『グレイテイスト・ショーマン』

『グレイテイスト・ショーマン』を観た。

実在した「サーカス」を作ったP.T.バーナムを主役に据えて、でも内容はフィクションのようだが、夢を追う者の人生がギュッと凝縮されていた。
ヒュー・ジャックマンは、やっぱり主役だなーと思わせる華のあるエンターティナーぶりで流石だったけれど、若き共同経営者役ザック・エフロンの歌が上手くて聞き惚れた。他にも出てくる人たちがみんな歌が上手くて、俳優も今や歌えないとダメな時代なのか、と思う。あと、ハリウッドの人材の豊富さも感じる。

一部のレビューで言われていたように、次から次へと話が進む怒涛の展開で、行間のなさを感じたけれど、それがスピード感を生み出して全くダレずに最後まで楽しめた。楽曲もポップなものが多く、耳に残る。

大作じゃないので、歴史に残るミュージカル映画にはならないかもしれないが、エンターテイメント好きには堪らない作品。
日曜の朝にしては客の入りがイマイチなのが気になったので、もっと多くの人に観てほしい。
観終わった後、「僕も頑張ろう」という気にさせてくれる映画です。

惜しいけど大人の事情が感じられる映画 『カンフー・ヨガ』

『カンフー・ヨガ』を観た。

この映画を2017年の締めに見るのもなんだけど、予告編が楽しそうで、しかも僕がジャッキー・チェン映画の中で一番好きな『THE MITH 神話』の監督(スタンリー・トン)の映画だったので、劇場で観ておこうと思ったのだ(このことからおわかりかと思いますが、昔からのジャッキーファンではありません)。
結果的には、予告編が一番面白いパターンだった。裏を返せば、予告編がちゃんと映画の見どころをつないでいるということなんだけれど。盛り上がるシーンがほぼ予告編のシーン、という結果で残念。

仕方のない話だが、ジャッキー・チェンは老けた。往年の動きからはだいぶ落ちたであろう『MITH』からだって12年経っているのだからスピーディーな動きがキツくなるのは当然だな、と思う。かわりに若手俳優のアクションシーンを多めに入れてあるが、やはりジャッキーの代わりができるほどの魅力はない。
なので、満足度はいまいちだったのだけれど、見方を変えると現代の大作映画の作り方を踏襲した映画になっているな、という感想をもった。

この映画は中国とインドの合作なので、まず両方の国でヒットするように作られた。そのために両国の代表的なカンフーとヨガをメインに据えたのだろう(あと、歌と踊りね)。
それから、途中で唐突にドバイロケが入るのだけれど、これはドバイが自国の観光産業をPRするために資本を出したように思える。カーチェイスシーンもあって相当大掛かりなロケで、ドバイの全面協力が伺える。
またCGが多用されていて、しかもその出来がハリウッドレベルに高いのだが、これは最近中国資本が多く入っているハリウッド映画からの技術流入の関係で、きちんと使ってモトをとれ、という事情がある感じがした。冒頭のシーンは全編CGで、これは少ししょぼいが技術力向上のために入れた感じがする。劇中の奴は超リアルだった。

つまり、この映画は、これら「ヨガ入れてください」「ドバイ紹介してください」「CG使ってください」それから「ジャッキーに継ぐ若手アクション俳優の顔見せをしてください」という要素(=大人の事情)が初めにあって、それを足し算したらできました、というつくりになっているのだ。
そして納期に間に合わなかったか、監督にあまりやる気が起きなかったからか、どれも中途半端で抑揚のない作品になってしまった。これはすごく間抜けだったので書いておくが、エンドロールの途中で音楽がなくなってしまう映画は初めて観た気がする(ちょっと劇場の空気が変になったよ)。

そんなわけで、ちょっと残念な映画ではあったのだけれど、ドバイには行きたくなった(帰りに本屋でドバイの観光ガイド立ち読みしたぐらい)ので、まんまと製作の思惑にのせられており、そういうこともあって嫌いになれない作品でした。

2017年観た映画

今年劇場で見た映画は8本。思ってたより少ない。軽く今思い出した感想を。

『ドクターストレンジ』
マーベルコミック原作もの。ベネディクト・カンバーバッチは、天才、口が悪い、などとシャーロックとキャラクターがかぶる部分が多くあれど、それとは違う演技をしていた。MCU(マーベルシネマティックユニバース)の中では、映像といい、話の流れといい硬派なつくりで、これだけ単体で観ても楽しめると思う。カンバーバッチファンならなおさら。

『ラ・ラ・ランド』
観た直後は最高に楽しい、好きな作品だなー、と思ったけど、直してない。多分、失恋が描かれるから。
結婚したら奥さんと観たい。いつになるのだ。

『相棒 劇場版4』
反町隆史が相棒になったシーズンのテレビ版はほとんど観てなかったのだけれど、新シリーズを観るようになったので、一応、な感じで観ておいた。素直に、ファンなら楽しめる映画だった。
ただ「死んじゃうの?どうなの?」な展開はいらなかったと思う。
あと、反町の浮いた演技も最近では、味として楽しめるようになってきた。それを慣れとも言うが。

『グレートウォール』
今年観た映画を、振り返ろうと思った時に真っ先に頭に浮かんだのがこれ。「中国資本で作ったハリウッド映画」と揶揄されてるのも見たけれど、娯楽作品としてよくできている。映像も綺麗で、スクリーン映えするアクションが多く大画面で観た甲斐もあった(今調べたら、監督チャン・イーモウだった)。アジアの中に欧米人がいてもあまり違和感なく作られているのがRPGの世界っぽくて良い。そしてマット・デイモン無双。

『LOGAN ローガン』
観たこと忘れてたぐらい印象に残ってない。
『ウルヴァリン』最終章としては納得するけど、どうもこれをX-MEN正伝の完結編と認めたくない自分がいる。パラレルワールドの一つの終着点だと思っている。だから忘れたいのかも。そして最強の敵に唖然(悪い意味で)。

『スパイダーマン:ホームカミング』
トム・ホランドのピーターは役柄ピッタリだし、MCUとの関わり方も面白い。ストーリー展開もあっと驚くしかけがあり面白かった。ただ、これは最近のMCU映画全般に言えるが、ラストバトルがやや物足りないのが残念。

『マイティ・ソー バトルロイヤル』
前2作とは全く違うテイストで初めは戸惑ったが、コメディ(というかギャグ)として観ればかなり面白かった。でもMCUに興味なければ全くもってわけわからないだろうな。

『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』
詳しくはこちらで。
EP7からテイストをかなり変えてきた感じがした。あとやっぱりフォースが出てくるとなんでもアリだね。チート。

こう見るとハリウッド大作ばかり観てるな。しかもマーベル率高い。単館上映ひとつもない。来年は10本ぐらいは劇場で観よう。

神話としての「エピソード8」

「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」(エピソード8)を観てきた。初代、つまりEP4は劇場で観てはいないけれど、ハン・ソロの吹き替えを松崎しげるがやった例の奴はリアルタイムで観たし、その後も旧3部作は特別編を劇場で観て、DVDセット(ヘイデンが出てるアレだ)も持っていた。マニアを語るほどではないが、十分スターウォーズ好きではある。

そして、僕はEP1が一番好きという、スター・ウォーズファンからしたら多分変わりものだ。なぜ好きか、っていうと、クワイ・ガン・ジンが大好きだから。オビ・ワンと一緒にダース・モールと戦うシーンは何回でも観れる。あと、政治力が低くて立ち回りが下手なあたりも武人っぽくてカッコイイ。
それと新3部作(EP1~EP3)は大人になってからリアルタイムで体験した「スター・ウォーズ」サーガだけあって思い入れが強いのかもしれない。EP4~EP6と合わせ鏡のようになっている物語展開も(元を知っているだけに)感慨深い。

さて、このEP8を観る直前に、友人がスマホでEP7をダイジェストで観せてくれたので、前作をさらっとおさらいできたのが良かった。忘れてる部分がかなりあって、改めて「面白かったんだなー」と再認識。しっかりとEP4をトレースして、新たな3部作(今度は未来へとつながる物語だ)のはじまりを上手くスタートしたと思う。主人公がくすぶっている前半の冗長さも含め、これぞ「21世紀のスター・ウォーズ」といった作品に仕上がっていた。レイはルークの、ポーはソロの、カイロ・レンはダース・ベイダーの、そしてフィンはレイアとドロイド達、さらにランド・カルリジアンをミックスしたような役割を与えられ、EP4~6におけるキャラクターの肩代わりをする形で活躍した。

そんなわけだから、今回も、満を持してルークが登場するとはいえ、だいたいは予定調和の中で物語が展開するだろうと思っていたのだが、だいぶ様相が変わっていた。

スター・ウォーズの世界をひとことで言ってしまえば「銀河を巻き込んだ壮大な親子喧嘩」なわけで、今回もその背景は続いている。ただ、アナキンの物語やルークの物語と大きく違うところは、選ばれし者が全てを解決してくれるわけではないところ。
神話の中心には、フォースやジェダイや暗黒卿やら、と選ばれし者たちが出てくるものの、今回の映画の中で描かれる物語は、一般兵士同士の戦いだ。だから失敗もするし、「なんだかんだあったけどフォースの力で一件落着する」ということもない。
物語が進むほど、レイ達主要キャラクターは、それぞれ神話の始まりで与えられた役割から外れていく。言い換えればこの作品で「過去作の代理キャラクター」ではなく、独自のキャラクターとして解放されていくのだ。

今まではこの物語の中心は選ばれし親子だったし、結局は親子が和解することで平和が訪れた。それこそが「スター・ウォーズ的なもの」とするならば、この物語の展開は本当に先が読めない。
ただ「スター・ウォーズ」が現代の神話なのだとしたら、この2010年代後半の世相を描いて後世に伝えるという意味では、たしかに神話の役割を果たしている。
正義の戦争などなくなってしまった現代の戦争の背後にある問題も抱えているし、何より一人のヒーローが戦って勝つのではなく、特別な力を持たざる者達が勇気と知恵をあわせて立ち向かう姿が描かれている。それだけに、持たざる者たちが使えるのは数=命であって、玉砕覚悟の攻撃が多めだったのが痛ましかった(そして、それが報われない場合も多々ある)。

EP7が、衝撃的な展開もありながら、それなりに明るい物語に終始したのに、今回ややダークな展開になったのは、昨年の『ローグ・ワン』の影響もあるのかもしれない(あれはまさしく持たざる者たちの物語だった)。また、それこそがどことなく陰を落としはじめている2017年の世相を映す神話の役割なのかもしれない。

壮大な親子喧嘩を中心としながらも、物語の中心は旧作の殻を破ったキャラクターにゆだねられた。この神話に、最後どうオチをつけるのか。最終章が楽しみになるエピソードであるとともに、この神話がハッピーエンドで終わるためにも、公開が予定されている2019年が明るい兆しを持った年となっていることを願わざるをえない。

それぞれの『誰もいなくなった』

テレビ朝日でやってた『そして誰もいなくなった』を録画していたので観た。
原作は未読、過去映像化されたものも観てはいないので「密室ミステリーの傑作」と言われるこの作品を予備知識なしで観られた。

第1夜「事件編」と第2夜「解決編」を続けてみたのだけれど、本来ならば一晩待たなければ「解決編」は観られないわけで、「これ一体どうなるの?」という上手いところで「事件編」は終わっていた。ただ、続けて観てしまうと「解決編」はオマケ感(というか3時間にして1日で終わらせていいじゃないという感じ)が強かった。沢村一樹演じる相国寺警部のキャラで持たせてた。あのキャラはこれだけで終わらせるのは惜しいので、またアガサ・クリスティ作品をリメイクする時にでてくるんじゃないかと思う。

(原作と違っている部分はあるだろうけれど)ミステリーとしては、2017年の今、トリック自体はそんなにあっと驚くものではない。誰が犯人かすぐにわかったわけではないが、だいたいの見当はついたし、偶然性に頼った部分があって、そんなに上手くいくかなーという疑問も。でもこの作品が1939年に書かれたことを考えると、その後のミステリー小説に多大な影響を与えたことはわかる。
トリックの古臭さを人間ドラマの面を推すことで、2017年に放送する難点をカバーしたおかげか、一気に見てしまうほど楽しめたのは事実で、重厚感のある映像も雰囲気があった。

そして何より渡瀬恒彦さんの遺作だったのが、録画してまで観ようと思った一番の理由だ。しかも病気をおしてこの役を演じるというのは、ものすごい神経を使ったのではないかと思う。ご本人の意志と演技がキャラクターとリンクして、ドラマを一層心に迫るものにした。それはある意味“ズルい”(渡瀬恒彦に頼ってしまった)部分はあるけれど、なにか運命的なものなのかもしれない。

 

それから、同じ『そして誰もいなくなった』が原作だというシュワルツェネッガー主演の映画『サボタージュ』を観たのだが、どこらへんが原作なのかほぼわからない(先に聞いてなければ全くわからない)映画だった。共通点は一人ずつ死んでいくところぐらい。ミステリー要素がないわけではないが、別段観る側に犯人探しをさせる気がないくらいのさらっとしたテイスト、「ミステリー風味」。血みどろのシーンが多めのごく普通のアクション映画。つまらなくはないという感想。

それにしてもシュワちゃんは老けた。“円熟味が増した”とか“味がでた”ではなく、単純に老けた。

舞台『リトル・ヴォイス』に期待

ご縁があって、舞台『リトル・ヴォイス』の製作発表会に行ってきた。

『リトル・ヴォイス』と言えば、映画版を公開当時劇場で観た。
ハリウッド大作ではなく、イギリス映画だったせいかロードショーをしておらず、銀座だか渋谷まで観に行った覚えがある。

しかしながら、映画の内容はほとんど覚えていない。
というのも、本編が始まる前にユアン・マクレガー主演の5分程度のショートムービー『Desserts』が併映されて、これがまさかのホラー。
ミュージカルドラマを観にきたはずなのに、ホラー映画を見せられるという展開で、本編の印象が完全に消されている(で、逆に『Desserts』についてはよく覚えている)。
当時を考えると「ユアン・マクレガー人気」のおかげで、この映画も話題になった部分が大きいから、ファンサービスとして併映したのだろうけど完全に裏目だったと思う。

さて、それでも「面白かった」という漠然な感想を持っているこの映画を日本で舞台化するという。主演は大原櫻子さん。
制作発表会の中で、役の“リトル・ヴォイス(LV)”として歌唱を行うシーンがあったのだが、彼女が“役”として登場した時に、映画で観たシーンが蘇ってきた。

思い返してみれば、この『リトル・ヴォイス』という作品は、普段は誰ともコミュニケーションをとれない少女が、レコードを聴くうちにその往年の名歌手の見事な歌マネができるようになって、その才能を見出される、といった内容だった。

引きこもりの彼女がステージにたった途端に、スターが乗り移ったように歌い始める。

その彼女が醸し出す、不安と歌うことの幸せが入り混じった感覚が、大原櫻子の演じるLVから強く感じられた。

しかもこの役の難しいところは、歌をしっかり聴かせながらも、歌マネとしても成立させなければならないということ。歌手としては、自分の個性とマネのバランスをとらなければならないのだが、今日、お披露目だったにしては見事なパフォーマンスだった。本番までに磨きをかければ、大原櫻子流の「リトル・ヴォイス像」をつくれると思う。

共演者の方々も、本当に面白い舞台をつくろうという気概が強く感じられた製作発表会だった。期待して観にいこうと思う。

 

舞台『リトル・ヴォイス』は、5/15〜28 天王洲銀河劇場にて上演。
その後、富山・北九州での上演もあり。

『ラ・ラ・ランド』の可愛らしい魅力

ミュージカルは好きだけれども、なんとなく「好き」と公言するのは憚られる。
なんだか、こそばゆい感じがするのだ(まあ好きって言ったって、まともに観たの『レ・ミゼラブル』ぐらいなんだけど)。
それでも、『ラ・ラ・ランド』は前評判がとても良かったし、なにより予告編が楽しそうで「これは好きなタイプの映画だ」という直感も働いたので、公開してすぐに観に行った。

オスカーを6つもとったけれど「ハリウッド大作」というより、インディーズ・レーベルの単館上映のような小品。だから作品賞を取れなかったのもさもありなん、という思いがある。「そんな重荷、背負わせないであげてよ」という思いだ。でも期待どおりの、とても僕の好きな作品だった。

エマ・ストーンはベストアクトではないと思うが、いまいち垢抜けない「女優の卵」を活き活きと演じていた。全体的にキュートな魅力をふりまいていて、彼女のための映画になっている。ちょっと癖のある二枚目といったライアン・ゴズリングも、陰のあるキャラクターを違和感なく演じていた。

物語の鍵を握る人物をR&B歌手のジョン・レジェンドが演じているのだが、劇中の曲は、物語の中では「邪道」のような扱いを得るのだけれど、彼の歌声はそのほかの曲の歌手とは比べ物にならないくらい上手い。惹きつけられてしまう(ジョン・レジェンドのアルバムを思わず買ってしまったほど!)。ちょっと皮肉めいた演出なのかもしれない。

ミュージカル映画というものは、なんとなく肩肘張ってみなければ、という気になってしまう。対してこの映画の良いところは、何度も気軽にみたくなるところ。可愛らしい一本。
可愛らしさからいったら、ウディ・アレンの映画を観ている感覚になる(だからこの映画のヒロインがウディ・アレン映画で2本続けてヒロインを演じたエマ・ストーンなのがすごくしっくりきた)。

予告編と違うのは、そこで感じるような、ウキウキしてハッピーな映画ではない。きちんとハリウッドで今起きているだろう現実を描いている。描かれなかった部分とあったはずの理想の未来。映画の行間にまで思いを寄せずにはいられない。
それでも人は夢を追いかけるし、夢をかなえる。得たものと失ったものははかりにかけられない。どちらも飲み込んで我々は生きていくのだなあと思ったりした。

大画面と大音量で、多くの観客と共有しながら観たくもなるけれど、手元において、いつでも気が向いた時に観たい作品でもある。