個性的な送別会

時期的に珍しいが、会社で退職される方がいて、その人の送別会だった。

定年退職に近い感じなので、湿っぽい感じではなく「卒業します」的なノリだったんだけれど、送られる人の要望がたくさん盛り込まれていて個性的な楽しい会だった。

僕の世代は「好きなように生きる」ということができなかった世代だ。
バブルの頃はまだ学生だったし、社会人になる直前に超氷河期となったので、大人になって(つまりひとりだちして)から、イケイケドンドンなことをしたことがない。
いや、僕の世代でもそういう人はいないわけではなかろうが、それは広告代理店だのテレビ局など華やかな企業に就職した一握りの人たちだと思う。
あの界隈はけっこう長いことバブルを引きずることができていた。

今回、送られた人は世代的に言って、資本主義経済の、というか日本の高度経済成長の良い時代を体感した人なはずだ。
日本自体が浮かれに浮かれて、消費することが正しい、みたいな時代も経験してきただろう。
それを羨ましいとかは思わないのだけれど、じゃあ、僕があと20年たって、いったい何を“経験”として個性をだせばいいのだろう、と真剣に考える。
もっと言えば、僕の世代では「世代」で語れる「個性」なんてないはずなのだ。

だから、自分は、自分である、という個性を、自分で主張していかなければいけない。今はそういうシビアな時代なのだと思う。逆に言えばひとりひとりが個性をだせる、大きなチャンスの時代なのかもしれない。

自分が何者で、何が好きで、何ができるのか。

まずはそれを主張するべきだろうと、送られる人を見て、そう思った。
あるいは、ただ酔っ払ってるからかもしれない。

ディレクション

毎日ブログを書くという行為はいったいどういうことなんだろうか。

他の人の事情はわからないが、僕の場合は誰かに脅されているわけでもないし(「毎日ブログを更新しないと髪の毛を一本ずつ抜いていくぞ」とか)、1年書き続けたら賞金がもらえる賭けをしているわけでもない。
知り合いの「芸事」で生きている人が毎日ブログを更新しているけれど、そういう「販促活動」みたいなものでもない。

ただ、なんとなく、だ。

ただ、なんとなく、をかれこれ5ヵ月続けている(と、振り返ってみて、ずいぶん続けてきちゃったな、おい。と自分にツッコミを入れてます)。

それなりにネタを探して書いているつもりだが、毎日となると、どうにもこうにもネタがない時期がある。
以前ブログを1年毎日更新した時も、やっぱりネタがなくて、

疲れた。明日頑張る。

みたいなので終えた日もあった気がする。

包み隠さずなんでも書いてしまえばいいのかもしれないけれど、日記と違うから、あまりにもパーソナルなことは書かない(パーソナルなこと全開なときもあるけど、それでもひとに見せる体で書いているんですよ)。
僕のブログは、1000年後ぐらいに発掘されて「2018年に日本という国で生きていた中年男性の日常」みたいな扱いをされれば、それでいいと思っているのだが(ポンペイの落書きのように)、ありがたいことに現時点でこのブログをチェックしてくださっている方も数人いるので、ダラダラと文章を垂れ流すだけではなく、ちゃんと方向性をつけないといけないな、と思い始めている。

好きなことだけ書いていればいいのか、社会問題について取り上げればいいのか、全然はっきりしていないけれど、しばらく迷走しつつ、方向づけしていくつもりだ。

とりあえず毎日更新は続けようと思う。

10日ほどの健康志向

あと10日ほどで健康診断。
そんなわけで体調管理に余念がない。

とまでは言わないが、少しづつ節制したりしている。
食事と運動。

今週2度目のジムへ行って筋トレとランニングしてきた。
ジムで体重を測ると思ったより低い数字がでて「おっ!」と喜ぶが、翌日自宅で測るとだいたい増えている。なんだろう。手品?

食事のほうはなかなか上手くいかず、ついついカロリーオーバーしてしまうわけだが、体重を減らすには「食事9割、運動1割」という話を同僚から聞いたので、それが本当なら9割のほうをなんとかしないといけないのだ。
ラーメンとかフライドチキンとか、ましてやフライドポテトとか、しばらく厳禁だ。

美味しいものはカロリーが高いのはなぜなんでしょうね。

ゴーストバスターズ

『ゴーストバスターズ』を1と2続けて観た。

今、考えるとなんでこの映画があそこまで大ヒットしたのかよくわからない。そこそこ面白いけど「誰でも楽しめる」映画じゃない。
主役もさえないおっさん達だし、「サタデー・ナイト・ライブ」の面々が少し派手目なSF映画を作った、という本当にそれだけの内容。

多分、お化け退治のガジェット(レーザー銃と捕獲装置)のデザインとか、ノリの良さ(テーマソングも含めて)がウケたんだろう。
当時、僕はこの映画をスクリーンで観ていないけれど、主人公たちの装備が、現実の延長上にあるガジェットっぽくてカッコイイ、と思っていた。

「2」の評判が良くないのは、逆に「大衆向けの映画」として作ったからのように思った。キレイにまとまっているけど、前作のような“アドリブ感”が少ない。
お蔵入りになった「3」はどんな感じだったのか、脚本だけでも観てみたい。

あと、この映画のビル・マーレイの魅力は、今観ても、僕にはイマイチわからない(キャラも感情移入できない)。
『知らなすぎた男』とか『恋はデジャブ』ではすごい良いのに。

ところで、僕には勝手に『ゴーストバスターズ』の一場面だと思っていたシーンがある。いや、正確に言えば頭では違うとわかっているのに、今回観た際に、そのシーンがでてくるのは『1』だったけか『2』だったけか、と身構えたぐらい。

とある老婆がスーパーに入って、売り物のトマトの品定めをするために、トマトに指を突っ込んでいくのだ。それに気づいた店員に追いかけられる、というシーン。

そう、これは『タンポポ』の1シーンのはずだ。

でも、僕には『ゴーストバスターズ』のシーンのような気がずっとしていた。このシーンがなかったことで「あれ、これ(ケーブルテレビなのに)カットされてんじゃね?」と一瞬思った。
なぜか、僕の頭では『タンポポ』と『ゴーストバスターズ』が一部ごちゃまぜになっているのだ(しかも元は邦画なのに、頭だと外国人で再生される)。
なぜなのか、その謎はいまだ解明されていない。

妖怪のせいかもしれない。

走る原因

東京大学が、合奏の際になぜ意図せずにテンポが速くなる(業界用語で「走る」)のか、その原因を解明したらしい。
https://clarinet-labo.com/run/

合奏は確かに走りがちだ。僕も合唱時代に経験している。ちゃんと指揮の先生がいるのに走ってしまう(ちゃんと指揮を見ていないだけかもしれないが)。
この研究結果を簡単に言えば「速い人にテンポを合わせるから」という理由。
納得いくようないかないような、それでいてだからどう解決すれば良いのか、少し残念な研究結果だと思う。

音程はピアノのようなラならちゃんとラの音が出る楽器が入っていれば、フォローができそうな気がする。
それは正しい音程を出す楽器に合わせれば良いからで、(僕は合唱しか経験はないが)高い音に合わせがちになっても、どこかで修正できる。

テンポには「絶対音感」のような「絶対テンポ感」はないのだろうか?
そういう能力を持つ人が指揮をして、そこに合わせれば走らない(走っても修正効く)はずだが、逆に正確なテンポでの演奏を聴いてもつまらないのかもしれない。
機械の演奏がつまらない(かどうか、ちゃんと実験したわけではないけど。)ように、音程もテンポもちょっとしたズレが味になるのだろうか。

そうすると設計図である譜面通りに弾いても、それ以上に良い出来の演奏がある、ということなのか?
それって作曲家としてはプライド傷つくんじゃないのか?
とか考え始めるとキリがない。

そういうところが、音楽を含む芸術の奥深さかもしれないが、今度はそういう検証結果が知りたい。

解明されても、僕にはほとんど理解できないだろうけど。

招集

私は株主である。

とか偉そうなこと言ってみたが、去年、地元にあるチェーン系飲食店が応援したい感じの良いお店だったのと株主優待がわりと良かったので100株(1 単元)持っているだけだ。
それでも昨日、「株主総会招集ご通知」なるものが届いて、思わず「うぉぅ」と声が出た。
あ、俺、株主なんだ、って。

参加しない場合でも、議案についての賛否を表明して送ることになっているらしい。
すごい、なんだか一企業を動かしている人間みたい(錯覚ですね)。

日時的には参加できそうな感じなので、株主ヅラして株主総会行ってみようかと思ってしまう。社会科見学のつもりで。

それにしても、こういうことで社会とつながっているんだなーと改めて思ったりする。

明後日から本気出す

今日は朝から夜遅くまで仕事だった。13時間労働。

午前中は外出して、とても貴重な経験をしてきた。緊張して疲れたが、なんとか良い結果に終わったのでとりあえずはひと安心。
もうそれだけで今日は帰ってもいいぐらいの仕事をこなしたつもりだけど、そうはいかないのが勤め人の辛いところでもある。せっせと22時半まで勤め上げた(電池切れ気味で20時くらいから安全運転したけどね)。

5月に入ってから半月、思い返せば怒涛の日々だった。色々ありすぎて、情報量に脳が追いついていかない感覚(ちょっと前も同じこと書いたな)。
そしてきちんと休むための休息を取れなかったのもある。明日は、ようやく完全オフなので、これを日に体制を整える。

まあ、これをやる気の先送りとも言うのだろうけど。

思い出はもう少し後

ファミコンミニの週刊少年ジャンプバージョンが発売される。
https://www.famitsu.com/news/201805/14157186.html

発売は7月7日だが、今日から大手販売店で予約開始となったようだ。
当時、週刊少年ジャンプは毎週読んでいたし、今回収録されているソフトも懐かしいものが多い。
「ぜひ買いたい!」と予約に走りたい…という気持ちもあるのだけれど、ちょっと逡巡してしまう部分もある。そのアンビバレントな気持ちは一体、どういうことなんだろう、と思っていた。
で、この話題を友達にしたところ、彼が言ったひとことが、まさに答えだったのだ。

「老後にやりたい」

そう!そのとおりなのだ。
ここに収録されているソフトは自分が実際プレイして思い出に残っているもの、欲しかったけれど買えなかったもの、そのどちらも「懐かしい」という感覚が、買いたい気持ちの主な要因である。
ただ、このゲーム群が果たして本当に面白かったか、と言われると少し(ものによってはかなり)微妙なのだ。

通常バージョンのファミコンミニのラインナップは、ゲームとして今遊んでも面白いものが多い。懐かしさだけでなくちゃんと面白さをもっている。だから、当時プレイしていなかった子どもが遊んでも、それなりにハマると思う。
でも、この「ジャンプバージョン」に収録されているゲームの面白さは、そういうものとだいぶ違う。

後半難易度がめちゃめちゃあがる理不尽さに耐えながらも進めた「神龍の謎」や、パワーアップの玉をとったもの勝ちの「マッスルタッグマッチ」、物語が中途半端で終わるが、戦闘が面白かった「聖闘士星矢」、友達の家でその難しさに文句を言いつつ遊んだ「キン肉マン 王位争奪編」…など、ゲームとしてダメな部分もまた面白かった、という思い出含みの面白さでできているラインナップなのだ。
だから、今すぐやりたい、というよりは、もっと年を重ねて年金ぐらしになった時ぐらいに、ひなたぼっこしながら思い出に浸りつつプレイしたい。
友達の言った「老後にやりたい」という言葉は、この商品に対する僕の思いを的確に代弁していたのだ。
(そしてこのラインナップに「ドラクエ」という“ちゃんと面白いゲーム”が入っているあたりに、企画者の「思い出だけでは売れない」という狙いを感じたりもする)

もちろん、その「思い出」を今すぐ取り戻したい人もいるだろうし、このラインナップを揃えて商品化したことは画期的だとは思う。ゲームファンとしては素直に喜んでいる。

ただ、僕がプレイするのはもう少し老後でいい。

とはいえ、当然限定発売だろうし、僕がやりたいという時までは売ってないだろうから、老後のために今買っておこうか、と思ったりもする。それも狙いのうちだとしたらなかなか小憎らしい。

「売ってるのを見かけたら買う」という、縁だよりにしておこう。

母の日

母の日なので実家に帰った。

だからといって、とりわけ何か特別なことをするわけではない。
昨晩、家族でちょっとしたお祝い(いつもより少し豪華な夕飯)をし、今日は買い物に付き合った。
親が健在なうちに一緒に過ごすことも、ひとつの親孝行だと思ったりもする(何もしない言い訳でもある)。

こういうアニバーサリー的な日に書くことがない、というのもブログとしてどうかと思いますけどね。

みなさんはどんな母の日を送りましたか?
(ネタがない時の常套句)

共闘

帰る道すがら、ポケモンGOをやっていた。

といっても、卵をかえす距離を稼ぎつつ、身近なポケモンを捕まえるだけの「いつもの作業」なのだが、デイリーミッションの中に「レベル3以上のレイドバトルに勝つ」というのがあり、ちょうど帰り道途中のジムでレベル3のレイド(エビワラー)が始まっていたので、ひとりで倒せるかはわからないけど、とりあえず立ち寄ることにした。

ジムをロックオンできるくらいに近寄った時に、親子連れとすれ違った。その時、息子さんが僕のスマホを横目で見たらしく、一旦すれ違いながら、僕を追いかけてきたのだ。イヤフォンをしていて聞き取れなかったのだけれど、どうやらレイドバトルするなら一緒にやってほしいとのこと。その後、お父さんから「もし良かったら一緒にやってくれませんか」と依頼を受ける。小学3年くらいの息子さんはレベル29だったけれどあまり強いポケモンを持っていないらしく、聞けば、4回ひとりでレイドバトルに挑んだものの、未だ勝てずにいたらしい。

そんなわけで、噂には聞いていたものの、僕自身初となる、その場で知り合った人との共闘が行われることになった。

僕自身もレベル34だし腕ききトレーナーとは言えないのだが、幸いレベル3のレイドバトルに勝てる程度の実力はあったので、難なく二人でエビワラーを撃破。

あとは、彼がちゃんとエビワラーをゲットしてくれることを祈るばかりだったが、これまたあっさりと1発でゲットしてくれた。

「おおー!すごい!やったね‼︎」と自分のことのように嬉しかったのと同じくらい、ホッとしたのも事実。少年(とお父さん)の期待に応えられて良かった。

お父さんのしつけの良さも感じたし、こういう良い出会いができるツールとして、ポケモンGO作った人に敬意を抱いたりもする。きっと、ようやくゲットできてお父さんも安心しただろうし、少年も頑張った甲斐があったろう。

で、その二人と別れたあと、ふと思ったのだけれど、少年の年齢からして、その“お父さん”は間違いなく僕より年下だろうし、ひとりでポケモンGOやってるおっさんである僕は、いったい彼らにどう映ったのだろうか。

バトルには勝ったが何か釈然としない、そんな夜の出来事だった。