思い出はもう少し後

ファミコンミニの週刊少年ジャンプバージョンが発売される。
https://www.famitsu.com/news/201805/14157186.html

発売は7月7日だが、今日から大手販売店で予約開始となったようだ。
当時、週刊少年ジャンプは毎週読んでいたし、今回収録されているソフトも懐かしいものが多い。
「ぜひ買いたい!」と予約に走りたい…という気持ちもあるのだけれど、ちょっと逡巡してしまう部分もある。そのアンビバレントな気持ちは一体、どういうことなんだろう、と思っていた。
で、この話題を友達にしたところ、彼が言ったひとことが、まさに答えだったのだ。

「老後にやりたい」

そう!そのとおりなのだ。
ここに収録されているソフトは自分が実際プレイして思い出に残っているもの、欲しかったけれど買えなかったもの、そのどちらも「懐かしい」という感覚が、買いたい気持ちの主な要因である。
ただ、このゲーム群が果たして本当に面白かったか、と言われると少し(ものによってはかなり)微妙なのだ。

通常バージョンのファミコンミニのラインナップは、ゲームとして今遊んでも面白いものが多い。懐かしさだけでなくちゃんと面白さをもっている。だから、当時プレイしていなかった子どもが遊んでも、それなりにハマると思う。
でも、この「ジャンプバージョン」に収録されているゲームの面白さは、そういうものとだいぶ違う。

後半難易度がめちゃめちゃあがる理不尽さに耐えながらも進めた「神龍の謎」や、パワーアップの玉をとったもの勝ちの「マッスルタッグマッチ」、物語が中途半端で終わるが、戦闘が面白かった「聖闘士星矢」、友達の家でその難しさに文句を言いつつ遊んだ「キン肉マン 王位争奪編」…など、ゲームとしてダメな部分もまた面白かった、という思い出含みの面白さでできているラインナップなのだ。
だから、今すぐやりたい、というよりは、もっと年を重ねて年金ぐらしになった時ぐらいに、ひなたぼっこしながら思い出に浸りつつプレイしたい。
友達の言った「老後にやりたい」という言葉は、この商品に対する僕の思いを的確に代弁していたのだ。
(そしてこのラインナップに「ドラクエ」という“ちゃんと面白いゲーム”が入っているあたりに、企画者の「思い出だけでは売れない」という狙いを感じたりもする)

もちろん、その「思い出」を今すぐ取り戻したい人もいるだろうし、このラインナップを揃えて商品化したことは画期的だとは思う。ゲームファンとしては素直に喜んでいる。

ただ、僕がプレイするのはもう少し老後でいい。

とはいえ、当然限定発売だろうし、僕がやりたいという時までは売ってないだろうから、老後のために今買っておこうか、と思ったりもする。それも狙いのうちだとしたらなかなか小憎らしい。

「売ってるのを見かけたら買う」という、縁だよりにしておこう。

シーズン終了?

たまたま雨っぽかったからか、はたまたもうピークが過ぎたのか、昨日はあまり花粉の影響を感じなかったのだけれど、念のために昨晩アレジオンを飲んで寝た。
そしたら、今朝から頭がボーッとして宙をフワフワ浮いている感じに。
花粉の影響に対して、薬の力がオーバーしたせいだと思う。

午後いちばんでお取り引き先との打ち合わせがあったのだけれど、若干頭に霞がかかったような状態で話をしてしまって、失礼だなーと思いながら打ち合わせしていた(そういう部分には頭がまわるのだけれど)。

そう考えると、もう花粉シーズンは終了したのだろうか。それともこの頃寒さが戻ってきたように、花粉も復活するのだろうか。
しばらくは様子見の日々が続く。

ミッドタウンなう

月島から銀座へ行こう。

という話が出たときに「日比谷ミッドタウン」という商業施設ができたことを初めて知った(正式名称は「東京ミッドタウン日比谷」)。
僕としては、銀座の最新商業施設は「GINZA SIX」だったのだが、もうそれも古いらしい(とはいえ去年4月開業なのだから新しい施設なんだけど)。
しょせんは長いこと「埼玉都民」だった身なので、観光客気分でそのミッドタウンを目指す。

途中、勝鬨橋を渡る。
勝鬨橋って名前は知ってたけど、渡るのは(少なくとも徒歩で)初めてだ。
なかなか味のあるフォルムに、カメラを構える人も多かった。


夜景も綺麗。

それから築地の脇を通って、歌舞伎座へ。
歌舞伎座も新しくなってから遠目では何度か見ているが、目の前を通るのは初めて。銀座もいろいろ変わっている。

そして、ついに目的のミッドタウンに到着。

シャンテ・シネには1年前に行ったけれど、その目の前にありえない感じの巨大な建物が建っていてビビる。
夜に行ったせいか、素直に「カッコイイ」と思うフォルム。

中に入ってみると、GINZA SIXっぽい、中央吹き抜けでモダンな(語彙が貧しいですね)つくり。これが最近の流行りなんだろうか。

1階に「展望台はありません」と書いてあるが、6階に外庭があって、そこからの眺めはなかなか良い。


ペニンシュラホテルも見える。

これって「サクセス」ってつぶやくやつじゃない?と思って、3度ほどつぶやいてみた。
まだたいしたものを成し遂げていない自分だが、なんだかサクセサーな気分になってくるから、雰囲気って恐ろしい。

で、もんじゃとお好み焼きで、お腹は満足していたけれど、満腹という感じでもなく、散歩してエネルギーを使ったので、6階にあるQカフェという店で2次会。

クラフトビールを扱っている店で、飲み比べセットがあったので頼んでみた。

6種類飲み比べられて、しかも量がけっこう多い。
それで1200円って良いのだろうか、と思うほどコストパフォーマンスが高い。
ビール好きは絶対後悔しない、と断言する。

個人的に美味しかったのは「496」というペールエール。IPAは苦味が強くて基本あまり好きじゃないのだけれど、このペールエールは飲みやすかった。
他のビールも好きずきあるだろうけど、繰り返すが、ビール好きはこのセットを頼んで後悔することはない。銀座でこの値段でいいの?と本当に思う。

帰りに地下に行ってみると、おしゃれなフードコートもあって、後ろ髪を引かれてしまい、

「今日、泊まって行きたい」

と思わずつぶやいてしまう。
ことごとく雰囲気って恐ろしい。

と、まあ、ほんのちょっと足を踏み入れた程度だけど、ミッドタウン日比谷は楽しいところだった。

さて、月島〜銀座の半日散歩。
東京の街の魅力を感じるには、とても良いルートだった。

また近々行ってみたい。
「サクセス」ってつぶやきに(つぶやくのはタダだからね)。

対策強化

前にも書いたけど、今年の花粉症は酷いようだ。知り合いでも、今年花粉症デビューした、という人がちらほら。なので、そもそも花粉症持ちの僕は、去年よりも強めの対策を始めた。

まず、前はかなり効いてた某ドラッグストアブランドの鼻炎薬が今年は今ひとつなのでアレジオンに代えてみた。

就寝前に1錠飲んで日中そのまま、という、効かなかった時にフォローのしようがない、効くか効かないかギャンブル性の高い薬だが(酷い書きようですが、あくまでも個人の感想です)まあ確かに翌日の夜までは収まっる。ただ「完全に鼻スッキリ!」というよりは「鼻水やクシャミを奥で抑えてます感」は高い。それでもあんまり花粉を感じない日に前の鼻炎薬に戻した時に、やっぱりアレジオンのほうがおさまってる気がしたので、しばらくこれにお世話になるつもり。

それから外干しをやめた。これが一番効果あるかも。家帰るとくしゃみ多発してたのが急に減った。部屋干しは好きではないが背に腹はかえられない。

あとは甜茶を試してみたいのだが、どこで売ってるんだろうか。あと味はどうなんだろうか。

そんなこと考えてると、意外と花粉症を楽しんでるんじゃないか、と一瞬錯覚するが、割と死活問題。甘く見ずにシーズンオフまで乗り切ろう。

当たり

年賀状のやりとりを積極的にする方ではないのだけれど、仕事上、数枚いただくことがある(返事はちゃんと書きます)。
で、いただいた以上「お年玉くじ」も確認したら、1枚 3等の切手シートが当たっていたので交換しに行った。

学生の頃、まだ年賀状を書く習慣があった頃にも当たって交換したことがあって、記憶だと「切手シート」というからには、切手が6枚程度つながったものをもらった気がするのだが、実際は62円と82円切手のシートだった。

可愛いけどね(独自のシートみたいだし)。
でも、なんとなく「もらえるのこれか〜」というガッカリ感も。
いや、昔もらってたのもこういうのだったのかもしれない。その辺りどうなんだろうか。

切手としてはがすと元の絵から切り離されて魅力が半減するし、金額が金額なので記念用と思うことにする。あるいは年男か年女な友人にプレゼントするか(メルカリで売らない人限定で)。

当たる確率が100枚に2枚なので、10枚足らずいただいた中で当たったのは、まあ今年は縁起が良い証拠として、しばらくとっておきましょう。

今日は何の日

2月22日で「ニャンニャンニャン」の猫の日。
な、はずだったのだけど、とくに猫づいてはいなかった。

他に「ヘッドホンの日」だったり、「おでんの日(「フー(2)フー(2)フー(2)」の語呂合わせですって)」だったりするらしい。
「ニンニンニン」で忍者の日でもいいような気がするけど、そういうのは特にないそうだ。

いよいよ書くことがなくなってきた。体重も減らない。
まだ2月だってのに先が思いやられる。

期待を結果に残す人

羽生選手って本当に凄いなーと思った。

日本中の、どころか世界中のフィギュアスケートファンの期待を一身に背負って、それでもって最高の結果を出せるって只者ではない。
もちろん「只者ではない」で片付けてはいけないのだけれど、あまりにもドラマチックで、言葉がでない。

ただただ「良かったなー」とは思う。もし金メダルじゃなかったら、原因探しという名の粗探しが始まっただろうし、嫉妬する人たちの攻撃もあっただろう。
こんな結果が出たあとでは、誰も嫉妬できない。だって、もうそういう対象を超えてしまったんだもん。

でも、スケーターとしてだけでなく、人間「羽生結弦」の人生はこれからも続く。僕はフィギュアスケートはにわかファンだけれど、人間「羽生結弦」を深く深く尊敬します。

見た目とエチケット

インフルエンザの猛威が身近にも侵食してきている。

だいたいどこの職場でもあると思うが、インフルエンザにかかった時のルール、というものがあって、本人の場合は数日間の出勤停止やら、家族がかかったらマスク着用、とかが僕の会社でも採用されている。
で、同じ職場の人がかかった場合に、マスクを着用するか否か、というのが接客業としてはとてもグレーで、ちょっと困惑している。

一昔前、まだインフルエンザというものがこれほど猛威を奮っていなかったころ、接客業の人間は風邪にかかっていようがなんだろうが「お客様の前でマスクしてはいけない」という決まりがあったように思う。店員がみんなマスクしていたら(この店はきっと何かの病原菌に侵されているに違いない)と思われて敬遠されてしまうからだろう。
確かにそれは「見た目」としては怖いと思う。ただ、逆に言えば、感染する病気にかかっている人もマスクをしていないわけで、健康面からみれば、その店は不誠実ということになる(病気の人を働かせるな、というのはちょっと置いておいて)。
体調は良いのだけれど、ウィルスは持っているかもしれないから、ということでマスクをしている店員がいたら、それはそれで誠実な人、という考え方もできる。
「健康だからマスクしないわけでもないし、不健康だからマスクをしているわけでもない」という命題を前にして、果たして接客業のとるべき道はどこにあるのだろうか。
かかっている恐れがあればするが、予防のためのマスクはしなくていいだろう、というのが落とし所のような気もするが、そもそもマスクの予防効果ってそんなにすごいのだろうか、という根本に疑問がでてきてしまう。

そこでひらめいたんだけれど、「いきなり!ステーキ」で店員さんがしている、あの透明なマスク。接客業の人はあれを採用してはどうだろうか。
いや、あれはウィルスは防止してくれない、ということなら、マスク会社(ってあるの?)は、ああいう透明でウィルスを防止してくれるマスクを開発するべき。そこにビッグビジネスの種があるはずだ。

※数年後、本当に主流になってたら褒めてください。

年賀状

もう何年も、年賀状を自分から出すことをしていない。会社員としてどうかとも思うが、わりとそういうことに寛容な職場でありがたい(上司や同僚と年賀状のやりとりもしない)。

いただいた年賀状も、個人で送ってくださるのはフリーランスの方ばかりで、あとは取引先の企業からまとめて、という感じ。フリーランスの方にはお返事を書いた。

学生時代は、いかに凝った年賀状を友達に出すか、というのが楽しみで、お互いどれだけ面白いのを書けるかと張り合ったりしたけれど、すっかり文字を書くことすら「面倒くさい」と思うようになってしまった。絵を描くのが好きだったり、友達への「ネタ見せ」だったりしたので、書くテンション高かったのかもしれない。

お世話になった方へ、普段伝えられないお礼の気持ちや、しばらく会ってない友人との残しておきたい繋がり、としての年賀状文化自体は良いことだと思うのだが、いかんせん「義理年賀状」が多くなってしまって、さほど書くことがないのに空白を埋める作業に疲れてしまうからだろう。でも家族がいる方からの年賀状は家族写真をうまくコラージュしてあって、なるほど自分が年賀状に苦労する理由がここに一つあったか、と今さらながら納得してしまった。こんなとこにも独り身格差を感じるとは…ぎゃふん。

来年は(正確には今年末だが)凝った年賀状考えて送ろうかなー、とちょっとだけ思ったのでここに書いておこう。実行できたか否かがわかるのはおよそ350日後(そう考えると、結構な大河ブログだな)。

インスタ映え って本当か?

年越しの渋谷がすごい人混みだった、とワイドショーでやっていた。その時のテロップが「インスタ映え狙い、若者渋谷に集合」となっていて若干の違和感。
いや、別にインスタ映え狙ったからって渋谷に集まるわけじゃないだろう。結果的にインスタ映えになる、ってだけで、初めからそのためにわざわざ自分の行動を変える人って極少数なんじゃないかと思う。そこに行く目的が「美味しいものがある」、「見たい場所がある」が先にあって、結果「インスタ映えにもなるし、ね」という思考をするのが当然の流れだろう。

日経新聞でも若者の消費離れな記事があって、レンタル友達を使ってSNSのいいねを狙う女性のことが書いてあったが、月に50件くらいあるというレンタル友達のサービス、Facebookのアカウント数は2800万、インスタグラム2000万(17年11月Gaiaxサイトより https://gaiax-socialmedialab.jp/post-30833/)あるのに対して、50件では「流行っている」とは決して言えないだろう(むしろこのサービスを利用する主な顧客は、SNS映えを狙うひとたちよりも、複雑な事情で家族や親戚あるいは会社の上司向けに仮のパートナーを用意しなければならない人たちのように思う)。それだけで「今の人の大多数はSNS映えを意識して生活している」とは言い切れない。

スヌーピーのグッズ販売会「ありがと祭」(そごう大宮)に行ってきた。実際にスヌーピーが来て写真撮影ができる日だったので、開店と同時に結構な数のファンが撮影会の整理券を求めて売り場に集まっていた(僕もそのひとりですが)。親子連れが多いのかな、と思っていたが、大人のファンも多く、本格的な一眼レフカメラを手にしている若い女性が来ていたりもした。会場も、撮影スポットがいくつか用意されていて、それこそ「インスタ映え」を意識したつくりに。でも会場に集っているのは単純にスヌーピーが好きな人たち。その中で、自分がここに来た記録と記憶を残そうとしているだけで、スヌーピーにまったく興味のない人がSNS映えがするからとわざわざ集まってきているわけではない。

渋谷で年越ししようと思った人たちも、ただ単に楽しいから、仲間がいるから、渋谷に集まっただけだろう。それを「インスタ映え狙い」としてくくってしまう伝え方に僕は違和感を持ってしまった。それは物事の根本を見誤る可能性が高いから。
そのズレは、ものづくりだったり、流行だったりに良くない影響を与えてしまうと思うのだ。おおげさに言えば、物事の本質を、そしてその良し悪しを正しくつかむことができなくなってしまう可能性が高い。

2017年の流行語にもなった「インスタ映え」を主軸にしたい気もわからないではないが、それを使わずとも渋谷の年越しの騒々しさは伝えられる。そしてSNSを意識しなくても、良いものは自然とSNSで広まる。という前提を(特に物事を生み出す人たちは)忘れないでほしいと思った新年だった。