熱を伝えられる人でないと、物事は動かせないなと思う。
それは先日の衆院選で、盛り上がった選挙区とそうでないところの選挙区の差(結果を含めて)から感じるし、選挙という大きな事柄だけでなく、僕らの日々ってそうした物事の繋がりでできているのだ。
自分のやりたいこと、というか理想までなかなか届かないことに最近頻繁にくよくよするのだけれど、冷静に考えてみると直接お会いした人には熱を与えられていることが結構あって、最終的に思い描いたものと着地は違うけれど、ローギアでの運転はできているのかもと思った。
そこから先、スピードあげて、大きくならない原因は、ひとつはそこからの熱の拡げ方がわかってないこと。
もうひとつは、自分が冷めてしまうことなんだろう。
前者を直すには、数をこなしてコツを掴むしかないのだけど、後者は自分次第で今から変えられるよね。熱しやすく冷めやすいことで、多くのことに興味を持てるのは利点である反面、物事を投げっぱなしにしたり、もっと失礼なのは一緒に熱を上げてくれた人を置いてけぼりにしてしまう。それは良くない。
いわゆる風呂敷を広げて畳まないという奴だ(今日、なんか慣用句多いな)。
まあ書きながら思ったんだけど、冷めるというよりは怖くなっちゃうんだよな。俺、こんな周りの人に声かけて動かしちゃって大丈夫なの?って。
そういうふうに臆病風が吹くと、その冷風で冷めがちではあるが(だから臆病”風”って言うのかな?)、めげずに熱を持ち続けたほうが物事は動かせるし、自分がそうしたいと思っているなら、熱くい続けるしかないのだよね。
やりたいことを迷わず全部やっていけば、ずっと熱くいられるのかな?
そんな感じで色々と考えた日。
なので熱が冷めないうちに『そして、バトンは渡された』の映画観てきましたよ!
そして約一年ぶり(Agapanthus以来)の鳥貴族 with江戸川台ルーペ。
ルーペさんは僕にTrySailという熱をくれた人。
逆に、僕は読書ツイキャスという熱を与えた(とか偉そうに言いつつ、そもそもツイキャスというフォーマットの熱はルーペさんからだけど)。
ちゃんと熱を受け渡ししてくれる人の存在に感謝しつつ、これからは意識して温度上げていきたい(ルーペさんだけでなく、本当にいろんな人に助けられてます)。
そんな感じで一日、充実した日。
こういう日ばかりだと疲れちゃうけれど、増えるように生きていきたい。