『ブラック・パンサー』

アフリカの架空の国で、発展途上国と思われているワカンダが実は超文明を持っている、という設定で、その国王がスーパーヒーローという話だが、前半はそのワカンダが舞台なため、開発されるガジェットや、リニアが走る地下都市といったSF描写が、完全に宇宙規模なことが絵空事のようで、舞台が「地球」であることを忘れたりした。
反面、超文明を持ちながらも、部族の儀式や生身の決闘シーンがあったりして、アフリカに対するイメージってこんなだよなー、というものが描かれているんだけど、実際のアフリカの小国ってこんなんだろうか。観ている分には、新たな世界を見学しているようで楽しかったが、「ハリウッド映画の間違った日本」のようにも思える(実際、自分がアフリカについてほとんど知らないことにも気づいたが)。

で、面白かったか、と言えば、とても面白かった。
前半は韓国まで出張って超技術を使ったスパイアクション的に進み、後半はワカンダを舞台に、ハイテク文明を使った部族間抗争を描いていて、飽きずに楽しめた。

それと特筆すべきは、マーティン・フリーマンの存在。
キャラに恵まれたのかもしれないけれど、出てきた途端に「役者の違い」を感じてワクワクするし、彼が合流してからが俄然面白くなった。「なんかやってくれるんじゃないか」と期待させるし、それに違わぬ活躍をしてくれる(元のコミックだと、彼の演じるエヴェレット・ロスはブラック・パンサーのバディ的役割らしいので納得)。『シビル・ウォー』の時はただの小役人っぽかったのに、そのギャップも良い。
改めて良い役者さんなんだなーと思った。

マーベル映画らしい、社会性を持った娯楽作品となっていて、「富を持つものが施すとはどういうことか、得た力をどう使うのか、世界が変わる中でどう立ち居振る舞うのか」、正解がわからないその課題に、どう向き合うべきかを考えさせられた。ヒーローじゃない僕らも、それを考える意義はあるはずだ。
次回はいよいよ『アベンジャーズ』で、宇宙の脅威と戦う話なので、その脅威を前に地球はどう団結するべきか、というフリにもなっているのだろう。

とはいえ、宇宙からの脅威がなくても世界は団結できると信じたい。
その可能性を感じさせるような作品。

忘れそうになる日

ブログを毎日更新していれば、習慣になっているはずだから、更新を忘れることはないように思えるけど、ふとエアポケットに入ったように書くことを忘れてしまいそうになる日がある。それが今日。
なので、慌てて書いている。ネタもないのに。

昔、1年間毎日ブログを更新した年があった。調べたら2010年で、すべてのネタが「自分の身の回りのこと」という自意識過剰も甚だしいブログだったが、そもそも、芸能人でもない僕がワールドワイドウェブのど真ん中(があるのかは知らない)に、こうした「記し」を残すこと自体が、ある視点から見れば十分「変わっている」ことなので、まあ良い。
というか、8年たっても同じことやってるのも、まあ面白い。

その時も、こういう感じで、やっとこさ更新したことかあって(それも1度だけじゃない)、毎日更新って、やるのに結構根気がいるものだと改めて(8年越して)思ったりした。

以上です。

明日からもよろしくお願いいたします。

どっち?

昨日から喉が痛い。
でも、風邪のときの「いがらっぽい」感じではなくて、喉の奥がつまってるような奴。
あと、ちょっと首の周りが痛いし、ぼんやりと頭痛もする。

まあ花粉症だと思うんですけどね。
でも、風邪の疑いも晴れない(インフルエンザではなさそうだけど)。
だいたい「暖かい」といいつつも、風はまだ冷たかったりするので、寒い思いをしていないとは言えないのだ。

こういうとき、どっちの薬を飲むべきか悩む。
確率50%のギャンブル。

そんなわけで花粉症にベットして寝ます。

あの日から

少しずつ記憶は薄れていく。

2011年3月11日は職場にいた。ビルの8階は今ではパニック映画のワンシーンみたいに揺れた。一瞬、死を覚悟して叫びたくなったけれど、お客様の前であることをすぐに思い出して耐えた。

揺れがトラウマになって仕事を辞めた人もいた。
原発を恐れて東京から離れた人もいた。

あの時のどの決断が正しかったかは、いまだにわからないし、どの決断もその時に選んだベストだったのだろう。
幸い、僕はあの震災で親しい人と別れることもなく、今日まで生きてこられた。
その間、僕は誰かの役にたてただろうか。
その間、僕は誰かの力になれただろうか。
そして僕自身、きちんと生きてこれただろうか。

たいそうなことはしていないけれど、ただ、当たり前の日々は「当たり前ではない」ということだけは忘れずにいよう(厄介なことに時々忘れてしまうのだけれど)。
「それなり」に生きていく時間を少なくしよう。
どんなに細い記憶になったとしても、忘れないで、繋いでいくことだけはしていこう。
次に災害が起きた時に、あの日よりも力になれるように。

先生ロス

オンライン英会話を始めて、約1年が経つ。

何人かの先生に習ううちに、とても相性の良い先生と知り合ってこの半年ぐらいはほとんど、その先生にお願いしていたのだが、2月で退職してしまったのだ。

ありがたかったのは、辞める半月ぐらい前に教えてくれたので、心の準備ができたのと、最後のレッスンでFacebookのアカウントを教えてもらったので、連絡をとる手段が残ったこと。遠く離れたフィリピンに知り合いがいるというのはなんとなく良いでしょ?(もっとも僕がFacebookアカウント持ってないけどね)

で、今月からは慣れ親しんだ彼女のレッスンは受けられないので、日時が合う感じで、3人の先生に習ったのだけどどの先生も今ひとつしっくりこない。

しっかりしてるけど早口、だとか、文章をタイプしてくれるけど無愛想とか、感じはいいんだけど、僕に趣味を訊いておいて、ことごとく「私はそれ嫌い」と言うとか。

もっとも、前の先生も初めからそうだったわけではなく、何回かレッスンを受けてみて、お互いの呼吸が合ってきたのだろうけど、その過程を覚えていないせいもあって、若干、今のレッスンに身が入らない。

試していくうちに、良い先生に出会えると信じつつ、トライ&エラーの日々もしばらく続きそうだ。飽きないうちに見つけたい。

体調不良

女子レスリングがパワハラで揉めている。

で、渦中の栄強化本部長が体調不良で理事会を欠席したことに対して、雲隠れだのなんだのということが言われているけれど、実際のところ、本当に体調崩してるんじゃないのか、と思ったりする。

この問題に関しては、報道(それも半分面白おかしくしたゴシップ)しか知らないので、実際にパワハラがあったかなかったかはわからない。体育会系には付きものの話のようにも思える(文系で育った人間の偏見です)。

ただ、栄本部長って吉田沙保里を育てた師匠でありながら、事あるごとに吉田に投げられるおっちゃんとして、愛すべきキャラを確立していたはずだ。それが、今回の報道で、えこひいきのパワハラ親父とみなされ、今までとは180度変わって、嫌われキャラになってしまった。
世の中の人ほとんどが今まで味方してくれてたのに、突然敵にまわった感じ。そうなったら「体調不良」にもなるよなー、という感想。

昔、知り合いが2ちゃんねるで、ひどいバッシングを受けたことがある。
その人自体は一般人だが、芸能人と結婚したことで、まあありとあらゆる罵詈雑言に晒されていた。僕はそれをみて当事者じゃないのにとてもショックを受けて、若干の鬱状態になったりした。
良く知らない人(どころか会ったこともない人)のことをよくもまあこんなに悪口言えるなー、と思った。本人じゃなくても落ち込むのだから、いわんや本人をや。

なので、ワイドショー的なところで「雲隠れ」とか言われてるのを聞くと、僕は栄本部長に同情というか、そりゃー応えますよね、と言いたい気分になるのだ(いや、本当にパワハラがあったとしたら全然ダメなんだけれど)。

ネットで簡単に意見が言えるようになって、迂闊にひとを貶すことができてしまう時代のように思う。
だからこそ、仲間うちで面白く茶化す感覚で、広く発言してはいけないと思うし、相手があることならなおさらだろう。そういう感覚は忘れずにいなきゃいけないなーと思う。

熊谷守一の絵

熊谷守一「生きるよろこび」展覧会に行ってきた。

国立西洋美術館や東京都美術館(ともに上野)、新国立(六本木)にはけっこう行っているけれど、今回の展示がされている国立近代美術館は始めて行った。
最寄り駅の竹橋ってどこだ?と迷ったのも事実。

で、その展示内容だが、熊谷守一の描く絵の変遷がわかるような展示でなかなか面白かった。
ただ、1940年ぐらいと、50年くらいに絵のタッチが大幅に変わっているのだけれど、そのあまりの変わりっぷりに、美術鑑賞の心得がない僕からすると「この人はどっかで頭打ったんじゃないか」と思うほど。
あるいは、お子さんを二人亡くしているので、そのショックでどうかしてしまったのではないか、というくらい、技巧的な初期作とはうってかわってシンプルで明るすぎる(しかし狂気を孕んだ)色使いが独特な晩年の絵が違うので、なんというか、絵を鑑賞する以上に、熊谷守一という人の人生を観にいったような印象を抱いた。晩年の絵のほうが有名らしいし、たしかに味わい深くて印象深い。
そして一番感じたことは、なにより、展示してある作品数が多いこと!
全部で200以上あるらしく、行けども行けども展示してあって、一人でこれだけ描けるってだけで、ものすごい人なんだなーということがわかった。
じっくり観るには気合いが必要です。

東京迷路

今でこそ東京都民ぶってはいるが、なんだかんだと埼玉県民ぶりが抜けず、都内の位置関係が板橋、北区程度しかわからないわけだ。
特に地下鉄の駅はほとんどわからないので、乗換案内が欠かせない。

今日は神保町と竹橋で用事を済ませ、最終的に九段下に辿り着けばいい、という行程だったので、まず最寄駅から神保町へのルートを調べると、神保町ではなく御茶ノ水を使うのが早い(というか早・安・楽な)ことがわかった。それから竹橋に行くには神保町から九段下経由で行くのが良いとのこと。
で、従順に案内に従ったのだけれど、九段下に着いてからわかったのは、神保町と九段下、歩ける距離だということ。
もっと調べると神保町から竹橋も8分で歩ける。

そんな近い距離を電車に乗ってたんかい!

いや、別に目的は果たしたし、運賃が惜しいわけではないんですけどね。でも10分ぐらいの距離なら步いたほうが早かったりするし、電車に乗るっていうのは「歩けない距離の移動」という先入観があるので、なんかがっかりしてしまった。
こうやって経験していくうちに勉強になっていくのだろうけど、地下鉄を乗りこなせるようになって(地下鉄駅の位置関係と距離感がつかめて)はじめて一人前の都民になれるのではないかと思った日だった。

トラブリング

先週末、急遽朝から晩まで仕事をしたばかりだが、今日は事務所で配管トラブルが発生して、定時を過ぎ、帰り時間の目処がたたない。

こういうのって続くんだよなー。と思うと同時に、そういうトラブルに巻き込まれる率も高いな、と感じる。マクレーン刑事か、って。

まあそういう意味では、自分を「主役キャラ」と思い込むことで、色々な感情を押し込めてみます。

終電間に合うだろうか。

アカデミー賞に思う

今年のアカデミー賞が決まった。

昔は「アカデミー賞3部門受賞!」とか「5部門ノミネート!」などの宣伝文句に反応したけれど、最近はそうでもない(観る映画がエンターテイメント系に傾いているからかもしれない)。

でも、受賞した作品や受賞者はやっぱり気になる。
作品賞の『シェイプ・オブ・ウォーター』は、『パンズ・ラビリンス』がちょっと苦手だった(印象には残ったけど)ので劇場では厳しいかなーとか、ゲイリー・オールドマンが初受賞というのは意外だし、でも実在の人物で取って欲しくなかったなーと思ったりした。
そして今、受賞した各部門の作品を調べたら、どの作品も「絶対に観よう!」というものがなくて、それはそれで自分の感性がなんか大丈夫か不安になってきた。
ちなみに今観たいと思っているのは『ブラックパンサー』と『15時17分、パリ行き』。まあ普通のチョイスだとは思う。あと『グレイテイスト・ショーマン』はもう一回劇場に観たい。

で、今一度、17年と16年の受賞作品観たら、そこでも観たいと思うの(実際観たのも含めて)せいぜい2、3作だった。
僕とアカデミー賞はそんな距離感のようです。

気にせず好きなもん観よう。