振り返るのは明けてから

2018年の大晦日。

本当なら、今年を振り返る内容のブログを書くべきなんだろうけど、時間がないので、それは来年になってからにする。
新年に前の年のことを振り返る、ということはやりそうでやっていないので、かえって新鮮かも。新年になったからといって、それまでが「リセット」されるわけではないのだから。

1年ブログを続けてわかったこと。
僕は文章を書くのが好きだ。中学、高校となにかしら(エッセイみたいなもの)やら物語を毎日のように書いていたし、大学生の時は、日記をつけていた。だから、かけた時間からすれば、文章を書くのも比較的得意だ。
では、面白いブログが書けるか、というとそうでもない。

いや、「それこそ才能だよ」と言われてしまったら元も子もないのだけれど、僕が言いたいのは、1年間「毎日ブログを更新する」ということを最低限の課題とした場合に、内容が粗くなるものがたくさんでてくるということだ。
じゃあ、毎日をやめて、「これぞ!」って時だけ書けばいいか、というとそうでもない。それだと、完成したものに対するハードルが(自分の中で)あがるので、書かなくなってしまうのだ。
毎日書く、というリズムの中で、それなりに良いものや、読み返しても、これは傑作!と思えるものがポツリポツリと出てくる。
いくつかの映画評や、ディズニーシーの話なんかは、よく書けたと思っている。ただ、それも毎日書いて、日々のしょーもない話があってこそなんだろう。
結局、素人のうちは「数をこなす」ということが何事にも必要なのだと思う。
あと、アレ書こう、コレ書こう、と思っていても、最後は「書く時の疲労度」がモノをいうということも。疲れていると書く気が失せる、という当たり前のことにも気付かされた。

それから、今年は本当にひどい時期があって、「地獄を見た」とまでは言わないけれど、「地獄の端っこをチラ見するところまで行った」と言ってもいい。
そんな時も、とにかく「毎日ブログを更新する」という課題が、僕をここにつなぎとめる役割を持ったような気もする。
ブログで愚痴や悪意を直接吐き出したわけではなくても、ある種のデトックスになっていたのかもしれないし、自分に課した習慣化されたタスクがあることが日々を生き抜くひとつの要素だったのかもしれない。
ひどかった時期のブログタイトルを見直して、いろんな人に助けられたことを思いだしたりもする。

そう、今年は人に頼ることが多い年だった(毎年けっこう頼ってはいるけれど)。
来年は頼り、頼られ、そして独りでもきちんとできる人になろう。

そんな感じで、大晦日も仕事です。
そして恒例の年越し行事も。

それではみなさん良いお年を!

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