満員電車の乗り方

今日はちょっと遅い出社だった。
なので、ラッシュのピークは避けつつも、それなりに混み合う電車に乗り込んだ。

で、ちょうど大学生の多い時間帯だったようで、学生らしき人達がほとんどだったのだが、どうにも、電車の乗り方が下手に思えて、気になった。
具体的には「まだ奥へ入れるだろう」とか、「まだドア側に顔を向ける位置じゃない(回転のタイミングが早い)」とか。

大学生ともなれば、そういう満員での“動き”はわかるだろうに…
と考えはじめて、ハタと気がついたのだ。

僕は小学校が私立だったため、小学1年生から電車通学だった。だから大学1年生時でも満員電車歴が12年。もう当時でベテランの域に達していたわけだ。

だけど、一般的には高校まで地元に通う学生も多いだろうし、大学生になって初めて電車通学という人や、上京してきた学生であれば地元と東京の電車の混み具合は違うだろうから、大学生には満員電車歴が浅い人が多いわけだ(高校からだとしても3年だからね。まだまだひよっこ)。
そう考えると、大学生はまだまだ(満員時の)電車の乗り方を会得している人が少ないのではないかと。

自分の感覚で言えば、大学生ぐらいなら乗り方とっくに知っているだろうと思っていたのだが、そういう人ばかりじゃない。
これが電車通学を早くから経験している自分の盲点だったのだ。

逆に、通勤時間はもっと混み合うけれど、乗り方はみんな上手いので、気になることが少ない。通勤ラッシュ時に電車に乗っているのはベテラン揃いなのだ。

たかが電車の乗り方でも、経歴がモノをいう。
そういう気づきを、ちょっと遅めの通勤は与えてくれた。

何事も日々勉強です(良いこと言ったつもり)。

ミニばやり

ファミコンミニがバカ売れして、ミニスーパーファミコンもかなり売れたからか、今年はミニメガドライブと、ミニネオジオが発表されてオールドゲーマー、そしてゲーム業界ウォッチャーの僕としては、なかなか嬉しい限りだ。

でも、これで「ゲーム業界も活気がでてきたね」と思うかといえば、そんなことはなく、逆に「今ゲームにお金を出す人」というのがなんとなくわかってしまって、やっぱりゲーム業界は概ね苦しい状況なのかなーと憂いたりもする。
こういうのって、若い人向けではなくて、レトロゲームなら買う、といういわゆるマニア向け製品だから。

ミニファミコンやスーファミならば、「任天堂の優良ミニゲーム集」という意味合いもあるので、当時持ってなかった若い人たちやファミリー層も、一応あれば息抜きにできるよね、という感覚で買うこともあるだろう。
だが、メガドライブやネオジオは、当時からしてゲームマニア(そこまでいかなくてもスーファミだけでは飽き足りないほどのゲーム好き)が買っていたハードだから、今回買うのも当然、当時に実機を所有していたり、ネオジオだったらゲームセンターでプレイしていた世代だろう。
だから、新たなゲームファンを広げるという目的ではなく、あの頃のゲーム好きに買ってもらおうという目的で作られるのだと思う。

もちろん、こういう復活は喜ばしいし意義のあることだとは思うけれど、こうやって過去を切り売りしながら業界が生き残っていくのだとしたら、あまり明るい未来は見えない。
過去の資産が日の目をみることは大歓迎。だけれど、こういうスタンドアローンのハードで出すのではなく、クラウド上にアーカイブ化されたものを、PCやタブレットで老若男女プレイしたい人が、気軽に安価で楽しめるようになるのが過去ゲームの資産活用としては一番良いと僕は思っている。

と、なんだかんだいいながら、ラインナップ次第でミニメガドライブもネオジオも買うつもりだ。
そうやってちょっとでも貢献しているうちに、ゲーム文化がずっと続いていくような状況を業界は考えて、実行していただきたい。

実家に帰って思うこと

実家までは1時間ちょいで行けるので、月に2回くらいは帰っているのだけれど、日曜に帰るとそれなりに用足しができる。
今日は、自分の部屋を片付けた。

僕がひとり暮らしを始めてから、実家の自分の部屋だったところは、家族の(半分は母の)衣類やら荷物が置かれる場所として使われている。それでも、僕が残していったものには手を付けないという「不可侵条約」みたいなものがあるので、僕が片付けない限りは片付かないわけだ。
前々から荷物をコンパクトにするように言われていたし、自分も申し訳なく思っていて、今日はけっこうな荷物大移動ができた。

それにしても、やっぱり実家は楽だなーと思う。
いわゆる炊事、洗濯といった家事全般をしなくても、母がやってくれるからだ。
ひとり暮らしを始めたばかりの頃は、珍しさもあって自炊を結構していたけれど、今じゃほとんどが外食が買ってきたものばかり。洗濯はかろうじてするけれど(着るものなくなるからね)、掃除も頻度が下がっている。
逆に、必要にかられての家事ですらままならない僕にとっては、実家暮らしでも家事をやったり、手伝ったりする人は凄いなーと思う(自分が甘いのかもしれませんが)。

あと、なんとなく同じ家に人がいる感覚は安心感ある。
ずっと一緒だと煩わしく思えてくるが、たまにだとその「家族ならでは」の煩わしさもありがたいものに感じる。
もっとも人生のうちの9割がた家族と暮らしてた僕ならではの感想なのかもしれないけれど。まだまだひとりで暮らすことに慣れていないということかも。

そんなわけでひとり暮らししてから丸2年がたった。
新シーズンはどうなることやら。

健康を計測する

今月からジム通いを再開したのだが、通っているスポーツクラブで、健康管理用のアプリを出しているという案内があったのでダウンロードしてみた。

1日の食事と運動、あと体重やよく眠れたかどうかを入力すると「今日の運動レベルは◯◯点!」と採点してくれて、ワンポイントアドバイスをくれるのだ。
使って3日目だけど、なかなか楽しい。

食事メニューから摂取カロリーを、運動メニューから消費カロリーを計算してくれて、自分が今日一日どれだけカロリーコントロールができたかを教えてくれる。

目標を高めに設定したからか(「ほどよく筋肉&引き締めコース」という3段階あったら中間の奴)、一日の摂取カロリー目標が1700キロと僕にとってはかなり低く、白衣を着た女性のイラストが「夕飯は、549キロカロリーを目安にしましょう」とか無邪気に無茶な要求をしてくるが、それもご愛嬌。目安がないよりあったほうがマシ。あと、こんなことでも目標は見える化しておいたほうが良いと思ったりする。

目標は体重−4kgだが、果たしていつ辿り着くのか(それとも辿り着かないのか)。

テレビ見ない日々

4月に入ってからテレビを見ていない。

知り合いに「家にテレビがない」という人がいて(しかも二人も)、その話を聞いたときはちょっと信じられなかったけれど、まさか自分がそうなるとはね。しかも「テレビあるのに見ない」というのは趣旨が違うのかも。

きっかけは、ずっと見ていた『わろてんか』も終わったし、『西郷どん』も展開が遅く、まどろっこしくて離脱したので、そのほか別に見たいわけでもないのに時計がわりにテレビをつけているのが、なんとなく気になったから。
朝、仕事に行く前は「時計」としてテレビをつけていたので、見なくなったら遅刻するとか時間感覚がなくなるかなーと不安もあったが、iPhoneのアラームを駆使した結果、とくに遅刻はなかった。
それに慣れてくると時間を有意義に使える気もする。

じゃあ、そのかわりに一体何に時間を使えているのか、と訊かれると、これがさっぱり思いつかないのはそれはそれで問題かもしれない。
DVDを見たりしているので「視聴時間」はあまり変わらないのかも。

でも、自分で観たいものを観ているのと、とくに興味のないものが流れてくるのを斜め観するのでは意味合いがだいぶ違うと思っている。
主体が自分かテレビか、という問題だ。
観たい番組が始まったらまたテレビ観るんだろうけどね。
それまではテレビのない生活を楽しんでみようと思っている。

といいつつもケーブルテレビを解約できないあたりに首尾一貫性のなさを痛感するのだが。

人気商売

サッカー日本代表のハリルホジッチ監督が解任になって、西野監督が就任したニュースは、この本番直前で監督を変えるというギャンブルの是非をめぐって話題になっている。
解任の理由は「選手とのコミュニケーション不足」と言われているけど、一部でスポンサーが、スター選手を呼ばない状況にケチをつけたのではないか、という噂も出ていて、確かにそれはこの解任の全ての原因ではないけれど、結構なウエイトの要因だったように思える。
やっぱり、日本代表って人気商売じゃないといけないんだろう。

僕もかつては日本代表の試合をほぼ欠かさず観ていた時期があった。
僕のサッカー観戦歴(とはいえテレビ越しだけど)は、まさに西野監督が指揮をしていたアトランタオリンピック組を観ることから始まった。
それから98年のフランスワールドカップの予選には熱狂したし、本戦では惨敗したけれど、それでも日本代表の試合は興奮したし、楽しめた。
その後も親善試合はパスしても、ワールドカップ予選やアジアカップなど、主要な大会はほぼ観ていたのだが、前回のブラジルワールドカップの日本代表の試合を全く観なかった。
はっきり言えば、日本代表のサッカーに興味をなくしてしまったからだ。

結局、世界の強豪国を見てしまうと、日本ってやっぱり弱いなー、という印象をもってしまうのだ。それから内容もパッとしない。
そのことに(僕だけじゃなくて)多くの人が気づいてしまったから人気に陰りが出たのだろうと思っている。応援はするけど、テレビに釘付けになるほどではなく、スポーツニュースで勝った負けたを見ればいいという感じ。
負ける試合を観るのって、よほど好きじゃないと辛いものがある。
勝ち負けを気にせずにスーパープレイを観たければ、結局世界のトップリーグの試合を観てしまうしね。

逆に野球の日本代表がそこそこ人気なのは、強いから、という部分が大きいだろう。プロ野球が昔のような人気コンテンツ(とくにテレビの)じゃなくなっても、日本代表になるときちんと盛り上がっているように思えるのは、ワールドカップであっても優勝を狙える強さがあるからだ。

ハリルホジッチ監督の率いた試合をほとんど観ていないから、その内容については触れられないが、スター選手を近頃呼んでいない上に、結果が出ていない、となれば、日本代表を支えるスポンサーからしたら「弱いうえに人気がない」チームにものいいをつけたくなるのはわかる(あくまでも噂です)。
Jリーグはすっかりバブルがはじけて(マスメディア的には)人気コンテンツでなくなってだいぶ経つが、日本代表まで人気に陰りがでてきたとなると少し寂しく思う。

なんて状況下で、「真野恵里菜が柴崎岳と結婚」とかいう記事をみると、長友といい槙野といい、なんだかんだでアイドルやモデルと結婚するサッカー選手が多くて、その点では人気に陰りどころか、あいかわらずの人気コンテンツだなーと毒づきたくなる思いもあったりする。

とにかくガンバレ日本代表!ヴァモラ!

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』

来週公開の『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』の予習として『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス』を観た。
前作は飛行機の中で観てなかなか面白かったけれど、続編を映画館で見るほどではないかなー、という感想だったのでDVD待ちになってしまった。

雰囲気としては『マイティ・ソー バトルロイヤル』と同じような、コミカルな掛け合いと勢いで推していく感じ(あれよりも下品な台詞が多い)。
こういう映画と、ハードで重いテーマを持った『キャプテン・アメリカ』シリーズが同じ世界観にあるのは、マーベル映画(MCU)の懐の深さなのか、多様性なのか。
『アイアンマン1・2』ぐらいの「シリアスさの中にどこか能天気な明るさがある」というくらいのテンションが一番好きなのだが、「宇宙」を舞台にしている時点で、突き抜けないといけないのかもしれない(「地球」が舞台の『ドクター・ストレンジ』や『スパイダーマン ホームカミング』はわりとバランス取れている気がする)。

80年代のアメリカのエンタメ文化が主人公のバックグラウンドにあるせいか、カート・ラッセルとかシルベスター・スタローンといった、あの時代の人たちがキャスティングされているのは多分、狙っているんだろうな。
あと、デビッド・ハッセルホフ(言わずと知れた『ナイトライダー』の主役)も本人として出てくるんだけど、『テッド』でも『フラッシュ・ゴードン』の話に主人公たちがやたらテンション高くしたり、ゴードン役だったサム・ジョーンズが本人役で出てきたり、最近のアメリカ映画は80年代懐古主義みたいになっているんだろうか。自分はそこにあまり思い入れがないので、いまいち楽しみ方がわからないのだけれど(あ、考えてみたら『テッド』はクマが、こっちの映画はアライグマが、どちらも口汚いセリフを吐くという共通点があった)。

とはいえ、派手なアクションと個性的なキャラクターに、きちんと家族の物語を描いていて、単体のSF映画として面白かった。
「地球」組のヒーローと比べると、なんでもアリの強さなので、どう整合性を取るのかも含めて『アベンジャーズ』は楽しみ。

インスタやってみる?

職場のInstagramプロジェクトのメンバーに選ばれた。

今日キックオフ会議だったのだが、プロジェクトリーダーの言葉を聞くと、どうやら僕がInstagramに精通していると思われているらしい。
完全に勘違いで、インスタはもちろんFacebookもやってないのに、だ。

とはいえ職場のTwitter担当の一人だし、以前はSNSやら情報サイトについて調べたり運用していたりした経歴があるので、その辺がごっちゃになっているのだろう。
そんなわけで、流されるようにとはいえ、インスタ始めないといけない感じ(そういう仕事、好きなほうだしね)。

手始めに超初心者サイトを見て、今日得た知識は「InstagramはFacebook傘下」ということだけ。いや、本当は他にも情報は得ているのだけれど、だいたいSNSって、あとはやってみないとわからない系ですよね。

考えてみたら、曲がりなりにもミラーレス一眼持っているわりには活かせる場所がなかったし、こうやってブログも日々更新しているし、もしかしてInstagram始めたら、あの、世間の羨望の的と言われる「インスタ映え」の才能が発揮されるのでは…⁈

とは、さすがに思っていない。

あ、ダーツは思ってますが。

シーズン終了?

たまたま雨っぽかったからか、はたまたもうピークが過ぎたのか、昨日はあまり花粉の影響を感じなかったのだけれど、念のために昨晩アレジオンを飲んで寝た。
そしたら、今朝から頭がボーッとして宙をフワフワ浮いている感じに。
花粉の影響に対して、薬の力がオーバーしたせいだと思う。

午後いちばんでお取り引き先との打ち合わせがあったのだけれど、若干頭に霞がかかったような状態で話をしてしまって、失礼だなーと思いながら打ち合わせしていた(そういう部分には頭がまわるのだけれど)。

そう考えると、もう花粉シーズンは終了したのだろうか。それともこの頃寒さが戻ってきたように、花粉も復活するのだろうか。
しばらくは様子見の日々が続く。

サロンコンサートの魅力

ピアニスト坂田麻里さんのリサイタルに行ってきた。

石神井公園でサロンコンサートを長く続けている坂田さんが、今回はその拡大版というか特別編という感じで大泉学園のゆめりあホールでコンサートを開いたのだ。
ピアノソロ曲の他、石神井Int’lオーケストラを支えるプロの弦楽奏者たちとの弦楽五重奏での共演も。

ピアノソロの曲目は、シューベルトの即興曲から、アルベニス、ラモーと続き、時代も国も(当然その文化も)違う曲がずらりと並ぶ。
時代や作られた背景によって曲の特徴は大きく異なるが、坂田さんの演奏は、演奏者が同じであっても、それぞれの特徴が強く感じさせる引き出しの多さがあり、またバラエティーに富んだラインナップにも面白さがあった。
そして、ラ・カンパネラのような(どのピアニストでもきっとこの道を通るだろうという)超絶技巧の曲も巧みに弾きこなして実力をみせる。
また、ソロ曲の最後にガーシュインを持ってくることで、現代につながるピアノの歴史を感じられる構成になっていた。

そしてソロの後は、今回のメインイベントともいえる、ピアノと弦楽五重奏によるショパン ピアノ・コンチェルト第一番ホ短調 OP.11。
そもそもはピアノソロとオーケストラの曲ということで、僕はこのオーケストラ版を聴いたことがないのだが、西谷国登さんを中心とした石オケ講師陣の五重奏の演奏は「もし、この曲がオーケストラで奏でられていたら」どういう雰囲気になるのかが想像できるような、迫力と奥行きのある演奏だった。
それぞれのパートがピアノを引き立て、ピアノも弦楽の作り出した音色の上に重なり合うようで、まとまりの良い演奏になっていた。

坂田さんが、気軽に演奏を聴く機会を増やしたい、とプログラムの挨拶で書いていたように、生演奏を肩肘張らずに聴くことができ、これを機会にまた別の演奏会にも行ってみたいという気にさせるコンサートだった。
サロンコンサートの魅力はこういう部分にあるのかもしれない。