いつものアレ

ひとり暮らしをするようになってから、朝、シャワーを浴びるようになった。

とある本に、「シャワー浴びてる時が、一番思考が働く」というようなことが書いてあって(うろ覚え)、確かに、シャワーを浴びながらだと、面白い考えが浮かぶことが多い。
ただ、そこから数分立つと、何考えてたか忘れちゃうことばっかりだけどね(ダメじゃん)。

で、今日、考えたのは、
「どの曲聴いても同じだよね」
という言葉について。

ミュージシャンが売れてくると、よく言われる言葉だし、僕自身もそう思うアーティストはけっこういて、それは“揶揄”の意味だと思っていた。だけど今日は、ふと、(シャワーを浴びながら)これって“褒め言葉”じゃん!と思ったのだ。
だって、ファンが期待しているのはそれなんだから。

好きなアーティストが「新しい挑戦」をした場合、ファンはそれを歓迎し、見守るけれど、やっぱり最後は「いつものアレ」をやってほしいと思うものだ。「新しい挑戦」は結局、“変化球”で、それは「いつものアレ」という王道があるからこそ、「こういうのもいいよね」として認められるものなんだと思う。
ライブでヒット曲の「バラードバージョン」みたいなの、許容できるけど、オリジナルのほうが聴きたかったよ!と思うのがファン心理なのだ。
これは音楽だけじゃなくて、小説でも、映画でも、すべての創作において言えることだと思う。

こういうことを思ったのは、つまり、僕もいろいろなアーティストの“いちファン”だからだ。
その人たちが“変わったこと”をしているのを見ると「それもいいけど、いつものがやっぱいいな」と、素直に思うからだ(ファンってめんどくさいですね)。
というより「その“変化球”を王道のほうに取り入れてね」って思う。
ファン以外の人には「どの曲聴いても同じ」だけれど、ファンは揺れ動いている過程もしっていて、その果ての「どの曲聴いても同じ」だから、ずっと好きだし、ファンでいられるのだと思う(やっぱりファンってめんどくさいですね)。

反面、僕も、創作する人間の端くれとして、まずは「どの曲聴いても同じだよね」と言われるぐらいにならなきゃなー、とも思う。
それには、まず「数」を作らなきゃいけない(まだそこ)。そして数を作っているうちに「軸」ができる。その軸をもとに「王道」を作ろう。

今から、どこまでいけますかね。でもやるしかないですよね。

(で、このことを何がきっかけで考えたかというと、それはTrySailからなんだけれど、それはこのブログだけの秘密です。)