「西谷 国登 第7回 ヴァイオリンリサイタル」

西谷国登さんのヴァイオリンリサイタルへ行ってきた。

2年ぶり7回目となるソロリサイタルは、5回、6回と同様、浜離宮朝日ホールで行われた。ピアニストは前回と同じ新納洋介さん。
今回はブラームスのヴァイオリン・ソナタを中心とした内容だ。

1曲目はそのブラームスが作曲したF.A.Eソナタより「スケルツォ」ハ短調。
プログラムに掲載された解説によれば、アンコールとして演奏されることの多い曲だそうだが、あえてコンサートの1曲目にもってきたとのこと。
力強さと明るさを備えた出だしから、ゆったりと心地よさを奏でる中盤といい、これから始まる音楽の世界に誘うにはピッタリで、この曲からスタートする試みは成功したように思う。

続いて前半の山場ともいえるヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」ト長調 作品78。
「雨の歌」というように雨粒を感じさせるピアノ、それと雨の情景が浮かぶようなヴァイオリンの響きが、ひとつの物語を浮かばせるような演奏となり惹き込まれる。二人がお互いの呼吸を確認しあって奏で合う様子が伺え、コンビネーションの良さも光った曲。

前半最後はツィゴイネルワイゼン。
本来ならリサイタルはヴァイオリン・ソナタだけで構成するつもりのようだが、今回はヴァイオリンの曲の中でも超メジャーなこの曲をラインナップに入れたそうだ。
今回のCD(内容はヴァイオリン小品集になっている)に入っているから、ということもあるだろうし、聞き馴染みのある曲を入れることで観客を飽きさせない意味もあったと思う。
ただ、この曲の演奏を聴いて、僕は「これはご自身の生徒、それだけでなく客席にいる全てのヴァイオリン演奏家に手本を見せるため」なのではないかと思った。
弓を端から端まで使う奏法、左手の使い方、時には全身を使っての曲表現、緩急のつけ方、などその一挙手一投足が生きた手本となり、見るだけで相当の練習になる。ヴァイオリンを弾けない僕でも、学べる部分がたくさん見つかるのだから(とはいえ「凄い!」と感動することしかできないけれど)、ヴァイオリン奏者ならかなりのことを吸収できたはずだ。
以前、キャロル・シンデル氏との演奏でも「指導者の顔」を感じたが、今回はソロ・リサイタルなので、より伝える気持ちが強かったように思う。
そしてそれだけのことをしておいて演奏も圧巻なのだから恐れ入る。

休憩を挟んで、箏奏者 岡部梢さんとの、箏とヴァイオリンによる「瀬音」。
和の曲を挟むことで、王道の中に変化球を混ぜる感じもあるが、それでもリサイタル全体のイメージを崩さずにフィットさせるところに西谷さんと岡部さんの懐の深さを感じる。

最後は、ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 作品108。
楽章ごとに異なる個性をきちんと聴かせつつ、全体の統一感を持たせることが求められる曲展開だったが、このソナタのもつ宇宙観というかドラマティックさをしっかり表現していて、リサイタルを締めくくるのにふさわしいベストアクトだったと思う。

2年に1度の集大成、ということもあってか序盤は少し入れ込みが強く感じた部分もあったが、曲目が進むにつれ、西谷さんのそれぞれの楽曲に対する解釈と世界観を存分に感じさせる演奏会だった。それを支えた新納さんのピアノも素晴らしかった。
なにより、どの曲からも「演奏することは楽しい」というシンプルなメッセージが感じられ、このリサイタルが幅広い様々な世代の観客に、幸せな、心地よい時間を与えられたのではないかと思う。

そして、これだけの演奏を聴きながらも、まだ西谷国登の演奏にはさらなる高みがあるのではないかと期待させられる。
それは演奏者である西谷さんの円熟によるものなのか、一聴衆である僕の円熟によるものなのか(果たしてその両方なのか)。
その世界にこれからもついていけるように、彼の演奏は今後も聴き逃せない。

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