ダイフーン

今度の台風はすごいらしい。

基本、僕は「おいそれと中止にするのはどうか」と思っている派なのだが、今回ばかりはやめておいたほうが良さそうな雰囲気。

そんな中、珍しくも(?)会社自体が明日臨時休業になった。いわゆる「自宅待機」という感じの休みに。

友達の情報だと食料品や水が売り切れてるらしいが、明日、俺は大丈夫だろうか(米とパスタはあるのだが…)。

まあなんとか生き延びたい。

皆さまもくれぐれもお気をつけて!

ちょっと真面目に選挙の話

参議院議員選挙の期日前投票に行ってきた。

僕の意見を結論だけ言うと、選挙権持っている方はぜひ投票に行ってくださいね。

どこに(誰に)入れたらいいかわからない、という方には、俳優の相島一之さんがツイートしていることが、僕の言いたいことを過不足なくおっしゃっているので、それを引用します。

やっぱり投票率なんですよ。
投票率が高くて自分の望む結果でなかったとしても、それはそれで受け入れられるんだけど(受け入れて、次どうするかはまた考えるんだけど)、低くて自分と正反対の意見が通ってしまったら、それはとてもショックなわけだ。ガッカリもする。

一応、僕は法学部で「政治思想史」なんていう、“実学”というよりは“学問としての学問”を学んでいたのだけれど(いや、かじっただけの人間の意見です。本当に必要な学問だと思います)、当時、友人には「投票率が低いのは先進国の証だから、選挙なんていかなくてもいい」と言う人もいた(実際はそんなことなくて、だいたい60%以上の投票率がある)。
僕の母校は、まったくもって名門大学なわけではないが、学問として法律や政治を学ぶ法学部ですら、そんなニヒリストが結構いたのだから、世間一般の選挙に対する「冷めた反応」は、まあわからないではない。

でも、投票に行こうか迷っている人は、ぜひ行ってほしい。
「もしよくわからずに投票してしまって、世の中が悪くなったら責任感じる」という人がいたら、その失敗(かどうかは本当はわからないけれど)を次の投票の時に活かせる、と考えてほしい。
右でも左でもノンポリでも、いやがおうにも、政治は自分の生活に関わってしまう。だから、今の自分がこう思う、ということをちゃんと主張すること、つまりそのための投票は無駄にしてはいけない。

色んな意見がある中で、今の国民がどう考えているのか。
投票率が高ければ、その結果はある程度信頼たるものになってくるはずだ。

正直、今回の参議院選挙の結果がどうあれ、日本がガラッと変わることはないと思います。
でも、少しずつ良い社会にしていくためには、今の自分で出した「良くなるにはどこに投票したらいいか」という考えでいいから、投票に行って欲しいなー。
と、ちょこっと政治学をかじった者として思っている。

七夕の夜、空を見上げることも忘れた

そういうタイトルの脚本を20代の頃考えたことがある。

深夜の単発ドラマか、小劇団のやってる芝居っぽくって、ちょっといいタイトルだなーと当時、我ながら思った。
タイトルだけ先に思いついて、一行も書いていないんだけれど、童心を忘れて忙しく過ごしていた主人公たちが同級生の死を知って、それぞれのこれからを考え直す、という群像劇だった気がする。
まあ、そういう物語を“普通に”考える若者だった自分が、自意識過剰っていうか、やっぱり変わってる気がするね(ほっとけ)。

七夕といえば、幼少の頃は短冊に願いを書いたが、カトリック系の小学校に通っていたこともあって「世界は平和になりますように」とかそういうことを書いていた気がする。
当時からそういうふうに空気を読んでいたかと思うと、それはそれでなんだろう、「うわーっ」ってなりますよね(「うわーっ」って)。

でも「織姫と彦星が会いたいよ」(ざっくりすぎる)っていうものに、幼心にも「合体ロボが欲しいです」みたいなことを書く気分にはならなかったのも事実ではある。

で、やっぱり学校が関わらなくなると、七夕という行事は忘れがちになってしまう。
節分の恵方巻きのように、なにか無理くり慣習を盛り込むと流行るんじゃないの、と敏腕プロデューサーとしては思うわけだ(いつからだよ)。
そうだね、天の川に見立ててそうめんを、それも数本色のついた麺がまじったそうめんを、天の川の方角を向きながら食べるとかどうだ?
北関東では有名な風習です、みたいな。←ありそう。

もっとも、地方によっては盛大な七夕祭りがあったりして、そんな余計な慣習を創作しなくても(創作ってバラした。僕にはまだ善良な気持ちが残っていたのだ)、今日という日は盛り上がっているのだろう。

七夕祭りといえば仙台だ。
仙台といえば、僕にとっては約束の地だし、散歩したあのアーケード(クリスロードだ)が、七夕飾りで飾り付けられているのを想像して、感慨にふけったりもできる。
なんか今朝、仙台の結婚式場のサービスがひどくて話題になっているのを目にしたが、仙台自体に罪はないし、僕にとっては素敵な場所のままだよ、仙台(今日は神戸でTrySailライブがあったんだよなー。神戸は熱く燃えたんだろうなー。うらやましい。セトリ知りたい)。

さて、それはさておき、去年の七夕に何書いてたかなーと思ったら、七夕前日に「七夕前夜」ってタイトルのくせに、中身が全く関係ないこと書いていて、七夕当日はなんと炭酸水のことを書いていた。
読み返すと、やたらと眠い、眠いと書かれていて「大丈夫か、俺」と思う。
今もだいぶ眠いので、時期的なものかもしれない。
1年って早い。何書いたかも、何考えてたかも忘れている。

七夕の夜、去年のブログに何を書いたかも忘れた。

このタイトルでは、しまらないどころか、忘れんぼなだけだな。

ぺい

なんちゃらペイというものを使ったことはないし、当分使おうとは思わないが、それにしても7payの問題は結構な衝撃ではあった。

脆弱性がどんなもので、どういう攻撃を受けたのかはわからないが、パスワード再設定の方法が穴で、メールアドレスと電話番号さえわかれば、第三者が簡単に乗っ取れてしまう仕様になっているというのは杜撰すぎる失態だろう。
PayPayのときの「何億キャッシュバック」みたいな(ってあったよね?)、派手なことやってユーザーを囲い込もうとする方法に対して、7payはせいぜい「おにぎりプレゼント」ぐらいで静かなスタートと思ったけど、それすら捨てアカで無限におにぎりがもらえてしまうという悪用もできるらしく、ホント、大グループなのにセキュリティどうなってんの?と不安になったりする。

そもそも「利便性」とか言うけれど、僕にとっては今セブンイレブンで主流の“nanaco”で十分だし、もっといえば現金で不便だと思ったことない。
ペイ系が増えてきて、使い分けている人は、かつての“財布がポイントカードでぱんぱん”状態になっている人もいるんじゃないか。
物理的にぱんぱんにならないのは良いかもしれないけれどね。その都度、使い分けるってけっこう面倒だと思うのですよ。

こういうスマホ決済は、先行者利益が命のビジネスで、よほど利用にメリットがあるものでないと、後発がシェアをとるのは難しいだろうなと、ITジャーナリストじゃない僕だってわかるわけだ。

こういう系は、一度クレジットカードを登録すると、あとは特に認証も必要なくチャージできる、というのがそもそもセキュリティが甘いと思う。
いちいちチャージの際にカード番号入力するのは確かに面倒だし、そのワンクッションを省くことで、使い勝手を良くしてるんだろうけど、せめてクレジットカードからチャージする際に、IDパスとは違うパスワードを求めたり、セキュリティコードを求める仕様は必要だと思う。
IDの乗っ取りって、昔よりも簡単にできるようになってしまったので、その点、安全性を第一に考えるべきだろう。

といいつつ、どれだけセキュリティがあがっても、最初に書いたように、ぼくは一部のデポジットカードは使うけど、当面スマホ決済ものはいいや、と改めて思う。
ただでさえAmazonで買い物するのがクレカだから「実質無料」とポチる回数が増えてしまっているのだ。普段の買い物までそういう状態だったら、ホント、破産しますわ(いや、それ以前にたくさん買い物するほど余裕はないんだけれどね)。

カードの明細が来て青ざめる日々にならないよう、なにごとも節制が大切です。

結婚式に呼ばれない話

友達の結婚式に自分だけ呼ばれてないという漫画が話題らしい。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190517-00000017-jct-sci

自慢じゃないが、僕は友人の結婚式に呼ばれたことがない。
「出たことがない」じゃないですからね、「呼ばれたことがない」ですからね(と、強調しておく)。
というか結婚式というものに出たのも人生で4年前にたった一度、職場の後輩(それも女性)の結婚式に仲良かった3人グループがいて、その関係で呼ばれただけ。

つまりそれまで、結婚式というものを体験したことがなかったのだ。

友達の多い少ないとはちょっとズレるかもしれないが、「友達少ないんですよー」みたいなこと言う人に会うと「いやー、僕もですよー」、「いやいやそんなことないでしょー」、「だって僕、結婚式に呼ばれたことないですから」ってやりとりをすると、だいたい相手が黙る。
なんていうかいい歳してそれなりの社会性を持った仕事をしているのに、“一度も結婚式に呼ばれていない”となると、それは「人望のなさ」というか「社会性のなさ」というか、「本当にぼっちなんだこいつ」というのが一発でわかるからだと思う。

いや、でも友達はちゃんといるし(有難いことに親友と言える友達もいるし)、ただその人達が結婚してなかったり、結婚してても結婚式しなかったり、この歳になって知り合った人はすでに結婚してたり、という事情があるのだ。
なので僕が人生において結婚式に呼ばれるのは、今後はまあほぼなさそうです。

で、そんなことより、この漫画を書いた「橋本ゆの」さんって、本当は男性なんだって。ということは、この漫画はフィクションなのだ。
なんか、それがこの記事で一番衝撃だった。
コメント読んでも誰もそこに言及しないで、この漫画が、まんま、ゆのさんの本当のエピソードだと思ってあるある共感しているものばかりで戦慄みたいのが走る。
ちゃんと読んでないのか、作者が男性である、つまりこのエピソードは創作だとわかった上で共感しているのか。

というのは、この「結婚式に私だけ呼ばれてない」ということへの受け止め方って男性と女性でだいぶ違うと思うからだ。
女性の仲良しグループと男性の仲良しグループって同じに捉えられないと思うのだ。
仲良し度というか温度感というか結束度が。

この記事の、ゆのさんへのインタビューを見ると、ご自身の経験をもとにしているらしく、それを女性の主人公に置き換えているらしいが、なんというか、こういう感じ方を一般的な男性グループの中でするのかなー、と。
とはいえ、ゆのさんは20代前半らしいから、今の男性仲間って、ひと昔前では女性グループ的だった連携をとっているのかなとも思う。
ジェンダーに関する考え方もだいぶ変わってきたし、僕の「男性グループ」、「女性グループ」という考え方が古いだけかもしれない(それ以前に友達少ないおっさんが言っても説得力ないね)。

それにしても、僕を結婚式に呼んでくれた後輩には本当に感謝している(まあ、それを「友達」と言えば「友達」なんだけれど)。
本田翼似の美人で、妹のように可愛がっていた人なので、いざ結婚式に行って旦那がチャラい感じだったらどうしようと思ったけど、誠実そうな方でホッとした。この人なら彼女を幸せにできるだろうと思った(なぜか上から目線)。
今はほとんど連絡とってないけれど、幸せでいると信じている。

ところで、僕は結婚式の定番ソング、山根康広の「Get Along Together」を超上手く歌えると自負していて、友達の結婚式に呼ばれたら余興で歌おうと思っているのだが(実際、友達に聴かせたら「もう自分の歌になってるね」と言われるほど)未だオファーはない。

アップは済んでますよ!かなり仕上がってますよ!
身の回りの人、誰か早く結婚してくれ。

そして式に呼んでくれ(二次会でもいいです)。

非対称デジタル加入者線

ソフトバンクがADSLサービスを終了すると発表した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190510-00000514-fsi-bus_all

僕の実家のネット回線はソフトバンク系のADSLなので、自分にも関わってくる問題なのである。
とはいえ、終了するのは2024年3月だからまだ慌てる時間じゃないけれどね。

そもそも20年以上前に日本テレコムのODNというサービスに入っていて、その日本テレコムが合併やらボーダフォンへの買収やらを経て、今ソフトバンクになっているという複雑な状況(すごくざっくり言ってるけど、本当はもっと複雑)。
この一つだけ見ても、IT業界は合併、吸収、解散とか動きが激しかったなーと思う。

ADSL終了となる上で一番面倒なのが、使っていたPCのアドレスがなくなってしまうことだ。
もうほとんど使っていないアドレスなのだが、過去に登録したネットのサービスのほとんど(yahooプレミアムとか)はこのODNのアドレスで登録しているので、変更手続きをしなければいけない。実家の壊れ気味のPCを使って、どこまでさかのぼって変更できるか、考えると今から気が重い。
ただ、先日書ブログにも書いたが、手こずっていたHDDのmac対応があっという間にできたように、やってみると意外とあっけなく終わる可能性もあるので、まずはトライしてみましょう。

それにしても、ADSLが出た当初は「月額定額でネットつなぎ放題」って夢のようなサービスだったのが、今はそれが当たり前なのだからIT社会ってすごく進歩したよね(今の若い人ってダイヤルアップ接続とかいってもわかんないよね)。ダイヤル式の電話本体を見たことがない世代なんだろうね。

世の中の移り変わりが早くて怖い。
置いていかれないように、ネットに触れながら知識をつけておこう。

決してネット依存を断ち切れない言い訳じゃないですからね。

平成最後

前にも書いているように、だからといって、とりわけ感慨深いものはないのだが、昭和生まれとはいえ、人生の大半を平成で生きてきたわけで、自分の思い出のほとんどは平成の出来事だったりする。
昭和が終わり、「次の元号ってなんだろうな?」と友達と言っていた頃のことを思い出したりもする(「明和」が第一候補でした)。

さて、そんな昔のことはわりとどうでもよくて、つらつらと最近のことを書いておこう。なんてったって平成最後のブログだからね(便乗感まるだし)。

ネット断ちを始めた。
いや、ブログ更新してるじゃん、っていう矛盾が生じていますが、そういう意味でなくて、ダラダラとネットサーフィンしたり、ツイッターを見たりするのを控え始めたのだ。

ネットは恐ろしい。最高の時間泥棒だ。
さきおとといも、ライブの打ち上げから帰ってきて、ブログを更新し、歌(とギター)の練習始めようと思いつつネットサーフィンして、気づいたら2時間近くナイツの漫才動画見てた(いや、ナイツに罪はない。それだけ面白いってことですよね、ナイツ)。

もちろん、そうやって余暇を楽しむのも人生において必要だし、腹抱えて笑って心のデトックスもできたのだけれど、本来自分がやるべきだった、むしろやりたかったことが、「別に今やりたかったわけではない」ことにとってかわってしまう危険性が(インプットとしての)ネットにはある。

これはテレビを見なくなった理由でもあるけれど、ネットニュースやツイッターで流れてくる「興味はあるけどマストではない情報」に煩わされて、もっと大切な「自分の身の回りのこと」と、一般的な「情報」の重要度が同等化されてしまうのだ。
僕も今の社会や、世界の動き、事件・事故、芸能情報などに一家言ないわけではないけれど、それよりも自分の大切な「やるべきこと(=やりたいこと)」を、まずやらなきゃいけないという思いが強くなっている(歳のせいですかね)。

かつて7ヵ月くらい無職だったことがあって、その時、僕は色々と自分の夢のためのことをやろうと思っていたのだが、思い起こせば、さきおととい同様の「ネット漫才動画」閲覧と、「マインスイーパー」で一日終わっていた思い出のほうが大きい(「マインスイーパー」ぶっつづけで3時間くらいやったことある)。

今、それやってちゃダメじゃん!

そういう思いで、アウトプットとしてのネットは使うけれど、インプットとしてのネットは控えようと思うのだ。
それは、情報を制限することになるから、セレンディピティ的な出会いは減るかもしれないが、ただそうやって情報を絞った中でこそ、本来のセレンディピティが生まれるという場合もあるだろう。

あと昔からネットの世界って、ディスりの情報のほうが大きかったけれど、最近は特にそういう情報や「煽りあい」が目立つようになって、その“負”のエネルギーにアテられてしまうという部分もある(これがいわゆる「ネット疲れ」なのかもね)。
個人的には、どんな情報にせよ、感情的になっている情報は、話半分で考えておいたほうがいいと思ったりする。
これはネットにどっぷりつかった今、思いつく“知恵”だ(知恵は大事)。

とか宣言しながら、今朝も、つらつらとツイッターを30分ぐらい見てしまったのだが、まあ昭和のキャッチフレーズよろしく、令和は「ネットは1日1時間!」という感じで行こうと思っている(「ゲームは1日1時間」守ってなかったけどね)。

ところで、今月のauのデータ残量が昨日で0.00GBになってしまって速度制限がかかっているのだが(平成初にして最後)、だからネット制限するとか言っているわけではないですからね!
ホントダヨ!

便乗

平成最後の出勤だった。

だからといって何の感慨もなかったけれど、今日が元「昭和の日」だと思うと、けっこうな時代を生きてきちゃったなー、みたいな思いがなくもない(まだまだ若輩者ですが)。

ゴールデンウィークはほぼ通常営業な上、今週は2つほど自分が中心になって企画したイベントがあるので、より一層頑張らねば。

そんなわけで令和も引き続きよろしくお願いいたします。
(まだブログ1日あるけどね)

ブラックホール

ブラックホールの撮影に初めて成功したというニュース

僕は文系だったし、全然宇宙に詳しくないので、これがどのくらいすごいことなのかはわからないが、「一般相対性理論を裏付ける結果になった」というところに、おおっとなった。
海外ドラマ『ジーニアス:世紀の天才 アインシュタイン』を見て、アインシュタインに興味を持ったので、特殊相対性理論についてちょっと勉強したからだ(ただし漫画で)。
そこで特殊相対性理論の「時間と空間は同じもの」(厳密には「同じ」というか「切り離せない」ということみたいです)という理論に衝撃を受けて以来、時間と宇宙に興味を持っている。全然僕の頭ではまだまだ理解できないことばかりだけどね。

100年前に「時間は一定ではない」ということが証明されているのに、僕も含めて多くの人が今でも「時間は誰にでも平等」という考えで動いているのは、おそらく、この理論が恐ろしく厄介で、それまでの常識を覆すには理解できなさすぎるからなんだろう。
特殊相対性理論ですらそうなのだから、一般相対性理論はどのくらいの人が理解できるのだろうか。

で、今回、ブラックホールの撮影ができたことで、相対性理論の解明が進み、僕のような人間でも簡単に理屈がわかるような説明がでてくればいいな、と思う。
全理系人間から「そういうことじゃない」とツッコミを入れられそうだが、このニュースを聞いた上での僕の希望はそういうところだ。

アインシュタインがすごい人、それからホーキング博士もすごい人。それはわかるが、その功績の「中身」が広く理解されることが、僕らが宇宙について深く知ることになる一歩になるのではないかと思うのだ。
この出来事が、「宇宙すごい」のその「すごさ」が、もう一段階深い「すごい」になるきっかけになってほしい。

頑張れタカハシ

例和という新元号が発表になった翌週に、新紙幣の発行が発表になった。

一応4月1日に告示があるとわかっていた元号よりも衝撃。
このタイミングで、ですか?というのが一番の感想だけれど、前回も前々回も20年で新紙幣を発行しているのでまあ規定路線なのかもしれない(発行は2024年)。

定着するには2~3年かかるだろうから、新しい紙幣は今の中学生とか高校生にとって一番馴染みのある紙幣になるんだろうな。僕は聖徳太子も覚えているが、1万円札については自分で稼ぐようになってから見かけるようになったもんだから、やっぱり諭吉世代なのだ。

新紙幣がメインになったころはもっとおっさん感が強くなるんだろうなー。
諭吉さんが馴染み深いのは40年変わらなかったからなんだね。

と、新紙幣について調べながらネットサーフィンしていたら、そんなことより気になるニュースとして「高橋由美子芸能界復帰」がでていた。

そういえば高橋由美子、スキャンダルで活動自粛していたんだっけ。それがいわゆる男女のドロドロによるもので、「20世紀最後の正統派アイドル」と呼ばれた頃を思うと隔世の感がある。

だが、なぜ、このニュースが目に止まったかというと、高橋由美子は大応援していきたい存在だからだ。
なぜならばメガドライバー(古参のセガ信者の意味)にとっての女神(ミューズ)だったから。

かつて任天堂やNECにしてやられていた頃、セガのゲームギアやテラドライブ(メガドライブ内蔵PC)の宣伝にでていて、セガのキャンペーンガール的役割だった気がする(調べたら実際はそこまでではなさそう)。
その頃、セガの味方をしてくれる(ただ単にCMに出ているだけだが)アイドルはみんな「味方」だと思っていた。ちょっとコアな俺らの思いを共有してくれるミューズだったのだ。
だからそれ以来(別に追いかけてるわけではないけれど)高橋由美子が話題になると「俺はもっと前から高橋由美子の魅力に気づいていたもんね」という「ワシ(ら)が育てた感」でもって嬉しく思っていた。
しばらくたって『ショムニ』で注目されたときも良かったなーと思った。
一度セガの味方してくれた人は一生応援する、というか「したくなる」という心理が僕にはある。
多くのメガドライバーもそうではなかろうか。

そういう意味ではVサターンのCMに出ていた菅野美穂もミューズだったよ。
菅野美穂にとっては『慶應遊撃隊』の蘭未ちゃんの声をやっていたのは黒歴史なんだろうか(と言いつつ掘り出す系)。
それをいったら仲間由紀恵にとっての『トゥルー・ラブストーリー』も黒歴史なのか。しかし『ときめきメモリアル』の映画版の藤崎詩織だった吹石一恵がいまや天下の“フクヤマ”の奥さんだからなー。それは誇るべきだろう。

話がずれた(こういう話になるとずっと書いていられる)。
そう、高橋由美子だ。

高橋由美子はゲームギアのCMももちろんだが、僕は『ゆみみみっくす』というメガCDのゲームのエンディングテーマ「元気!元気!元気!」という曲がとても好きだった。
検索したらYoutubeにPVがあって(オフィシャルじゃないので貼りません)、今聴いても名曲だし、高橋由美子がとにかくかわいい。今も美形だけれど、当時は本当に可愛い。この時17歳だしなー(ここにも隔世の感)。
で、この曲は本当にアイドル歌謡曲としてよくできてるなーと思って作曲家みたらなんと筒美京平先生の作品ではないか!
王道アイドル歌謡曲としての完成度の高さに納得(作詞については嫌いな人なのであえてふれない)。

高橋由美子は当時から歌が上手い印象なので、今回の復帰がミュージカルの舞台というのはご本人にとっても良い方向だろう。
元アイドルというのはなにかと足かせになる部分もあるだろうが(今回のスキャンダルもね)、ぜひ今後とも芸能界で活躍してほしい。

メガドライバーのはしくれとしていつまでも応援しています!
頑張れタカハシ!