「空気の中に変なものを」

江戸川台ルーペは僕の古くからの友人である。

彼の文章は、昔から他の人のそれとは大いに違っていた。
「天才的」と言いたいが、それはきっと血の滲むような思いをし、魂を削って文章を書いているだろう彼に失礼だから、別の言い方をすると、とにかく心を掴まれる文章を書く人だった。
そんな彼が小説を書いた。
「空気の中に変なものを」

僕も彼も80年代後半から90年代が青春時代の世代だ。
そして(僕が彼と出会ったのは二十歳を過ぎた後だが)同じような青春時代を過ごしたのだと思う。

僕らの青春時代は理不尽だった。
先生の体罰は当たり前だったし、「そんなことで?」ということで怒られたこともある。女子はスポーツができて容姿の良い男子に群がっていた。
そんなことよりゲームやマンガと男子づきあいができれば、それはそれで良かった。良かったのだけれど、同時に身の回りのさまざまな理不尽に対するどうしようもない苛立ちを感じていた。
女の子に興味はあった。ただそれを後回しにするほど(後回しにせざるを得ない現実があったとして)ゲームや漫画などいわゆるオタク系なものに夢中だったナードな青春時代を過ごした者なら、その理不尽さを一度は感じたはずだ。
そして、僕らのほとんどが普通に大人になり、恋愛をし(学生のときにできなくても大人になるとできるものなのだ)結婚をし、いわゆる普通の幸せを手に入れる(独身の僕が言うのもなんだが)。
でも、あの青春時代の言われようのない理不尽さは常に心のどこかにわだかまりのようなものを残している。

だから僕はこの小説の「僕」に共感するのだ。

バブル経済の中、大人たちが浮かれて、いわゆる男女的な楽しさに興じている一方で、それを冷めた目で見ながら、そして羨ましくも思いながらも、僕らはファミコン(スーファミ)の新しいソフトや、ゲーセンでのストⅡの対戦に夢中だった。そういう80年代〜90年代の喧騒と、賑やかだったけれどもどこか湿った雰囲気を、江戸川台ルーペの小説は持っている。

そう、これは僕らの世代の小説なのだ。

彼は穏やかな中に激情をはらんでいるような、カラッとした陽気さを持ちながらどこか湿っているようなそういう文章を書く。シリアスな中に時々あらわれるユーモアも含めて、彼のアンビバレンスなその思いが文体となって現れている。

これは僕らの時代の小説なのだ。

僕らが経験したエンタメへのオマージュがところどころに散りばめられて、僕らはそれに共感しつつもこの不思議なそして狂気な物語の中に引き込まれる。

これは「大人の冒険小説」だ。
同世代の人にはもちろん、タグが気になった人はぜひ読んでもらいたい。

と、ここまで書いて、この小説に新しい章が加わっていたことに気づく。
続きの章となっているが、いわゆる“本編”のスピンオフの形になっている。
本編とは違った青春小説になっていて、本編はダークな部分が多いが、こちらは中学生のまっすぐな青春をリアルタイムで切り取ったような印象がある。

江戸川台ルーペの今の全力投球が感じられる小説。

小説好きな方はぜひご一読ください。
友人としてだけでなく、いちファンとしてオススメします。

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