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散髪ジプシー

散髪が苦手だ。

以前ブログにも書いたかもしれないが、どんな髪型が自分に似合うのかわからないし、かといって、ヘアカタログで「これにしてください」と言っても、髪質や髪の量(とくに問題)によって「できません」と言われたら手詰まりだし、そうなると、美容師さん、理容師さんにお任せ、となるのだけれど、それで「満足」という結果を得ることもあまりない。
美容師の友達がほしい(友達の友達でもいいから!)と切実に思う今日このごろである。

今の部屋に引っ越してきて、HotPepperで美容室を探しては行き、探しては行き、とやっていたところで2年ぐらい前に見つけた美容師さんが、わりと良かったので、それからはずっとそこに通っていた。
11月の下旬に切ってもらって、年内に行こうかどうしようか迷ったあげくに、年を越してしまい、もうけっこうな伸び方になってしまったので、また予約しようとサイトを見ると、僕の担当美容師さんがもういなくなっていたのだ。

いや、予兆というか、なんとなく店の雰囲気で、仲良くなさそうだなー、なんていうのは思っていたのだけれど、まさかの展開。
まあ、そこでずっと勤めるのが良いかどうかはわからないから移籍するのは仕方ないのだが、美容師さんの行く末も気にしつつ、じゃあ僕は誰に髪を切ってもらえばいいのだ?というのが最大の悩みなのである。

そんなわけで、ふたたびHotPepperで美容室を検索しているのだが、なかなか「コレ!」というのが見つからない。
もう、ついに「1000円カット」デビューか?という意見が一瞬、頭をよぎるが、それはなんとなく行きたくないんだよなー。
ちょっとは「オシャレ」(なふり)をしていたいんだと思う。

髪は伸びる一方だが、切る方はまだ決まっていない。
あと1週間ぐらいは大丈夫そうだけれど、果たしてどこで切ることになるのやら。

つづく

まもるくん

今日はいつもより遅く起きた。

この週末はそれなりに忙しくて疲れていたし、特に予定もなかったので、今日は完全オフモードにしたのだ。
8時過ぎに起きてダラダラと過ごしてしまい、でも、さすがに一日ダラダラはもったいないので、目覚ましのつもりで11時頃にシャワーを浴びた。

シャワーを浴び終わったときに、自分の部屋のほうから
「ピー、ピー、ピー!」
という警報が聞こえた気がした。

「気がした」というのは、その警報は初めて聞くものだったし、僕の持っている機器で、そういう警報が出るものがないから。風呂場で疑問を抱いているうちに
「ピー、ピー、ピー!異常です!」
と、今度はコメントまでついて聞こえてきた。

慌てて自室に行って、鳴るとしたらエアコンか、オイルヒーターかなと思って、その2つの電源を切る(裸で)。
一旦はそれで鳴り止んだのだが、何が鳴ったのか、それに本当に自分の部屋のものが鳴ったのかわからず、どうにも釈然としない。
隣の部屋がリフォーム中のようなので、その作業中になんか鳴らしたんじゃないか(それにしては音が大きすぎるが)と思っていたら(まだ裸)、またしばらくたって警報が。
これは間違いなく自分の部屋で鳴っていると確信。しかし音の発信源が見当たらずに(裸で)戸惑いながら上を見上げると、火災報知器がついていることに気づく(今さらかよ)。

いや、ついていることは知ってましたよ。でも普段いかにこういうものを意識せずに暮らしているのか、ということを思い知らされた次第(裸で)。

とくに煙も出ていないし誤作動かなーと思って、音を止めるボタンらしきものを押したら、鳴らなくはなったけれど、今度は時々赤いランプが点滅するようになってしまった。
位置的にベッドの上なので、ランプがずっと点滅するのも気になるし、夜中に警報がなったら嫌だから、報知器のサイドに書いてあった問い合わせ先に電話をしてみる(そして着た)。

その係の人が言うには、多分、埃や汚れによる誤作動だから、一旦外して電池を抜いて、センサーのあたりをふきんで拭くか、掃除機で吸って元に戻せば止まるはず、とのこと。
とりあえず対処法がわかったので、言われた通りにふきんで拭いて電池を入れ直したら、やっぱり
「ピー、ピー、ピー!異常です!」
と言われてしまった。

これ、ずっと直らないと面倒くさいなー。もう電池抜いて放置しとこうか(「火災放置器なんつって」というダジャレは思い浮かばなかったが、今思い浮かんだので一応書いておく)、でもそれだとマンションなので、万が一の時に責任取らされるなー(真面目)とか考えながら、息でフーフー吹いて電池を取り付けたら、今度は鳴らなくなった。
そのままそっと天井にとりつけ、現在に至る。

「これって鳴るんだ」と思ったら、今まで意識せずに暮らしてきたのに、やたら気になるようになってしまった。結局鳴った原因が曖昧だから余計にね。
一度も鳴らないのが良いのか、ちゃんと機能しているという点で鳴ったほうがいいのか、その辺はよくわからないが、誤作動だけは勘弁してほしいなーと、背後にある報知器を意識しながら、今このブログを書いている。

緊急地震速報と同じようなビックリするものがひとつ増えてしまった。

成人式の話

新成人のみなさん、おめでとうございます。

ところで、僕は成人式に出ていない。
小学校から電車通学だったため、地元の友達が全くおらず、行ってもひとりぼっちになっちゃうだろうなー、というのが理由のひとつではあった(バイトも入っていたけど、それは多分断れた)。
あと「あえて出ない」というのがロックっぽい、という気持ちもあった。

ただ、今の自分からすると、ひとりぼっちだろうが、成人式には出ておけば良かったと思う。一生に一度だからね。
赤の他人が一緒になって、年齢を祝ってくれるイベントも、もう60歳にでもならない限りないわけだし。

同じ会社の人の娘さんが「明日は娘の成人式なんで休みなんですよ」と昨日言っていて、その人は早くに奥様を亡くして男手ひとつで娘さんを育ててきたということを知っていたので、その心境を思うと僕も素直に嬉しくなった。
そういう家族の気持ちも含めて、成人式には出ておいたほうがいい。
それを上回るやりたいことがあったり、本当に行くのが嫌だったら、出なくていいけれど、あまのじゃくをこじらせて出ないつもりならば出ておいたほうがいい。
来年以降、成人式を迎える人に、このインターネッツの片隅から訴えかけておきたい。

まあ、そんなロックを気取って(嘘)成人式に出なかった僕は、それからもう一回成人式を迎えられるぐらいの道のりを歩んできたけれど、振り返ってみるとあの時とあんまり変わんねーな、と思ったりする。

一応、まだまだインドア系ロックンローラーのつもりでいるけれどね(それを「ボクちゃん」とも言うが)。

あくびシステム

人の話の最中によく欠伸をしてしまう。

先輩から「ん?俺の話つまんない?」と冗談めかして皮肉られていたのが、あまりの頻度に、最終的には「よく欠伸するなー」と、もはやツッコミに何のひねりもなくなったほどだ。
誰の話でも、というわけではないのだけれど、真剣な場だろうが気の抜けた場だろうが、そういうのと関係なく、出る時は出るという感じだ。

今朝、通勤中に眠気で欠伸をしたときに、ふと、自分のそういう癖(と言っていいのか?)を思い出して、欠伸が出る原因を考えてみたが、おそらく

1.話がつまらない(興味がない)
2.話が難しすぎる(理解できない)
3.単純に寝不足

のいずれかかなーと考えてみた。

いずれにせよ、失礼な癖(もう癖と言います)なので今日から改めていこうと決意した矢先に、部下でもある同僚との話の時に欠伸が出てしまい「私が話す時、いっつも欠伸するよね」と指摘されてしまった。
そこで考えてみると、僕が欠伸が出るときは、

1.相手が仲の良い人である
2.自分がその話の話し手ではなく、聞き手である時に出る

という新しい要素に気づいたのだった。

つまり、まあ、欠伸しても許してもらえる、というぐらい気が抜けている、そういう心を許せる相手だと思っているのかもしれない。
逆に言えば、僕に欠伸をされた人というのは、それだけ僕が無意識に「心を許している」ということでもあり、「高野さんに欠伸されたことある」という方は、それは「僕が貴方を信用している」ということと言えます。

というようなことを、その同僚に話したけれど、納得はしてもらえなかった。
おまけに、話の続きでくしゃみが出て「そこまでか!」と呆れられた。

本当の原因はどこにあるんでしょうかね。
今後、欠伸が出る度に検証していきたい。

年明け12日目の思い

2018年初のイベント仕事をこなす。

規模はそんなに大きくはなかったのだが、いろいろな方面に気を使い、そして神経を使う感じの企画だったので、終わったら精神的にどっと疲れた。
まあ、無事に、そして参加者の皆さんのご機嫌がよく終わったので、気や神経を使った甲斐はあった。
余力が残っていたら、帰りにジムに寄ろうと思っていたけど、そんな状態ではなかった。
もっとも、それは今日疲れたから、というだけではないのかもしれない。

年が明けてから、けっこうハードに活動している。
一日、家にいて英気を養う、という日はなく、どこかしら出かけていて、20時前に帰宅した日がない。そういう日々の疲れがちょっとずつ溜まっているんだろう。
そういう日々を送って、なにか成し遂げられそうか、っていうとそうでもないし、でも毎日をダラダラ過ごすよりは成果がありそうな気もするし。今の忙しさが、なにか形になるのは少し先なのか、あるいはなにもないのか。
とにかく一歩一歩進むしかないなーということだろう。

とにかく、今日はひとつ仕事をこなしたのだ。
だから、明日もまた頑張ろう。

『ボヘミアン・ラプソディ』

僕が初めて「クイーン」を聴いたとき、フレディ・マーキュリーはすでに亡くなっていた。

大学の友人が大ファンで、彼から「グレイテスト・ヒッツ」(vol.1)を借りたのがきっかけだった。その後、自分でそのCDを書い直して、学生時代と卒業後の一時期はやたらと聴いた。

当時、クイーンが有名なアーティストであるということはわかってはいたけど、僕にとってはベスト盤しかもっておらず、洋楽なら他にビリー・ジョエルやヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース、フィル・コリンズのほうが好みだったので、知識としては「フレディ・マーキュリーがAIDSで死んだ」ということぐらいで今日まで来た。
だから、この映画を絶対観よう、という気はなかったものの、やたら評判が良かったので、やっぱり観てみようと思ったのだ。

さて、フレディ・マーキュリーの自伝というより、あくまでも「クイーン」の歴史を、彼を中心として、バンドの結成から再結成して出演したライブエイドまでを映画化したもの。
もちろんフレディ・マーキュリーという唯一無二のアーティストの存在は大きいものの、このバンドが、決してワンマンの力でのし上がったのではなく、それぞれが影響しあって偉大なバンドたりえている、というのが面白かった。
とくにブライアン・メイのまとめ役としての能力がなかったら、このバンドはもっと早くに空中分解して、元の鞘に戻ることもなかったのではないかと思う(まあ、この映画で描かれていることが事実なら、だけど)。

実話をベースにしているので、フレディが破滅へと向かっていった原因が「あいつ(観た人はわかりますよね)が全部悪いんじゃねえか!」という描かれ方が本当なのか(っていうかあれでいいのか?)という点や、バンドとして挫折がなさすぎるのはストーリーとして気にはなったが、フレディの孤独や、アーティスト、そして人間としての魅力が伝わり、それを踏まえてのクライマックスであるライブエイドの歌唱シーンは、彼のそれまでの人生と歌詞の内容が相まって泣けた(さほど良い曲と思っていなかった「レディオ・ガガ」もすごく良かった)。

フレディ・マーキュリーの人生で、彼がゲイ(バイ・セクシャルとも言えるが)であることを描くのは避けられないけれど、それをブライアン・シンガーがどう描くのか(あるいはゲイのアイコンにしすぎるのではないかと)、途中でちょっと頭をよぎったけれど、最終的に、ゲイだろうがなんだろうが、人間としての付き合い、つながりで、メンバーや周りの人間が彼を「ひとりの人間」として付き合っていることも感動的だった。

あと、この映画がヒットしている理由は、観た人それぞれで心を揺さぶられる部分が違って、そして、ともかく自分の人生と重ね合わせて考えさせられる部分が多いからだと思う。
映画の中で、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞が「意味がわからない」と指摘されたときに、「歌詞は聴く人それぞれに委ねる」というようなことを言っていたのだけれど、それと同様に、映画の意味を「観る人それぞれに委ねられる」作品。

「クイーン」というバンドの偉大さを痛感するとともに、映画としてのスケールの大きさも実感する。確かに凄い映画だ。
そして、当然のごとく「グレイテスト・ヒッツ」を(今度はVol.2も含めて)買いたくなってしまった。
映像の力と音楽の力をまざまざと見せつけられる映画だった。

『シュガー・ラッシュ:オンライン』

前作『シュガー・ラッシュ』は2年前にケーブルテレビで観て、大お気に入り映画になったので、『シュガー・ラッシュ:オンライン』を劇場に観に行ってしまった。

前回は、ゲームの楽屋裏があったらどんな感じか、を描いていたが、今回はインターネットの楽屋裏を描く。
インターネットの世界の描き方(可視化)が見事で、インターネットに“中の世界”があったら、こういう感じだろうなーというのが良くわかる。
それと、インターネットはオフラインの世界よりも怖く、悪いもの(不正なもの)と正しいものの区別がつきにくさや、悪意が増幅してしまう感じも表現している。
それにひっぱられてか、ディズニーとしては攻めるくらいに、シニカルでブラックな笑いが多く、前作よりもその路線が強くなったかも。

僕は2年前に観たけれど、実際は前作から6年もたっている。
前作はヴァネロペ役の諸星すみれの演技が可愛すぎて、それもこの映画の魅力だったが、6年たった今回もその魅力が変わらなくてすごい(ラルフ役の山寺宏一はもちろん!)。

ラルフは大人で、ヴァネロペは子どもな見た目をしているけれど、それはキャラクターだから、とも言えて、どっちも中身は子どものよう。
ストーリー展開としては、その二人がそれぞれの「大人」になることを描いている。なので前作のように、ハッピーエンドで大団円。という結末ではない。
でも、この二人の関係は「親友」と描かれているが、「恋愛」や「友情」といった言葉では表せない二人の「絆」の、その思いの強さゆえの衝突を、二人でどうやって乗り越え、そして乗り越えた先には新しい関係があり、関係を更新して、さらに「絆」は深まるのだ、ということを改めて考えさせられる(もちろん、実際には残念ながらそこでサヨナラしてしまう関係もたくさんある)。シンプルだけど強いメッセージを入れるあたりはディズニー映画らしい。

単純に、ネットの世界の戯画化でネットあるあるが(まさかアレが入ってるの?みたいに、ネットで流行ったものを知っていれば知っているほど)楽しめたり、ディズニープリンセスが勢揃いして、しかも声優が同じ(つまり松たか子も神田沙也加も出ている)という豪華さやら、マーベルやスターウォーズもグループであるので多くのパロディができるディズニーの強さを感じたりした。

あと超個人的見解だが、クライマックスのシーンで、僕はファミコン通信で連載していたマンガ「しあわせのかたち」の「Dr.オリマ」の回を思い出したのだ。
それは同じくゲームをパロディにしているマンガだったから思い出したのか、この映画製作者が「しあわせのかたち」を読んだことがあるのか、はたまた、ああいう演出はこれまで使い古された手法なのか(桜玉吉自体がパロディをやってたからね)、誰か知っている人は教えてください。

少しほろ苦さが残る結末だったけれど、主人公二人の関係性が今後どうなっていくのか。もちろん続編をぜひ作って欲しい。

神田さん

僕の会社には神田明神の御札や御守が置いてある。

仕事始めの時に、社長以下幹部の面々が神田明神にお参りして、いただいてくるのだ。
そのタイミングで、昨年の御札、御守を持っていって納めてくるのだけれど、自分の部署の御守が目立たないところに貼ってあるのを、今年の御守と交換するときに発見して、これを放っておいてはいけなくなった。

僕の職場には、元神主さんという女性がいるので、「これ、納め損ねちゃったんだけどどうすればいいですかね」と相談したら、「神田さんだったら近いから、神田さんに行って納めてくるのが一番いいですねー」とさらりと言われてしまった。
僕としては、「そうですかー、それではっ!」とか言って、その場で祓詞か祝詞かを唱えて、即、解決!
とかになることもちょっと期待したりしたんだけれど、いただいたものは、いただいた所に戻す、というシンプルな結論が出たので、休みを利用して、神田明神に行ってきた。
人生初神田明神かもしれない。

今年の初詣は、例年どおり大宮の氷川神社で済ませているのだけれど、せっかく神田明神に来たのに、御守を納めるだけでは失礼だと思い、きちんとお参りをする。
神田明神は商売繁盛の神様として有名なだけあって、8日でもけっこうなスーツ姿の団体がいた。
僕も混じってお参りをして、神社に行ったら、絶対におみくじをひきたくなるのでひいた。

結果は「吉」。
氷川神社では「末吉」だったが、どっちも似たような結果が書かれていて(「待人来るし、注意深くすれば願望叶うけど、病気と争いごとに注意な、」)、今年は控えめにしつつ、でもまあまあ良さげなのかなーと思ったりする。

まあ頑張る気にはなる結果だったので、頑張りましょう。

お返事書いた

年賀状をいただいたので返事を書く(もう8日だけど)。

僕は年賀状“書かない派”なので(とくに派閥はないと思いますが)、自分から出さないのだけれど、いただいたものに返事はする。
基本、会社関係の方々ばかりで、プライベートな年賀状はほぼなく、それはちょっと寂しかったりもする。バレンタインのチョコレートのように、年賀状ってひとつの人気のバロメーターだった時代があって、その時のことを思い出したりもする。

それから、めったに交流のない友人から、年賀状として連絡が来ると、とても嬉しい。昔はそういう気持ちを伝える方法が手紙しかなかったから、年賀状という慣習ができたのかもしれない。
年賀状じゃなくても、「新年」というきっかけを理由に、疎遠になったけど気になる人にはメールしてみようかな、という思いになった。

などと、言ってるうちに1年たっちゃうんだよねー。
新年うんぬんではなくて、会いたい人にはちゃんと連絡をするようにしないといけないな。

仕事始め納め

1/4から始まった2019年の仕事が今日で一段落(元日も働いていたけど)。

旅行時は別として、2日連休で休んだのは久々だったので、その後の4日間はそれなりに疲れた。
会社だけでなくて、勤務後に校正やらジムやら歌い始めやら打ち合わせやらと、毎日まっすぐ帰らない日が続いたのも疲れた理由ではある。
でも我ながら良く頑張った。

一般的には今日から仕事始めで、5日間働く人が多いのだろうから、それはそれで大変だろうなと思う。リズムを取り戻す、というのはなかなか難しいのだ。
そう考えれば、この勤務体系もそう悪くないなと思う(会社に洗脳されてるだけかもしれないが)。

明日しっかり休息して、今年のリズムをきちんとつくっていきましょう。