神田さん

僕の会社には神田明神の御札や御守が置いてある。

仕事始めの時に、社長以下幹部の面々が神田明神にお参りして、いただいてくるのだ。
そのタイミングで、昨年の御札、御守を持っていって納めてくるのだけれど、自分の部署の御守が目立たないところに貼ってあるのを、今年の御守と交換するときに発見して、これを放っておいてはいけなくなった。

僕の職場には、元神主さんという女性がいるので、「これ、納め損ねちゃったんだけどどうすればいいですかね」と相談したら、「神田さんだったら近いから、神田さんに行って納めてくるのが一番いいですねー」とさらりと言われてしまった。
僕としては、「そうですかー、それではっ!」とか言って、その場で祓詞か祝詞かを唱えて、即、解決!
とかになることもちょっと期待したりしたんだけれど、いただいたものは、いただいた所に戻す、というシンプルな結論が出たので、休みを利用して、神田明神に行ってきた。
人生初神田明神かもしれない。

今年の初詣は、例年どおり大宮の氷川神社で済ませているのだけれど、せっかく神田明神に来たのに、御守を納めるだけでは失礼だと思い、きちんとお参りをする。
神田明神は商売繁盛の神様として有名なだけあって、8日でもけっこうなスーツ姿の団体がいた。
僕も混じってお参りをして、神社に行ったら、絶対におみくじをひきたくなるのでひいた。

結果は「吉」。
氷川神社では「末吉」だったが、どっちも似たような結果が書かれていて(「待人来るし、注意深くすれば願望叶うけど、病気と争いごとに注意な、」)、今年は控えめにしつつ、でもまあまあ良さげなのかなーと思ったりする。

まあ頑張る気にはなる結果だったので、頑張りましょう。

お返事書いた

年賀状をいただいたので返事を書く(もう8日だけど)。

僕は年賀状“書かない派”なので(とくに派閥はないと思いますが)、自分から出さないのだけれど、いただいたものに返事はする。
基本、会社関係の方々ばかりで、プライベートな年賀状はほぼなく、それはちょっと寂しかったりもする。バレンタインのチョコレートのように、年賀状ってひとつの人気のバロメーターだった時代があって、その時のことを思い出したりもする。

それから、めったに交流のない友人から、年賀状として連絡が来ると、とても嬉しい。昔はそういう気持ちを伝える方法が手紙しかなかったから、年賀状という慣習ができたのかもしれない。
年賀状じゃなくても、「新年」というきっかけを理由に、疎遠になったけど気になる人にはメールしてみようかな、という思いになった。

などと、言ってるうちに1年たっちゃうんだよねー。
新年うんぬんではなくて、会いたい人にはちゃんと連絡をするようにしないといけないな。

仕事始め納め

1/4から始まった2019年の仕事が今日で一段落(元日も働いていたけど)。

旅行時は別として、2日連休で休んだのは久々だったので、その後の4日間はそれなりに疲れた。
会社だけでなくて、勤務後に校正やらジムやら歌い始めやら打ち合わせやらと、毎日まっすぐ帰らない日が続いたのも疲れた理由ではある。
でも我ながら良く頑張った。

一般的には今日から仕事始めで、5日間働く人が多いのだろうから、それはそれで大変だろうなと思う。リズムを取り戻す、というのはなかなか難しいのだ。
そう考えれば、この勤務体系もそう悪くないなと思う(会社に洗脳されてるだけかもしれないが)。

明日しっかり休息して、今年のリズムをきちんとつくっていきましょう。

現役更新

仕事の後、2019年の歌い始めとしてワンカラへ行った。

いつもは自宅のヘッドホン持ち込むのだが、年末に「ヘッドホンのレンタル無料券」をもらっていたので、それを使ってみた。
ワンカラのヘッドホンは300円のものから1200円のものまである。どれでも無料というので、良い機会だから一番良いヘッドホンをレンタルした。
他のヘッドホンはビニールに入れて渡されるのに、それだけスチールの小型のアタッシュケースに入っていて、その時点でビビった。
音は「んー、良いと言われれば良いかなー?」という感想でした(猫に小判とはまさにこのことを言う)。

本当は90分歌おうと思ったけれど、若干風邪気味(鼻水がでる感じ)なのと、きっと腹が減るから、という理由で60分コースにして、詰め込みで10曲(+1番だけ1曲)を57分ぐらいで歌った。
だいたい、定番の曲を歌ったけれど、友人がTwitterで、ジャケ写を模写した絵をアップしていたのが懐かしくて「innocent world」を歌った。
本人映像でさらに懐かしかった。

あと、自分は「クリスタルキングの曲が原キーで歌えなくなったら、歌やめる」と言っている手前、ちゃんとまだ歌えるか、そして「まだ歌を続けていけるか」、テストとして歌ってみる。

今日は「愛をとりもどせ」にしたけれど、予想以上に“余裕で”歌えた(「大都会」のほうがキー高いのかね)。
その1曲前に「innocent world」を歌って、“「果てしなく続」けられた”ので、大丈夫そうだなと思ってはいたものの、その予想よりも楽に歌えたので、なんというか、今年はまだ歌っていこうと思います。

やっぱり60分はあっというまだ。ノンストップで歌って10曲程度だから、次回からは90分でもう少しのんびり(途中、喉を休めつつ)歌おうかなと思う(お腹が空かない時を狙って)。
あと、これまではJOYSOUND派だったが、年末、音がしょぼかった、というか、カラオケが僕の思うような感じの原曲トレースをしていなかったので、今日はDAMにしてみたら、最近の曲が僕好みのトレースだったので、しばらくはDAMで色々選曲してみるつもりだ。

そんな発見もしつつの、歌い始め。
今年はきちんと歌を形にするのだ。

ひろし VS ひろし

今年初ワークアウトに行った。

定時で仕事が上がれると思っていたら、今日は19時半まではいなくちゃならない日だったので、正直行くかどうか迷ったけれど、昨年末も一度ジムチャンスを逃しているので、覚悟を決めて行った。

20時半過ぎにジムにつき、閉館時間が22時なので、いつもより少なめなランニングとマシントレーニングをした。時間がない、と思っていたせいか、「こうすれば、より負荷がかかるんじゃない?」というような気づきを得たりした。やっぱり、行くと決めたら行くべきですよね。

痩せようとチャレンジしては挫折してきたことが多いが、今回は本気で(いつも本気ではあったけどね)痩せようと決意しているのだ。

その理由は、11月頃に、しばらくぶりにあった上司からこう言われたからだ。

「あれ?高野くんって、五木ひろしに似てない?」

いや、いや、いや、いや。人生初めて言われましたよ。
っていうか、学生時代には同じ「ひろし」でも、「舘ひろしに似てる」って言われたこともあるこの僕様に、五木ひろしって。
全く想像してなかったことを言われて超動揺した。
そして、上司が若干引くほど否定した。

「太ったね」とか「老けたね」とか言われるなら、わかる。
悔しいけれど、それはある意味事実だ。
でも、思ってなかった人と「似てる」と言われるのは、抵抗がある。
いや、五木ひろしさんも素敵な人ですよ。実際に一度ご挨拶したことあるのだけれど、オーラもある方でしたよ。
でも、「似てる」と言われて(少なくとも僕は)嬉しいとは思わなかったのは事実だ。舘ひろしは、ちょっと嬉しかったのも事実。
やっぱり「かっこいい」で売っている芸能人に似ていると言われると素直に嬉しいものなのだ。
ちなみに今まで「似てる」と言われた芸能人を並べると、舘ひろし、内野聖陽、池田満寿夫、イ・ビョンホン、宮本浩次、そして五木ひろしだ。
脈絡があるのやらないのやら(本当に似てるかどうかは問わないでください。言われた「だけ」です)。

そんなわけで「脱・五木ひろし」が今回の痩せる目的なのだ。
とはいえ、太っているから、似ていると言われたとは限らないから、痩せたら、“より”似る、という可能性も含んでいる。

まあ、その時は、いさぎよく「似ている」と認めようと思う。

物欲チキン

あまり物欲があるほうではないと思っている。

衝動買いはめったにせず、買い物は必要に応じてするタイプだ。
自分がなにが欲しいかなーと考えたとき、パッと浮かぶのは本か、ゲーム。

僕の目標のひとつに「自宅をゲーセン化する」というのが昔からある。
あるけれど、叶えたことはもちろん、近づけたこともあんまりない。

Nintendo SWITCHには、ダウンロードできるレトロゲームが結構ある(プレステ4にはかなわないけれど)。もちろんその中には、自分が学生のときにゲーセン通いしていて遊んだゲームも多々あるのだけれど、それでもダウンロードしたのは「真サムライスピリッツ」ぐらい。
昨年末に「ストリートファイターコレクション」や「ベルトスクロールコレクション」を買い、さらにわざわざゲームセンター仕様のコントローラーまで購入して、ちょっとはゲーセンに近づけているつもりだが、まだまだ“甘い”。

部屋もリニューアルしたことだし、ここはいっちょ、本気で目標達成に近づいてみようじゃないか、とダウンロードして遊んでみたいゲームをピックアップしてみた。その数13本(本当はもっとあるけど吟味してます)。
1本800円〜900円なので、1万円あれば、欲しいゲームのほとんど(上手くすれば全部)が買えるのだからさほどの出費ではない。自分へのお年玉としたら安いもんだし、なにしろ目標を叶えるのに1万円を惜しんでいてはいかん。
と、ニンテンドープリペイドカード5000円を2枚買った。しかもセブンイレブンで、1枚につき500円ポイントがプラスになるキャンペーンをやっていたのだから、もう今買うしかないだろう。

で、いざ「買おう!」と思ってダウンロードサイトに行ってみると、ここで、買うことがためらわれるソフトが多かった。
1万円(ポイントに買えたら1万1千円分)で、やってみたい、と思うゲームをほぼ全部買えるのに、ここで躊躇してしまうのはなぜなのだ?(単にもったいながり、なんだろうね)

そこで、自分が買おうと思ったリストの中から、これは買っても後悔しないだろう、という「戦国エース」、「アテナ」、「アルゴスの戦士」、「STRIKERS 1945 PLUS」をとりあえず買ってみた。4本で合計3,333円。
使おうと思った額のほぼ三分の一。

自分の「好きなもの」にお金を使うのに、この漢気のなさ。「自分の物欲ってその程度なのか」と我ながらがっかりする。このままでは他のことでも大義をなすのは難しそうだなーとも。

でも、まあ残りも吟味しながら、とにかくポイントは使い切ろうと思っている。
どのゲームを導入するか検討する、ゲーセンのオーナーの気分を味わっていると思えば、それもまた面白いのだ(言い訳)。

刺激物

最近ほとんどテレビを見ない僕だが、実家では常にテレビがついているような状態なので、正月特番を見るともなく見た。

かかっていたのは「とんねるずのスポーツ王は俺だ!!」。思い返してみると、毎年、この番組を見ている気がする。
素人相手だからだいぶ手を抜いているけれど、ときおり見せるアスリートの技はすごいなーと思う(今年で言えば、卓球の水谷VS張本、石川、平野のラリーや、野球盤での柳田、山川の長打力)。
あと、とんねるずは、昔の憲さんのほうが面白いと思ったけど、大人になってからは貴さんを面白いと思うようになった。昔の貴さんは、俺が俺が、というジコチューな面しか見えなかったけれど、今では、そのスタイルを踏襲しつつ、相手へのリスペクトを感じる。
ナンシー関が晩年「それにしても石橋は大人になった。ひとの話を聞くもの」と評していたように、プロを前にしてきちんと礼節を持っている感じは、とても「後輩いじり」が芸だった、往年のとんねるずとは思えずに、それはそれで面白いのだけれど、歳をとっただけかもしれない(僕もとんねるずも)。

そして一夜明けて、今日は近所のショッピングモールに買い物に行った。
洋服の福袋があったら買おうと思っていたけれど、すでに売り切れ。やっぱりこういうものは開店初日に売れるんだろうな。

で、昼ごはんに、なぜか辛いものが無性に食べたくなって、フードコートでマーラー麺を食べた。感じで書くと「麻辣麺」という字面からわかるように、はんぱなく辛い麺だった。
フードコートなので味はそんなでもないのだけれど(失礼)、思った方向の辛さと味付けだったので、満足はした(その後、辛すぎて胃薬飲んだ)。
去年末から「辛いもの」を食べたくなる瞬間がやけに多い。好みが変わったのかもしれないし、今まで食べてないものに挑戦したくなっているのかもしれない(以前は“求めるほど”辛いものが好き、というわけではなかった)。
これは歳をとったせいか、まだ若い証拠か。

そんな年明けの出来事。
明日から通常営業です。

ダラダラと正月休み

新年休みは実家に帰っている。

わずか2日間の休みだけれど、自分の身の回りのことをなにもしなくて良いのは楽と言えば楽だ。
今日はコストコに行って、色々と食材などを買ってきた。混雑ぶりはそこそこ。去年も2日にコストコに行ったけれど、それより若干、お客さんは少なかった気がする。
我が家がコストコ慣れしたのかもしれない。

休みだけれど、それなりにやるべきことをやって、あとはダラダラとしている。まあ正月休みというものは、こんなもんだろう。

実家のネット環境が不調だったり、PCが故障気味だったりして、そういうコンピューター周りのトラブルに、僕は人一倍イライラする。そういう自分の性質を新年からわかっておく、ということも良いのかもしれない(でも、トラブルは改善されていない)。

あと1日、しっかり休んで、2019年は一気に走り抜けよう。

予感

2019年が始まった。

2018年最後の日も、ここ数年と同様に出勤日で、ダラダラと(気分だけは年末年始休み気分で)時間をつぶしてしまったけれど、例年よりお客様が多くそれなりに働いた感はある。
それに朝から、ちょっとしたいいこと(やったことが報われるような感じのこと)が続いたりして、2018年と2019年がつながっていることを考えれば、今年は良い年になるような予感もする。

とはいえ「予感だけ」というように他力に頼るだけでなくて、自分で良い年にしていく気持ちがなければ、きっと良い年にはならないのだろう。
そんなことを考えて、ハワイから帰ってきた後に「これをやろう」と思っていたリストを見返しながら、新年の方向性と目標をたててみたりした。
これを達成できれば、他の人がなんと言おうと、僕にとっては満足のいく年になるだろう、という目標を。
毎年、そう思っていながら、なんとなく過ごしているうちに、言い訳をみつけては目標を達成してこなかった。
せっかく良い感じでスタートしたのだから、今年は本気で頑張るのだ。

皆様、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

振り返るのは明けてから

2018年の大晦日。

本当なら、今年を振り返る内容のブログを書くべきなんだろうけど、時間がないので、それは来年になってからにする。
新年に前の年のことを振り返る、ということはやりそうでやっていないので、かえって新鮮かも。新年になったからといって、それまでが「リセット」されるわけではないのだから。

1年ブログを続けてわかったこと。
僕は文章を書くのが好きだ。中学、高校となにかしら(エッセイみたいなもの)やら物語を毎日のように書いていたし、大学生の時は、日記をつけていた。だから、かけた時間からすれば、文章を書くのも比較的得意だ。
では、面白いブログが書けるか、というとそうでもない。

いや、「それこそ才能だよ」と言われてしまったら元も子もないのだけれど、僕が言いたいのは、1年間「毎日ブログを更新する」ということを最低限の課題とした場合に、内容が粗くなるものがたくさんでてくるということだ。
じゃあ、毎日をやめて、「これぞ!」って時だけ書けばいいか、というとそうでもない。それだと、完成したものに対するハードルが(自分の中で)あがるので、書かなくなってしまうのだ。
毎日書く、というリズムの中で、それなりに良いものや、読み返しても、これは傑作!と思えるものがポツリポツリと出てくる。
いくつかの映画評や、ディズニーシーの話なんかは、よく書けたと思っている。ただ、それも毎日書いて、日々のしょーもない話があってこそなんだろう。
結局、素人のうちは「数をこなす」ということが何事にも必要なのだと思う。
あと、アレ書こう、コレ書こう、と思っていても、最後は「書く時の疲労度」がモノをいうということも。疲れていると書く気が失せる、という当たり前のことにも気付かされた。

それから、今年は本当にひどい時期があって、「地獄を見た」とまでは言わないけれど、「地獄の端っこをチラ見するところまで行った」と言ってもいい。
そんな時も、とにかく「毎日ブログを更新する」という課題が、僕をここにつなぎとめる役割を持ったような気もする。
ブログで愚痴や悪意を直接吐き出したわけではなくても、ある種のデトックスになっていたのかもしれないし、自分に課した習慣化されたタスクがあることが日々を生き抜くひとつの要素だったのかもしれない。
ひどかった時期のブログタイトルを見直して、いろんな人に助けられたことを思いだしたりもする。

そう、今年は人に頼ることが多い年だった(毎年けっこう頼ってはいるけれど)。
来年は頼り、頼られ、そして独りでもきちんとできる人になろう。

そんな感じで、大晦日も仕事です。
そして恒例の年越し行事も。

それではみなさん良いお年を!