1年振り返り 2017

2017年があっというま、とも思わなかったけれど、いつもにも増して色々な経験をした年だったように思う。

新年早々ミニファミコンを買った。

これがのちに友人が自宅へ遊びに来るきっかけになるということにつながるから面白い。

2月は去年も行ったハワイへ家族旅行。去年とは違うルートを散策して楽しかった。相変わらずよく食べた。

で、帰国後にオンライン英会話始めた。

3月、仲間うちの飲み会でカラオケを100%ガチで歌う。これがきっかけで音楽団メンバー入りして、9月の熊本演奏旅行につながるとは。

6月。

知り合いの紹介で朝7時半に新橋で行われるビジネスミーティングに参加。知らない世界はまだまだある。できる人たちの集まり、みたいな中で自分の立ち位置を考える。わりと馴染めたじゃない?とも思う。

そして、これに参加するために人生初のカプセルホテル宿泊。寝台車みたいな感覚でした。次はビジネスホテルにしよう。

7月、先月演奏会を観て触発され、チェロの体験レッスンする。憧れだけではモチベーションは続かないことも知る。

8月、母を連れて那須旅行。那須は結構行ってるけど、アウトレットやら帰りの羽生の鬼平PAやら新しいところも開拓。

それからジム通い再開(いや12月までの間たいして通ってない)。

あとドラクエ11も買ったよ。

9月

部署転換して、担当が変わる。これは仕事としても大きな変化なんだけど、きっと将来、人生の転機だったと思うことになる(善かれ悪しかれ)。

そして、月末に熊本阿蘇にて行われたグループコンサートで1曲歌う。ちゃんとしたお客さんの前で歌うのは何年ぶりだろうか、と思ったけど振り返ったら2013年のクリスマスに歌ってた。でも4年ぶり。

歌うことは楽しかったし、できないことが多くて悔しかった。

そして人生初、大分上陸。九州もまだ2度目。

11月。発表会の運営をして、出演者の方々から嬉しいサプライズをいただく。打ち上げのレストランのデザートにありがたいコメントと、自分では買えない感じのワインをプレゼントされる。照れずにありがとうと言える人間になろうと思う。ワインはもったいなくてまだ開けてない。

ひとり横浜巡りも11月。誰かと一緒がいい街だな、と思った。デートじゃなくてもいいから。

あとドラクエ11をやっとクリア。SWITCHを買う。でもまだ全然楽しめるほどやってない(買ったことには微塵も後悔してません)。

12月は序盤に風邪をひいて、6日に本番。ギター弾き語り。しかも自分の作った歌。

あえて全音キーを下げてみた(G→F)のだが、結果的にはGが良さそう。試してみたことに意義がある。良い反省点をたくさん見つけられた、次につながるステージだった。

ゲームはミニスーパーファミコン買う。まだ箱を開けてすらいない(買ったことには微塵も後悔してません)。

親しい友人達との忘年会もした。3回ぐらい。世知辛い世の中でそういう方々の存在がありがたい。

スター・ウォーズ観て、クリスマスは相変わらずの「WILD TURKEY」(ダブルミーニング)。

と、この1年のことをもうすっかり忘れていたので、ツイッター見返しながら振り返ってみた。40歳も過ぎたら、1年の出来事にそうそう代わり映えはしないだろう、と思っていたが、新しいこと色々やってた。そして歌う機会が増えて、ゲーム機を3台も買って。

結局僕の人生の中心は音楽とゲームということなのだろう。それをどう捉えて2018年を過ごすか。

まあ来年は、また違う方向に興味持ってるかもしれないけどね。

良いお年を!

惜しいけど大人の事情が感じられる映画 『カンフー・ヨガ』

『カンフー・ヨガ』を観た。

この映画を2017年の締めに見るのもなんだけど、予告編が楽しそうで、しかも僕がジャッキー・チェン映画の中で一番好きな『THE MITH 神話』の監督(スタンリー・トン)の映画だったので、劇場で観ておこうと思ったのだ(このことからおわかりかと思いますが、昔からのジャッキーファンではありません)。
結果的には、予告編が一番面白いパターンだった。裏を返せば、予告編がちゃんと映画の見どころをつないでいるということなんだけれど。盛り上がるシーンがほぼ予告編のシーン、という結果で残念。

仕方のない話だが、ジャッキー・チェンは老けた。往年の動きからはだいぶ落ちたであろう『MITH』からだって12年経っているのだからスピーディーな動きがキツくなるのは当然だな、と思う。かわりに若手俳優のアクションシーンを多めに入れてあるが、やはりジャッキーの代わりができるほどの魅力はない。
なので、満足度はいまいちだったのだけれど、見方を変えると現代の大作映画の作り方を踏襲した映画になっているな、という感想をもった。

この映画は中国とインドの合作なので、まず両方の国でヒットするように作られた。そのために両国の代表的なカンフーとヨガをメインに据えたのだろう(あと、歌と踊りね)。
それから、途中で唐突にドバイロケが入るのだけれど、これはドバイが自国の観光産業をPRするために資本を出したように思える。カーチェイスシーンもあって相当大掛かりなロケで、ドバイの全面協力が伺える。
またCGが多用されていて、しかもその出来がハリウッドレベルに高いのだが、これは最近中国資本が多く入っているハリウッド映画からの技術流入の関係で、きちんと使ってモトをとれ、という事情がある感じがした。冒頭のシーンは全編CGで、これは少ししょぼいが技術力向上のために入れた感じがする。劇中の奴は超リアルだった。

つまり、この映画は、これら「ヨガ入れてください」「ドバイ紹介してください」「CG使ってください」それから「ジャッキーに継ぐ若手アクション俳優の顔見せをしてください」という要素(=大人の事情)が初めにあって、それを足し算したらできました、というつくりになっているのだ。
そして納期に間に合わなかったか、監督にあまりやる気が起きなかったからか、どれも中途半端で抑揚のない作品になってしまった。これはすごく間抜けだったので書いておくが、エンドロールの途中で音楽がなくなってしまう映画は初めて観た気がする(ちょっと劇場の空気が変になったよ)。

そんなわけで、ちょっと残念な映画ではあったのだけれど、ドバイには行きたくなった(帰りに本屋でドバイの観光ガイド立ち読みしたぐらい)ので、まんまと製作の思惑にのせられており、そういうこともあって嫌いになれない作品でした。

年末気分がやってきた

29日になって、巷は一気に年末感に包まれた感じがする。

まず、朝の通勤電車に乗る人が少ない。しかもスーツ姿ともなると極端に減る。だいたいの会社は今日が仕事納めが多いのだろうけど、この感じではすでに休みになってる会社も結構ありそう。

と、いいつつ帰りの18時半ごろの電車は混雑。普段のサラリーマンが少ない分を親子連れ他、休みで出かけている人たちが埋めていつもの乗車率をキープしている。

目に入る広告も年末年始のバーゲンやテレビ番組のものが多い。

30日に休みをもらい、31日大晦日に出勤、というスケジュールなのだが、もうなんだか正月休みに入る心境になってしまった。

この年末気分というのは、なんだかんだ言って周りの環境によって高まるものだな、と思う。年末気分なんて本当にただの「気分」。

でも、終わって、始まる。というのは良いことだ。様々なことにケリをつけるタイミングを年末は持ってきてくれる気がする(誰にでも平等に)。

終わりっぱなしじゃしょうがないけど、始めるために一度終止符をうつ。そういうふうに一年を締めくくろう。

2017年観た映画

今年劇場で見た映画は8本。思ってたより少ない。軽く今思い出した感想を。

『ドクターストレンジ』
マーベルコミック原作もの。ベネディクト・カンバーバッチは、天才、口が悪い、などとシャーロックとキャラクターがかぶる部分が多くあれど、それとは違う演技をしていた。MCU(マーベルシネマティックユニバース)の中では、映像といい、話の流れといい硬派なつくりで、これだけ単体で観ても楽しめると思う。カンバーバッチファンならなおさら。

『ラ・ラ・ランド』
観た直後は最高に楽しい、好きな作品だなー、と思ったけど、直してない。多分、失恋が描かれるから。
結婚したら奥さんと観たい。いつになるのだ。

『相棒 劇場版4』
反町隆史が相棒になったシーズンのテレビ版はほとんど観てなかったのだけれど、新シリーズを観るようになったので、一応、な感じで観ておいた。素直に、ファンなら楽しめる映画だった。
ただ「死んじゃうの?どうなの?」な展開はいらなかったと思う。
あと、反町の浮いた演技も最近では、味として楽しめるようになってきた。それを慣れとも言うが。

『グレートウォール』
今年観た映画を、振り返ろうと思った時に真っ先に頭に浮かんだのがこれ。「中国資本で作ったハリウッド映画」と揶揄されてるのも見たけれど、娯楽作品としてよくできている。映像も綺麗で、スクリーン映えするアクションが多く大画面で観た甲斐もあった(今調べたら、監督チャン・イーモウだった)。アジアの中に欧米人がいてもあまり違和感なく作られているのがRPGの世界っぽくて良い。そしてマット・デイモン無双。

『LOGAN ローガン』
観たこと忘れてたぐらい印象に残ってない。
『ウルヴァリン』最終章としては納得するけど、どうもこれをX-MEN正伝の完結編と認めたくない自分がいる。パラレルワールドの一つの終着点だと思っている。だから忘れたいのかも。そして最強の敵に唖然(悪い意味で)。

『スパイダーマン:ホームカミング』
トム・ホランドのピーターは役柄ピッタリだし、MCUとの関わり方も面白い。ストーリー展開もあっと驚くしかけがあり面白かった。ただ、これは最近のMCU映画全般に言えるが、ラストバトルがやや物足りないのが残念。

『マイティ・ソー バトルロイヤル』
前2作とは全く違うテイストで初めは戸惑ったが、コメディ(というかギャグ)として観ればかなり面白かった。でもMCUに興味なければ全くもってわけわからないだろうな。

『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』
詳しくはこちらで。
EP7からテイストをかなり変えてきた感じがした。あとやっぱりフォースが出てくるとなんでもアリだね。チート。

こう見るとハリウッド大作ばかり観てるな。しかもマーベル率高い。単館上映ひとつもない。来年は10本ぐらいは劇場で観よう。

コンタクトレンズ購入の今

使い捨て(2週間)コンタクトレンズを使っている。

買っておいたのがしばらく溜まっていたのだが、今回1年ぶりに買いに行った。
コンタクトレンズは割引が多くて、もうどれが適正価格なのかわからなくなってしまっているのだけれど、さすがに手持ちがなくなってしまうと価格を比較していられないので、大手チェーンのコンタクトレンズショップへ行ってみた。
コンタクトは医療器具に入るため医師の診断書が必要で色々な検査をさせられて、これが購入の際に面倒くさくなる理由なのだが、昔とくらべて随分簡略化した感じだ。
今日行ったところでは、コンタクト購入者ならおなじみの「気球を見る奴」(正式にはオートレフケラトメーターというそうです)が、手持ちスタイルになっていて、額にくっつけられながら気球を見させられ、なんだか「トータル・リコール」みたいな気分になった。
あの嫌な風がびゅっとくる奴(眼圧測るやつだ)もなくてホッとした。コンタクトレンズも、ずいぶんと普及したので、適正ギリギリのラインで買えるように工夫しているのだと思う。
昔、よく通っていた眼科ではやたらレーシックを薦められて、不信感がつのったりしたけれど、そういうこともなく、すんなり購入できた。
半年分購入したのでこれで半年は安泰だけれど、コンタクトをしつつ伊達眼鏡をしたくなる、この気持ちはいったいなんなんでしょうかね。オシャレなんでしょうかね。

「わろてんか」がイマイチ面白くない理由

かつて朝ドラを一度もまともに見たことがないのに、主役の葵わかなの魅力にひかれて「わろてんか」を毎日録画してみている。
だけれども、どうしてもいまひとつ面白くない。

葵わかなはベストアクトとは思わないが(「ボキャブライダー」のポテンシャルからしたら、もっと笑いの“間”のセンスがあると思うのでコメディエンヌ方面に演出してほしい)座長らしい立ち居振る舞いをしているし、濱田岳はあいかわらず芸達者だし、高橋一生は求められている御曹司像の中に、高橋一生らしい陰(というか狂気)を含んだキャラをつくって存在感あるし…

と、役者自体は魅力的なキャストが揃っている。

話としても、鈴木京香演じる義理の母から認められた回や、月の井団真の復活(これまた北村有起哉がとても良かった)、アサリとおじいちゃんの家族愛、など感動するエピソードは挿入される。…なのだが、本筋がパッとせずに盛り上がりにかけるのだ。

面白くならない理由はいくつか考えられるのだが、その中でも気になったのは、お金がらみのトラブルが簡単に片付いてしまうことだ。

寄席を買う資金がないときは、勘当された実家に頼んで用立ててもらう。これはまあわかる。
人気落語家月の井団吾の独占契約金1万円は、どうやって工面したかわからないけれど、払ったこと(というか団吾師匠を独占できた)ことになっている。ここでちょっと、そのお金どうしたの?という疑念が浮かぶ。

そして、先週。

芸人たちを寄席に出してくれる胴元とトラブルになり、芸人を出さないといういやがらせの末、寄席があけられずにあわや倒産の危機、というような展開になる。結局、この胴元のあまりの卑劣ぶりに芸人たちが反旗して、主人公の寄席で直接雇ってくれるよう大量に押しかけてくるのだけれど、これで芸人は確保できたものの、胴元から全員の借金1000万を払え、と脅されてしまう。

どうすんの?っていうときに

「私にまかせといてください!」との頼もしく返事をしたてん(主人公の名前)は、ずっとコツコツ貯めてつくった1000万を取り出し、芸人たちの借金を返してやるのでした。

って、なんじゃいそれ!

いや、何か意味ありげに「壺」(貯金=へそくりが入っていた)をじっと眺めるシーンが今週盛り込まれてたので、何かあるとは思っていたけど。

頑張って貯めてました。
で、解決されても全然感動しない。っていうか、それまで「お金があったら色々できるのになー」と、お金のことで悩むシーンが結構あったのだから、それがあるならもっと前に上手く使う場面あったんじゃない?とも思う。

万事休すの場面を「実は貯めてました」「実はもってました」で、解決されても感情移入できないし、シラけてしまう。

ストーリー上、人の情に頼って問題を解決するのはまあわかる(出来過ぎではあるけど)。今回も、そういう方向で解決したならば「お話」としては納得できるのだが、ただ実話を元にしているだけに、実際も苦しんだであろう「お金の問題」がふってわいたような話で解決されてしまうところが、「わろてんか」がイマイチ面白くならない理由の一つだと思ったのだ。

その後の、大量の芸人を雇って、寄席小屋を10軒に増やしてますます繁盛した、という部分は、この物語の中ではかなり盛り上がる部分だと思うけれど、詳しく描かれることなくあっさりとナレーションで駆け抜けてしまい「わろてんか 第一部 完」なのかと思ってしまった(「少年ジャンプ」で打ち切りが決まった漫画の最終回の唐突な展開ぐらいの速さだった)。
でも今週は、そんな大きな展開があったこともさほど関係なく、安来節がなんちゃらみたいな普通の話がまだ続くのだから、今後どうやってさらなる盛り上がりをつくるつもりだろうか。

とはいえ、
ちっとも面白くなかった「後ろ面」も相方ができてようやく面白くなったし、今後は新しい芸人が出てくるそうだし(広瀬アリス演じるリリコも復活するし)、なんだかんだで役者たちの魅力にストーリーも追いついていってほしい。来年に期待。

それぞれのクリスマス 2017

クリスマスとはいえ、僕にとっては、さほど「クリスマスっぽいこと」をする日ではない。

小学校がカトリックの学校だったので、幼少の頃はキリスト教的なクリスマスの印象が強い。クリスマス会で預言者の役をやったのも覚えている(考えてみれば、長台詞の多い難役だった。よく自分がやったものだ)。

そのまんま、サンタクロースが夜中にこっそりきてプレゼントを置いていく家庭で育って、物心ついたらクリスマスは恋人と過ごすものになっていたので、恋人がいた時は一緒に過ごしたし、いない時は(学生時は特に)寂しい想いをしつつ一人もしくは家族とやり過ごしてきた。

それからずいぶん大人になり、今も恋人のいないクリスマスはなんとなく寂しいけれど、バブル期でもないわけだし、それなりに歳を重ねてきたこちらとしては、365分の1の普通の日として過ごしているわけだ。それでも、街にはクリスマスっぽいものが溢れているわけで、それを見かけると、「ああ、クリスマスなんだなー」というのを自覚する。クリスマスというのは今の僕にとってはそういう日なのだ。

日時の関係もあって、このクリスマスの夜にオンライン英会話のレッスンを入れたのだが、顔なじみのフィリピン人の女性(20代)の先生が、開口一番、「Merry Chiristmas!」と挨拶したので、それを聞いて、クリスマスであることを思い出した僕は、つい「メリークリスマス!でも、僕にとっては普通の日だけどね」という反応をしてしまった。

それに対して「Why???(えー、どうしてー?)」と、あまりにも素のリアクションをされてしまい、「あれ?」と思ったわけである。

僕は別にクリぼっち(っていうこの言葉自体どうかと思う)を3000km離れた彼女にアピールしたかったわけではなく、「日本ではクリスマスを別にそんなに特別な日だと思っている人ばっかりじゃないし、なんとなく浮かれるけど普通の日だと思っている人はけっこういて、僕もその一人」という意味であって、そんなような説明もしたのだけれど、上手く伝わらなかったように思う(拙い英語だしね)。

フィリピン人の(そして彼女にとっての)「クリスマス」というのはどういう意味を持つのだろうか。

宗教的な意味合いで、きっちりした祝福の日として捉えていたのなら、失礼な答えだったな、とも思うし、日本のクリスマスのイメージについて、もっと説明できたらよかったな、とも思う。そして、僕にとってのイメージも。

一昔前よりも世の中は画一的なクリスマスの過ごし方から少しはずれてきたように思うから、僕なりのクリスマスの過ごし方をちゃんと言えたら素敵だったな、と思い、もっと英語を勉強しようとも思ったクリスマスの夜。

で、自分にとって、今年のクリスマスがどんな日か、って言うと、会議の多い仕事を終えて、英会話のレッスン受けて、いきなり!ステーキでステーキ300gを食べ、帰ってからWILD TURKEY(バーボン)を飲みながら、Yes,mama ok?の名曲「Wild Turkey」を聴いて歌う、という日でした。

365分の1とかいいながら、それなりに楽しんでんじゃん、俺。

神話としての「エピソード8」

「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」(エピソード8)を観てきた。初代、つまりEP4は劇場で観てはいないけれど、ハン・ソロの吹き替えを松崎しげるがやった例の奴はリアルタイムで観たし、その後も旧3部作は特別編を劇場で観て、DVDセット(ヘイデンが出てるアレだ)も持っていた。マニアを語るほどではないが、十分スターウォーズ好きではある。

そして、僕はEP1が一番好きという、スター・ウォーズファンからしたら多分変わりものだ。なぜ好きか、っていうと、クワイ・ガン・ジンが大好きだから。オビ・ワンと一緒にダース・モールと戦うシーンは何回でも観れる。あと、政治力が低くて立ち回りが下手なあたりも武人っぽくてカッコイイ。
それと新3部作(EP1~EP3)は大人になってからリアルタイムで体験した「スター・ウォーズ」サーガだけあって思い入れが強いのかもしれない。EP4~EP6と合わせ鏡のようになっている物語展開も(元を知っているだけに)感慨深い。

さて、このEP8を観る直前に、友人がスマホでEP7をダイジェストで観せてくれたので、前作をさらっとおさらいできたのが良かった。忘れてる部分がかなりあって、改めて「面白かったんだなー」と再認識。しっかりとEP4をトレースして、新たな3部作(今度は未来へとつながる物語だ)のはじまりを上手くスタートしたと思う。主人公がくすぶっている前半の冗長さも含め、これぞ「21世紀のスター・ウォーズ」といった作品に仕上がっていた。レイはルークの、ポーはソロの、カイロ・レンはダース・ベイダーの、そしてフィンはレイアとドロイド達、さらにランド・カルリジアンをミックスしたような役割を与えられ、EP4~6におけるキャラクターの肩代わりをする形で活躍した。

そんなわけだから、今回も、満を持してルークが登場するとはいえ、だいたいは予定調和の中で物語が展開するだろうと思っていたのだが、だいぶ様相が変わっていた。

スター・ウォーズの世界をひとことで言ってしまえば「銀河を巻き込んだ壮大な親子喧嘩」なわけで、今回もその背景は続いている。ただ、アナキンの物語やルークの物語と大きく違うところは、選ばれし者が全てを解決してくれるわけではないところ。
神話の中心には、フォースやジェダイや暗黒卿やら、と選ばれし者たちが出てくるものの、今回の映画の中で描かれる物語は、一般兵士同士の戦いだ。だから失敗もするし、「なんだかんだあったけどフォースの力で一件落着する」ということもない。
物語が進むほど、レイ達主要キャラクターは、それぞれ神話の始まりで与えられた役割から外れていく。言い換えればこの作品で「過去作の代理キャラクター」ではなく、独自のキャラクターとして解放されていくのだ。

今まではこの物語の中心は選ばれし親子だったし、結局は親子が和解することで平和が訪れた。それこそが「スター・ウォーズ的なもの」とするならば、この物語の展開は本当に先が読めない。
ただ「スター・ウォーズ」が現代の神話なのだとしたら、この2010年代後半の世相を描いて後世に伝えるという意味では、たしかに神話の役割を果たしている。
正義の戦争などなくなってしまった現代の戦争の背後にある問題も抱えているし、何より一人のヒーローが戦って勝つのではなく、特別な力を持たざる者達が勇気と知恵をあわせて立ち向かう姿が描かれている。それだけに、持たざる者たちが使えるのは数=命であって、玉砕覚悟の攻撃が多めだったのが痛ましかった(そして、それが報われない場合も多々ある)。

EP7が、衝撃的な展開もありながら、それなりに明るい物語に終始したのに、今回ややダークな展開になったのは、昨年の『ローグ・ワン』の影響もあるのかもしれない(あれはまさしく持たざる者たちの物語だった)。また、それこそがどことなく陰を落としはじめている2017年の世相を映す神話の役割なのかもしれない。

壮大な親子喧嘩を中心としながらも、物語の中心は旧作の殻を破ったキャラクターにゆだねられた。この神話に、最後どうオチをつけるのか。最終章が楽しみになるエピソードであるとともに、この神話がハッピーエンドで終わるためにも、公開が予定されている2019年が明るい兆しを持った年となっていることを願わざるをえない。