疲労のさざなみ

昨日の仙台は、滞在時間が約9時間ながら、予定していたことは済ませたので、楽しく過ごせた。
詳細を今日、書こうと思っていたのだけれど、とにかく疲れが残っていて、やっとこさっとこ仕事をこなして精一杯、というところ。
日帰り旅行ってハードだ。

午前中はほとんど頭が働かなかったが、午後は比較的仕事を処理できた。で、夕方に電池が切れる、といった一日。
仙台まで電車で90分なので、さほど移動時間はないのだけれど「観光する」というのはけっこう体力がいるものだ。この歳になって勉強になる。

そんなわけで詳細は明日。

日帰り仙台

「牛たんを食べに行く」というミッションの元、仙台に行ってきた。今は帰りの新幹線車内だ。

慌てて準備したせいで、充電池やモバイルWiFiを忘れてきてしまい、携帯環境は良くない状況。ポケモンも思い切りできなかったのが悔やまれる。

旅行は楽しかったし、仙台は想像をはるかに超えて都会だったが、詳細はまた明日。今はとにかく眠い(まだ帰りの道中があるのに)。

寸止め

ダーツがしたい。

昨秋くらいからすごいダーツがしたい。
ダーツやったことないけど、絶対上手い自信がある。
あとアーチェリーもやったことないけど、絶対上手い自信がある。
「的の狙ったところにきちんと当てるという行為が自分は得意」という謎の自信があるのだ(弓道もまあまあだと思う。やったことないけど)。
経験のある方には、全くもって失礼な(というか世間知らずな)発言だが、この自信が事実か否かを判明させる機会は未だもって来ていない。
なにせダーツのゲームルールすら知らないのだ。

でも流石に、本当に上手いかどうか調べてみたいので、最初の一歩として、ダーツバーに行ってみた。
といっても、ダーツバーのカウンターに行ってみただけ(お腹がすいていて、とてもダーツを投げる気力がなかったのだ)。

そこは、思ったよりこじんまりしていて、それでいてなんとなく“オトナ”な匂いがした(おっさんのセリフじゃないね)。
カウンターのおねえさん(といっても、僕よりはるかに年下)に、ダーツバーの仕組みを訊いて、そこで「時間を過ごす方法」はわかった。なので、今日は引き上げてきた。あとはいよいよ投げに行くだけだ。
自分の自信が確信に変わるのを体感しに行くために。

下手だった場合は、それはそれで受け止めようと思う。

忘れそうになる日

ブログを毎日更新していれば、習慣になっているはずだから、更新を忘れることはないように思えるけど、ふとエアポケットに入ったように書くことを忘れてしまいそうになる日がある。それが今日。
なので、慌てて書いている。ネタもないのに。

昔、1年間毎日ブログを更新した年があった。調べたら2010年で、すべてのネタが「自分の身の回りのこと」という自意識過剰も甚だしいブログだったが、そもそも、芸能人でもない僕がワールドワイドウェブのど真ん中(があるのかは知らない)に、こうした「記し」を残すこと自体が、ある視点から見れば十分「変わっている」ことなので、まあ良い。
というか、8年たっても同じことやってるのも、まあ面白い。

その時も、こういう感じで、やっとこさ更新したことかあって(それも1度だけじゃない)、毎日更新って、やるのに結構根気がいるものだと改めて(8年越して)思ったりした。

以上です。

明日からもよろしくお願いいたします。

どっち?

昨日から喉が痛い。
でも、風邪のときの「いがらっぽい」感じではなくて、喉の奥がつまってるような奴。
あと、ちょっと首の周りが痛いし、ぼんやりと頭痛もする。

まあ花粉症だと思うんですけどね。
でも、風邪の疑いも晴れない(インフルエンザではなさそうだけど)。
だいたい「暖かい」といいつつも、風はまだ冷たかったりするので、寒い思いをしていないとは言えないのだ。

こういうとき、どっちの薬を飲むべきか悩む。
確率50%のギャンブル。

そんなわけで花粉症にベットして寝ます。

あの日から

少しずつ記憶は薄れていく。

2011年3月11日は職場にいた。ビルの8階は今ではパニック映画のワンシーンみたいに揺れた。一瞬、死を覚悟して叫びたくなったけれど、お客様の前であることをすぐに思い出して耐えた。

揺れがトラウマになって仕事を辞めた人もいた。
原発を恐れて東京から離れた人もいた。

あの時のどの決断が正しかったかは、いまだにわからないし、どの決断もその時に選んだベストだったのだろう。
幸い、僕はあの震災で親しい人と別れることもなく、今日まで生きてこられた。
その間、僕は誰かの役にたてただろうか。
その間、僕は誰かの力になれただろうか。
そして僕自身、きちんと生きてこれただろうか。

たいそうなことはしていないけれど、ただ、当たり前の日々は「当たり前ではない」ということだけは忘れずにいよう(厄介なことに時々忘れてしまうのだけれど)。
「それなり」に生きていく時間を少なくしよう。
どんなに細い記憶になったとしても、忘れないで、繋いでいくことだけはしていこう。
次に災害が起きた時に、あの日よりも力になれるように。

先生ロス

オンライン英会話を始めて、約1年が経つ。

何人かの先生に習ううちに、とても相性の良い先生と知り合ってこの半年ぐらいはほとんど、その先生にお願いしていたのだが、2月で退職してしまったのだ。

ありがたかったのは、辞める半月ぐらい前に教えてくれたので、心の準備ができたのと、最後のレッスンでFacebookのアカウントを教えてもらったので、連絡をとる手段が残ったこと。遠く離れたフィリピンに知り合いがいるというのはなんとなく良いでしょ?(もっとも僕がFacebookアカウント持ってないけどね)

で、今月からは慣れ親しんだ彼女のレッスンは受けられないので、日時が合う感じで、3人の先生に習ったのだけどどの先生も今ひとつしっくりこない。

しっかりしてるけど早口、だとか、文章をタイプしてくれるけど無愛想とか、感じはいいんだけど、僕に趣味を訊いておいて、ことごとく「私はそれ嫌い」と言うとか。

もっとも、前の先生も初めからそうだったわけではなく、何回かレッスンを受けてみて、お互いの呼吸が合ってきたのだろうけど、その過程を覚えていないせいもあって、若干、今のレッスンに身が入らない。

試していくうちに、良い先生に出会えると信じつつ、トライ&エラーの日々もしばらく続きそうだ。飽きないうちに見つけたい。

体調不良

女子レスリングがパワハラで揉めている。

で、渦中の栄強化本部長が体調不良で理事会を欠席したことに対して、雲隠れだのなんだのということが言われているけれど、実際のところ、本当に体調崩してるんじゃないのか、と思ったりする。

この問題に関しては、報道(それも半分面白おかしくしたゴシップ)しか知らないので、実際にパワハラがあったかなかったかはわからない。体育会系には付きものの話のようにも思える(文系で育った人間の偏見です)。

ただ、栄本部長って吉田沙保里を育てた師匠でありながら、事あるごとに吉田に投げられるおっちゃんとして、愛すべきキャラを確立していたはずだ。それが、今回の報道で、えこひいきのパワハラ親父とみなされ、今までとは180度変わって、嫌われキャラになってしまった。
世の中の人ほとんどが今まで味方してくれてたのに、突然敵にまわった感じ。そうなったら「体調不良」にもなるよなー、という感想。

昔、知り合いが2ちゃんねるで、ひどいバッシングを受けたことがある。
その人自体は一般人だが、芸能人と結婚したことで、まあありとあらゆる罵詈雑言に晒されていた。僕はそれをみて当事者じゃないのにとてもショックを受けて、若干の鬱状態になったりした。
良く知らない人(どころか会ったこともない人)のことをよくもまあこんなに悪口言えるなー、と思った。本人じゃなくても落ち込むのだから、いわんや本人をや。

なので、ワイドショー的なところで「雲隠れ」とか言われてるのを聞くと、僕は栄本部長に同情というか、そりゃー応えますよね、と言いたい気分になるのだ(いや、本当にパワハラがあったとしたら全然ダメなんだけれど)。

ネットで簡単に意見が言えるようになって、迂闊にひとを貶すことができてしまう時代のように思う。
だからこそ、仲間うちで面白く茶化す感覚で、広く発言してはいけないと思うし、相手があることならなおさらだろう。そういう感覚は忘れずにいなきゃいけないなーと思う。

熊谷守一の絵

熊谷守一「生きるよろこび」展覧会に行ってきた。

国立西洋美術館や東京都美術館(ともに上野)、新国立(六本木)にはけっこう行っているけれど、今回の展示がされている国立近代美術館は始めて行った。
最寄り駅の竹橋ってどこだ?と迷ったのも事実。

で、その展示内容だが、熊谷守一の描く絵の変遷がわかるような展示でなかなか面白かった。
ただ、1940年ぐらいと、50年くらいに絵のタッチが大幅に変わっているのだけれど、そのあまりの変わりっぷりに、美術鑑賞の心得がない僕からすると「この人はどっかで頭打ったんじゃないか」と思うほど。
あるいは、お子さんを二人亡くしているので、そのショックでどうかしてしまったのではないか、というくらい、技巧的な初期作とはうってかわってシンプルで明るすぎる(しかし狂気を孕んだ)色使いが独特な晩年の絵が違うので、なんというか、絵を鑑賞する以上に、熊谷守一という人の人生を観にいったような印象を抱いた。晩年の絵のほうが有名らしいし、たしかに味わい深くて印象深い。
そして一番感じたことは、なにより、展示してある作品数が多いこと!
全部で200以上あるらしく、行けども行けども展示してあって、一人でこれだけ描けるってだけで、ものすごい人なんだなーということがわかった。
じっくり観るには気合いが必要です。

東京迷路

今でこそ東京都民ぶってはいるが、なんだかんだと埼玉県民ぶりが抜けず、都内の位置関係が板橋、北区程度しかわからないわけだ。
特に地下鉄の駅はほとんどわからないので、乗換案内が欠かせない。

今日は神保町と竹橋で用事を済ませ、最終的に九段下に辿り着けばいい、という行程だったので、まず最寄駅から神保町へのルートを調べると、神保町ではなく御茶ノ水を使うのが早い(というか早・安・楽な)ことがわかった。それから竹橋に行くには神保町から九段下経由で行くのが良いとのこと。
で、従順に案内に従ったのだけれど、九段下に着いてからわかったのは、神保町と九段下、歩ける距離だということ。
もっと調べると神保町から竹橋も8分で歩ける。

そんな近い距離を電車に乗ってたんかい!

いや、別に目的は果たしたし、運賃が惜しいわけではないんですけどね。でも10分ぐらいの距離なら步いたほうが早かったりするし、電車に乗るっていうのは「歩けない距離の移動」という先入観があるので、なんかがっかりしてしまった。
こうやって経験していくうちに勉強になっていくのだろうけど、地下鉄を乗りこなせるようになって(地下鉄駅の位置関係と距離感がつかめて)はじめて一人前の都民になれるのではないかと思った日だった。