思うことにする。

そんなわけで、頑張っている僕えらい、ということで明日も乗り切っていこう。

戻ってきた日常

台風の様子が心配で、朝、久しぶりにテレビをつけた。

関東の様子でも、けっこう激しい雨風の映像が流れていたが、出勤時には雨は止んでいた(電車は遅れてたが)。激しいところでも被害が少ないことを祈っております。

さて、旅行から帰って日常に戻りつつある。
とはいえ、休みの関係で、出勤日がやっと3日目となったところだから、まだ仕事は本調子ではないけれど。

英語クイズゲームアプリ『ココロセカイ』をチマチマと進めていたが、わりと早めに無課金だと超えられない壁が見えてきた。いや、まだタダで有力なガチャをほぼやっていないから、ガチャを回せるだけ回しきってから考えればいいのだろうけれど、クイズに正解しても、敵との火力差が圧倒的に違って萎える。早い話やや飽きてきた。
それでも、英語の単語、熟語が身近になったと思う。
「Easy come easy go」の和訳が「悪銭身につかず」だったり(ググったら厳密には違うようです。そうだよね。同じだったらB’zの同名曲がなんだか説教臭くなる)、「天井知らず」は英語だと「The sky’s the limit」になって、限界のない日本語の慣用句と違い、一応、空という限界はあるんじゃん、と、そのニュアンスの違いが、文化の違いだなーと面白かったりする。
そういう熟語にふれるのは楽しいので、攻略するとかじゃなくて、英語に「慣れる」ツールとして使っていこう。

あと、久しぶりに小説を読んでいる。
『最後のトリック』という、話題になっているミステリー小説だけれど(友人に勧められた)、なかなか前に進まない。
生粋のミステリー好きでないからだろうか。
思えば、意外なトリックの代名詞となっている『占星術殺人事件』もそうとう時間かかって読んだ。『占星術~』は、内容としてあまり好きな感じではなかったのだけど、『最後のトリック』は今のところ、面白く読んでいる。
ただ、読み進まないだけ。これもちまちまと読み進めてみよう。

気がつくと6月も間もなく終わる。
よく言われることだが、これで2019年も半分終わり。

いろいろとやることやらなければね。

追いかけて仙台 後編

そしていよいよ入場開始。

それまでの模様はこちらで
→「追いかけて仙台 前編

ホールの中に入って気づいたのは、ステージに対して半円を描くような席配置になっているので、僕ら3階席でもステージが近く、また見やすいということ。

僕らがTrySailのライブに行こう、となった時、行き先としてはここ仙台と名古屋を選ぶことができた。
名古屋はこのツアーのファイナルだったので(のちに幕張の追加公演が決まって、幕張が本当のファイナルになったけれど)、江戸川台ルーペは友人から「名古屋にすればよかったのに」と言われたらしい。
確かにそうだ。

トリキで参加会場を決めたときは、そこまで頭が回らなかったのだけれど、ツアーファイナルは演目や盛り上がりも違うのだから、確かに名古屋のほうが良かったのかもなー、という思いがここに来るまで、正直少しあった。
でも、いざこのホールに入って自分の席についた時、「ここを選んで良かった」と確信めいたものを感じた。会場の規模も雰囲気も、ステージと観客が一体になれる予感がしたのだ(もちろん名古屋に行ったら行ったで、それはそれで楽しかっただろうけどね)。
そんなわけで、否が応でも期待が高まり、開演まで40分ぐらいそわそわして待っていた。
左となりの席が女性で、僕が公演中に盛り上がりすぎて邪魔になったら申し訳ないなー、とか、少し距離を保ったほうがいいかなー、とか、そういうのも若干意識してしまった(大丈夫そうでした)。そばにはカップルのファンもいて、改めてTrySailファン層の幅広さについて考えたりしているうちに、ついにライブが始まった。

そして始まってしまえば、時間は一気に過ぎる。

内容は、すでに書いた通り「控えめに言って最高」だった。
ミスやハプニングもあったが、そういう不確定要素も含めてライブの楽しさを満喫できた。

僕の席からは1階席のファンの姿も見られたので、1階席の人たちの動きというか、ブレード(=サイリウム=ペンライト)の振り方とか、ノリ方をチェックしたりした。あとPAブースの位置とか、関係者の動きとかもそれとなく目に入ってしまう。
なんというか、こういうときに「主催者目線」で見てしまうのは、なんだかんだ職業病だと思う。このライブに比べて、自分が関わるイベントは(良くて)10分の1の規模のものではあるが、参考にできることはあるし、なにより、どういう部分をお客さんが一番楽しんでいるんだろう、と気にしつつ鑑賞してしまった(それが僕の良いところでもあり、残念なところ)。

僕らの斜め前に、ライブの大先輩らしきファンの方がいて、その人はブレードを持っておらずに自分の身体全身でノッていて、レベルの違いを感じた。
ファンもレベルがあがると、道具に頼らなくなるんだなと痛感する。
(揶揄する意味でなく)なんというか発光するものを持っていなくても、“存在感”というか、出しているオーラ自体が発光しているような、そういう雰囲気をもっていた。それでいて周りの邪魔にはならずに(節度をもって)楽しんでいるのがわかる。
僕は多分、その域にはなれないと思うが(だってブレード振るの超楽しいんだもん)、ここまで「好きなものがある」というのは素敵なことだし、その想いに一点の曇りもないあたりが本当に素敵だと思った。
対して自分の想いの中途半端さよ(TrySailのことだけではなくて全てにおいてね)。
こういう楽しい場で楽しい時間に身を置きながら、一歩引いてそういうことを考えてしまう自分がいた。
真面目すぎんのかもな。

そんなこんなで約2時間のライブはあっという間に過ぎた。大量のエネルギーに“のぼせて”しまうのではないかと心配していたが、逆にエネルギーをもらえた感じ。
たぶん、うまくエネルギーの波に乗れたということなんだろう。「好き」という思いが同じなら、波長があうのかもしれない。
集中力もトイレもぜんぜん平気で、あと1時間続いても余裕でついていけたと思う。そのぐらい楽しい、あっというまの“祭り”だった。

“最高オブ最高”だった祭りが終わり、江戸川台ルーペは、衛星放送かと思うぐらいに会話が遅延するほど、しばらく放心状態だったりしたが、お互いに「楽しかった」「最高」を連発し、その想いをさらに発散するために駅前の飲み屋で打ち上げ。

たぶん飲みの間、TrySailのことしか話してなかったと思う。

好きなものがあって、それについて語って想いを共有するのもまた楽しい、ということを改めて思う。
そういう意味では、江戸川台ルーペにとって、僕がその“共有できる相手”になるとは(しかも付き合いで話を合わせるのではなく、ちゃんと「話したことを理解できる」相手になるとは)、TrySailのライブに誘った42には考えられなかったことだろうし、僕の変化に一番驚いている人物ではなかろうか。
だって、彼に誘われたとき、僕は「TrySailって何?」「それ誰?」というレベルだったのだから。
それから3カ月(正確には2カ月と20日)で、イントロを聴いてほぼ全ての曲名を言えるほどCDを聴きまくったり、ライブブルーレイでコールするタイミングの予習をしたり、返品してまで「声優アニメディア」を買った経験は、20年来の友人と新たな共通の話題を手に入れられたという意味でも、その甲斐はあったというものだ。

友達だからといって、そう簡単に「共通の好きなもの」ができるわけではない。だから彼としては、僕が「付き合ってくれてる」感がまだあったのかもなー、と旅が終わった今、思ったりする。なんとなく、この旅行中、僕に気を使っていたような感じがしたのはそういう理由からかもしれない。
だけど、僕は自分自身ではかなりガチなTrySailファンになったと思うし、TrySailの存在を教えてくれた江戸川台ルーペには感謝しているのだ(と、この場を借りてお礼しておきます)。
まあ実際は「ミイラ取りがミイラになった」っていう状態ではあるけれど(使い方あってる?)、あの日のトリキで「サイリウム振りたいっす」と言われた時に、「じゃあ行こう!」と応えなければ、僕らがこうして仙台にいなかったことを考えると、未来は本当に予測がつかないし、なんというか「明るい未来」っていうのも、自分次第でいくらでもつかめるんじゃないかと思える(言い過ぎ?)。

で、23時頃飲み屋を出て、その後ホテル前のミニストップでビールとハイボールとチューハイとワイン、おつまみもろもろを買い込み、部屋で飲みの続きをしながら1stライブの映像に合わせてブレードを振った。
ライブのと、飲み会のと、二重の意味での二次会。
今日のライブでできなかった「ホントだよ」と「センパイ。」のコールもやった(馬鹿)。
結局僕らの“祭り”は朝の3時まで続いた。
こんなに起きてたの久しぶりだし、よく起きていられたな、とも思う。テンションって身体の限界を超えるのかもしれない。

 

翌日は昼の新幹線で帰るので、遅めに起床して、駅でお土産を物色。
僕が実家から要望されたお土産と、江戸川台ルーペが奥さんから要望されたお土産が同じだったのが地味に面白かった(ちなみに支倉焼です)。
お土産を買っても時間は余ったので喫茶店で時間をつぶし、短いけれど仙台滞在は終了。

支倉焼

帰りの車内は、喪失感と疲れからか、二人の会話はほとんどなかった。
黙って二人で同じタイミングで弁当を食べ始め、同じタイミングで食べ終わったのが印象的だった(ちなみに僕が食べた「牛肉どまん中」という山形のお弁当はとても美味しかった)。

これと言った会話はなかったけれど、とにかく「すごい楽しい時間だった」というものは共有していたと思う。
僕は、そういうことを話したら、なにか大切なものがこぼれ落ちてしまうとも思った。

それから僕は仕事に向かったのだが、疲れにも関わらずちゃんと働けたのは「楽しい疲れは後に残らない」という説の実証だろう(でも、ブレードを振った右手が無事だったのは、寝る前に湿布貼りまくっておいたおかげだと思う)。

そんな旅が終わって、また平常の日々が戻った。
実を言うと、飲んでいる時に「幕張の追加公演に行こう」という話もでた。
2dayの初日なら行ける日程だったからだ。飲みの勢いで、申し込みボタンを押す直前まで行った。
ただ、旅行から帰ってきて、結局それはとりやめになった。
初日の演目はファイナル公演ではないので、内容的に今回とあまり違いはないだろうということと、会場のキャパシティが仙台の約2000から7500に膨れ上がるので(ちなみに名古屋は3000)、今回以上のものは得られないだろうということがその理由だ(それでも行ったら絶対楽しいんだけど)。
ツアーファイナルに行けるのだったら、ステージが遠かろうがなんだろうが参加したのだけれど、その日は僕自身が主催のイベントがある(司会もする予定)。さすがに自分の仕事をうっちゃってまでは行けない。
規模は小さいけれど、僕も、僕のイベントを楽しみにしてくれる人たちのために全力を尽くさなければならない。それは末端とはいえ、同じくイベント業に身を置く僕の挟持だし、守るべきものなのだ。
そうやって、自分のできることを積み重ねていけばこそ、次にTrySailのライブに行ったときにも、全力で楽しめるんだと思う。

このライブに参加する前と後で、僕の考えにちょっとした変化があったことも確かだ。
とにかく楽しいことをたくさんやろうと思う。楽しそうなことに積極的に参加していこうと思う。

人生は短い。
ましてや僕は不惑を超えて、折り返し地点を過ぎてしまっているのだ。
後悔するより、悩むより、前に進もう。
そういう思いを強くした二日間だった。

またあの“最高オブ最高”のライブに参加する時に、今よりも(いろんなことに)自信をもって臨めるように頑張りましょうかね。

それはきっと遠くない気がする。

追いかけて仙台 前編

仙台。

好きな芸能人を追いかけて仙台。

自分がそういうことをするとは、昔は思わなかったわけで。
それどころか、つい3カ月前まで想像だにしなかったわけで。
でも、事実、僕はその日仙台にいた。
それもまた人生の面白さという奴だろう。

今回の旅の相方であり、TrySailファンの先輩である江戸川台ルーペとはもう20年以上の付き合いになるが、二人きりで旅行をしたことはこれまで一度もない。学生時代の合宿(合唱部)や、日帰り三人旅、彼の実家に遊びに行って泊まらせていただいたこともあったが、ふたり旅しかも泊まりは初めて。
もう、お互いの何もかもをほぼ知り尽くしている間柄(僕の人生のうち唯一の「ダブルデート」をしたことすらある)とはいえ、僕としても若干の緊張をしていた。TrySailのことで、言い合いから殴り合いに発展しないとも限らない(実際そんなことはなかったです。健全)。

旅の始まりは大宮から。
やまびこは最速の新幹線ではないが仙台まで約1時間半で行ける。近い。
途中、宇都宮でアドバルーンがあがっているのを見た。
アドバルーンって久しぶりにみたね、という話をした。僕は、昭和のデパートを思い出した。だいたい平成以降にアドバルーンって見たっけ?
宇都宮だと今でもわりと普通の光景なのだろうか。そういえば、今日は日曜だった。
日曜のデパート。賑わう店内、屋上の遊具、レストランで食べる洋食。
まるで昭和だ。

そんな地方都市の光景で話を膨らませられるほど、テンションは高い。冷静を装ってみたが、なんだかんだで旅行は楽しい(とくに旅の始めは元気なのも手伝って)。
あるいは新幹線のようなもので、高速移動すると自分の構造分子が揺さぶられてテンションがあがるのかもしれない(だいぶ思考がおかしい)。

江戸川台ルーペは駅弁を買っていたが、朝食を済ませていた僕はチップスターの塩レモン味と、炭酸水レモン(レモンかぶった)と、懐かしさのあまりm&m’sのピーナッツチョコを買って車内で食べた(中学生の時、毎日のように食べてたのだ)。
奇しくも黄色で揃ってしまって、江戸川台ルーペから「ナンス推しじゃないですかー」と言われハッとする(注:ナンスこと夏川椎菜のイメージカラーがイエロー)。

黄色s

もちょ推しとかいいながら(注:もちょこと麻倉ももはピンク)、黄色で揃えてしまって、潜在意識的にナンス推しになってるのかもしれない。
「うるせー、ルーペだって天ちゃん推し(注:天ちゃんこと雨宮天はブルー)のくせに、青い色なんにもつけてねえじゃねえかー!」とTrySailファンの推し方ディスりあいごっこ(なの?)してじゃれ合ったりして、それもまた楽しい(馬鹿だな)。

そうこうするしているうちに、新幹線はあっという間に仙台に到着。
同じ号車に「TrySail」と書かれたスポーツウェアを着ている人がいて、ここですでに一人、先輩を見つけてしまう。
「あ、やっぱり今日、仙台でライブがあるんだ」とホッとする。
日付が間違ってないか、とか場所が間違ってないか、とかそういう(心配性すぎる)不安がややあったのだ。多分、実感がまだ湧いていないのだ。

まずは身軽になるため、ホテルに荷物を預ける。
泊まったホテルは「コンフォートホテル仙台東口」というホテル。ビジネス系のリーズナブルなホテルにしては部屋はそこそこ広く、快適だった。
翌朝の話だが、無料の朝食がついていて、それがわりと美味しかったので驚く。こういう「無料朝食」って、タダな分、残念な感じのものが多いのに、ここのは普通に美味しかった。
あと、スタッフの方々も感じが良かった。また来たい。

さて、せっかく仙台に来たのだからと、牛たんを食べることにする。
というか、これが今回の旅の唯一「仙台観光」な部分だし、おそらく今日のライブでもトークの中に牛たんの話は出るだろうから、食べておいてその味を共有しておいたほうがいいだろうと思ったのだ。
有名店はたくさんあるが、その中で今回は「伊達の牛たん本舗」を選んだ(牛たん通り店)。「極厚芯たん定食」というのが美味しそうだったからだ。
そして、これは本当に美味しかった。
前回の仙台旅行で食べた牛たんも、東京で食べる牛たんも美味しいが、それよりも肉厚で味つけもしっかりしていた。
江戸川台ルーペは、東京で超有名なタン塩を出す焼肉屋の常連にも関わらず、仙台牛たんは初めてらしく、良い店を選べて良かった。

極厚芯たん定食

店に入るまで20分ぐらい並んだのだけれど、その時に某人気声優同士の結婚情報をヤフーで知る。
声優でも誰でも、ファンである異性の芸能人が結婚するのはなんだかんだでショックだろう(衝撃度は人それぞれとはいえ)。
僕らはおっさんなので(ルーペは既婚者だし)まあ祝福はできるのだけれど、もし「今日がその人のライブ」というタイミングでこのニュースを知ったら、それはそれで阿鼻叫喚だよね、なんて話をした。今日、僕らがその立場じゃなくて本当に良かった(しみじみ)。流れで結婚発覚直後にバスツアーをした人いなかったっけ?と某アイドルの話になったりもした。センシティブ。

その後、まだ時間があったので、お土産の下見をしておく。去年、来ていたのでお土産屋街の場所がわかっていたのは効率がよかった。何ごとも経験。
途中、「100人食べ100人“うまい”と言った伝説の菓子」というキャッチコピーのお菓子を見かけた。
「90%がリピーター」とか「95%が美味しいと支持」とかならわかる。
「100人食べ100人“うまい”」って言いすぎじゃないか、と。親戚が言ってくれただけじゃないか、と。せめて「99人」にしとけよ、と。なんなら「俺が101人目で“うまい”と言わない人になってやろうか」と、なぜか挑戦的な態度になってしまう(社交辞令を許さないタイプ)。
で、ひとつ買って食べてみる。
うーん、正直言うと、まあ“うまい”って言いますよ。
だから広告は嘘じゃない。お菓子が嫌いな人は別として、好きな人は“うまい”って言うだろう。
でも、なんだろう。だからといって「もう1個!」というふうに思わないのは。「負けた」ことを素直に認めたくないだけだろうか。「物は言いよう」じゃねえか、と思うからだろうか。
でも、本当、まあ“うまい”です。仙台行った方はぜひ試しに食べてみてください。

一応このお菓子です

さらに時間があるので、繁華街(西口)のほうを散歩することにする。
旅行ガイドらしきものを全く買わなかったので、どの通りがメインなのかわからないが、駅からまっすぐ伸びるアーケードを歩く(クリスロードってとこでした)。
道幅が広く、どこまでも続くアーケードに二人で感動したりする。途中、エッグスンシングスがあったりして、仙台はやっぱり都会だなーと思う。
その実、古びたスナックみたいなのが並ぶ狭いビルの地下へ続く階段を江戸川台ルーペが見つけて、どうしても行ってみたいというので降りてみた。そこは思った以上に昭和だった。
最先端の表通りと時代に取り残される地下街。地方都市あるあるな光景なのだろうか(「柏にも似たようなのあるんじゃない?」と僕は言った)。

散歩に飽きて、しばらく歩いた先にあったサンマルクカフェでひとやすみし、頃合いを見ていよいよ会場に向かうことにする。
ライブ会場である「サンプラザホール」は駅を挟んで反対側にあるので、そこから30分ぐらい歩いた。

物販が2時30分開始予定だったので、3時前ぐらいに着ければいいな、と思いつつ、なんだかんだ混むと心配なので、2時20分ぐらいに会場に着いた。
予想よりはやや少ないが、案の定けっこうな行列が。

ここで“ブレード”(=サイリウム=ペンライト)を買えなかったら、楽しみ半減どころか、ライブ中、所在なくなってしまうので、売り切れないことを祈って並ぶ。幸いにも天気予報が外れて、日差しが強いぐらいの気候だったので、外待ちが苦にならず、ありがたかった。
果たして1時間半ぐらい並んだあとに、物販にありつく。
当たり前といえば当たり前だが、サイリウムはライブを楽しむ「要」の道具だし、すでに持っているファンもたくさんいるからか、十分に用意されていて無事に入手できた。その他にTシャツとパンフレットと仙台限定キーホルダーを買う。缶バッチが入っているガチャガチャも3回分やった。
こういうところにきたら、いかにひとつでも多く行事(っていうの?)に参加して楽しむべきだと理解する。
「同じアホなら踊らにゃそんそん」というのはけだし名言だ。

それはともかく“ブレード”を手に入れた万能感はすごかった。
3800円と結構いい値段はするが、ボタンで色を変えられて、電池交換でずっと使えるのだ。都度、バージョンが違うものが売り出されるので、過去のものを含めて数種類を持っているファンもけっこういた。
今年だけでも2バージョン出ていたので、僕もそれぞれ1本買おうかとも思ったが、新参者が2本振り回すのはなんだか“調子に乗りすぎ”な気もして、1本にしておいた。
なんというか、これを手に入れてやっとファンの一人前になった感じ。
職業「TrySailファン」の「じゅくれんど」が、「かけだし」から「したっぱ」になった感が強い。

それから開場までの1時間はホール前の広場で、江戸川台ルーペがもってきたiPadで過去ライブの映像を見たり、Twitterを見たりして過ごす。
ファンの方々もそこで入場待ちをしていて、その層を見ると、中心はもちろん20代~30代の男性だけれど、本当に老若男女幅広い層がいた。法被を来たり、髪色を青く染めたりと、コアなファンもいるが、皆さん行儀がいいというか、礼儀正しいというか、そのあたり、ああ自分もこのグループのファンで良かったなとぼんやり思った。
3人の女性グループがTrySailに憧れているらしく、メンバーのイメージカラー通り、一人ずつピンクと青と黄色のコーディネートをしていて微笑ましい。それぞれ役割分担をしていて、なんとなく雰囲気も本人に合っているように見える。憧れの対象となる同性がいる、というのは素敵なことだと思う。

そんなことを考えているうちに開場時間となり、僕らはついに、初ライブ参戦に挑むことになるのだった(続く)。

仙台旅行明けの休日

思えば強行軍だった仙台旅行。

昨年ハワイに2泊4日で行ったのもけっこうな強行軍だったが、男友達と行く旅行だと、そういうふうに「最短・詰め込み」といった旅になるのが必定なのかもしれない。
旅の相方が僕よりも体力あると踏んでいるので、僕が大丈夫な行程ならOKだろうと思えるという理由もある。

さて、旅行から一夜明けて今日は休みだったので、ライブ後の自分を労ってやろうと(自分がライブ出たみたいな体だな)、疲れを癒やすため&旅行について書き留めたくて(家だと筆が進まないのだ)庭の湯に出かけた。

仙台旅行記を書く理由は、結局はこのブログのためだ。そして、おそらくブログをやってなければ、書こうと思ったところで筆が進まないはず。
だけれど、誰かに読んでもらうことうんぬんよりも、まず自分の頭の中にある、旅行で体感したことをとにかく書き出してみたかったのだ。
1時間ぐらいで書き終わると思っていたのに、書きながらTrySailのアルバム『TAILWIND』と『TryAgain』を聴き終わったので2時間近く書いてた計算になる。
そのまま公開はできないようなとりとめのない中途半端な文章。それでもまだ自分の中にある感情を全て出しきれてない。
今さらながら「感情を言葉にする」という行為がいかに難しいかと思い知る。
とはいえ、修正すれば今すぐアップできる内容なので、今日はこれをアップするのが正攻法なんだろう。
ただ、ちょっと一晩寝かせてみたいので、明日のネタにとっておくことにする(そして代わりにこのブログを書いているのだ。しかもわざわざミスドで)。

庭の湯では入浴だけでなく、頭と腕と肩まわりのマッサージをしてもらった。
施術を受けて、やっぱりすごい肩と腕が凝っているのを実感。とくに右腕(サイリウム=ペンライトを振りまくったからだなーという自覚はあるが黙っておく)。
凝っているときにマッサージを受けるといつも以上に効果を感じるので、今日行っておいて良かった。久々に満喫できた。

で、帰りに地元のブックオフに寄ったら、TrySailのラジオをCD化したものが売ってて(こういうの出てるの全然知らないあたりが、俄ファンだなと自分でも思う)、一昨日の興奮がまだ残っているのと、ポッドキャストの参考資料になるだろう(自己正当化)と考えて、買った(「もちょ、てんちゃん、なんす」と3カウント悩んだけど)。
中身はまだ。これから聴きます。

ところで、出かける前に「今日の晩ごはんをどうしようかな」と考えた時になぜか「チキン南蛮」が頭に思い浮かんだのだ。
僕が「チキン南蛮」なるものを食べたのは、人生で2回か3回だと思う。
それも、居酒屋で誰かが頼んだのを一切れぐらいもらっただけで、自分で好んで頼むメニューではない。鶏の唐揚げもタルタルソースも好きだが、それを合わせた食べ物を食べたいと思ったことはない。なのに、なぜか「チキン南蛮にしようかな」と思ったのだ。
なんだろう、これ。
でも、面白いから心の声に従ってみることにする。スーパーで買って帰ろうかとも思ったが、せっかくなので“行きつけのほっともっと”(本日のパワーワード)で「チキン南蛮定食」を頼んだ。
それから、宮城で買ってきた日本酒と笹かまをおつまみに晩ごはんにする。
仙台では、知り合いがオススメしてくださった「綿屋」という日本酒がなかったので、地元酒店の店員さんがオススメしてくれた「日高見」を買ってきた。それと鐘崎の笹かま。
今日まで仙台気分をひっぱってみる(チキン南蛮は関係ないけどね)。

で、感想。
日高見、超美味い。一口飲んで「うまーい」って言っちゃったぐらい。辛口らしいけど、甘みも感じるし、好みの日本酒。良いものを紹介していただいた。

それからチキン南蛮ね。
これはほっともっと仕様なのかもしれないが、甘酢ソースが別添で、そもそもは鶏の揚げたのには(唐揚げではないのね)タルタルソースしかかかっていなかった。これをそのまま食べただけではパッとしなかったけれど、甘酢ソースをかけたら予想より美味しかった。
今までチキン南蛮は僕の中で「なし」だったけれど、今日で「あり」になった。また時々食べたくなりそう。

そんな休日でした。
やりたいことをやればいいんだ、と思うようになったのかもしれない。あと気になった新しいことも(チキン南蛮とかね)。
そう思うようになった理由は仙台にあるような気もするが、たまたまそういうタイミングなのかもしれないし、一時の気の迷いなのかもしれない。
でも、楽しければそれでいいと思う。

そういう感じでまた明日。

仙台は桃色に染まり、青く燃え、そして黄色い光が射した

TrySail仙台公演。控えめに言って最高だった。

あらかじめライブブルーレイを1st、2ndと3回ずつ観て、さらに最新アルバムを聴きまくって予習をしておいたので、ソロ曲以外は全部口ずさめた。
何事も準備が大切だと改めて思う。
Twitterを見ると、このソロコーナーで歌われた曲はこのツアーで歌うのが初めてのものばかりで、とくに天ちゃんの「VIPER」は本邦初公開。
そういう点で今回の仙台公演は「神セトリ」だったようだ(その辺りが共有できないあたりがまだニワカの証)。

それにしても、ブルーレイのファイナル公演も素晴らしいけれど、それとはまた違った、地方公演ならではのファンサービス的な演出しかり、会場のサンプラザホールのステージを包むような半円形の構造しかりで、ライブ感というか、ステージと客席の一体感は想像以上だった。

僕らは3階席2列目、中央やや左という位置だったが、肉眼でも十分3人が見れた。オペラグラスも持っていって2回ほど覗き込んで表情も見られたけれど、なくても後悔しなかったと思う。
あとチケット確認した時は「1列目が良かったなー」とか思っていたけれど、2列目だったおかげで、前の諸先輩方の“ブレード”(サイリウムね)の振り方が参考になったし、しっかりステージも見れたし、TrySailライブ初参加の僕らにとっては、そういう点でもベストな席位置だった。

これ以上を望むのは罰当たりとは思うが、欲を言えば、掛け合いのある曲をせめてあと1曲は欲しかった(具体的には「センパイ。」か「ホントだよ」のどっちかはやってほしかった)。
アンコールの抽選曲が「Baby My Step」だったから良かったものの、コールアンドレスポンス的な曲をもうちょっと聴きたかった(声出したかった)。

ただ、TrySailのツアーも3年目となり、それぞれのソロ活動の比重が増えてきた今、このユニットを今後どう続けていくかという課題を踏まえると、「聴かせる曲」を多めにしてアーティスト路線を探るという方向性はわかる。ツアー終了後に反応を見てまた来年以降の方向性を考えていくのだろう。
その辺は彼女たちの成長に期待して待とう。

とにかく、仙台公演は3人のやりとり(駄々こね!)や、もちょの誕生日(6/25生まれ)を祝って会場全員でハッピーバースデーを歌うなど、色々な意味で貴重だったし、初参加が仙台で良かったということでも、出だしに書いたように控えめに言って最高オブ最高だった。

このライブに関わった全ての方々、お疲れさまでした!
そしてありがとう!

きっとまた行くので、その際はご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。