結果は思わしくないけれど

祭りのあと。

選挙結果は正直残念。
でも、冷静に考えると、そういう票の入り方するよな、とも思う。

枝野さんは理で語るタイプで情を感じられず、僕が嫌いな苦手な「大学の政治サークル」みたいな「キミたちにはわからないけれど、政治っていうのはこういうもんなんだよ」という態度が最後まで鼻についたから、そりゃあ人気得られないよな。
野党共闘と言いながら、調整してくれた日本共産党と距離をとるようなふるまいも、いわゆる左派の人たちからの信任が得られず、両方の立場の人たちから敬遠された気がする。
野党第一党、そしてリベラルな政党として考えると、立憲民主党には頑張ってほしい僕ですら「枝野さんはダメ」と思っていたから、あまり政治に興味がない人(っていう言い方するの嫌だけど)には、それ以上にダメに思えるんだろう。

個人的に維新はどうかと思うが、橋下徹イズムの「言い切って論破芸」は、テレビをよく見る人には“真っ当”に映るんだろうし、小泉進次郎が急速にダメになった今、吉村さんのいい男“風”のビジュアル(僕にはどうしても『サバイバー』のオ・ヨンソク議員に見えてしまう)も強いはずだ(あと、前回N国党に入れてた人たちが、維新に多く流れたんじゃないかな)。
大阪で圧勝したが、イソジンのその後を誰も問わないあたりは、大阪という“おおらかな”気風なのかもしれない。

それにしても、こんなに自民が勝つとは。ねえ。

ただ、そんな中でも、推しの政治家、小川淳也さんが選挙区で当選(しかも前大臣相手に圧勝)したし、なんでずっと強かったかわからなかった石原兄弟が落選したし、あと甘利さんね。そういうのを見ると、盛り上がった選挙区では風が吹くんだなーというのもわかった。
だから、なにも変わらない。ではなくて、だいぶ変わった。
結果が(少なくとも僕にとって)望ましい結果ではなかったというだけ。

希望みたいなものは、立憲が敗戦の責任をとって党首選をやりそうな雰囲気なので、小川さんが立候補して党首になれば、国会論戦は俄然面白くなるだろう。
辻元さんの落選は残念だけれど(ネットでは辻元さんと蓮舫さんは叩いていい雰囲気強いし、過去を色々言われるけれど、最近の辻元さんは優秀な論客だと思うよ)、そのために小川さんがいきなり党首になる可能性もでてきた。
政治に興味のある人(って言い方も嫌だ)には名前の知られている小川さんでも、まだまだ一般的には知名度低いだろうから、吉村さんぐらいに名前が知られれば、希望が大きくなる。
山本太郎さんも当選したし、国会での噛み合わない答弁が今以上に可視化されることを期待したい。

あと、自分もなんだかんだで「主権者」としてのふるまいが甘かったと思う。なにができるかは、少し考えてはいるけれど、ちょっとずつ実行していきたい。

なにはともあれ、結果は出た。
それを踏まえて、まずは自分の足元を見ながらきちんと日々を生きていこう。

つけ麺、俳句、引退

つけ麺を食べた。

三日前から食べたかったのになかなか機会がなく、思い余って昼休みにわりと好きなつけ麺屋に行った。
せっかくなので、スマホを置いてちゃんと麺と向き合う。身体が欲していたせいもあって、とても美味しかった。満足した。
「味玉つけ麺 並」にして量的にはちょうど良いなと思ったものの、午後、しばらく胃が重くなってしまったから「小」でよかったのかも(そういうお年頃)。
なんにせよ、目当てのものが食べられてよかった。

おこがましくも人の俳句を添削する機会があった。
我ながら元の句の背景を保ちながら、より情景の浮かぶように直せたと思った。もちろん「自分の俳句が一番素敵」と感じるのは誰しもなので、そういう錯覚なんだろうけれど、音の制限の中で最適解を見つける作業は楽しい。何年ぶりかで歳時記をひいた。俳句は決して得意ではないけれど、音に合わせて言葉を探すという行為を自分は好きなんだろうなという再発見をしたので、もう一回、歌詞を書くクセを取り戻そうと思った。

斎藤佑樹投手が引退。
僕は特別、彼のファンではなかったけれど、スター候補としてプロ入りしたものの良い成績をあげられなかったという、その道のりを思うと感慨深い。
それでも1年目はそこそこの成績だったし、完投も完封もしているんだよね。全然ダメだった印象があるんだけど、それもおそらく“あの斎藤佑樹が”というバイアスが僕にかかっているんだろう。
プロ野球選手としての人生は終わるが、その中で苦労したことで、人としてたくさん学んできたように思えるので、今後の人生で、そのスター性を活かしてほしい(なんて偉そうに評論できる僕ではないけれど)。

しばらく日本酒を飲んでしまう日々だったが、今日はまたノンアルコール。
そういうところから頑張りましょうかね(目標が低すぎる)。

三連休じゃないじゃない

世間は三連休だった。

かと思いきや、今日はスポーツの日じゃなくて平日だったのだ(知ってて言う奴)。
普段、祝祭日にあまり感心も影響もないのだが「休日でないこと」には敏感だったりした。でも、今月入って気づいたんだけどね。

それとは全く関係なく、今日は仕事をガリガリと進められたと思う。まだ準備段階ではあるけれど、下地みたいなのを作れた。本番はこれからだなー。大変だけど頑張ろう。
反動なのか、帰宅後はダラダラとしてしまった。もったいない。

とはいえ、今日はもうおしまい。
明日も色々と動き回らなければいけない。体力温存するために寝るよー。

あっというまの一日とプレミアム廃止

なんだか振り回された一日だった。

苦手な事務仕事と2時間の会議が主な原因ではあるが、まあ忙しいのは暇よりはいいのだろう(特にこのご時世)。
自分のやると決めていたことがなにひとつできなかったので、明日、気合い入れねばならない。
まあ、ほどほどに頑張ろう(一行前の言葉を覆す)。

松屋のプレミアム牛めしなくなるんだってね(今見たニュースの話を突然してみる)。っていうか、「プレミアム牛めし」が一部地域だけのものだってことを初めて知った。ようは、あの黒胡麻七味がなくなって値段変わらず、というふうになるらしい。実質値上げではあるけれど、380円をキープしてくれるだけありがたいということか。しかし、色々不安になってしまうニュースではある。

といっても、下向いている場合じゃない。
頑張れる時に頑張っておかないとね。
また明日ー。

28、35、I’m old

朝、休日ダイヤに騙されて、ギリギリの出勤。
昨夜もその前も、ブログに連休だよ、って書いてるのにね。

TrySailのアルバム「Re Bon Voyage」のリリイベの応募が昨日までだったことに今朝気づいて愕然とする。応募IDを机に置いておいたくせに、すっかり忘れていた。
こういうの後回しにして忘れがちなんだよなー。応募したところでなにひとつ当たったことはないけれど、応募者全員特典の画像すら貰えないという悲ピヨな思い(悲ピヨとか言うな)。2枚も買ってるのにな(厳密には「2種類」)。
アニメイトの諸々の応募は今日までなので、これから応募しておく。

それからイヤフォンを忘れて、音楽のない一日を過ごした。
もろもろ忘れがちなのは、単純にボケてきたせいかもしれない。

池袋GIGOが今日で閉店。28年の歴史に幕を閉じるとのこと。

28年間かー。地下1階で何回か対戦格闘(多分時代的に「ヴァンパイア」とか初期のKOFとか)をやった覚えはあるが、GIGO自体にはあんまり思い出がない。
それよりもその場所にあったサンゴーカメラ(のちにTECH35)のほうが思い出深い。つまりそれって28年よりも前なわけで、なんかそれはもはや「歴史書」に出てくるような話になってるのかもしれないな。

ビックカメラ、カメラのさくらや、サンゴーカメラがサンシャイン通りにひしめきあって、目当てのゲームソフトが一番安いところを足で探すのが楽しかった。
なんだか書いてて急に老け込んだ気がする。

懐かしさついでに「ドラクエⅤ」が無性にやりたくなっている。
「ドラクエウォーク」が「ドラクエⅤ」イベント中で、ほぼ原作のエピソードをなぞるので、追体験したくなってくるのだ。
でも、もっているスマホ版をいざやろうと思うと「ユアストーリー」(完全無欠の駄作映画)の悪夢が頭をよぎる。

スーファミ版(つまりオリジナル版)は友達から借りてクリアして、後々ニンテンドーDS版は終盤で投げてしまっている、というのが僕の「ドラクエⅤ」体験。
今計算してみたら、オリジナルをクリアしてからは25年以上経っていた。
なんかアルコールを飲みながら、進められるところまで進める感じでやりたいな(ユアストーリーの悪夢を振り払うには酒しかないような気がする)。

っていうか、ここまで書いてきて、改めて、俺の青春ってほぼゲーム関連なんだな、(自分の曲を初めて公開したのもゲーム関連だったしな)。
それが良い悪い、ではなくて、そういうものだったのだと振り返る(こういうあたりも“老い”ですかね)。

明日は一日完全オフ。
最近は気候と気圧のせいで体調落ち気味だから、整える日にしよう。

格安で格落ち感

povoになったよ。

自宅に無制限の高速Wi-Fi入れたので、ポケットWi-Fiの必要性が減り、これを解約しようと考えていたものの、なんだかんだで外出中に月10G近くは使ってしまうので、解約してもストレスなくギガを使うには、今のスマホのギガ容量をあげなければならない。

僕はauの古いプランをずっと使っていて、ギガ容量は3G。
auブランドの格安スマホ「povo」にすると容量が20Gに増えて値段も安くなるから変えちゃえばいいんだけど、厳密にいえばauのサービスは受けられなくなる(らしい)という一抹の不安があって逡巡していたのだ。

そんなわけで、天ちゃんのリサイタル行く前のモスバーガーで、povoの先輩である江戸川台ルーペにそのあたりを聞いたところ、「そんなもんネットで秒で変えちゃえばいいんですよ」と『キッズリターン』でのモロ師岡みたいなトーンで言ったので、若干の怪しさを感じたものの、「まあ、こういうのは失敗してわかるもんだ」と(失敗を前提に置くと気持ち前向きになるよね←なっちゃダメ)思い切ってその場で変えた。ルーペさんが言うように、秒で変更できた。

なんだろうね、この都落ちした感覚は。

まあ毎月20Gで、料金も今より安いし、なにせポケットWi-Fiを解約すれば月6000円ぐらい節約できる。使わないサービスへの無駄払いはどんどん省いていかないとね。

あまりにあっけなく契約変更したので、今朝になってみて、ホントに変更されてるのかわかんなくてやや不安になった(あれは夢だったのではないか、と)。
ただ「my au」っていうサービスアプリ開いたら、povoのお客様はうんたらかんたらと書いてあったので、できたんだと思う。
あとSMSもきたし、後々povoのアプリ入れたら残り容量表示されたから大丈夫そう。

で、そうなったら今のWi-Fiをすぐ解約しなければならない。
善は急げと調べたところ、解約方法は電話のみ。
ネットに繋がるサービスの解約を電話でするの?
「さては全然繋がらなくて解約できない罠なのでは」と不安になったが、あっさりワンコールでつながった(平日午後)。

予想していたものの、結構な違約金(えっと、飲み代3回分ぐらい?)が発生して、それを回避するためには〜と、アレコレ新プランへの勧誘もされたけれど、続けてしまうと、やっぱり多少なりとも月額いくらか払うのが2年続いてしまうので、きっぱり縁を切った。
このWi-Fi会社は、最初のサポートセンターの人の受け答えがとても感じ悪くて、悪い印象がずっと続いてしまっていたのだけれども、サービス自体に特に不満はなかったよ。今日の人も丁寧だった。

でも違約金って言葉は、払う額以上になんか「約束破り」な印象があるよね。この言葉が解約を先延ばしにしてしまう一番の原因な気がする。
お互い納得ずくで分かれるのにな(言い方)。

というわけで、今日から格安スマホに変更。今のところ、問題なさそうではある。
唯一、都落ち感は続いてるけどな。

2020開会式

東京オリンピック開会式を、後半から見た(1時間ちょっとかな)。

なんというか、総合的に僕の嫌いな「学園祭実行委員」のノリを感じた。
知ってる曲が流れるのは素直に「おおっ」ってなるけれど、単なるファッションとかアイコンで使われてる感じがした。

コミケが金になると思って、物見遊山で入ってくるメディアとか芸能人のあのノリ。“ウェイ系”の人たちがサブカルを消費しはじめる、あの嫌なノリを感じた。
「楽しさ」を感じる部分が違うんですよ。
こっちはこっちで楽しくやってるんだから、そこを「俺らも理解してるよ、楽しいよなー」っていう見当違いなウェイ系のノリで消費すんなよ、って思った。

ピクトグラムのは、1964年の東京オリンピックから始まる導入の映像は良かったけれど、パフォーマンスは正直スベったよね。中の人たちの身体能力は相当高いんだろうけれど、慌てて時間に合わせてるからか、映画泥棒みたいなキレキレな動きは感じられなかったし「頑張ったで賞」しかあげられない。
もうちょっと尺をきっちり取って、中の人のパフォーマンスを見せてあげてほしかったな。あと、なんとなく「ラーメンズ」案件っぽさを感じた(ラーメンズに対する印象、合ってる?)。

同じくSNS界隈みると小林賢太郎案件らしいが、なだぎ武のくだり。
なだぎさんは好きだし良い役者さんだと思うが、あのコントみたいなのはいらない(何一つ演出の効果を感じない)と思ったし、劇団ひとりの出る映像もリアルタイムで各地のランドマークの照明が、映像と連動してライトアップされるならすごいけれど、違うでしょ?
なら、それは入れる必要感じなかった(荒川静香が出たときだけ「おお、荒川静香だ」って言った)。
あと、森元会長案件と思われる海老蔵の歌舞伎も、歌舞伎知らない自分でも、歌舞伎ってああじゃないよなと思うような無理くり取り入れた感じだった。

聖火リレーで言うと、印象的だったのは王、長嶋、松井の揃い踏み。
僕は巨人ファンじゃないが(むしろアンチ)、それでもこの3人が並ぶ姿は画として良かった。
長嶋さんの姿を見られたのはファンなら感慨深いだろうが、コロナ禍の中、あの体調の方を連れ出すなよ、というのが率直な感想。
もし、出てもらうなら車椅子に乗った長嶋さんを松井さんと王さんが押せば良かったんじゃないかな。っていうか長嶋さんのアテンドをずっとしていた松井さん、本当良い人だよな。万全ではない長嶋さんに気持ちまで寄り添っているのが伝わった。本当の意味でスターだと思う。改めて尊敬。

で、そんなことをつらつらと考えたのだけれど、前提として、そもそもジョックのイベントであるオリンピックの開会式がナード系ロックンローラーを自称しているオレに合うわけなかったんだよね。それを忘れていたのだった。合わないものをとやかく言うもんじゃないよね(もう書いちゃったけどさ)。
だから、ジョックの奴らがわかったふりしてナードなもの(漫画の吹き出しとかゲーム音楽とか)使ってんじゃねーよ、っていう気分になるんだな。

多様性を謳っているけれど、その“みんな”の中に僕は入っていないんだろうなーという疎外感を感じた開会式。すべてがただのパッチワーク。うわっつらだけで、本質的なものをUniteしてない。そして好きなものが、違う形で消費されていくのも悲しく思ったよ。なんとなくそれが電通クオリティなのかもしれないけれど(偏見です)。

そんな、オリンピックと付かず離れずの日々が始まったよ。
とにかくみんな無事でありますように。

オリンピックの印象

東京オリンピック開幕。

昨日、男子サッカーを観た。
日本代表の試合を観るのはいつぶりだったろうか。知ってる選手が4人しかいなくて、浦島太郎状態(「ボランチの遠藤って、あの遠藤じゃないの?」って素で思った)。ただ、日本を応援する気持ちで観れなかったのは確か(あ、でもレフェリングは厳しい、というかひどいなーとは思った)。相手の南アフリカの境遇を考えると、もうフェアではないからね。とりたてて良いプレーもあまりなかった。久保のゴールは素晴らしかったが、試合前の発言を記事で読んでるから、素直に祝福できない。うーん、複雑。

多分、僕はずっとこんな感情で、今回のオリンピックに関わっていくんだろうなーと思う。なんだかんだサッカーと野球は好きだし、他の競技だって、観ないようにしてたって情報は入ってくるだろう。

前の大会まで断然ポジティブな印象しかなかったオリンピックが、今ではネガティブな気持ちでしか捉えられない。こんな状況になぜなったんだろうか。
「始まった以上、応援しよう」ではなくて、それはずっと、この先も考えて続けていこうと思っている。

新型コロナと社会について考える

緊急事態宣言は延長になったが、休業要請に従わない、あるいは「生活に必要」という意味を拡大解釈して営業する店が相次いでいる。

当然といえば当然の流れではあるが、これを「コロナとの戦い」として見ると、完全にコロナの仕掛けた罠に嵌っている。人間社会に内乱がおきて、本当に戦うべき相手に利することをしているからだ。

独自の判断で休業しようが営業しようが、感染が拡大(つまりコロナの勢力が拡大)している状況にはなんら変わりはない。人と人の接触が増えれば増えるほど、コロナにとっては喜ばしい状況になる。
「あそこがやってるんだからこっちもいいはずだ」は、本来は感染予防の理屈に合わない。人間同士が同じ考えの下に行動できない今は、コロナには願ってもないチャンスになっているのだ。コロナに人格があれば、今頃ほくそ笑んでいるだろう。
東京で言えば1000人、2000人といったこれまでのピーク時よりも、やや感染判明者数が減っているように感じるのも罠で、指数関数的に増加する(倍々ではなく二乗二乗で増える)ことを踏まえれば、“さざ波”なんて言っていると、あっという間に津波になる(あの発言自体は人を数字でしか捉えていない最低のものではあるが)。

病気(コロナ)で亡くなるのは一瞬だ。
だが生活苦で亡くなるまでにはタイムラグがある。

今日の食事を調達できなくなった、仕事を失い人生に絶望した、そういう人が飢え死にまたは自死に至る前に救うのが為政者、もっと大きくいえば社会の役割だ。後者は手の施しようがなくなる前に、為政者や社会が手を差し伸べれば救えるのだ。
でも新型コロナでの死は今のところ救うことができない(貧困を解消するよりもはるかに困難という意味で)。

だから「コロナで死ぬのを怖がっていたら経済が回らなくて死者が増える」というのはロジックとしては正しいかもしれないが、そういう思考がすでに間違いなのだ。
コロナによる死と経済による死を同列で語るべきではない。後者は政治がしっかりしていれば解消できる(それができてない、むしろやろうとしない今の政府を支持する人は何をもって支持しているのか、僕にはわからない。支持率40%?え、なんで?)。

日本社会は結局、理屈ではなく空気と同調圧力によって動いている。それぞれが豊かで寛容な時代はうまく回るが、厳しい状況になった時に影響力を持つ人たちがおかしな空気を振り撒くと一斉にダメになる(先の戦時のように)。
それをコロナ禍で痛感している。

さて、ここからは個人的な今後の予測だ。正しい対策というわけではないし、その知見を僕は持ち合わせていない。

おそらく、このまま「要請しても聞き入れず」という状況であれば、感染者数(陽性率)は減らず、緊急事態宣言が解除されることはないだろう。
人々が要請を聞き入れるとすれば、東京オリンピック中止と引き換えということでもしないと無理だろう(もちろん金銭的保証がなければ、それでも従わないところもあるとは思うが)。
そして昨年の1回目の緊急事態宣言のような強力な自粛を人々がすれば、感染拡大はかなり小さくすることができる。ここまではその通りになるのではないか(それとも大勢の犠牲の下にオリンピックやるのかね)。
あるいは、どうしようもないぐらいに感染者数が増えれば(それこそ毎日、全国で10000人以上とか)、さすがに命の危険を感じて、出歩く人は激減する(これはあんまり考えたくないシナリオだけれど)。つまり厳しい自衛の時期に入る可能性もある。

いずれにせよ、そうやって感染者を減少できたタイミングで「PCR検査数を大幅に増やし、陽性者を隔離し金銭面も含めて手厚い保護をし、陰性の人々だけで活動する」といういわゆる「ゼロコロナ」の状況を作れなければ、またふりだしにもどって……という繰り返しになるのだが、これまでの流れを見る限り今の政府がゼロコロナ対策をする気はないだろう。
だからこの緊急事態宣言を出しては解除し、というのが当面(それはワクチンではなく、コロナ特効薬ができるまで)続いてしまうと思う。

今年、衆議院議員選挙があるが、政府の対応に怒りを感じている人がきちんとに投票に行って、投票率がせめて60%いかないと、現状維持の対策が続いてしまう。そして残念ながらおそらくはそうなるだろう。ちなみに小泉郵政選挙の時が67%、麻生内閣で自民党が下野した選挙が69%。
僕は投票に行くが、日和見主義が多い日本では、ほとんどの人は投票にいかない。それが社会に参画する手段であるにも関わらずだ。

こう考えていくと、僕にはもう絶望(そして為政者への怒り)しかないのだけれど、幸いにも家族に感染者、ましてや感染による死者はいないので、まだなんとか堪えられている。実際に身の回りに亡くなった方がいる人は僕以上に絶望していることだと思う。
いつのまにか目の前のことにしか興味がない人ばかりになり、余裕のない(むしろ許さない)社会になり、勝ち馬に乗る人が増えてしまい、日本社会はすでに社会としての機能を失っている。そのことには以前から薄々気づいてはいたが、コロナ以降、この考えに確信をもつようになった。

社会としての機能を失ってしまった以上、個々人の意思を尊重しつつ、コロナに負けないようにそれぞれが対策するしかない。こういう形はもうすでに負け戦だが、諦めるわけにはいかないのだ(諦めたくもない)。
そして感染に最大限注意をして(絶対罹らないと言えないのが悔しいが)、今のところは家族と親しい人に気を配りながら生きていく。
今の僕はそう思って日々を過ごしている。

そして、ひとりひとり「今、社会になにができるか」をきちんと考えてほしいと思う。
僕もきちんと考えることにする。

宣言出てバタバタ

緊急事態宣言が決まった。

まあ、色々とストレスが溜まる案件がたくさん出てくるが、とりあえずはやるべきことをやる。
「感染を抑える」という点では、間違いなく「緊急事態宣言」を出したほうが良いのだけれど、今の政府に「感染を抑える」、「命を守る」という姿勢を全く感じない(というか二の次感がありありな)ので、素直に従うのは癪にさわる。
それでも、自分と自分の周りの人は守らなければな、と思う。

さて、宣言前にどうしてもワンカラへ行っておきたかったが(っていうか「カラオケダメ」って、ひとりカラオケもダメなの?)、20時まで仕事になってしまったので諦めた(明日、ワンチャンあるか?)。
ジムを今月で解約にしておいたのは我ながら慧眼だったな。とはいえ来週いっぱい行こうと思っていたのがダメになるのは残念。中途半端な幕切れになってしまった。

対応がギリギリまで決まらなかったので、神経使った1日。
とにかく、明日以降も変わらず健康に気をつけていきたい。