夢の中で

夢は記憶を整理しているので、自分の見たもの聞いたものが混ざって出てくる、とどこかで聞いた。
そう考えれば、夢で見ることは自分の本音みたいなものなのかもしれない。

そんななかで、結構考えさせられる夢を見た。
ある“あまり好きではない”仕事関係の人が出てきて、僕の仕事の不真面目さを指摘してきた。いわく、暇そうにしているなら雑巾がけしろ、手を動かせ。とりあえず掃除しろ。
そんなふうにせかされ、僕は棚とか壁とかを雑巾がけした。

これは最近、自分が仕事に対して全力で向かってないような気がしていることの暗示のような気もする。なんか酒ばっか飲んでて、自分の人生もなんだか一生懸命じゃないみたいだ、と少し思うところがあったから。

そのあと、その仕事関係の人はいなくなり、別の人たちと麻雀をすることになり、洗牌をして牌を並べたら全然まざってなくて簡単に清一色が揃ってしまった。これではゲームが面白くないと、洗牌しなおしているうちに、最終的に片山まさゆきの漫画のキャラクターが登場する、という展開に。
これは単純に麻雀やりたい願望だろうな。

そんな夢を見て、目が覚めた朝がどんな気分かというと、ちょっと最近の自分を反省しつつ、今日を一日頑張ろう、と思った次第です。

そして今日一日は、昨日よりは頑張れた気がする。
夢が大切なことを教えてくれる場合もある。

『ナイスガイズ!』

ラッセル・クロウとライアン・ゴズリングのバディもの、『ナイスガイズ!』を観た。

バディもので肝心なのは、とにかく相棒を組む二人の相性が良いかどうかに尽きる。それはキャラクターによるものだけでなく、俳優同士の相性にもよる。
とりわけ仲良しでなくてもいいと思う。仲が悪くても、ちゃんと噛み合いさえすれば、観ているほうとしてはきちんと「バディ」として観れる。
最悪なのは、お互いがお互いに興味を持っていない場合。これは二人で主役、という意志がなく、俺が主役でお前が脇役、という感じで演じてしまっているのがミエミエで、全然噛み合わないので面白くない。
僕が観た中では『ショウタイム』のロバート・デ・ニーロとエディ・マーフィ、『ゴースト・エージェント/R.I.P.D』のジェフ・ブリッジスとライアン・レイノルズがその例で、これはもうバディものとして観てるのが辛くなるレベルだった(『48時間PART2』もエディ・マーフィが大スターになってしまったがゆえにニック・ノルティが完全に引き立て役でガッカリした)。

さて、そういう点で、この映画はちゃんと「バディもの」しているのが良かった。腕力勝負の示談屋とろくでなし探偵といった、デコボコというよりボコボコなコンビが面白い。
コントみたいなコメディシーンが多いのに、展開はハードボイルドなのも70年代を舞台にしているから雰囲気に合うのだろう。

それと、二人のバディぶりをさらに魅力的にしているのが、ライアン・ゴズリング演じる探偵マーチの娘ホリー。しっかりしているができすぎない、でも芯が通っている、という彼女の存在が2.5人組のような関係を作り出している。

『アイアンマン3』が僕的にはひどかったので、シェーン・ブラックの映画に対してあまりいい印象はなかったけれど、この作品は面白かったし、続編があるっぽいつくりなので、期待している。
ぜひホリーを演じるアンガーリー・ライスが大きくなる前に作ってほしい。

軽く笑えるバディ活劇としてオススメの1本。

なんにもない連休で

火曜出勤の振り替えが水曜だったので連休になった。

土日休みの人は毎週、こんな勤務形態だということからすると、今晩あたり「サザエさん症候群」になりそうだと思うが、18時半をまわった今も、とりあえず大丈夫そうだ。
職場や仕事に思うところはあれど、行きたくないほど嫌、というわけではない、というのは幸せなことだと思う。

せっかくなので、どちらか1日は、一日中本を読もう、とか思っていたのに、実現できず。
昨日は実家と自宅を往復して荷物を運んだりして終わり、今日は午前中はダラダラと過ごして、午後打ち合わせが入ったので外出し、ジムで1時間ワークアウトして(体重が増えていた!)現在に至る。
時間割って大人でも必要だ(前にも書いたけど)。

とはいえ、特別なことはなくても、目的を果たせなくても、それなりに休みをとれた感はあるので、それで良いのだろう。
全く無駄のない日、というのは難しいのだ。

また明日から頑張ろう。

サルベージ

実家のPCがいよいよダメになってきた。

2年ぐらい前からDVDトレイが出にくくなってきて、これは物理的になんかひっかかってきたのかな、と思っていたのだけれど(フロントローディングっていつも最後はトレイ出なくなりますよね)、その後、電源を入れていると勝手にトレイを出し入れするようになり、最終的に、勝手に電源が入ったり切れたり(スリープになったり)するようになってしまった。
熱が籠もるのが原因かと思っていたけれど、スリープになったり勝手に電源が入ったりすることから推測すると、単純に電源系の故障だろう。
でも、直すには古すぎるし、もうデスクトップPCを持っているスペースの余裕はない。今はMacbook airがメインPCなので、実家のPCは調子の良いときに、データを取り出して処分することにした。

取っておきたいのは結局は写真データ(特に旅行の写真)なので、USBメモリにちょっとずつ移動している。
全部移動しきるまで、実家PCには頑張ってほしい。

僕のPC経歴は、最初はソーテック、次がコンパックそして実家にあるデル、とWindowsパソコンを使い続けてきた。
最後のPCのOSはXPだったので、もう10年以上前のものだけれど、初期のコンパックを買ったのは1999年と20年前だった。それからずっとWindowsを使っていて、Macとの付き合いはまだ3年ぐらい。
Windowsがなんでも話せる幼なじみだとすると、Macは大人になってから知り合ったお嬢様といった感じがする。
そんなビアンカWindowsから、Macフローラに乗り換えてよいのだろうか、と自問自答してみたりもした(ドラクエ脳)。

でも、まあ今はMacにも慣れたし(そのポテンシャルの3%程度ぐらいしか引き出せてないだろうけどね)、iPhoneユーザーになったので、しばらくはフローラ…じゃなかったMacbookを使っていこうと思う。

ところで、僕のMacbook Airのストレージは128Gしかないので、1TBの外付けHDDを付けているのだが、Mac本体の画像データがHDDに移動できなくて困った。調べてみると、HDDをMac用にフォーマットし直さなきゃいけないらしい。
そんなの、今知ったよ。

今後が思いやられるのだが、近々新しいMacbook Airを買います。

8年

2月2日でツイッターをはじめて8年たったそうだ。

ツイッターがお知らせをしてくれたのだが、「そう言われてみればそうだ」以外の感想がない。
でも振り返ってみれば、ツイッターを始めた直後に、恩師とも言える人に“幻滅”をし、献血でB型ということがわかり、東日本大震災が起きた、という流れは今でもしっかり覚えている。
それに今ではすっかり見慣れたけれど「タイムライン」って斬新だったよね。知らない人にリプライをするのはドキドキしたけれど楽しかった。
慣れない人同士が、距離感を探り合って楽しんでいる感が、あの時代のツイッターにはあった。

そう考えるとツイッター自体がこの8年でずいぶんと変わった。

この8年でつぶやいた数は3380。
多分決して多くはないが、放置しているとも言えない微妙な数だ。今はほとんど、このブログの告知だけだけどね。
それでも、ひとつのSNSをこれだけ使っているのは我ながら珍しい。
9年目までに一体どんなことをつぶやいて、どういう付き合い方をしているのか。

その答えは来年のこのブログでお伝えしよう(大河かよ)。

EXTRA ROUND

金曜から月曜までの4連勤が疲れる、と以前書いたと思う。

とくに土日はイベントが入ることが多く、体力的にも疲労が出るので、月曜を乗り切るとドッと疲れがでる。
のだけれど、今週はもう1日、明日まで仕事に行かねばならない。どうしても出なければいけない会議があるからだ(って書くと、超重要な役職についていそうだが、そうではなく、なんていうか…付き合い?)。

本来であれば、今日はバタンキュー、もう何もしたくないよ、寝るよ、という感じ。もしくは、明日休みだから疲れてるけど、ちょっと夜更かししちゃうよという疲れのせいで若干高いテンションなのだけれど、いたって普通。
「今週は5連勤しなくちゃならないのだ!」と思って働いてきたせいか、いつもよりも体力が残っている感じがする。身体が自然と「5日勤務体制」に合わせてきたのだろうか。不思議。
でも、そう考えると、身体って上手くできているように思える。

そんなわけで、いつもの月曜夜と違う感覚で、新鮮。
でも、じゃあ上手いブログが書けるかというと、そういうわけでもない。

世の中上手くできているが、甘くできてはないということかもしれない。

きぐるみ

職場にきぐるみが来た。
2体。

お客さんの前に午前と午後の2回出たのだけれど、2回目のほうが“こなれていた”のに感心する。
バックヤードで、「どうすれば可愛く見えるか」のポージングを先輩が後輩に教えていて、そのけなげな姿が可愛かった。
そういう姿を見ると、きぐるみが可愛いのは当然として、中の人に惚れる。
あと、その構造ね。よくできてるんだ、これが。

それと、きぐるみに入ると、人はちゃんと「演じる」ということもよくわかる。きぐるみも立派なペルソナのひとつなのだなーと思った。

じゃあ、自分が入りたいかと言うと、そうでもない。
いや、あれは大変ですよ。

全国のきぐるみストをリスペクトします。

アジアカップ決勝 VS カタール

まあ負けたのはしょうがないかな、と思う。

逆に優勝してしまって、課題が全部ないがしろにされるよりもずっと良かったと思っている。日本のスポーツ界はそれでなくとも「勝てば官軍」な雰囲気があるから。

1点目は仕方ないといった感じ。もちろんふわっとした入り方をしていた時間帯だから起きたことだろうけど、曲芸みたいなバイシクルシュートだったので、あれは決めた相手選手を褒めるべきだ。
2点目は余計だった。誰が誰にどうプレッシャーをかけにいくかが曖昧な状況でフリーにしてしまった。
もっとも、1点取って余裕があったから、あの位置から打ってきたのかもしれないけれど。

それでも、日本代表のサッカーは僕がみたその前の2試合と同じように、攻撃の緩急がなかったし、もっといえば約束事が感じられなかった。だから得点の予感がないのだ。

たとえば、前線の3人のユニットにしても、大迫を起点にして南野と原口がサイドにあがるのか、あるいは中央に攻め込むのか。
もしくは2列目(1.5列目?)の二人で溜めをつくって大迫にスルーパスを出すのか。
3人で時間を作り、中盤があがって数的有利を作るのか。

そういう攻撃の約束事が全く見えなかった。
ボール持ったら、あとは前線でなんとかしましょう、というふうにしか見えなかった。ひらめきにまかせる感じ。
それは僕が「かつて見ていた」日本代表と同じだ。

ボールをもらってから前を向くスピードが、昔よりはあがったと思う。ただ、その後にどうゴールに迫るのか、というところの判断が1テンポ遅く感じた。だからシュートを打つ前に、パスを出す前に、相手に寄せられ手詰まりになるシーンが多かった。

今回の試合で、日本はまだ個人の能力ではゴールを奪えない、ということがよくわかったと思う。
だから攻撃の約束事を作るべきだし、「これが日本の攻撃パターンだ」というものをまずはひとつ作ってほしい。

もちろん守備にも課題はあるだろう。
でも、やっぱり得点を取れなければ勝てないスポーツなのだから、攻撃の形を作って、それがダメならまた別の方法を、というふうに発展させてほしい。

でも本当に、ここで負けておいて良かったんじゃないか、と思っている。
現時点での、日本代表の現実的かつ達成すべき目標は、ワールドカップでベスト8に進出することだろう。
そのために何が必要か。この敗戦で修正するチャンスを得たのだ。

だから僕は次に期待したい。
次の試合で、「あ、日本代表、ちょっと変わったな」という姿を見られれば、この負けは、優勝以上に何倍もの価値を持つ。
だから、この悔しさを必ず次につなげてほしい。

頑張れ、日本代表。

おフランス

食パンがブームらしい。

それも2斤1000円近くする高級食パンが流行っていると聞いた。実際、僕の地元にも食パン専門店がある。
パン好きはやっぱり、食パンが基本なんだろうか。

そんな世相に逆らって、僕のお気に入りのパンはフランスパンなのだ。
これは多分、幼少期に横浜のポンパドウルでフランスパンを買って食べた思い出が、強く関係しているのだと思う。
大人になってからも、ポンパドウルでソーセージ入りのフランスパンを買って、港の見える丘公園で食べたのだが、その時も幼少期と変わらず美味しかった。

で、最近、週に2回ぐらいワインを飲むので(一人で!)、そのおつまみとしてバゲット(もしくはバタール)に明太子ペーストやコンビーフを乗せたものを食べているのだけれど、これがまた超美味い。
で、どこのフランスパンが一番美味しいかを探すようにもなってきた。
今のところ「ル・ビアン」のバゲットが断トツで美味しい。
もっとも、まだ地元と職場近くのパン屋でしか比べていていないのだけれど。

なので、しばらくはフランスパンをマイブームとしようと思う。
太る一方だな、これは。

Back to the roots Part1

実をいうと今年は「いかに自分らしく生きるか」というテーマを持っている。

「いかに自分らしく」というのは、結局「いかに楽しく生きるか」という根源的な、それでもずいぶんとぜいたくかつQOLを意識したテーマではあるが、「それなりに幸せではあるがいまいち楽しめていない人生」を、「幸せかつ楽しめる人生」に変えることが目標。それはできそうでできない、難しい命題である。
「自分らしさとはなにか」と考えたときに、自分の過去を振り返ってみようと思うのは至極当然のことのように思える。

そんなわけで休みを利用して、秋葉原へ行ってきた。

秋葉原は、今でも年に3~4回は行くが、高校生のときは月1回はあたりまえ、2週に1回もめずらしくないほど足繁く通った町だ。
昔の秋葉原をひとことで表せばサイバー、もしくはジャンクだったが、ある時を潮目に萌えに変わった感がある。
その変化は、メイドカフェの乱立から始まったのだろうが、僕が思うには家庭用ゲーム機が衰退し(ゲーム世代が大人になって卒業し)、またPCと家電が秋葉原以外で簡単に安く買えるようになったからだ。

僕(と友人たち)にとって秋葉原に行く目的は、いかに安いお宝ゲームソフトを見つけるか(ファミコンの「トップライダー」が980円で売っていたことがある)と、身近で買えないものを買うか(それはハイスペックPCだったり、輸入ソフトだったり)だったのだ。お金に余裕があったわけではなかったが、買うまでに至らなくてもウィンドウショッピングが楽しかった。
時代を経て、まず大型ディスカウント家電店で買えるようになり、ゲームソフトは大量に生産しなくなったせいか価格が暴落することがなくなったり(それはメーカーにはよいことだろう)、海外のめずらしいものもネットで買えるようになった。

今、秋葉原で一番目立つのは、メイドカフェ(を筆頭とした萌えビジネス)と、レトロゲーム屋と、フィギュアやUFOキャッチャーのプライズを売る店。トレーディングカードショップに、それから少々のアダルトショップ。もちろんメイン通りを一本後ろにいけば昔ながらのジャンクパーツ屋はあるけれど、大通りは上記のもので占められている。

僕が通いだした四半世紀ほど前から少しずつ街の様相が変わり、僕の好きだった秋葉原からはすっかりと変わってしまっている。
それでも、レトロゲーム屋を覗いたり、プライズショップの景品を見たりするのはわくわくするので、根本的に、僕はこういうゲームやキャラクターものが好きなんだろう。

秋葉原に降りた僕は、まず東京レジャーランドへ行った。ここは僕がもう大人になってからできたゲーセンなので、青春の思い出はないが、そこそこ空いていて遊びやすいのだ。で、WCCF(というトレーディングカードを使ったサッカーゲーム)を8クレジット分やる。となりがダーツスペースになっていて、けっこうな数の若者がダーツに興じていた(僕もダーツを“ちゃんと”やりたい)。
WCCFも最後にやったものからバージョンがあがり、ゲーム進行が昔と違ってちょっと焦った。このゲームの初代が出た16年前はゲーセン通いしたほどハマった。なので、プレイをすると自然とその頃の感覚を思い出す。

それからレトロゲームの聖地ともいえるタイトーHey(というゲーセン)にも行く。でも、レトロゲームって「上手くないとやるのが恥ずかしい」ものだ。僕は正直、どのゲームも上手いというほどの腕前がないので、上手い人のプレーを見るだけだ。「極上パロディウス」が稼働していて、これもまた4面程度しか進めないけれど、大好きなゲームなのでやりたかった(上手い人がやっていた)。それで、レトロゲームコーナーを出て、これまたかつてハマったjubeat(音ゲー)を1プレイした。
WCCFも変わっていたが、jubeatもただ、ボタンを叩いていれば良かったのが、「ボタンをホールドする」という行為が増えていたので驚いた。考えてみれば、いかにバージョンが更新されようが、10年前に出たゲームだから、なにかしら新要素が入っていないと続かない、ということだろう。
ただ、一方で新しいゲームがウケないということなのかもしれないが。

道中、ソフマップのMacだのDTMが置いてある店に入る。
昔秋葉原には、LAOXの楽器館があって、僕はそこでいろいろと物色して、DTMやMIDIに興味をもっていった。この店はもう、セミプロの方々が、決まった目的のものを買うためだけにあるようで、僕には敷居が高い。まずはどの機材が何の目的で存在していて、どうつなぐのか、そういうところから勉強し直そう。
あと、Macbook Airを売って、Proを買おうかと思っている。中古のMacbookでも良いのだろうかね。

帰りがけに、書泉ブックタワーに寄った。
かつては8階がゲーム系書籍、7階がマンガ、コミックという扱いだったと思うが、今は7階は女性向けコミック、6階が男性向けコミックというフロア分けがされていて、訪れる女性の数が増えたのだなーと思った。
サイバーな頃の秋葉原には女性はほとんどいなかった(いたら、その女性は間違いなくモテていたはずだ)。オタク文化が男性だけのものではなく、今や女性のものもすっかり定着したのだな、と書泉のフロア分けで実感したりする。

他にもガンダムカフェのガンダム焼きがなくなっていたり、僕が気に入っていた(と言っても1回しか行ったことがない)メイドバーは別の店になっていた。続くものは続くが、淘汰されるものはされてしまう。商売の原理ではあるのだろうが、なんとなくセンチメンタルにもなる。

午後いちからブラブラしているうちにすっかり夜の時間になったので、思い出の飲み屋「天狗」でひとり飲みでもしようかと思いつつ(僕はこの飲み屋のエピソードから曲を作ったのだ!)、それはまた次回のためにとっておくことにしよう。

今回、自分のオタクっぽい性質に改めて向き合えた気がする。何が好きで何が好きでないか、がわかってきた。
それを自分の今後の人生にどう活かすか。
とにかく自分の過去を見つめ直す旅はこうして始まった。(つづく)