年に2日ぐらいは神妙な気分でいてもいいと思う。
僕にとってはそれが1/17であり、もう1日は3/11。
かといって、何かを自粛するわけでもないし、楽しみを放棄するわけでもない。ただ、ふとした瞬間に、人生について、“生きていること”について思い出しては、思考をめぐらすことが多い日だし、それをすることで、僕は何か“赦し”のようなものを求めているのかもしれない。それは多分、自分のことを「まだきちんと生きてない」と思っているからだろう。
去年書いたように、24年前の僕はとても甘ちゃんだったし、今の自分を考えてみても、あんまり本質は変わっていないように思える(自分だけでなく、いまだに他人から「ピュア」だの「子ども」だの言われたりすることもあるのだ)。
ただ、あの時に比べて、震災とか災害とかを(直接、知り合いが被害にあわなくても)他人事と思わずに受け止められるようにはなった。
もちろん、自分の直接の悲しい出来事のほうが、自分にとっては大きいけれどね。
忘れないことと、つないでいくこと。
そのために自分ができることを考える。
今は、自分で思考をめぐらすことと、こうやってブログに残すことしか思い浮かばないけれど、あの日のことをきちんと自分の中で残しておくことを忘れないでいたい。