七夕の夜、空を見上げることも忘れた

そういうタイトルの脚本を20代の頃考えたことがある。

深夜の単発ドラマか、小劇団のやってる芝居っぽくって、ちょっといいタイトルだなーと当時、我ながら思った。
タイトルだけ先に思いついて、一行も書いていないんだけれど、童心を忘れて忙しく過ごしていた主人公たちが同級生の死を知って、それぞれのこれからを考え直す、という群像劇だった気がする。
まあ、そういう物語を“普通に”考える若者だった自分が、自意識過剰っていうか、やっぱり変わってる気がするね(ほっとけ)。

七夕といえば、幼少の頃は短冊に願いを書いたが、カトリック系の小学校に通っていたこともあって「世界は平和になりますように」とかそういうことを書いていた気がする。
当時からそういうふうに空気を読んでいたかと思うと、それはそれでなんだろう、「うわーっ」ってなりますよね(「うわーっ」って)。

でも「織姫と彦星が会いたいよ」(ざっくりすぎる)っていうものに、幼心にも「合体ロボが欲しいです」みたいなことを書く気分にはならなかったのも事実ではある。

で、やっぱり学校が関わらなくなると、七夕という行事は忘れがちになってしまう。
節分の恵方巻きのように、なにか無理くり慣習を盛り込むと流行るんじゃないの、と敏腕プロデューサーとしては思うわけだ(いつからだよ)。
そうだね、天の川に見立ててそうめんを、それも数本色のついた麺がまじったそうめんを、天の川の方角を向きながら食べるとかどうだ?
北関東では有名な風習です、みたいな。←ありそう。

もっとも、地方によっては盛大な七夕祭りがあったりして、そんな余計な慣習を創作しなくても(創作ってバラした。僕にはまだ善良な気持ちが残っていたのだ)、今日という日は盛り上がっているのだろう。

七夕祭りといえば仙台だ。
仙台といえば、僕にとっては約束の地だし、散歩したあのアーケード(クリスロードだ)が、七夕飾りで飾り付けられているのを想像して、感慨にふけったりもできる。
なんか今朝、仙台の結婚式場のサービスがひどくて話題になっているのを目にしたが、仙台自体に罪はないし、僕にとっては素敵な場所のままだよ、仙台(今日は神戸でTrySailライブがあったんだよなー。神戸は熱く燃えたんだろうなー。うらやましい。セトリ知りたい)。

さて、それはさておき、去年の七夕に何書いてたかなーと思ったら、七夕前日に「七夕前夜」ってタイトルのくせに、中身が全く関係ないこと書いていて、七夕当日はなんと炭酸水のことを書いていた。
読み返すと、やたらと眠い、眠いと書かれていて「大丈夫か、俺」と思う。
今もだいぶ眠いので、時期的なものかもしれない。
1年って早い。何書いたかも、何考えてたかも忘れている。

七夕の夜、去年のブログに何を書いたかも忘れた。

このタイトルでは、しまらないどころか、忘れんぼなだけだな。

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