雑記オブ雑記

やたら外出の多かった怒涛の2週間を終え、さすがに今日は仕事を終えてまっすぐ帰ってきた。

とはいえ、自宅でやれることもたくさんあるはずだ。
そういうわけで、とりあえずブログネタがいくつかたまったので、ザラッといくつか書き溜めることにする(といいつつ、このブログを書いているうちはまだ書き溜めていないのだが)。

基本、書き溜めて後日更新というのはあまり好きではないのだ。なんというか、それは「ブログ更新ありき」で動いている気がするから。
たとえば自分が不慮のなにかで更新ができなくなっているのに、自動で更新されてるって、ホラーじゃない?(考え過ぎ)。
ネタが賞味期限切れしてるのも嫌だし、そういうわけで書き溜めたとしても、更新は手動。それと、ネタが新しいうちに更新するようにしている(だから、昨日みたいな付け焼き刃なブログがでてくるのもご愛嬌)。

それでも最近は書いてすぐアップではなく、朝ブログを書き、それを更新前に見直して加筆・修正の上アップする、という流れができているのだが、昨日はそれもままならなかった。朝がバタバタだったのと、書く気力が単純になかったのだ。
こんなブログでも「気力」が必要なのか、と思われるだろうが、必要なのだ。なにごとも、やっているのを見る分には簡単にできそうだけれど、やってみると意外とできないものだ(もちろんできちゃう器用な人もいるだろうけど、その人のほうが例外)。
それは、こんなインターネッツの片隅のブログでも同じ。それはひとつ発見ではある。書くべきネタが見つかったときに、こうやってどんなにテキトーでも日々文章を書いていると、すんなりと筆が進むという利点はある。
毎日面白おかしいことを書いていければそれはそれで天才なんだけどね(僕はそうじゃないみたいです)。

先週は天気予報に騙されることが多かった。
というか、テレビを見なくなって、一番思うことは、実は天気予報がわからないということだったりする。

天気が気になる時は、iPhoneの天気予報を見るんだけれど、これがまあ、あまりアテにならない。
初めは友人に「iPhoneの天気はあたらない」と聞いて、iPhone擁護派だった僕は「そんなことないわい」と思ったけど、今では擁護不可能なぐらいアテにならない(統計とったわけじゃないけどね)。
とにかく、雨マークないよなーと思って洗濯して出かけたら、夜にけっこうな雨が降ってきて、え?雨の予報あったっけ?とiPhone天気を見直すと、しっかり雨マークがついていたりして「うそー、これ朝はなかったよね」と思ってしまう。
いや、刻一刻と変わるのが天気予報で、最新の情報に更新されているのは正しいのだろうけど、ちょっと納得いかない。
「晴れるなんて言ってませんでしたけど」とシレっとした顔で言われている気がする。

今日の場合も昨夜見たときは一日晴れだったはずなのに、ところによりくもりになっているし、深夜から雨降る予想になっている。まあ、テレビの天気予報も時間が近くなるにつれ修正が入るわけだから、一概にiPhone天気がヘボなわけではなかろうが、なんかこう「予報変わっちゃったよ、テヘッ」的な可愛げが感じられるといいのに、損してるなと思う(だからといって萌えキャラに言わせればいい、というもんじゃないが)。

さて、こうやって他愛のない話をインターネッツに書き残しているわけだが、前々から書いているように、こういうのがポンペイの落書きのように、2000年後ぐらいに発見されて、当時の(この平成31年の)日本という国の“いち一般ピープル”の日常として扱われればそれはそれでいい、と思っていたのだが、友人から「サーバーがなくなったら、それ以前にサーバーと契約切れたら全部消えます」と言われて戦慄みたいなのが走る。
えー、ショック(地味に)。
だって、このブログは未来の人類への手紙だと思って書いているから。

いや、それは嘘、おおげさ、紛らわしいが、少なくとも、こうやって書いたことが「残る」ということが書く原動力でもあるのだ(何度も言うが、こんなブログでもね!)。
それがサーバーがなくなるという理由はおろか、契約が切れる、つまり僕がお金を払わなくなったら「はーい、契約終了ー、今まで書いた文も全部ナシね!」と言われて「はい、それまでヨ」的なオチになるというのはなんというかしょっぱい。
しょっぱくて悲しい。
iPhone天気同様、デジタルの世界ってこういうところが容赦がなくて、手心を加えないという点ではいいのだけど、やっぱりドライすぎると感じてしまうのは私が人間だからだろうか(急にヒューマニズムになってみた)。

でも、まあじゃあ、もっと2000年後とかじゃなくて、3年後ぐらいまでの人に伝わるように書いていくしかないじゃん!と進路変更してみる。
進路変更しても何も変わらないんだけどね、テヘッ。

明日からまた頑張ります。