気軽にGO 近場の温泉

独り暮らしを初めてから、自宅ではシャワーで済ますことが多くなったせいか、スーパー銭湯とか温泉施設に行く機会が増えた(もちろん誘っていただく機会が増えたのもあるけれど)。
そんなわけで自宅近辺で話題になっていた公衆浴場に行ってみた。

まずは豊島園駅にある 豊島園庭の湯
豊島園といえば、子供の頃遊園地「としまえん」の木馬の会(いわゆる年間パスポート)に入っていて、初ジェットコースターも、初お化け屋敷もここだったので、そのそばに温泉施設ができたのを思うと、感慨深いものがある(ブラワーエンジンと西洋おばけ館が好きでした)。
庭の湯は「スパ」を謳う施設なので、リラクゼーションエリアや岩盤浴、幅広いマッサージメニューがあったりと高級路線ではあるが、平日の夜6時以降に行ったので基本料金1,295円でかなりお得だった。
豊島園駅というのが少し不便ではあるけれど、内容と料金を考えると、こういうスパ系ではコストパフォーマンスが高い。月2回ぐらいで通いたい。

で、今日は西武池袋線沿線 桜台駅の久松湯に。
ここは浴場でプロジェクションマッピングが見られるという「オシャレ銭湯」で話題になっている場所で、一度行ってみたいと思っていた。
感想としては、文字通り「オシャレ銭湯」。
お客さんもほとんど地元の人のようだし、地域に密着した施設になっている。露天風呂もあるが、サイズは小さめ。料金も460円と低価格だけれど、タオルレンタル代、ドライヤー使用料、サウナ使用料は別だし、石鹸やシャンプー類も置いていない(ミニサイズのを安価で購入できる)。そのあたりも地元の人がそういうものを持参して入りに来ることを想定しているようだ。日曜だったせいか風呂場は結構な混み具合。こども連れも多くファミリー感が強い。建物も中身も近代的だけれど、銭湯用具を一式入れた桶を小脇にして通うような銭湯を時代に合わせるとこういう形になるんだな、と思った。徒歩圏内にあったら週1で通いたいと思った。

同じ公衆浴場といっても施設によって特色は異なるけれど、行くとリラックスできるし、ちょっと豊かな気分になるのは共通している。これからも色々なところにちょいちょい行ってみたい。

それぞれの『誰もいなくなった』

テレビ朝日でやってた『そして誰もいなくなった』を録画していたので観た。
原作は未読、過去映像化されたものも観てはいないので「密室ミステリーの傑作」と言われるこの作品を予備知識なしで観られた。

第1夜「事件編」と第2夜「解決編」を続けてみたのだけれど、本来ならば一晩待たなければ「解決編」は観られないわけで、「これ一体どうなるの?」という上手いところで「事件編」は終わっていた。ただ、続けて観てしまうと「解決編」はオマケ感(というか3時間にして1日で終わらせていいじゃないという感じ)が強かった。沢村一樹演じる相国寺警部のキャラで持たせてた。あのキャラはこれだけで終わらせるのは惜しいので、またアガサ・クリスティ作品をリメイクする時にでてくるんじゃないかと思う。

(原作と違っている部分はあるだろうけれど)ミステリーとしては、2017年の今、トリック自体はそんなにあっと驚くものではない。誰が犯人かすぐにわかったわけではないが、だいたいの見当はついたし、偶然性に頼った部分があって、そんなに上手くいくかなーという疑問も。でもこの作品が1939年に書かれたことを考えると、その後のミステリー小説に多大な影響を与えたことはわかる。
トリックの古臭さを人間ドラマの面を推すことで、2017年に放送する難点をカバーしたおかげか、一気に見てしまうほど楽しめたのは事実で、重厚感のある映像も雰囲気があった。

そして何より渡瀬恒彦さんの遺作だったのが、録画してまで観ようと思った一番の理由だ。しかも病気をおしてこの役を演じるというのは、ものすごい神経を使ったのではないかと思う。ご本人の意志と演技がキャラクターとリンクして、ドラマを一層心に迫るものにした。それはある意味“ズルい”(渡瀬恒彦に頼ってしまった)部分はあるけれど、なにか運命的なものなのかもしれない。

 

それから、同じ『そして誰もいなくなった』が原作だというシュワルツェネッガー主演の映画『サボタージュ』を観たのだが、どこらへんが原作なのかほぼわからない(先に聞いてなければ全くわからない)映画だった。共通点は一人ずつ死んでいくところぐらい。ミステリー要素がないわけではないが、別段観る側に犯人探しをさせる気がないくらいのさらっとしたテイスト、「ミステリー風味」。血みどろのシーンが多めのごく普通のアクション映画。つまらなくはないという感想。

それにしてもシュワちゃんは老けた。“円熟味が増した”とか“味がでた”ではなく、単純に老けた。

舞台『リトル・ヴォイス』に期待

ご縁があって、舞台『リトル・ヴォイス』の製作発表会に行ってきた。

『リトル・ヴォイス』と言えば、映画版を公開当時劇場で観た。
ハリウッド大作ではなく、イギリス映画だったせいかロードショーをしておらず、銀座だか渋谷まで観に行った覚えがある。

しかしながら、映画の内容はほとんど覚えていない。
というのも、本編が始まる前にユアン・マクレガー主演の5分程度のショートムービー『Desserts』が併映されて、これがまさかのホラー。
ミュージカルドラマを観にきたはずなのに、ホラー映画を見せられるという展開で、本編の印象が完全に消されている(で、逆に『Desserts』についてはよく覚えている)。
当時を考えると「ユアン・マクレガー人気」のおかげで、この映画も話題になった部分が大きいから、ファンサービスとして併映したのだろうけど完全に裏目だったと思う。

さて、それでも「面白かった」という漠然な感想を持っているこの映画を日本で舞台化するという。主演は大原櫻子さん。
制作発表会の中で、役の“リトル・ヴォイス(LV)”として歌唱を行うシーンがあったのだが、彼女が“役”として登場した時に、映画で観たシーンが蘇ってきた。

思い返してみれば、この『リトル・ヴォイス』という作品は、普段は誰ともコミュニケーションをとれない少女が、レコードを聴くうちにその往年の名歌手の見事な歌マネができるようになって、その才能を見出される、といった内容だった。

引きこもりの彼女がステージにたった途端に、スターが乗り移ったように歌い始める。

その彼女が醸し出す、不安と歌うことの幸せが入り混じった感覚が、大原櫻子の演じるLVから強く感じられた。

しかもこの役の難しいところは、歌をしっかり聴かせながらも、歌マネとしても成立させなければならないということ。歌手としては、自分の個性とマネのバランスをとらなければならないのだが、今日、お披露目だったにしては見事なパフォーマンスだった。本番までに磨きをかければ、大原櫻子流の「リトル・ヴォイス像」をつくれると思う。

共演者の方々も、本当に面白い舞台をつくろうという気概が強く感じられた製作発表会だった。期待して観にいこうと思う。

 

舞台『リトル・ヴォイス』は、5/15〜28 天王洲銀河劇場にて上演。
その後、富山・北九州での上演もあり。

肩書き言ったもん勝ち

今朝、ワイドショー的なテレビ番組を観ていたら、「イケメン評論家」なる肩書きの女性がでていた。

「イケメン評論家」って。

それも、WBCのイケメンを紹介する、という、なんていうか、(ああ中継するから、見てくれる層を増やしたいのね)な企画で出てきて、どんな“評論”するのかと思ったら、単純に「この選手がイケメン(顔がいい)」ということだけ言ってた。横顔が可愛いとか、誰々に似てるとか言ってたけど、それを評論と言うのだろうか。

まあ、テレビを観て、その内容を書いただけの記事がYahooニュースに載っている時代だから、どういう肩書きを名乗ろうが、ユルい評論しようが、ニーズがあるならそれでいいとは思うが、ただ単にWBCのイケメン紹介するなら、この人いらなかったはずなので、「誰のお気に入りだよ」というテレビ業界人の黒い部分が感じられて、朝からモヤっとした気分になってしまった(いや、この人、他ではちゃんと評論してるのかもしれないけど。その必要性がないコーナーだったのだ)。

個人的に言えば、もともと「イケメン」って「イケ面」じゃなくて「イケてるメンズ」という意味だったはずだから、昨日の時点で真のイケメンは中田翔のはずなんですがね。

でも、もう肩書きは名乗ったもん勝ちだな、としみじみ思った。
とはいえ、名乗る肩書き見つからないけど。

『ラ・ラ・ランド』の可愛らしい魅力

ミュージカルは好きだけれども、なんとなく「好き」と公言するのは憚られる。
なんだか、こそばゆい感じがするのだ(まあ好きって言ったって、まともに観たの『レ・ミゼラブル』ぐらいなんだけど)。
それでも、『ラ・ラ・ランド』は前評判がとても良かったし、なにより予告編が楽しそうで「これは好きなタイプの映画だ」という直感も働いたので、公開してすぐに観に行った。

オスカーを6つもとったけれど「ハリウッド大作」というより、インディーズ・レーベルの単館上映のような小品。だから作品賞を取れなかったのもさもありなん、という思いがある。「そんな重荷、背負わせないであげてよ」という思いだ。でも期待どおりの、とても僕の好きな作品だった。

エマ・ストーンはベストアクトではないと思うが、いまいち垢抜けない「女優の卵」を活き活きと演じていた。全体的にキュートな魅力をふりまいていて、彼女のための映画になっている。ちょっと癖のある二枚目といったライアン・ゴズリングも、陰のあるキャラクターを違和感なく演じていた。

物語の鍵を握る人物をR&B歌手のジョン・レジェンドが演じているのだが、劇中の曲は、物語の中では「邪道」のような扱いを得るのだけれど、彼の歌声はそのほかの曲の歌手とは比べ物にならないくらい上手い。惹きつけられてしまう(ジョン・レジェンドのアルバムを思わず買ってしまったほど!)。ちょっと皮肉めいた演出なのかもしれない。

ミュージカル映画というものは、なんとなく肩肘張ってみなければ、という気になってしまう。対してこの映画の良いところは、何度も気軽にみたくなるところ。可愛らしい一本。
可愛らしさからいったら、ウディ・アレンの映画を観ている感覚になる(だからこの映画のヒロインがウディ・アレン映画で2本続けてヒロインを演じたエマ・ストーンなのがすごくしっくりきた)。

予告編と違うのは、そこで感じるような、ウキウキしてハッピーな映画ではない。きちんとハリウッドで今起きているだろう現実を描いている。描かれなかった部分とあったはずの理想の未来。映画の行間にまで思いを寄せずにはいられない。
それでも人は夢を追いかけるし、夢をかなえる。得たものと失ったものははかりにかけられない。どちらも飲み込んで我々は生きていくのだなあと思ったりした。

大画面と大音量で、多くの観客と共有しながら観たくもなるけれど、手元において、いつでも気が向いた時に観たい作品でもある。

一般層が選挙に行くか迷ったら

期日前投票に行ってきた。4月に住民票も移したし、すっかり東京都民のつもりでいたのだが、どうやら1月1日に住民登録していたところで選挙権を持つらしく、実家に帰ったついでに区役所で投票してきました。

希望すれば証明書もらえます。もうちょっとトレカっぽければ良いのになー。

これでも一応法学部出身で、 続きを読む 一般層が選挙に行くか迷ったら