個性的な送別会

時期的に珍しいが、会社で退職される方がいて、その人の送別会だった。

定年退職に近い感じなので、湿っぽい感じではなく「卒業します」的なノリだったんだけれど、送られる人の要望がたくさん盛り込まれていて個性的な楽しい会だった。

僕の世代は「好きなように生きる」ということができなかった世代だ。
バブルの頃はまだ学生だったし、社会人になる直前に超氷河期となったので、大人になって(つまりひとりだちして)から、イケイケドンドンなことをしたことがない。
いや、僕の世代でもそういう人はいないわけではなかろうが、それは広告代理店だのテレビ局など華やかな企業に就職した一握りの人たちだと思う。
あの界隈はけっこう長いことバブルを引きずることができていた。

今回、送られた人は世代的に言って、資本主義経済の、というか日本の高度経済成長の良い時代を体感した人なはずだ。
日本自体が浮かれに浮かれて、消費することが正しい、みたいな時代も経験してきただろう。
それを羨ましいとかは思わないのだけれど、じゃあ、僕があと20年たって、いったい何を“経験”として個性をだせばいいのだろう、と真剣に考える。
もっと言えば、僕の世代では「世代」で語れる「個性」なんてないはずなのだ。

だから、自分は、自分である、という個性を、自分で主張していかなければいけない。今はそういうシビアな時代なのだと思う。逆に言えばひとりひとりが個性をだせる、大きなチャンスの時代なのかもしれない。

自分が何者で、何が好きで、何ができるのか。

まずはそれを主張するべきだろうと、送られる人を見て、そう思った。
あるいは、ただ酔っ払ってるからかもしれない。

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