観てから語る『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』

まずは『アサルトガールズ』という映画について語っておかなければならない。

押井守が監督したこの映画は、『攻殻機動隊』や『機動警察パトレイバー』などの作品を手掛けたアニメ界の重鎮がとった「実写」映画ということや、黒木メイサ、菊地凛子といった、当時旬の女優が出るということでそこそこ話題になっていたと思う。

押井監督のその前の実写映画『アヴァロン』が好きで、それがあったから、僕はこの映画を劇場に観に行った。
当時から友人だった江戸川台ルーペを誘って。

そして観た直後の感想はこうだ。

「支配人を呼んでください」。

いや、これは劇場で流すレベルの作品じゃない。
ハリウッド作品だったら確実にビデオスルーものだし、押井監督自身も劇場のスクリーンで放映されることを考えてなかったんじゃないかと思うぐらいの全然ダメダメで、嫌悪感しか残らない映画で、これを流した劇場支配人にコンコンと説教をしたくなる作品だったのだ。

付き合ってくれた江戸川台ルーペのおかげで、その溜まった感情を共有することができて、本当に助かったのだけれど、ひとりで観ていたら、多分観に行った自分を責める日々が続いたと思う。
そんな映画だ。

 

『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』はそもそも観るつもりはなかった。

悪評が立たなかったとしても、だ。
だから悪評がたったときには迷わずネットでネタバレ感想を見た。
それで一層観る気はなくなったのだけれど、もし劇場で観るのだとしたら、それは江戸川台ルーペと一緒に、としか考えられなかった。
そして、奇しくも彼がTwitterで「観たい」とつぶやいたのに反応し、その日のうちに観る日を決めて、一緒に観ることになったのだ。
いやはや人生は面白い。

さて、このあとはかなりのネタバレで語っていくので、知らずに映画を観たい方は、この先は観てからお読みください(観てない方は参考までにこちらを→過去ブログ「観ないで語る『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』」)。
観た方はきっと共有できる部分があるから読んでほしい。

そして、まだ観てない人に観た僕から一言だけ言わせてもらいたい。

この映画は、ドラクエファンであればあるほどネタバレを知ってから観たほうが良い。

(以下、ネタバレを含みます)

 

 

さて、ネタバレを知った自分が観た感想としては「思ったよりひどくなかった」だ。
支配人を呼ぶレベルではなかった。

はっきりネタバレすると、映画開始から90分ぐらいは、端折っているとはいえ、原作の『ドラゴンクエストⅤ』をきちんとトレースして進んでいくのだが、いざラスボスとの戦闘という時、それまで描かれていた『ドラクエⅤ』の世界は全部バーチャルリアリティでつくられたゲーム世界で、主人公は現実の記憶を封印され、ゲームセンターのVR設備に入っているいちプレイヤーだったのだ!という展開を見せる。

それだけでは事足らず、その世界を壊すために侵入してきたウイルス(ラスボスに寄生している)に、「ゲームばっかりしてないで大人になれ」と説教されるのだ。
これがドラクエファン、ゲームファンの思いを逆なでする演出と言われているのだけれど、まあ当然「喧嘩売ってるとしか思えない」演出だよね。
それにしても、この展開ははっきりと不快感を感じる驚きだった。

ウイルスが侵入して『ドラクエⅤ』の世界が止まった瞬間は、ネタバレを知っているのにドキドキしてしまったから、知らないで観たら絶叫してたかもしれない(それまた結構エグい、心を壊すような映像演出なんだよね。そういうところ凝らなくていいから)。

ただ、ネタバレ感想を読んだ時点では、現実の主人公が、もっとこう社会から逸脱した存在に描かれている(だって記憶なくしてゲーム世界に現実逃避するぐらいなんだから)と思っていたのに対し、実際の主人公は割とカジュアルにゲームを楽しんでいたので、救われた感じがした。
それで、この超展開については「思ったよりひどくなかった」と感じたのだ。

で、上記した展開はもちろん最悪なんだけれど、それまでの“本編”を見てるときに若干飽きてしまったのが、この映画がダイジェストものとしてもダメなところ。
ドラゴンクエストのゲームでは“堀井節”とも言える牧歌的なセリフやリアクションが多いので、それゆえ、物語を描く際にユーモラスな展開にならざるを得ないのかもしれないが、ボスとのバトルも「わわわー!」とか言いながら、思いつきの作戦で勝ってしまうという感じで、バトルの凄みがなかったのも不満。もっと、主人公らしい強さが欲しかった。
全体的にコミカルな言い回しが多く、話の持っていき方が初期のドラゴンボールような印象を受けた(ピンチに陥った時に仲間がかけつけるのは「友情・努力・勝利」の週刊少年ジャンプっぽくもあった)。

また今作のフローラはビアンカより断然可愛く、さらに聡明で献身的という「理想の嫁」として描かれている。
対照的に、出番もたいしてない「ただの幼馴染」で、主人公は「背中を預けられる」と言うけれど、その実“ガサツなだけ”に感じられる本作のビアンカを比べると、常に『ドラクエⅤ』でビアンカを選び続けてきた僕だってフローラを選びたくなるほどだ。

ここにも伏線があって、現実の主人公がいつもビアンカを選んでしまうので「今回は絶対フローラ!」と宣言しVRに入ると、自己暗示プログラムが作動してフローラを選ぶ道のりができるのだが、その実、深層心理ではビアンカを選びたがっている、というオチが後でわかる。
でも、これだけでは「深層心理がビアンカだ」とは限らないだろう。最初の「フローラを選びたい」という思い自体が、深層心理と同じ可能性もあるのだ。そういうあたりの雑さも酷かった。

で、最後の超展開に戻るが、アンチウイルスを使って、ウイルスを倒し、ゲーム世界を取り戻すのだけれど、そのアンチウイルス(最後の武器)のデザインが「ロトのつるぎ」。
僕はここで一番イラっとした。

山崎貴監督は『ドラクエⅤ』をプレイしていないらしいし(真偽は不明)、インタビューで「ドラクエだけに関わっているわけにもいかないので」と言った(これは本当)ことから、この作品に愛が感じられない、という批判もあるが、僕は、製作者が対象に必要以上の思い入れを持っている必要はないと思うタイプなので、そこはまあ良い(でも、総じて「愛のあるもの」のほうが人の心をつかむ確率は高いと思う)。
ただ「ここで、ロトの剣出しておけば、ファンは喜ぶんでしょ?」みたいな安直な考えを感じたのが、一番頭にきたところ。天空シリーズにロトの剣出すな。
「雑!」

でも、現実の主人公を、ゲームで育った大人に描いたことには皮肉を感じなかったことから、山崎貴は、この展開がドラクエファンに好意的に受け入れられると思っていたように考えていたのではないかと思う。
だから、逆に、今の批判の嵐に「なんで?」となっているのではないだろうか。
本人(とスタッフたち)にその気はないのに、結果的に喧嘩を売っているというピュアな悪意(これが一番タチが悪い)ともいえる。多分、これが観客に受け入れられる、感動してもらえる、という想いに溢れている。
「大人になれ」と言いながら、作り手がやってることが一番子供(というか、ひと昔前で言う厨二病)なんだよなー。

「僕らが解釈した『ドラクエ』ってこれです!どうですか!(キラーン)」

と出したものが全然ダメダメだと本人だけが気づかないという、ピュアな悪意。その作り手と受け手のすれ違いが逆に辛い。

結局、僕も含めて、ファンの思いは

「俺のドラクエをこんなにしやがって!」という思いに尽きる。

「ドラクエでそれやるなよ」と。

ただ、単独映画でこれやっても、単なる駄作だろうけど、ドラクエでやれば歴史に残る駄作だからなー。
その点だけには、関係者の確信犯的なものを感じる。

 

さて、何度も書くが、僕は「ネタバレ」を知っていてこの映画を観た。
でも一緒に観た江戸川台ルーペはそうではない。
物語の最後の最後まで感情移入していた世界が崩れ去った時、彼はどういう思いで、この映画を観ていたのだろうか。
それを思うと、終わった後も迂闊に声をかけられない心境だった。

駄作だということは共有できたけれど、今回に関しては100%思いを共有できたわけではなく、その点で江戸川台ルーペには申し訳なく思っている。

ゴメン、ルーペ。

でも、僕的には、この映画は江戸川台ルーペと観て正解だったとも思っている(彼的にはわからないが)。

ありがとう、ルーペ。

そして作品の感想ではないが、もうひとつ、どうしても触れておきたいことがある。
それは、上映後の観客の態度だ。

上映が終わった瞬間から、みんな堰を切ったように友達に感想を言い始めた。
賛否両論というより、否か「まあしょうがないか」しかないこの映画について侃侃諤諤語ることが楽しそうだった。
そう、これだけ「酷いもの」を観せられても、作品に関して、様々な意見を交わす姿は、断然「大人の態度」だった。

山崎貴は、作中でドラクエファンとゲームファンに「大人になれ」とケンカを売ったが、ほとんどの人がそのケンカに乗らず、「若造がなーにわかったようなこと言ってやがるんだ」的な扱いをされていた。
完全に子供扱い。もっといえば、煽ってみたものの、相手にすらされてなかったとも言える。

僕は、ドラクエという作品がいかに愛されているのかを痛感し、山崎貴がどんなに背伸びしても全くもって敵わない存在であるということがよくわかった光景でもあった。
その点で、山崎貴の(ドラクエと、そのファンに対する)完全敗北なのだ。

 

さて、これが、僕の『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観てから語れる全てである。

でも、これはあくまで、結末を知って観たからの話。
結末を知らないで観たとしたら、僕の感想は…多分「支配人」じゃない、

 

「関係者を呼んでください」。

観ないで語る『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』

『ドラゴンクエストⅤ』について、僕が語れるのは、内容よりもそれにまつわるエピソードのほうだ。

自分の中で『ドラクエ』は、「ロトシリーズ(『Ⅰ』〜『Ⅲ』)」とともに卒業した思いもあって、『Ⅳ』〜『Ⅵ』は自分で購入はせず、発売から少し経った頃に友人から借りたのだった。
特に『Ⅴ』は、当時珍しいゲーム好きの女友達(美人)に借りてプレイした。
お父さんもゲーム好きという(これまた当時としては)珍しい家庭に育っていた人だった。
まだ携帯がない時代で、僕は彼女の家に電話をかけて、まさに“その”お父さんが電話口にでてしまったことがあり、とてもビビった思い出がある(今、思い出しても若干焦る)。

その後『Ⅴ』はクリアしたものの、その人とは(なにかあったわけではないけれど)なんとなく疎遠になり、返しそびれてしまったスーパーファミコンのソフトはまだ実家にあり、いわゆる「借りパク」という状態になっている。
もう連絡が取れない相手なので、そのソフトはこのまま僕の実家で眠り続けるのだろう。
そのことをとても申し訳なく思っていて、結婚というのが大きなエピソードのゲームだけに、許されるならば責任とって結婚したいと思う(相手にはいい迷惑)。

さて、そんな『ドラクエⅤ』、クリアまでしたのに今ひとつストーリーは覚えていない。
結婚イベントなるものが衝撃すぎたのかもしれないし、当時はすでに大人だったので「もう、ドラクエとかじゃねえよな」みたいな思いで、なんとなく斜に構えてプレイしていたからかもしれない。
DSで出たリメイク版も子供が育ったところまでやったが、結局クリアしていないのだ。

自分にとって『ドラゴンクエスト』といえば結局ロトシリーズ(特に「Ⅲ」)が僕にとっての思い出であり、レジェンドであって、あとは「よくできた、安定のRPG」という感覚なのだろう。

それでも『ドラゴンクエストⅤ』はシリーズ屈指の名作、と言われているぐらい人気があり、それを原作にした映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が絶賛公開中であり、ネットでは絶賛炎上中でもある。

僕は、この映画のビジュアルを見て、3DCGで描かれたキャラクターがドラクエっぽくなく、つまり鳥山明感がなく、もっと言えば「こんなの俺の(俺の?)ビアンカじゃねえ!」という時点で、まったく観る気がなかった。
それでも、山崎貴という日本CG界では屈指のクリエイターが監督だし、佐藤健を初めとした出演者たちは豪華だし、なにより、ちゃんとスクウェア・エニックスや堀井雄二がお墨付きをつけている映画である以上、そうそうヘマするものはできないだろうとは思っていた。

でも、ヘマしたらしい。

前述のとおり、僕はこの映画を観るつもりがなかったので、どれだけヘマをしたのか、ネタバレ感想を読んでみた(だいたいストーリーはゲームで知っているので、ストーリーバレは別に構わないと思っていた)。

なるほどー、それは炎上するよなー、というのが率直な感想だ。

僕は、ゲームにとっての「良いストーリー」と、小説や映画の「良いストーリー」は別物だと思っているので、ストーリーが変わってしまったとか、そういうのはそれはそれでいいと思っている。
結局は、それが観客(というかほとんどのドラクエファン)に受け入れられなかった、という点が炎上の原因なんだろうけれど、それにしても、作っていた人たちは、この映画の観客、ビジネスマン的に言えば「ターゲット」をちゃんと考えていたのだろうか、と疑問に思う。

「これをやったらファン怒りますよ」と、誰かが言わなかったのかなーと思う。

堀井雄二がそれを言わないのはなんとなくわかる。
これまでの仕事ぶりをみると、一度自分の手から放したら、あとはクリエイターにまかせるというタイプに思うからだ。
でもスクエニは言ったほうが良かったんじゃないかなー。

僕が読んだ感想自体が、実は本当は「観た感想」ではなくて、「ネットで集めた情報の断片」から切り取り集められて書かれたものである可能性もなくはないので(インターネットってすっかりそういうところになってしまったから)断言はできないが、この感想が確かならば、それはゲームどころか、全ての娯楽を否定してしまうようなものだからだ。
もしくは自分のお客さんに喧嘩を売るようなものだ。

だからといって、この映画を「不謹慎だ!」、「上映停止だ!」とかやってしまうと、それはそれでダメではあるが、版権元として「チミチミ、そういうのはちょっとドラクエでやらないでくれたまえ」というひとことがあっても良かったじゃないか。

観てない僕が言えるのは、そういうことだ。

やっぱり、ドラクエは好きだから、悪評が立つのは残念なんだよな。

ところで、この映画を観るつもりが“なかった”とさっき書いたのだが、逆にネタバレ感想を読んだことで、「実際はどのくらいダメなのか」を知りたくなって、観に行きたいと思うようになった。
「目に見える地雷を踏みに行く」という傾いた行為ができるのは、すごく贅沢であり、ロックな感じがする。

そう思っていたら、友人が「観たい」ということをTwitterで呟き、そこから一緒に観ようという話が1日で決まって、まさにこのブログ公開した直後、劇場で観ることになった。

果たして、ネットの感想は事実なんだろうか。
本当にダメ映画なんだろうか。
そういう視点で映画を観るのは初めてだけれども、逆に楽しみでもある。

観ての感想はまた明日。

英語クイズ 『ココロセカイ』

『ココロセカイ』というアプリゲームを始めた。

英語の単語だの名言が4択クイズになっていて、遊びながら英語の勉強になるというものだ。
RPG系のストーリー仕立てになっていて、キャラクターを育ててガチャで強いキャラを引く、という『パズドラ』のフォーマットを使った英語単語クイズというところ。
「英語 ゲーム」でAPPストアを検索して、これが良さげだったのでダウンロードしてみた。

僕はこれまで、英語学習系ゲームを『英語物語』、『早撃ち英文法』、『鬼桃語り』とやってみたが(その他、英語のクロスワードとかもやった)、どれもイマイチでわりと早い段階でアンインストールしてしまった。一番の理由は、出てくる問題があんまり面白くなかったからだ。
その点、『ココロセカイ』は、問題がきちんとしていて飽きにくい。
なんというか、知らない単語や熟語でも、意味と英文を見比べるとなんとなくわかる、もしくは絶対違うものを除外できるようなものが多いのだ。

ただ、ある程度進むと、ガチャたくさんやって強いキャラ手に入れなければ、いくらクイズで正解しても先に進めないだろう、という難易度の壁があって、そこで若干詰まり気味。
課金ガチャで強いキャラ手に入れないとなかなか難しそうだ。
気に入ったゲームであれば、運営のためにも多少課金したほうがいいんだろうけれど、どうもこういう「ガチャ」系に課金するのには抵抗があるのだよね。ガチャじゃなくて、好きなキャラが“必ず”手に入るなら課金するかもなーと思う。

そもそも、これで英語の勉強になるか、というと微妙なところではある。だって頻繁にでてくる単語「うなぎ」とか「モグラ」とか「フグ」の英語名ってそんなに人生で使わないからなー。
でも、逆に考えると、少なくても「eel」と「Mole」と「blow fish」は覚えたのだから、それはそれでいいか。
「メラ」とか「ヒャド」とか覚えるよりは役に立つだろう(いや、ドラクエの呪文もコミュニケーションには大変役に立ちますよ!)。

そんなわけで英語力がつくかどうかはともかく、しばらくこのゲームは続けてみようと思っている。

喜ぶこと、喜ばせること

『大乱闘スマッシュブラザーズ』というゲームがある。

任天堂が出している対戦ゲームで、その出来の良さから人気シリーズになっているが、マリオやヨッシーなどの任天堂の人気キャラクターはもちろん、他メーカーが出しているゲームの人気キャラクターも参戦しているのも話題だ。

先日、E3というアメリカのゲームショーがあって、そこで、このゲームに「バンジョーとカズーイ」というキャラの追加参戦が発表されたのだけれど、そのニュースを見ながら大喜びする外国人の動画がTwitterで流れてきた。

僕は、人がここまで喜ぶのを久しぶりにみた。
見ているこっちまで嬉しくなってしまうぐらいの大喜び。

振り返ってみて、自分はここ5年ぐらい、こんなに喜んだことない気がするなー。同じゲーム関連で言えば、メガドラミニに『テトリス』が入るというニュースに、おおーっとなったけど、小躍りまでもいかない。

プライベートなことでも、嬉しくて喜ぶことはあったけど、それは「嬉しい」に「ホッとした」がないまぜになったような感じで、こういう“我を忘れる”喜び方してないなー(それもちと寂しい)。

で、この人はゲーム実況(なのかな?)動画界隈では有名な人らしいけれど(ロジャー兄貴って呼ばれてるそうです)、本当に嬉しかったんだろうなーとわかるし、この動画は何度見ても幸せな気分になるので、今後も落ち込んだ時に元気を出すために見ることにする。

海外の「バンジョーとカズーイ」人気はすごいようで、他にも、パブリックビューイングみたいなとこで騒ぐ外国人集団の動画もあったりするのだけれど、関係者各位は、この人をこれだけ喜ばせただけでバンジョーとカズーイを参戦させた価値はあると思うよ。
よく頑張りました!

そして、僕も、人を喜ばす、ということが好きなほうだけれども、ここまで人を喜ばせることができたことないなー、と軽くショックを受けたのも事実。
コンテンツづくりのはしくれにいる人間として、教訓にしたい。

そして、やっぱり喜ぶ、っていいことだ。
たくさん喜んで、喜ばせるように心がけよう。

16BIT

ようやく「メガドライブミニ」を予約できた。

ずっと「メガドライブミニW」のほう(コントローラーが2個ついているバージョン)を探していて、3件心当たりをまわったが「W」はどこも予約終了。
その時点でコントローラー1個の「ミニ」は予約できたのだけれど、なんだかんだでコントローラーは2個欲しかったので、これは発売されてから実機を探すしかないかーと思って諦めていた。
そのうち調べてみたら、コントローラーは別で買えることが判明したので、これは普通のほうを予約しておこうと、改めて店に行ったのだが、時すでに遅しで、「ミニ」のほうも予約終了に。
そこからほうぼう探して、実家近くのゲオで予約できました。

予約の初動が遅れたのは確かだけれど、正直こんなに苦労するとは思わなかった。「メガドライブミニ」は「ファミコンミニ」以上にマニアックなラインナップで、それが当時のユーザーには嬉しい内容な分、「欲しい」と思う人は限られていると思うのだが、やっぱり転売目的に買う人も結構いるんだろうな。これはこれで仕方ない話だが。

ラインナップで言えば、ナムコのゲームがあと2本ぐらい入るとさらに嬉しい。『フェリオス』や『バーニングフォース』や『マーベルランド』など、当時からしたら嫌がらせのような「コレジャナイ」感満載の、無理くりなアーケード移植に偏っていたナムコのメガドラソフトも、今となれば、逆にマニア心をくすぐるラインナップになるのだから、時代の流れとは面白い。
すでに収録が決まっている『レッスルボール』のようなオリジナルのゲームが入るだけでもありがたいのだけれど、『マーベルランド』あたりを収録してくれると、当時のナムコのメガドラソフト開発班の苦労を体感できて嬉しい(『フェリオス』でも良い。当時、その出来は良くも悪くも“衝撃”だったから)。マニア向けということをわかった上で、ぜひ。

それにしても、なんにせよ予約できて良かった。
できれば欲しいものはその場で買う(あるいは予約する)のがいいんだろうけど、タイミングってあるよね。それを“縁”と呼ぶのかもしれない。

メガドライバーとして、縁があって良かった。

頑張れタカハシ

例和という新元号が発表になった翌週に、新紙幣の発行が発表になった。

一応4月1日に告示があるとわかっていた元号よりも衝撃。
このタイミングで、ですか?というのが一番の感想だけれど、前回も前々回も20年で新紙幣を発行しているのでまあ規定路線なのかもしれない(発行は2024年)。

定着するには2~3年かかるだろうから、新しい紙幣は今の中学生とか高校生にとって一番馴染みのある紙幣になるんだろうな。僕は聖徳太子も覚えているが、1万円札については自分で稼ぐようになってから見かけるようになったもんだから、やっぱり諭吉世代なのだ。

新紙幣がメインになったころはもっとおっさん感が強くなるんだろうなー。
諭吉さんが馴染み深いのは40年変わらなかったからなんだね。

と、新紙幣について調べながらネットサーフィンしていたら、そんなことより気になるニュースとして「高橋由美子芸能界復帰」がでていた。

そういえば高橋由美子、スキャンダルで活動自粛していたんだっけ。それがいわゆる男女のドロドロによるもので、「20世紀最後の正統派アイドル」と呼ばれた頃を思うと隔世の感がある。

だが、なぜ、このニュースが目に止まったかというと、高橋由美子は大応援していきたい存在だからだ。
なぜならばメガドライバー(古参のセガ信者の意味)にとっての女神(ミューズ)だったから。

かつて任天堂やNECにしてやられていた頃、セガのゲームギアやテラドライブ(メガドライブ内蔵PC)の宣伝にでていて、セガのキャンペーンガール的役割だった気がする(調べたら実際はそこまでではなさそう)。
その頃、セガの味方をしてくれる(ただ単にCMに出ているだけだが)アイドルはみんな「味方」だと思っていた。ちょっとコアな俺らの思いを共有してくれるミューズだったのだ。
だからそれ以来(別に追いかけてるわけではないけれど)高橋由美子が話題になると「俺はもっと前から高橋由美子の魅力に気づいていたもんね」という「ワシ(ら)が育てた感」でもって嬉しく思っていた。
しばらくたって『ショムニ』で注目されたときも良かったなーと思った。
一度セガの味方してくれた人は一生応援する、というか「したくなる」という心理が僕にはある。
多くのメガドライバーもそうではなかろうか。

そういう意味ではVサターンのCMに出ていた菅野美穂もミューズだったよ。
菅野美穂にとっては『慶應遊撃隊』の蘭未ちゃんの声をやっていたのは黒歴史なんだろうか(と言いつつ掘り出す系)。
それをいったら仲間由紀恵にとっての『トゥルー・ラブストーリー』も黒歴史なのか。しかし『ときめきメモリアル』の映画版の藤崎詩織だった吹石一恵がいまや天下の“フクヤマ”の奥さんだからなー。それは誇るべきだろう。

話がずれた(こういう話になるとずっと書いていられる)。
そう、高橋由美子だ。

高橋由美子はゲームギアのCMももちろんだが、僕は『ゆみみみっくす』というメガCDのゲームのエンディングテーマ「元気!元気!元気!」という曲がとても好きだった。
検索したらYoutubeにPVがあって(オフィシャルじゃないので貼りません)、今聴いても名曲だし、高橋由美子がとにかくかわいい。今も美形だけれど、当時は本当に可愛い。この時17歳だしなー(ここにも隔世の感)。
で、この曲は本当にアイドル歌謡曲としてよくできてるなーと思って作曲家みたらなんと筒美京平先生の作品ではないか!
王道アイドル歌謡曲としての完成度の高さに納得(作詞については嫌いな人なのであえてふれない)。

高橋由美子は当時から歌が上手い印象なので、今回の復帰がミュージカルの舞台というのはご本人にとっても良い方向だろう。
元アイドルというのはなにかと足かせになる部分もあるだろうが(今回のスキャンダルもね)、ぜひ今後とも芸能界で活躍してほしい。

メガドライバーのはしくれとしていつまでも応援しています!
頑張れタカハシ!

STADIA発表でゲームについて考える

グーグルがゲーム業界にSTADIAというプラットフォームで参入するhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190320-00000030-jij-n_ame

日本では“スタディア”という発音で報道されていたけど、実際の発音は“ステイディア”みたいだね。日本でも今後はスタディアで呼ばれるのだろうか。
外務省からヴが消えるというニュースを見て、話の中身よりも「呼び方」のほうが気になってしまう。

さて、このSTADIA。
ようはSwitchだのプレステ4だのといったハードである「ゲーム機本体」を買わなくても、PCやスマホがあれば、STADIAのゲームがプレイできるというもののようだ。もちろんハイスペックPCとスマホでは画面の綺麗さなどが違うんだろうけれど、この「そのソフトができるゲーム機をもっていないとプレイできない」というジレンマを外す「ハードフリー」という考えは昔からのゲームユーザーの夢だったりはする。

僕はWindowsがその役割を担うことを期待していたのだけれど(これもまあOSをゲーム機と考えたら、完全なるハードフリーじゃないけれどね)、けっきょくマイクロソフトは未だにゲームハードを販売していることから見ると、ゲーム業界って、ハードからは脱却できない仕組みになっているのかなと思っていた(SteamというのはWindows OSさえあれば遊べる、その考えに沿った感じなのかな?)。

そこで、グーグルだ。スマホ自体の性能もあがってきたし、そもそも、今、一番ゲームをしているのは、ゲームの「性能」を気にしない人が大多数、という世の中の変化をグーグルは見込んでいるのだろう。一部のゲームマニアをターゲットにするより、ツムツムやパズドラをやる人たちを取り込む方がよっぽどビジネスになるはずだ。
ゲーム業界の衰退は、結局、ゲームマニアの期待に答えることを続けてきてコスト過多と売上減少から脱却できなかったことに起因するのだと思う。もっとも、それは「衰退」というよりも神の見えざる手よろしく「正しい需要と供給」のサイズに落ち着いたともいえる。

僕もそれなりのゲームファンではあるが、画面の綺麗さはSwitchでもう十分だし、それよりも自分の考えるインプットが、正しくゲーム上にアウトプットされればそれが一番楽しい。結局、それができてるゲームが「良いゲーム」で「長く遊びたいゲーム」なんだよね。

STADIAについてはまだまだ情報が整理しきれていないし、なにより、まだ日本での展開は考えられてないようなので、日本でプレイできるようになってからちゃんと考えることにする。

さて、今のゲーム業界では、往年のゲームマニアを喜ばすというニッチな戦略を打ってきていて、過去の名作をダウンロード専売したり、パッケージにして売る商売がこのところ多いが、それはそれで正しい戦略だと思う。僕のようなおっさんゲーマー世代は、今のゲームよりも過去のゲームをやりたいのだから、その需要を満たせばいいのだ。それでも日本で(テレビゲームの発展に一番寄与しているはずの国で!)販売されないものも多く、日本ではもうそういう商売も成り立たないのかと悲しくなる(STADIAの展開から日本が外されているのもその証左だろうしね)。Amazonのおかげでどうしても欲しいものはカバーできてるから、まあいいけれど(海外版の『SNK 40th Anniversary Collection』と『Sega Genesis Classics』はそれで買った)。

で、そんな中、老舗のコナミから創業50周年を記念して「アニバーサリーコレクション アーケードクラシックス」が発売されるという嬉しいニュースが出た。まさに僕がゲームセンターに通っていた頃のラインナップから8作品がセットになったものだ。
ただ、このラインナップを調べると、プレステ4ではすでに全作品がダウンロード販売されていた。今回はSwitchやXbox one(一応忘れてませんよ)にも出るので僕のようにSwitchしか持っていない人には嬉しい話だが、プレステ4ユーザーで往年のゲームファンはおそらく、ここに入っているゲームをほとんどダウンロード購入している気がするので(少なくとも『グラディウス』シリーズ3本はしているだろう)、今さら感しかないのだろうか。
そう考えると、この「ゲーム機」の枷を外そうとするSTADIAの動きはやっぱり気になってくる。

1983年にファミコンが発売されてから35年が経った今、家庭用ゲームの歴史を大きく変える出来事になるのか、それともやっぱりゲーム業界にはハードとソフトの関係を継続しなければならない事情があるのか。
ゲームファン以上に「ゲーム業界ファン」としては目が離せない展開ではある。

願わくば一部のファンドが儲かるだけでなく、ゲーム業界全体がポジティブな展開になりますように。

趣味としてのゲーム

なんとなくゲーム熱が出てきている。

Switchでは『SEGA AGES アレックス・キッドのミラクルワールド』を購入。
このゲームはファミコンのライバルだったセガのゲーム機「セガマークⅢ」用のソフトで、『スーパーマリオブラザーズ』に対抗して作られたソフトのリメイク(というか再現)移植版だ。
僕は「マークⅢ」を持っていなかったので、リアルタイムではやってないのだが、高校生ぐらいの時に、メガアダプタという「マークⅢ」の後継機「メガドライブ」で「マークⅢ」のソフトができる互換アダプタを友人から譲ってもらった時に一緒に買ったか、秋葉原で叩き売りしたのを買ったのか、とにかく高校生の時にプレイしたことがあった(秋葉原ではこの時期に「マークⅢ」のソフトを大量に叩き売りしていて、それで僕は『アルゴスの十字剣』や『星をさがして』や『ソロモンの鍵』などを二束三文で買っていた)。

古いゲームだけれど、『スーパーマリオ』を意識したせいか、作りがていねいで、今プレイしても、そこそこ遊べるのがすごい。バイクやヘリコプターといったメカを使えるあたりも対抗心が垣間見れる。
ソニックが登場するまでは、このゲームの主人公「アレク」がセガの作った名キャラクターだったのもうなづける。

それから、スマホゲームをしばらくやっていなかったが、『ドラゴンクエストライバルズ』をダウンロードしてみた。
「ドラクエ」の設定を使ったカードバトルゲームで、ちょっと触った限りだけど、そこそこ戦略性もあって楽しめそう。個人的には『ファンタシースターオンライン エピソード3』を思い出したが、あれよりは運の要素が抑えられていて、勝敗に納得がいく感じ。
これもしばらくちまちまと続けていきたい。

ゲームばかりやってる場合でもないのだけれど、たまにはね。
結局、僕は「趣味=ゲーム」な人間なのかもしれない。

Back to the roots Part1

実をいうと今年は「いかに自分らしく生きるか」というテーマを持っている。

「いかに自分らしく」というのは、結局「いかに楽しく生きるか」という根源的な、それでもずいぶんとぜいたくかつQOLを意識したテーマではあるが、「それなりに幸せではあるがいまいち楽しめていない人生」を、「幸せかつ楽しめる人生」に変えることが目標。それはできそうでできない、難しい命題である。
「自分らしさとはなにか」と考えたときに、自分の過去を振り返ってみようと思うのは至極当然のことのように思える。

そんなわけで休みを利用して、秋葉原へ行ってきた。

秋葉原は、今でも年に3~4回は行くが、高校生のときは月1回はあたりまえ、2週に1回もめずらしくないほど足繁く通った町だ。
昔の秋葉原をひとことで表せばサイバー、もしくはジャンクだったが、ある時を潮目に萌えに変わった感がある。
その変化は、メイドカフェの乱立から始まったのだろうが、僕が思うには家庭用ゲーム機が衰退し(ゲーム世代が大人になって卒業し)、またPCと家電が秋葉原以外で簡単に安く買えるようになったからだ。

僕(と友人たち)にとって秋葉原に行く目的は、いかに安いお宝ゲームソフトを見つけるか(ファミコンの「トップライダー」が980円で売っていたことがある)と、身近で買えないものを買うか(それはハイスペックPCだったり、輸入ソフトだったり)だったのだ。お金に余裕があったわけではなかったが、買うまでに至らなくてもウィンドウショッピングが楽しかった。
時代を経て、まず大型ディスカウント家電店で買えるようになり、ゲームソフトは大量に生産しなくなったせいか価格が暴落することがなくなったり(それはメーカーにはよいことだろう)、海外のめずらしいものもネットで買えるようになった。

今、秋葉原で一番目立つのは、メイドカフェ(を筆頭とした萌えビジネス)と、レトロゲーム屋と、フィギュアやUFOキャッチャーのプライズを売る店。トレーディングカードショップに、それから少々のアダルトショップ。もちろんメイン通りを一本後ろにいけば昔ながらのジャンクパーツ屋はあるけれど、大通りは上記のもので占められている。

僕が通いだした四半世紀ほど前から少しずつ街の様相が変わり、僕の好きだった秋葉原からはすっかりと変わってしまっている。
それでも、レトロゲーム屋を覗いたり、プライズショップの景品を見たりするのはわくわくするので、根本的に、僕はこういうゲームやキャラクターものが好きなんだろう。

秋葉原に降りた僕は、まず東京レジャーランドへ行った。ここは僕がもう大人になってからできたゲーセンなので、青春の思い出はないが、そこそこ空いていて遊びやすいのだ。で、WCCF(というトレーディングカードを使ったサッカーゲーム)を8クレジット分やる。となりがダーツスペースになっていて、けっこうな数の若者がダーツに興じていた(僕もダーツを“ちゃんと”やりたい)。
WCCFも最後にやったものからバージョンがあがり、ゲーム進行が昔と違ってちょっと焦った。このゲームの初代が出た16年前はゲーセン通いしたほどハマった。なので、プレイをすると自然とその頃の感覚を思い出す。

それからレトロゲームの聖地ともいえるタイトーHey(というゲーセン)にも行く。でも、レトロゲームって「上手くないとやるのが恥ずかしい」ものだ。僕は正直、どのゲームも上手いというほどの腕前がないので、上手い人のプレーを見るだけだ。「極上パロディウス」が稼働していて、これもまた4面程度しか進めないけれど、大好きなゲームなのでやりたかった(上手い人がやっていた)。それで、レトロゲームコーナーを出て、これまたかつてハマったjubeat(音ゲー)を1プレイした。
WCCFも変わっていたが、jubeatもただ、ボタンを叩いていれば良かったのが、「ボタンをホールドする」という行為が増えていたので驚いた。考えてみれば、いかにバージョンが更新されようが、10年前に出たゲームだから、なにかしら新要素が入っていないと続かない、ということだろう。
ただ、一方で新しいゲームがウケないということなのかもしれないが。

道中、ソフマップのMacだのDTMが置いてある店に入る。
昔秋葉原には、LAOXの楽器館があって、僕はそこでいろいろと物色して、DTMやMIDIに興味をもっていった。この店はもう、セミプロの方々が、決まった目的のものを買うためだけにあるようで、僕には敷居が高い。まずはどの機材が何の目的で存在していて、どうつなぐのか、そういうところから勉強し直そう。
あと、Macbook Airを売って、Proを買おうかと思っている。中古のMacbookでも良いのだろうかね。

帰りがけに、書泉ブックタワーに寄った。
かつては8階がゲーム系書籍、7階がマンガ、コミックという扱いだったと思うが、今は7階は女性向けコミック、6階が男性向けコミックというフロア分けがされていて、訪れる女性の数が増えたのだなーと思った。
サイバーな頃の秋葉原には女性はほとんどいなかった(いたら、その女性は間違いなくモテていたはずだ)。オタク文化が男性だけのものではなく、今や女性のものもすっかり定着したのだな、と書泉のフロア分けで実感したりする。

他にもガンダムカフェのガンダム焼きがなくなっていたり、僕が気に入っていた(と言っても1回しか行ったことがない)メイドバーは別の店になっていた。続くものは続くが、淘汰されるものはされてしまう。商売の原理ではあるのだろうが、なんとなくセンチメンタルにもなる。

午後いちからブラブラしているうちにすっかり夜の時間になったので、思い出の飲み屋「天狗」でひとり飲みでもしようかと思いつつ(僕はこの飲み屋のエピソードから曲を作ったのだ!)、それはまた次回のためにとっておくことにしよう。

今回、自分のオタクっぽい性質に改めて向き合えた気がする。何が好きで何が好きでないか、がわかってきた。
それを自分の今後の人生にどう活かすか。
とにかく自分の過去を見つめ直す旅はこうして始まった。(つづく)

物欲チキン

あまり物欲があるほうではないと思っている。

衝動買いはめったにせず、買い物は必要に応じてするタイプだ。
自分がなにが欲しいかなーと考えたとき、パッと浮かぶのは本か、ゲーム。

僕の目標のひとつに「自宅をゲーセン化する」というのが昔からある。
あるけれど、叶えたことはもちろん、近づけたこともあんまりない。

Nintendo SWITCHには、ダウンロードできるレトロゲームが結構ある(プレステ4にはかなわないけれど)。もちろんその中には、自分が学生のときにゲーセン通いしていて遊んだゲームも多々あるのだけれど、それでもダウンロードしたのは「真サムライスピリッツ」ぐらい。
昨年末に「ストリートファイターコレクション」や「ベルトスクロールコレクション」を買い、さらにわざわざゲームセンター仕様のコントローラーまで購入して、ちょっとはゲーセンに近づけているつもりだが、まだまだ“甘い”。

部屋もリニューアルしたことだし、ここはいっちょ、本気で目標達成に近づいてみようじゃないか、とダウンロードして遊んでみたいゲームをピックアップしてみた。その数13本(本当はもっとあるけど吟味してます)。
1本800円〜900円なので、1万円あれば、欲しいゲームのほとんど(上手くすれば全部)が買えるのだからさほどの出費ではない。自分へのお年玉としたら安いもんだし、なにしろ目標を叶えるのに1万円を惜しんでいてはいかん。
と、ニンテンドープリペイドカード5000円を2枚買った。しかもセブンイレブンで、1枚につき500円ポイントがプラスになるキャンペーンをやっていたのだから、もう今買うしかないだろう。

で、いざ「買おう!」と思ってダウンロードサイトに行ってみると、ここで、買うことがためらわれるソフトが多かった。
1万円(ポイントに買えたら1万1千円分)で、やってみたい、と思うゲームをほぼ全部買えるのに、ここで躊躇してしまうのはなぜなのだ?(単にもったいながり、なんだろうね)

そこで、自分が買おうと思ったリストの中から、これは買っても後悔しないだろう、という「戦国エース」、「アテナ」、「アルゴスの戦士」、「STRIKERS 1945 PLUS」をとりあえず買ってみた。4本で合計3,333円。
使おうと思った額のほぼ三分の一。

自分の「好きなもの」にお金を使うのに、この漢気のなさ。「自分の物欲ってその程度なのか」と我ながらがっかりする。このままでは他のことでも大義をなすのは難しそうだなーとも。

でも、まあ残りも吟味しながら、とにかくポイントは使い切ろうと思っている。
どのゲームを導入するか検討する、ゲーセンのオーナーの気分を味わっていると思えば、それもまた面白いのだ(言い訳)。