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ただの日記

昨日、1時間多く寝たらずいぶんと朝の調子が良かった。
結局睡眠不足だったのかもしれない。

色々と書こうと思うことはあれど、まとめる気力がない。台風も来るし。
「探偵が早すぎる」の2話目を観た。
1話目よりもこなれた感じでテンポが良くなっていた。あとオーバー気味の過剰な演技も、地に足がついた感じというか、はしゃぎすぎてない程度におさえてみえた。
コメディ(というかほとんどコントだが)のさじ加減が1話よりも良かった。
広瀬アリスが吹き出すシーンと、その直前の滝藤賢一が学食に馴染んでいるシーンが笑えた。3話目も観よう。

最近、またテレビを見る時間が多くなってきた。
テレビって本当に時間泥棒だ。それが「楽しい」と思えるのはいいのだけれど、だいたいが冷静に考えると「さほど必要なかった」時間だったりする。
気をつけよう。

今日はそんなところです。

遅延

今朝、通勤に使っている西武池袋線が停電で運転を見合わせていた。

引っ越してから2年、大幅な遅延に引っかかったのは始めてだ。
かなり運転車両も減っていただろうけど、それにしては大混雑というほどではなかったのが幸いだった。夏休みに入ったから学生さんが少なかったのかもしれない。

それでもこういうのが朝イチで起きると、一日疲れてしまうのは、いつもと違うシチュエーションに頭がついていかないからだろうか。暑さが少し引いたというのにあんまり仕事に身が入らなかった(いや、それは遅延とか暑さのせいだけではないだろう)。

とはいえ、出だしでつまづくことを言い訳にしていてはいけない。
大人(おっさん)になると言い訳が多くなる(僕だけ?)。そういうもんだとどこかで割り切りつつも、仕切り直しをしないとならない。

今晩は体力回復のために早く寝て、明日からまた気合を入れよう。

投稿先によって書き方がかわるということを『その可能性はすでに考えた』で考える。

昨日のブログは、以前その映画(『恋はデ・ジャブ』)を観た直後に備忘録的に書いておいたものだが、そういう自分のすでに書いていたものを“発掘”する形で毎日ブログをこなしていこうかと思っている。

で、僕は一時期、読書してはその感想を書き留めておいたのだが、そのうちのいくつかを「ブクログ」というサイトで公開していた(というか現時点でも公開している)。
今日はその中から、ドラマ「探偵が早すぎる」を先日取り上げたので、同じ原作者 井上真偽の小説『その可能性はすでに考えた』の感想を転載してみる。

『その可能性はすでに考えた』2015年11月9日
事件の謎は「奇蹟」が起こしたことを証明するために、あらゆる全ての可能性を否定して事件を解決しようとする探偵、上笠 丞(うえおろじょう)。
裏社会の大物である(そして美女でもある)フーリンとともにひとつの事件が「奇蹟」によって起きたことを証明しようとします。
依頼された事件が、「カルト宗教団体の首切集団自殺」にまつわるという、猟奇的かつ特殊性の高い事件という点で、すでに荒唐無稽ではありますが、さらに、その事件のトリックの仮説をたてるライバルが次々と登場してきて、ミステリーというより「推理格闘小説」の様相を呈してきます。
このライバルたちが、またひとくせもふたくせもあり、お互い奥義を出し合うかのようなディベート合戦が繰り広げられます。
もともとの謎が突飛なこともあり、仮説もかなり暴論ですし(さらに小難しい点もあり)、反証も詭弁のような感じはしますが、読者がしらけない程度のレベルを保っていますし、合間に挿入される薀蓄の数々に、思わず読み進めてしまいます。
またダークかつハードボイルドな雰囲気の中で、アニメやゲームのキャラクターのような人物を登場させ、挿絵がないのにビジュアル的なかっこよさが感じられます。
とはいえ、普通に謎解きを楽しむ作品ではないし、トリックを想像する楽しみは少ないです。
ただ、その屁理屈にも似たディベート合戦と、後半にかけてたたみかける超展開は、他でなかなか味わえない愉快な物語でもあります。

うーん、なんだろう。
書いた内容はなんとなく覚えているし、確かに自分の文章っぽいんだけれど、このブログや備忘録で書いたものとはだいぶ違う感じで違和感がある(よそいき感と言ってもいい)。
その理由を考えてみると「ブクログ」って自分の読んだ本を人に紹介するのが目的のサイトだから、あらすじを書いたり、文体をですます調にしたりして、親しみやすく本を紹介しているから、だろうと思う。
これは「ブクログ」に書いている人たちがみんなそう、というわけではなく、自分が「本を人に紹介するときどう書くか」と考えた結果、こういう文体になったということだ。
どっちかいいかはわからないし、書きやすさ書きにくさもさほど変わらないが、単純に、投稿先によって文体が変わるのが自分のことながら面白いと思った。
それと同時に、自分の書いたものだから、そのままこのブログで使おうと思ったけれど、手を加えないとダメじゃん。とも。なかなか楽はできない。

そんなわけで過去文章をサルベージしつつも、自分の考える「ブログっぽい」文章でこれからも書いていこうと思う。
だんだんとこなれていけば良いのだけれどね。

『恋はデ・ジャブ』

ビル・マーレイの名前をブログでちょいちょい出しているのに、その中でとても面白かった(僕好みだった)『恋はデ・ジャブ』のことをブログに書いていなかったので書いておく。

ビル・マーレイの映画は、なんだかんだでハッピーエンドなので安心してみていられるのもそうだけど、つまりビル・マーレイという役者の職人芸みたいなもの(淡々とした とぼけた ダメ男が改心して報われる)をみるようなもので、この映画はまさにその通りの映画だ。

主人公のテレビキャスター フィルは取材先に行った田舎町で突然、同じ一日がループする現象に巻き込まれてしまう。
なぜ田舎町に閉じ込められるのか、毎日同じ日をループするようになるのか、その原因みたいなものは一切ない。その理不尽さはあるけれど、ループすることを逆手にとって、好みの女性に、名前や出生のことを聞いておいて昔馴染みを装ったり、目当ての女性を攻略していく様は、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』のようで、あの映画はこの演出法を真似てるのではとも思った。

自分は他の人のことを理解してきているのに、周りは翌日(次の同日)には、ダメ男のままの彼として接する寂しさ。思い出が自分だけのものである寂しさがせつない。バチがあたるようなことをしたり、誰かに呪いをかけられたりといった原因もないので抜け出し方もわからない。いつまで続くかわからない中で、彼は前向きに生きようとする。
それは僕らの日々にもつながる。

同じような日々が続く中で、何かをかえようと努力する。それも、ひとの役にたとう、周りを喜ばせることをしようということに結局は落ち着くのではないか。

結局「ひとりは寂しい」のだ。

ひとりはつまんない。のだ。

フィルは自分勝手で、人付き合いが嫌いな人間として描かれる。今まではそれでよかったのだろうが、ループを繰り返すことで、ひととの関わりが自分を幸せにしてくれることに気づく。そしてフィルが自分のためではなく、ひとのために行動しようと気づき、それを実践したときに、救いがくるのだ。

単純なコメディとしてみても楽しいが、人生の、そして周りのひとの大切さを感じさせる可愛い作品。
ただのオヤジのようでなんとなく憎めないビル・マーレイにふさわしい。

ネタない対策

こう、内容の薄いブログばかり書いているのもどうかと思うので、そろそろ実のある話を書いていきたい。

とはいえ、一体何が実のあるブログなのかというと、まあ何かしらの「感想」は良いのかもしれない。というわけで、ネタがなかった日は、今まで書いてあった本や映画の感想を書こうと思う。

で、今日は特にそれも書くことがないが、昨日「探偵が早すぎる」をgyaoで見たので簡単に感想を書いておく。

広瀬アリスは「釣りバカ日誌」で良い役者さんだなーと思ったので(妹のすずよりタイプだし)、「わろてんか」含めウォッチ対象の女優さんだが、今回はちょっと演出過多のように思える。展開はコントじみてるけど、演技は抑えめのほうがいいと思うんだけれど、こういう感じのドラマはどれもほぼ演出もコントじみてるからそれがスタンダードなのかも。主演の滝藤賢一も演技オーバーな感じ。同じ脚本で抑えめな演技バージョンを見てみたい。
そんなわけで、ちょっと消化不良な気持ちでいつつも、このドラマには桐山漣も出ているので、続けてみていきたい。僕の“3大尊敬するドラマの主人公”の一人、左翔太郎を演じた役者さんで、一般的な知名度では、同じ「仮面ライダーW」でW主演していた菅田将暉に水を開けられている感じがするので応援していきたい。カッコいいし芯のある良い役者さんです。

こうやって、なにかコンテンツについて書くと、それなりに字数が埋まる。
毎日ブログ更新する上でネタがない時対策を手に入れた感じがする。

続けないと意味ないけどね。

ドイツと日本のビール事情

ドイツで若者のビール離れが始まっているらしい。
https://courrier.jp/news/archives/112312/

いや、若者限定ってわけではなくビールの売れ行きが悪くなっている、っていう記事だけれども、そもそもアルコールを飲む人が少なくなってきているようだ。
ドイツから離れるが、僕の周りでも飲酒しない人の割合はけっこう増えていて、「飲みに行こう」という誘い方より「ご飯食べに行こう」という誘い方のほうが多くなってきた(といいつつ、誘う相手がいるかどうかは別問題だが)。

今年の日本に限っては、暑すぎてビールが売れないんじゃないかと思う。
「気温が高いほどビールは売れる」という説があるようだが、正直、暑すぎてビールを飲む気がしない。というかアルコールを飲む気がしない。酔うとどうしてもダルくなるから、暑さにやられたダルさに酔ったダルさが加わると思うと、呑むこと自体が楽しい話、以外では飲む気にならないのだ。
だから、ノンアルコールビールというか炭酸水のほうがサッパリしていいじゃん、という個人の感想です。

それと夏といえばビアガーデンだけれど、夜も30度を超える中では、いくらキンキンに冷えたビールとはいえ飲む気は減る。この暑さは、業界にはけっこうな打撃なんじゃないか。そこそこ暑い外でビールを飲む文化は続いてほしいので、なにか対策できるといいよね。

などとつらつらとお酒に関するエトセトラを書いてみた。
結論としては、酒は楽しく、味がわかる程度の酔い方で飲むといいよね、ということ。
あと暑さ、もうちょいひいてほしい。

知らぬ間の仕様変更

Twitterを使い始めたのは2011年。震災のひと月前だったと覚えている。

それから7年経つ間に色々と仕様が変わってそのたびにビビったり焦ったりするのだが、今回、謎仕様だな、と思ったのは、フォローしてる人がフォローしているだけなのに、そのツイートがタイムラインに表示されること。

いや、なにを言ってるのかわからないだろうから説明すると、
そもそもTwitterというものは、自分がフォローした人が呟いたツイートか、リツイートしたツイートだけが自分のタイムラインには表示されていた。
ただ、ある時からフォローしている人が「いいね」をつけたツイートも表示されるようになった。これには正直びっくりした。いいねは自分だけこっそりしていたつもりが、どういう内容のツイートが好きなのか、いつのまにかダダ漏れになっていた、という恐怖仕様への変更だった。わりとまともなツイートだけいいねしてたので助かった(何から?)。
いや、正直なところ、いいねは備忘録として使っていた部分もあって、必ずしも内容が好きとか賛同してる、ということではないのだ。だからこの仕様変更は気に入らなかった。
そういう声が多かったのか、こっそり備忘録として使うように「ブックマーク」というものができた。これは、その名の通り、ツイートを後で見るように保存しておくための機能で、何をブックマークしたかは他の人にはわからない。

さて、こういう仕様変更をしてきたTwitterだが、気がついたら上記のように、フォローしてる人がフォローしてるだけなのに、そのツイートがタイムラインに表示されるようになったのだ。

いや、なにを言っているのかわからないだろうから説明すると(デジャブ)、
自分がAさんをフォローしているとする。AさんはBさんをフォローしている。となると、僕のタイムラインにはAさんのツイートもしくはリツイートもしくはいいねだけが表示される。AさんがBさんをフォローしていることは何の関係もない。
はずなのに、リツイートもいいねもされていないBさんのツイートがタイムラインに表示されるのだ!

何回かBさんのツイートを見たことがあるので、知らない間に自分がフォローしてたのかと思って調べると、していない。Aさんがリツイートやいいねをしたわけでもない。かといってBさんのツイートが全てタイムラインに表示されるわけでもない。
完全に謎仕様。

たまに自分のツイートや、(おそらくフォローしている人のジャンルを見てだろうけど)プロモーションで宣伝ツイートが表示されたりするので、そういうロジックで、フォローしている人がフォローしている人の中で自分に合うようなツイートを表示しているのだと推測される。

タイムラインが時系列じゃなくなって以来、Twitterはその価値を落としたのではないかと僕は思う。
「ハイライト」と称して、自分に合った(とロジックがみなした)ツイートが時系列関係なく上位に表示されるんだけれど、Twitterは自分がフォローしている人がつぶやいたことが、その内容いかんに関わらず“完全時系列”で表示されることに意義があった。
その情報はまさにフローであり、内容が重要であろうとなかろうと、どんどんと流れゆくもの、というのがTwitter無常な感じで良かったし、それで見落とした情報はそれはそれで「縁がなかった」で済ませればいい(というか過去ツイートを追おうと思えば追えるしね)。

おそらくマネタイズの関係だろうけど、こういうツールに、お金がからんできて仕様が改悪されるのは残念ではある。無料で使っている以上、ある程度は仕方ないんだけれどね。
でも、お金がからんできて“改善”になったら、よりハッピーだと思うんだけれどね。それはなかなか難しいのかね。偉い人にぜひ改善策を考えてほしい。

なんだかんだでSNSでTwitterが一番好きなので。

ふっとぶ

今日のブログのネタに苦しんで、ありのままで受診した健康診断の結果のことを書こうかと、少し書き始めたのだけれど、ながら見していた「全力!脱力タイムズ」が、吹き出すぐらい面白くて、全部ふっとんだ。

こういう真剣にくだらない番組があることって、大切なことだと思う。
ちょっとしばらくの間ウォッチしていこうと思う。

洒落にならない暑さ

軽い熱中症になったような体のダルさ。

そんなわけで、今日はさっさと仕事を終わらせて定時にあがり、定食屋でご飯を食べ、オンライン英会話のレッスンを受けて、最寄り駅でジムバトルをしてジムを制圧し、体力回復のための栄養剤を買い、ポカリスエットを買い、帰宅してノンアルコールビールを飲みながらポッポマラソンをして、今ニュースを見ている。

全然“そんなわけで”じゃないな。

でも、先日、小型扇風機を持ったり着たりを若干揶揄したものの、亡くなる人まででるほど暑いと、ああいうのも必要なら使うべきだな、と考え直したりする。

とにかく命あってのモノダネ。
無理せず気をつけましょう。

いったん戻っての『ジュラシック・パーク』

ついに『ジュラシック・パーク』を観た。

恐竜にもディザスタームービーにも興味のない僕だが、『ジュラシック・ワールド』を観たからには、基本の第1作は観ておきたいと思ったからだ。

なんて書き出してみましたが。
『ジュラシック・パーク』って、さほどディザスタームービーじゃなかったんですね。パーク開演前だから、被害者数としては『〜ワールド』のほうがはるかに多い。それから「ワッ!」っと驚かせるようなシーンも少なかった。
なので、自分が20年間、この映画に対して思い描いていたものは全て間違いだったんだなーと思う。思い込みって怖い。

で、『ジュラシック・ワールド』を観てから『ジュラシック・パーク』を観ると、オマージュというか、ちゃんと『〜ワールド』2作が『〜パーク』をなぞっているのがわかって面白い。
それは恐竜とのかくれんぼの動きとか、狭いところに隠れた子供に恐竜が迫るシーンとか、恐竜同士のとっくみあいとか。
ラプトルが1作目から重要な役目をしていて、それもシリーズ通じてのものなのかと知って、『〜ワールド』はオマージュだらけだなと思う。

当然20年前の映画だから、オーディオアニマトロニクスがしょぼく思えたりするが、CGはハイレベルだし恐竜の“存在感”は『〜ワールド』にもひけをとらない。さらに言えば、『〜ワールド』が若干B級映画っぽいのに、『〜パーク』はちゃんとメジャー映画の雰囲気がある。
その理由のひとつは、『〜ワールド』のほうがノリが軽いからだろう。『〜パーク』は皮肉担当がマルコム博士だけで、全体的には真面目に進む。
『〜ワールド』は、主人公を含めて危機的状況でも冗談をふかすキャラが多く、また恐竜が人間を襲うシーンでもひどすぎて笑えてしまうブラックなものが多かった。
娯楽作としてどっちが好きか、って言われたら僕は『〜ワールド』を選んでしまう。現代っ子なのかもしれない。

と、どうしてもパークとワールドを比較しながら観てしまうので、素直に『ジュラシック・パーク』単体で楽しむ見方はできなかったが、それでもこの映画の凄さはよくわかった。
『ロスト・ワールド』と『Ⅲ』も勢いで観ておこうと思っている。