片付けと不買運動

年末に人を呼べたのが嘘のように、部屋が散らかっている。

所有物が多いのも一因だろうが、衣類、読む本、ノートなど、日頃使っているものが、気がつくと山積みになってしまっている感じだ。
そのせいか、今日は久しぶりに片付けをしたものの、あまり片づいた感がない。

片付けたり、模様替えをしても変化が感じられなくなると、なんとなく、もう引っ越そうかなーとも思ったりするが、今の部屋に不満があるわけではない。結局はマンネリをどう打破するか、ということなんだろう。
断捨離、とか、ミニマリスト、とかいう言葉が流行りつつあるが、僕には合わないっぽいので、自分なりの片付け法と、過ごしやすい環境づくりを編み出さなければならない。

その第一歩として、とりあえず本を買うのをしばらくストップしている。
それはAmazon primeを始めて、kindle unlimitedが使えるようになったのも理由ではあるけれど。
kindle unlimited、すごく良い。使っていなかったiPadを常に持ち歩くようになった。どちらかと言うと「紙の本派」ではある僕でも、無料(primeの月会費はかかるが)だし、けっこう読みたい本があるのが魅力的だ。

とはいえ、そっちの本ばかり読んでしまって、今積ん読になっているのを読まないので、部屋は片付かないままなのが問題ではある。
計画的な読書が必要だ。

このペースで部屋が片付くのはいつのことになるのだろうか(そう言いながら3年が経とうとしている)。

買うタイミング

ダイエットがはかどらない。

その理由の一つに「お菓子を食べてしまう」というのがある。つまり「間食」だ。
スナックはあまり食べないのだけれど、甘い物、とくにチョコレートを常に欲してしまうのだ。板チョコとか、1/3だけ食べようと思って、気がつくと全部食べていることもしょっちゅうある。あれはなんでしょうかね。魔法?(ただの不摂生)
とはいえ、あまり禁欲的なダイエットは続かないとも言うから、チョコレートをまるっきり禁止するのではなく、美味しい(専門店の)チョコレートを、ちょっとだけ食べる、という方針を立てた。

昨日、仕事関連で後楽園に行ったのだが、確かラクーアの中にリンツが入っているはずだ、と帰りに覗いてみた(リンツは駅方面の入口のところにあるが、反対側にはゴディバがあった。さほど広くない1フロアにチョコ専門店が2軒あるのにちょっと驚く。後楽園の人はチョコ好きか?)。

自分で食べるだけなので、包装はどうでもよいから中身が多い1000円程度のものを物色していたら、さすがに人にあげる用途の方が多いのだろう、綺麗な包装のプレゼントものが多数を占めていた。
リンツのチョコは板チョコを数回食べただけなので、どれが良いかと迷いながら、いかにもプレゼント用という商品を見ていたら、店員さんが寄ってきて
「このケースには、上にグリーティングメッセージのカバーが掛けられて…」という説明をしてくれたのだ。

ここで、はたと気がついたのだけれど、今の時期はチョコレート店にとって最大のイベント中だった。

そう、バレンタインだ。

ということは、僕はここにプレゼント用を探しにきている、それはつまりバレンタイン、そしてそれは僕がバレンタインデーに誰か男性に「チョコレートをあげる側」と思われている(ここまで1秒)。
いやいや、僕はそういうんじゃないから。勘違いされてるとしたら困るなー(ここで1秒)。

で、3秒後に出たセリフが
「いや、自分用なんで…」(健さんの「自分、不器用ですから」と同じトーン)

そのセリフで、世界を1秒止める特殊能力が発動してしまったのだけれど、1秒後に店員さんも「あ、そうですか…」と、苦笑いをして離れていってしまった。

考えてみたら、今はバレンタインに男性が女性にチョコレートを送ることもあるというし、単純にそれ以外の贈り物として探していると思われてたのかもしれない。
それに対して「自分用なんで…」っていうのは、かえって“ぼっち感”と、「こいつ関わらないほうがいいタイプだ」と思わせたんじゃないかなーと、逆にいたたまれない気持ちになってしまった(自意識過剰)。
なんかもう、そういう感じなので、とりあえず目の前にあったギフト用のを2箱買って帰った(1箱はメッセージカバーがつけられる奴だ)。
この時期にチョコレート専門店で、男性がチョコを買うというのは、少し「覚悟」が必要なのかもしれない。

そうして買ったリンツのチョコレートだけれど、まあ、予想通りというか、普段買いのチョコレートよりも断然美味しい。
あまりに美味しいので、もう半分食べてしまった。

ダイエットがはかどらない。

『人魚姫』

シャウ・シンチーが監督した『人魚姫』(2016)を観た。

当時、劇場に観に行こうかと思いつつ、その前に観た『西遊記〜はじまりのはじまり〜』が面白かったけれど、けっこう細かい描写がエグかったので、スルーしてしまったのだった。それから2年経ってケーブルテレビで観た。

話は単純で、お金のためなら環境破壊も気にしない大富豪と、それを阻止するために刺客(ハニートラップ)として送り込まれた人魚の恋を描いているのだけれど、どこかマヌケでシュールな感じは一連のシャウ・シンチー映画っぽい。話は深刻なのに、どことなく牧歌的なのでユルく観れる。
環境破壊や行き過ぎた資本主義に警鐘を鳴らしているようで、それをひとつの題材としてラブコメディにしているあたりが押し付けがましくなくて良いし、純粋(というか素朴)な二人の愛情を前にすると、そういうメッセージ性を別にして、二人の恋を応援したくなる。
概ね大団円なところも楽しい。

自分のやってきたことが、多くの人(今回の場合は人魚だが)に悪影響を与えていることに、ヒロインと出会ったことで初めて気づき、自分のこれまでの行いを見直す展開は『アイアンマン』を思い出すし、それからの主人公の行動には胸が熱くなった。
あと、主役二人が愛すべきキャラクターでとても良かった。

笑って楽しんで、ちょっと社会問題を考える契機にもなる、という点からすると、けっこう映画として「王道」なんじゃないかなと思ったりした、愛すべき作品。

駆け抜けて4days

土日を挟んでの4連続勤務。

この体制になってからもう3ヵ月以上経つけれど、月曜の疲れさ加減があいかわらず辛い。
今週はとくに、欠員が一気に3名出たり、土日にイベントが目白押しだったりして、とにかく疲れた。それでも、まあなんとか体調もそこそこで乗り切れたので良しとしよう。

今月の予定を見ると、休みの日もアフター5(死語)も結構予定で埋まっているが、去年もこんなだったっけ?忙しいのは、ある意味良いことだが、どうでもいい予定に煩わされている可能性もあるので、考え直さなきゃとも思う。

やるべきことをやりつつ、やらないことは諦める。
そうでないと人生あっというまに終わってしまう気もするのだ。

そして、いまだに新しい美容室は見つかっていない。困った。

インフルエンス

「インフルエンサー」という名称に慣れない。

ポジティブな言葉なはずが、やっぱり、それは「インフルエンザ」を連想させてしまって、どうしても「あの人、インフルエンサーだからさー」というセリフは出てこない。
語感からして和製英語なのかと思ったらそうでもないようなので、ちょっと驚いた。海外でも普通に使われているんだろうか。だって

ー He is an influencer.
ー Wow,awesome!

なんて会話がされているんだとしたら、それってちょっとweirdだと思いません?

僕がこのインフルエンサーという言葉で、一番思い出すのは、俳優のディーン・フジオカがサタデーステーションに「インフルエンサー」の肩書きで出演決定!というニュースだ。
もう、そこは普通に「影響力のある」とか「今、人気の」とか言っておいて、肩書きは「俳優」のままでいいだろうと。
なんかそういう“最新の流行語に乗ってみた感”が、一昔まえの(バブル期の)テレビ業界っぽくて、「テレビってあいかわらず世間ズレしてんなー」と思ったのだ。
で、調べたら、それが2017年のこと。それから2年たって、果たして「インフルエンサー」という言葉は定着しているのだろうか。IT系の、それもSNSをビジネスにしている業界でしか聞かない気がするが、われらがディーン・フジオカは、未だにその肩書きでサタデーステーションに出演しているようなので、まあ、少なくてもしばらく死語にはならなさそうだ。

前置きが長くなったが、僕が今日書きたかったのは、本家本元の(って言っていいのか?)「インフルエンザ」の話。

会社の同僚が先週インフルエンザ(A型)に罹ったのだけれど、解熱剤を飲まなくても、まったく熱が高くならなかったとのこと(最高35.9℃)。
つまり、今年のインフルエンザは「熱出ないパターン」がある、という可能性が出ている。

それって、もう風邪と区別できないじゃん!

僕らがインフルエンサーにうつつを抜かしている間に、インフルエンザはさらにバージョンをあげて「インフルエンザー」になっているのかもしれない(そしてそのうち「インフルエンゼスト」になるだろう)。

皆様、くれぐれもご注意を。

ボーン トゥ ビー マイルド

1月19日は誕生日だ。

急遽、前夜が遅番シフトになってしまい、英会話のレッスンを23時半から入れたので、誕生日を迎えたときは、英会話の先生と一緒だった(画面越しだが)。
それは言わなかったけれどね。だってそれってちょっとweirdだと思うから。

そして誕生日当日も普通に仕事、かつ連日の遅番シフトのため、特に祝ってもらう予定はないが、とにかく誕生日だ。

もういい歳だから誕生日になにか特別なことを期待はしない。
それでもこの日を“意識はする”。

40年以上も過ぎていても、自分の本質的なものはさほど変わりないし、生まれ持っての“甘さ”も解消できていないしね。
去年も書いたがまだ「不惑」とは思えない。でも、そう書いた1年前と比べて、ある部分においては惑わなくなった部分もあり、思い返せば結構いろいろ乗り越えてきた。それはそれで自分を褒めてあげよう(そして周りの人にその倍、感謝しています)。

なんとかここまで生きてきたのだから、今年は、やりたいけれど怖くて避けてきたことに、きちんと向かわなければならないなと思う。
それは結局「音楽」をやるというところに行き着く。

技術は低くてもできることを工夫してやって、超楽しかったあの時みたいな感覚で、自分の好きな曲を作り、好きなように歌い、人の評価は二の次で(でもちゃんと気に入ってくれるだろう要素は意識しつつ)、きちんと自分のやりたい音楽を、形にすることをやっていこうと思う。
いい年して何言ってんだ、と自分でも思うけれど、どうせ自分の人生だから好きなようにやりましょう。

そういう決意を新たにする誕生日。

さて、1年後どうなっていますやら。

『アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜』

ポスターやタイトルからして、僕はこの映画はきっと甘酸っぱい恋愛映画なんだろうなーと思って、見たいような観たくないような思いでずっとスルーしていた。

わりとその予感はあたっていたのだけれど、すごい面白い映画だった。観ておいてよかった。甘酸っぱいけれど(前半が特に)、心地よい映画。

主人公が「タイムトラベル」というものすごい能力を持ちながら、善人で良かったなーと思う。
結果のわかっている株やギャンブルで大金を稼ぐ、というえげつないことに使う発想はなく、「ちょっとあのひとことを言わなければ良かった」とか「あそこにいかなければよかった」というのをやり直すことにだけ使い、自分と自分の大切な人々がより良くなる(それもズルっぽくない程度に)ために、ちょっとした失敗をやり直す程度にとどめているのが良い。
そして、その「善きこと」をしたせいで自分がピンチになるんだけれど、それでもギリギリまで能力を使わずになんとかしようとするところも、滑稽だけれどカッコいい。

自分が運命の女性だとわかったメアリーとどうやっても一緒になろう、しかも、彼女の気を引こうというところも可愛らしい。すごく恋愛をしたくなる。
そして主人公が歳を重ねるうちに、自分の大事なものが、恋愛から家族そして人生という大きなものに変化していく様が描かれていて、素敵な作品。

あと、とにかくレイチェル・マクアダムスが可愛い。
『シャーロック・ホームズ』でも『ミッドナイト・イン・パリ』でも可愛かったけれど、ちょっと鈍くさいけれど知的で美人という役柄が特に良く似合っていた。惚れるよ。

この映画のようにやり直しはできないけれど、それでも、毎日真剣に人生やっていきたいよね、としみじみ思う。

年に2回

年に2日ぐらいは神妙な気分でいてもいいと思う。
僕にとってはそれが1/17であり、もう1日は3/11。

かといって、何かを自粛するわけでもないし、楽しみを放棄するわけでもない。ただ、ふとした瞬間に、人生について、“生きていること”について思い出しては、思考をめぐらすことが多い日だし、それをすることで、僕は何か“赦し”のようなものを求めているのかもしれない。それは多分、自分のことを「まだきちんと生きてない」と思っているからだろう。

去年書いたように、24年前の僕はとても甘ちゃんだったし、今の自分を考えてみても、あんまり本質は変わっていないように思える(自分だけでなく、いまだに他人から「ピュア」だの「子ども」だの言われたりすることもあるのだ)。
ただ、あの時に比べて、震災とか災害とかを(直接、知り合いが被害にあわなくても)他人事と思わずに受け止められるようにはなった。
もちろん、自分の直接の悲しい出来事のほうが、自分にとっては大きいけれどね。

忘れないことと、つないでいくこと。
そのために自分ができることを考える。
今は、自分で思考をめぐらすことと、こうやってブログに残すことしか思い浮かばないけれど、あの日のことをきちんと自分の中で残しておくことを忘れないでいたい。

散髪ジプシー

散髪が苦手だ。

以前ブログにも書いたかもしれないが、どんな髪型が自分に似合うのかわからないし、かといって、ヘアカタログで「これにしてください」と言っても、髪質や髪の量(とくに問題)によって「できません」と言われたら手詰まりだし、そうなると、美容師さん、理容師さんにお任せ、となるのだけれど、それで「満足」という結果を得ることもあまりない。
美容師の友達がほしい(友達の友達でもいいから!)と切実に思う今日このごろである。

今の部屋に引っ越してきて、HotPepperで美容室を探しては行き、探しては行き、とやっていたところで2年ぐらい前に見つけた美容師さんが、わりと良かったので、それからはずっとそこに通っていた。
11月の下旬に切ってもらって、年内に行こうかどうしようか迷ったあげくに、年を越してしまい、もうけっこうな伸び方になってしまったので、また予約しようとサイトを見ると、僕の担当美容師さんがもういなくなっていたのだ。

いや、予兆というか、なんとなく店の雰囲気で、仲良くなさそうだなー、なんていうのは思っていたのだけれど、まさかの展開。
まあ、そこでずっと勤めるのが良いかどうかはわからないから移籍するのは仕方ないのだが、美容師さんの行く末も気にしつつ、じゃあ僕は誰に髪を切ってもらえばいいのだ?というのが最大の悩みなのである。

そんなわけで、ふたたびHotPepperで美容室を検索しているのだが、なかなか「コレ!」というのが見つからない。
もう、ついに「1000円カット」デビューか?という意見が一瞬、頭をよぎるが、それはなんとなく行きたくないんだよなー。
ちょっとは「オシャレ」(なふり)をしていたいんだと思う。

髪は伸びる一方だが、切る方はまだ決まっていない。
あと1週間ぐらいは大丈夫そうだけれど、果たしてどこで切ることになるのやら。

つづく

まもるくん

今日はいつもより遅く起きた。

この週末はそれなりに忙しくて疲れていたし、特に予定もなかったので、今日は完全オフモードにしたのだ。
8時過ぎに起きてダラダラと過ごしてしまい、でも、さすがに一日ダラダラはもったいないので、目覚ましのつもりで11時頃にシャワーを浴びた。

シャワーを浴び終わったときに、自分の部屋のほうから
「ピー、ピー、ピー!」
という警報が聞こえた気がした。

「気がした」というのは、その警報は初めて聞くものだったし、僕の持っている機器で、そういう警報が出るものがないから。風呂場で疑問を抱いているうちに
「ピー、ピー、ピー!異常です!」
と、今度はコメントまでついて聞こえてきた。

慌てて自室に行って、鳴るとしたらエアコンか、オイルヒーターかなと思って、その2つの電源を切る(裸で)。
一旦はそれで鳴り止んだのだが、何が鳴ったのか、それに本当に自分の部屋のものが鳴ったのかわからず、どうにも釈然としない。
隣の部屋がリフォーム中のようなので、その作業中になんか鳴らしたんじゃないか(それにしては音が大きすぎるが)と思っていたら(まだ裸)、またしばらくたって警報が。
これは間違いなく自分の部屋で鳴っていると確信。しかし音の発信源が見当たらずに(裸で)戸惑いながら上を見上げると、火災報知器がついていることに気づく(今さらかよ)。

いや、ついていることは知ってましたよ。でも普段いかにこういうものを意識せずに暮らしているのか、ということを思い知らされた次第(裸で)。

とくに煙も出ていないし誤作動かなーと思って、音を止めるボタンらしきものを押したら、鳴らなくはなったけれど、今度は時々赤いランプが点滅するようになってしまった。
位置的にベッドの上なので、ランプがずっと点滅するのも気になるし、夜中に警報がなったら嫌だから、報知器のサイドに書いてあった問い合わせ先に電話をしてみる(そして着た)。

その係の人が言うには、多分、埃や汚れによる誤作動だから、一旦外して電池を抜いて、センサーのあたりをふきんで拭くか、掃除機で吸って元に戻せば止まるはず、とのこと。
とりあえず対処法がわかったので、言われた通りにふきんで拭いて電池を入れ直したら、やっぱり
「ピー、ピー、ピー!異常です!」
と言われてしまった。

これ、ずっと直らないと面倒くさいなー。もう電池抜いて放置しとこうか(「火災放置器なんつって」というダジャレは思い浮かばなかったが、今思い浮かんだので一応書いておく)、でもそれだとマンションなので、万が一の時に責任取らされるなー(真面目)とか考えながら、息でフーフー吹いて電池を取り付けたら、今度は鳴らなくなった。
そのままそっと天井にとりつけ、現在に至る。

「これって鳴るんだ」と思ったら、今まで意識せずに暮らしてきたのに、やたら気になるようになってしまった。結局鳴った原因が曖昧だから余計にね。
一度も鳴らないのが良いのか、ちゃんと機能しているという点で鳴ったほうがいいのか、その辺はよくわからないが、誤作動だけは勘弁してほしいなーと、背後にある報知器を意識しながら、今このブログを書いている。

緊急地震速報と同じようなビックリするものがひとつ増えてしまった。