おフランス

食パンがブームらしい。

それも2斤1000円近くする高級食パンが流行っていると聞いた。実際、僕の地元にも食パン専門店がある。
パン好きはやっぱり、食パンが基本なんだろうか。

そんな世相に逆らって、僕のお気に入りのパンはフランスパンなのだ。
これは多分、幼少期に横浜のポンパドウルでフランスパンを買って食べた思い出が、強く関係しているのだと思う。
大人になってからも、ポンパドウルでソーセージ入りのフランスパンを買って、港の見える丘公園で食べたのだが、その時も幼少期と変わらず美味しかった。

で、最近、週に2回ぐらいワインを飲むので(一人で!)、そのおつまみとしてバゲット(もしくはバタール)に明太子ペーストやコンビーフを乗せたものを食べているのだけれど、これがまた超美味い。
で、どこのフランスパンが一番美味しいかを探すようにもなってきた。
今のところ「ル・ビアン」のバゲットが断トツで美味しい。
もっとも、まだ地元と職場近くのパン屋でしか比べていていないのだけれど。

なので、しばらくはフランスパンをマイブームとしようと思う。
太る一方だな、これは。

Back to the roots Part1

実をいうと今年は「いかに自分らしく生きるか」というテーマを持っている。

「いかに自分らしく」というのは、結局「いかに楽しく生きるか」という根源的な、それでもずいぶんとぜいたくかつQOLを意識したテーマではあるが、「それなりに幸せではあるがいまいち楽しめていない人生」を、「幸せかつ楽しめる人生」に変えることが目標。それはできそうでできない、難しい命題である。
「自分らしさとはなにか」と考えたときに、自分の過去を振り返ってみようと思うのは至極当然のことのように思える。

そんなわけで休みを利用して、秋葉原へ行ってきた。

秋葉原は、今でも年に3~4回は行くが、高校生のときは月1回はあたりまえ、2週に1回もめずらしくないほど足繁く通った町だ。
昔の秋葉原をひとことで表せばサイバー、もしくはジャンクだったが、ある時を潮目に萌えに変わった感がある。
その変化は、メイドカフェの乱立から始まったのだろうが、僕が思うには家庭用ゲーム機が衰退し(ゲーム世代が大人になって卒業し)、またPCと家電が秋葉原以外で簡単に安く買えるようになったからだ。

僕(と友人たち)にとって秋葉原に行く目的は、いかに安いお宝ゲームソフトを見つけるか(ファミコンの「トップライダー」が980円で売っていたことがある)と、身近で買えないものを買うか(それはハイスペックPCだったり、輸入ソフトだったり)だったのだ。お金に余裕があったわけではなかったが、買うまでに至らなくてもウィンドウショッピングが楽しかった。
時代を経て、まず大型ディスカウント家電店で買えるようになり、ゲームソフトは大量に生産しなくなったせいか価格が暴落することがなくなったり(それはメーカーにはよいことだろう)、海外のめずらしいものもネットで買えるようになった。

今、秋葉原で一番目立つのは、メイドカフェ(を筆頭とした萌えビジネス)と、レトロゲーム屋と、フィギュアやUFOキャッチャーのプライズを売る店。トレーディングカードショップに、それから少々のアダルトショップ。もちろんメイン通りを一本後ろにいけば昔ながらのジャンクパーツ屋はあるけれど、大通りは上記のもので占められている。

僕が通いだした四半世紀ほど前から少しずつ街の様相が変わり、僕の好きだった秋葉原からはすっかりと変わってしまっている。
それでも、レトロゲーム屋を覗いたり、プライズショップの景品を見たりするのはわくわくするので、根本的に、僕はこういうゲームやキャラクターものが好きなんだろう。

秋葉原に降りた僕は、まず東京レジャーランドへ行った。ここは僕がもう大人になってからできたゲーセンなので、青春の思い出はないが、そこそこ空いていて遊びやすいのだ。で、WCCF(というトレーディングカードを使ったサッカーゲーム)を8クレジット分やる。となりがダーツスペースになっていて、けっこうな数の若者がダーツに興じていた(僕もダーツを“ちゃんと”やりたい)。
WCCFも最後にやったものからバージョンがあがり、ゲーム進行が昔と違ってちょっと焦った。このゲームの初代が出た16年前はゲーセン通いしたほどハマった。なので、プレイをすると自然とその頃の感覚を思い出す。

それからレトロゲームの聖地ともいえるタイトーHey(というゲーセン)にも行く。でも、レトロゲームって「上手くないとやるのが恥ずかしい」ものだ。僕は正直、どのゲームも上手いというほどの腕前がないので、上手い人のプレーを見るだけだ。「極上パロディウス」が稼働していて、これもまた4面程度しか進めないけれど、大好きなゲームなのでやりたかった(上手い人がやっていた)。それで、レトロゲームコーナーを出て、これまたかつてハマったjubeat(音ゲー)を1プレイした。
WCCFも変わっていたが、jubeatもただ、ボタンを叩いていれば良かったのが、「ボタンをホールドする」という行為が増えていたので驚いた。考えてみれば、いかにバージョンが更新されようが、10年前に出たゲームだから、なにかしら新要素が入っていないと続かない、ということだろう。
ただ、一方で新しいゲームがウケないということなのかもしれないが。

道中、ソフマップのMacだのDTMが置いてある店に入る。
昔秋葉原には、LAOXの楽器館があって、僕はそこでいろいろと物色して、DTMやMIDIに興味をもっていった。この店はもう、セミプロの方々が、決まった目的のものを買うためだけにあるようで、僕には敷居が高い。まずはどの機材が何の目的で存在していて、どうつなぐのか、そういうところから勉強し直そう。
あと、Macbook Airを売って、Proを買おうかと思っている。中古のMacbookでも良いのだろうかね。

帰りがけに、書泉ブックタワーに寄った。
かつては8階がゲーム系書籍、7階がマンガ、コミックという扱いだったと思うが、今は7階は女性向けコミック、6階が男性向けコミックというフロア分けがされていて、訪れる女性の数が増えたのだなーと思った。
サイバーな頃の秋葉原には女性はほとんどいなかった(いたら、その女性は間違いなくモテていたはずだ)。オタク文化が男性だけのものではなく、今や女性のものもすっかり定着したのだな、と書泉のフロア分けで実感したりする。

他にもガンダムカフェのガンダム焼きがなくなっていたり、僕が気に入っていた(と言っても1回しか行ったことがない)メイドバーは別の店になっていた。続くものは続くが、淘汰されるものはされてしまう。商売の原理ではあるのだろうが、なんとなくセンチメンタルにもなる。

午後いちからブラブラしているうちにすっかり夜の時間になったので、思い出の飲み屋「天狗」でひとり飲みでもしようかと思いつつ(僕はこの飲み屋のエピソードから曲を作ったのだ!)、それはまた次回のためにとっておくことにしよう。

今回、自分のオタクっぽい性質に改めて向き合えた気がする。何が好きで何が好きでないか、がわかってきた。
それを自分の今後の人生にどう活かすか。
とにかく自分の過去を見つめ直す旅はこうして始まった。(つづく)

ニュー・ヘアー

意を決して新しい美容室へ行ってみた。

HotPepperで検索して色々悩んだ結果、こじんまりとしていて、店内の写真がトラディショナルな(あまり洒落すぎてない)ところを選んでみた。
それから以前行っていたところより少し値段が高いところにしてみた。友人にどのくらいの値段のところへ行っているか聞いたら、僕のよりずっと高額だったので、今まで納得いく出来にならなかったのをコストの問題と考えてみたのだ。
とはいえ、超高いわけでもなくプラス1000円ぐらいだけれど。

会社帰りに行ったのだが、緊張のせいかお腹が痛くなったり、万全な体調ではなかった。
でも、ここで気づいたのだ。
僕も緊張しているけれど、店員さんのほうがよほど緊張しているはずなのだ。だって、僕はお客様。店の方は、ここで僕に気に入ってもらえてリピーターになってもらわなければ一人見込み客を失うわけだ。だって、次に来ないお客さんはよっぽどのことがなければ二度とその店を使わないだろうから。
そう考えたら、少し気が収まって(お腹痛も)時間どおりに無事、目的の美容室に到着。

で、新規のお客さんなので、カット前にカウンセリングをしてくれた。髪質や気になるところなどを聞き取って、ヘアカタログも参照しながら、どんな髪型にするかの希望を聞いてくれるのだ。多分実質5分くらいなんだろうけど、緊張して15分ぐらいに感じた。
それをもとに手際よく切ってくれて、切るか切るまいか迷ったときはこちらに意見を聞いてくれ、とても感じがよかった。
おまけに眉ぞりもついていたし、途中にお茶のサービスもあった。

そういう、昔ならついてなかったサービスを受けると、美容師さんって大変だなーとしみじみ思う。だって競合他社はたくさんあるし、ちょっと気に入らなくなったり、他に良い店ができたら、そのお客さんはもう来なくなっちゃうわけだ。多分すごい気を使ってるんだろうと思った。

そんなわけで、カウンセリングを経た髪型は、すっきりしていながら「おっさん感」が低く、店員さんの感じも含めて、僕の中で合格点だったので、もう一回そこに行こうと思っている。
男っぷりもきっとあがっただろう。

と思って、今日、同僚にその話をしたら「あんまり前と変わらない」とのこと。

これはなんでしょうね。僕の資質の問題?

なら1000円カットでいいじゃん(いや、まだ美容院でねばりますよ!)。

ニセトリキ

僕の友達はひとりで鳥貴族へ行くらしい。

ツイッターで、オススメメニューを披露していてそれを見たら、僕もひとり鳥貴族をしたくなってきた。

僕はひとり居酒屋というのを1回だけしたことがあるが、そんなに楽しめなかった。手持ち無沙汰感が強いからだと思う。ひとり呑みをするんだったら家だよなーと思う。
今日は「ひとり鳥貴族」をするチャンスだったし(日曜は比較的飲み屋は空いていそうだから)、気分的には外呑みをしたかったけれど、結局いまひとつ決意を持てず、でも焼き鳥が食べたくなったので、クイーンズ伊勢丹で焼き鳥を買ってきて家呑みをした。トリキっぽいメニューだ。

クイーンズ伊勢丹の焼き鳥はけっこう美味しかった。さすが「高級スーパー」(でいいんだよね?)だなーと思う。
で、塩1本、タレ6本で晩酌をして、けっこう満足してしまった。

でも、近いうちにひとり鳥貴族はやっておこうと思ったりもする。
なんとなく、そこにロマンを感じるからだ。

それは、ひとつおっさんになった、ということなのだろうか。

片付けと不買運動

年末に人を呼べたのが嘘のように、部屋が散らかっている。

所有物が多いのも一因だろうが、衣類、読む本、ノートなど、日頃使っているものが、気がつくと山積みになってしまっている感じだ。
そのせいか、今日は久しぶりに片付けをしたものの、あまり片づいた感がない。

片付けたり、模様替えをしても変化が感じられなくなると、なんとなく、もう引っ越そうかなーとも思ったりするが、今の部屋に不満があるわけではない。結局はマンネリをどう打破するか、ということなんだろう。
断捨離、とか、ミニマリスト、とかいう言葉が流行りつつあるが、僕には合わないっぽいので、自分なりの片付け法と、過ごしやすい環境づくりを編み出さなければならない。

その第一歩として、とりあえず本を買うのをしばらくストップしている。
それはAmazon primeを始めて、kindle unlimitedが使えるようになったのも理由ではあるけれど。
kindle unlimited、すごく良い。使っていなかったiPadを常に持ち歩くようになった。どちらかと言うと「紙の本派」ではある僕でも、無料(primeの月会費はかかるが)だし、けっこう読みたい本があるのが魅力的だ。

とはいえ、そっちの本ばかり読んでしまって、今積ん読になっているのを読まないので、部屋は片付かないままなのが問題ではある。
計画的な読書が必要だ。

このペースで部屋が片付くのはいつのことになるのだろうか(そう言いながら3年が経とうとしている)。

買うタイミング

ダイエットがはかどらない。

その理由の一つに「お菓子を食べてしまう」というのがある。つまり「間食」だ。
スナックはあまり食べないのだけれど、甘い物、とくにチョコレートを常に欲してしまうのだ。板チョコとか、1/3だけ食べようと思って、気がつくと全部食べていることもしょっちゅうある。あれはなんでしょうかね。魔法?(ただの不摂生)
とはいえ、あまり禁欲的なダイエットは続かないとも言うから、チョコレートをまるっきり禁止するのではなく、美味しい(専門店の)チョコレートを、ちょっとだけ食べる、という方針を立てた。

昨日、仕事関連で後楽園に行ったのだが、確かラクーアの中にリンツが入っているはずだ、と帰りに覗いてみた(リンツは駅方面の入口のところにあるが、反対側にはゴディバがあった。さほど広くない1フロアにチョコ専門店が2軒あるのにちょっと驚く。後楽園の人はチョコ好きか?)。

自分で食べるだけなので、包装はどうでもよいから中身が多い1000円程度のものを物色していたら、さすがに人にあげる用途の方が多いのだろう、綺麗な包装のプレゼントものが多数を占めていた。
リンツのチョコは板チョコを数回食べただけなので、どれが良いかと迷いながら、いかにもプレゼント用という商品を見ていたら、店員さんが寄ってきて
「このケースには、上にグリーティングメッセージのカバーが掛けられて…」という説明をしてくれたのだ。

ここで、はたと気がついたのだけれど、今の時期はチョコレート店にとって最大のイベント中だった。

そう、バレンタインだ。

ということは、僕はここにプレゼント用を探しにきている、それはつまりバレンタイン、そしてそれは僕がバレンタインデーに誰か男性に「チョコレートをあげる側」と思われている(ここまで1秒)。
いやいや、僕はそういうんじゃないから。勘違いされてるとしたら困るなー(ここで1秒)。

で、3秒後に出たセリフが
「いや、自分用なんで…」(健さんの「自分、不器用ですから」と同じトーン)

そのセリフで、世界を1秒止める特殊能力が発動してしまったのだけれど、1秒後に店員さんも「あ、そうですか…」と、苦笑いをして離れていってしまった。

考えてみたら、今はバレンタインに男性が女性にチョコレートを送ることもあるというし、単純にそれ以外の贈り物として探していると思われてたのかもしれない。
それに対して「自分用なんで…」っていうのは、かえって“ぼっち感”と、「こいつ関わらないほうがいいタイプだ」と思わせたんじゃないかなーと、逆にいたたまれない気持ちになってしまった(自意識過剰)。
なんかもう、そういう感じなので、とりあえず目の前にあったギフト用のを2箱買って帰った(1箱はメッセージカバーがつけられる奴だ)。
この時期にチョコレート専門店で、男性がチョコを買うというのは、少し「覚悟」が必要なのかもしれない。

そうして買ったリンツのチョコレートだけれど、まあ、予想通りというか、普段買いのチョコレートよりも断然美味しい。
あまりに美味しいので、もう半分食べてしまった。

ダイエットがはかどらない。

駆け抜けて4days

土日を挟んでの4連続勤務。

この体制になってからもう3ヵ月以上経つけれど、月曜の疲れさ加減があいかわらず辛い。
今週はとくに、欠員が一気に3名出たり、土日にイベントが目白押しだったりして、とにかく疲れた。それでも、まあなんとか体調もそこそこで乗り切れたので良しとしよう。

今月の予定を見ると、休みの日もアフター5(死語)も結構予定で埋まっているが、去年もこんなだったっけ?忙しいのは、ある意味良いことだが、どうでもいい予定に煩わされている可能性もあるので、考え直さなきゃとも思う。

やるべきことをやりつつ、やらないことは諦める。
そうでないと人生あっというまに終わってしまう気もするのだ。

そして、いまだに新しい美容室は見つかっていない。困った。

インフルエンス

「インフルエンサー」という名称に慣れない。

ポジティブな言葉なはずが、やっぱり、それは「インフルエンザ」を連想させてしまって、どうしても「あの人、インフルエンサーだからさー」というセリフは出てこない。
語感からして和製英語なのかと思ったらそうでもないようなので、ちょっと驚いた。海外でも普通に使われているんだろうか。だって

ー He is an influencer.
ー Wow,awesome!

なんて会話がされているんだとしたら、それってちょっとweirdだと思いません?

僕がこのインフルエンサーという言葉で、一番思い出すのは、俳優のディーン・フジオカがサタデーステーションに「インフルエンサー」の肩書きで出演決定!というニュースだ。
もう、そこは普通に「影響力のある」とか「今、人気の」とか言っておいて、肩書きは「俳優」のままでいいだろうと。
なんかそういう“最新の流行語に乗ってみた感”が、一昔まえの(バブル期の)テレビ業界っぽくて、「テレビってあいかわらず世間ズレしてんなー」と思ったのだ。
で、調べたら、それが2017年のこと。それから2年たって、果たして「インフルエンサー」という言葉は定着しているのだろうか。IT系の、それもSNSをビジネスにしている業界でしか聞かない気がするが、われらがディーン・フジオカは、未だにその肩書きでサタデーステーションに出演しているようなので、まあ、少なくてもしばらく死語にはならなさそうだ。

前置きが長くなったが、僕が今日書きたかったのは、本家本元の(って言っていいのか?)「インフルエンザ」の話。

会社の同僚が先週インフルエンザ(A型)に罹ったのだけれど、解熱剤を飲まなくても、まったく熱が高くならなかったとのこと(最高35.9℃)。
つまり、今年のインフルエンザは「熱出ないパターン」がある、という可能性が出ている。

それって、もう風邪と区別できないじゃん!

僕らがインフルエンサーにうつつを抜かしている間に、インフルエンザはさらにバージョンをあげて「インフルエンザー」になっているのかもしれない(そしてそのうち「インフルエンゼスト」になるだろう)。

皆様、くれぐれもご注意を。

ボーン トゥ ビー マイルド

1月19日は誕生日だ。

急遽、前夜が遅番シフトになってしまい、英会話のレッスンを23時半から入れたので、誕生日を迎えたときは、英会話の先生と一緒だった(画面越しだが)。
それは言わなかったけれどね。だってそれってちょっとweirdだと思うから。

そして誕生日当日も普通に仕事、かつ連日の遅番シフトのため、特に祝ってもらう予定はないが、とにかく誕生日だ。

もういい歳だから誕生日になにか特別なことを期待はしない。
それでもこの日を“意識はする”。

40年以上も過ぎていても、自分の本質的なものはさほど変わりないし、生まれ持っての“甘さ”も解消できていないしね。
去年も書いたがまだ「不惑」とは思えない。でも、そう書いた1年前と比べて、ある部分においては惑わなくなった部分もあり、思い返せば結構いろいろ乗り越えてきた。それはそれで自分を褒めてあげよう(そして周りの人にその倍、感謝しています)。

なんとかここまで生きてきたのだから、今年は、やりたいけれど怖くて避けてきたことに、きちんと向かわなければならないなと思う。
それは結局「音楽」をやるというところに行き着く。

技術は低くてもできることを工夫してやって、超楽しかったあの時みたいな感覚で、自分の好きな曲を作り、好きなように歌い、人の評価は二の次で(でもちゃんと気に入ってくれるだろう要素は意識しつつ)、きちんと自分のやりたい音楽を、形にすることをやっていこうと思う。
いい年して何言ってんだ、と自分でも思うけれど、どうせ自分の人生だから好きなようにやりましょう。

そういう決意を新たにする誕生日。

さて、1年後どうなっていますやら。

年に2回

年に2日ぐらいは神妙な気分でいてもいいと思う。
僕にとってはそれが1/17であり、もう1日は3/11。

かといって、何かを自粛するわけでもないし、楽しみを放棄するわけでもない。ただ、ふとした瞬間に、人生について、“生きていること”について思い出しては、思考をめぐらすことが多い日だし、それをすることで、僕は何か“赦し”のようなものを求めているのかもしれない。それは多分、自分のことを「まだきちんと生きてない」と思っているからだろう。

去年書いたように、24年前の僕はとても甘ちゃんだったし、今の自分を考えてみても、あんまり本質は変わっていないように思える(自分だけでなく、いまだに他人から「ピュア」だの「子ども」だの言われたりすることもあるのだ)。
ただ、あの時に比べて、震災とか災害とかを(直接、知り合いが被害にあわなくても)他人事と思わずに受け止められるようにはなった。
もちろん、自分の直接の悲しい出来事のほうが、自分にとっては大きいけれどね。

忘れないことと、つないでいくこと。
そのために自分ができることを考える。
今は、自分で思考をめぐらすことと、こうやってブログに残すことしか思い浮かばないけれど、あの日のことをきちんと自分の中で残しておくことを忘れないでいたい。