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まだ幼い自分にできることはなんだろう。

23年前の僕はまだまだ幼かった。
当時は大学2年生。数日前の成人式には参加せず、授業は後期試験時期だった気がする。

震災の被害はテレビで知っていたけれど、関東にいる自分にはあまり関係のないことのように感じられた。被害の実感がなかった。
関西出身の知人から「知り合いが被害にあった」いう話を聞いて、少し自分事にはなったけれども、まだまだ当時は、その被害が身にしみて感じられなかった。もうすでに成人になろうとするのに、まだまだこどもだった。

翌年、僕は傷心旅行も兼ねて、神戸へ一人旅をした。神戸には小学一年生の時に行っていて、震災の状況を見てみたいと単純に思ったからだ。僕が訪れた時はすでに復興は始まっており、街の活気は普通に感じられたが、歩道橋に亀裂が入ったりしていて、震災の爪痕は感じられた。

今思っても、あの時の自分は、あまりにも幼かった。

東日本大震災の時はもっときちんと大人だった。だけれど、そういう災害を前にして、僕は自分の無力を強く感じる。こういう時にこそ尽力できる人でありたいと今は思う。

とにかく今は生きることだろう。生きるということを大切にしていく。それで終わり、ではない。だが、根底にはそういう思いでいる。具体的に何ができるかは、まだ見えない。でも、常にそれは考えていたい。

取り扱い注意

2000万円以上する楽器(ヴィオラ・ダ・ガンバ)を機内預けにしたところ、破損して戻ってきたことに持ち主の音楽家が怒りのSNSを投稿した、というニュースを朝のワイドショーでやっていた。ネットで調べる限りは、ニコニコニュース http://news.nicovideo.jp/watch/nw3206638 にしか記事の掲載がなくてあまり日本では話題になっていないようだ。

昨年、ヴァイオリンを弾く方々と一緒に飛行機に乗ったのだが、その時も機内持ち込みの手続きが様々あって、楽器を飛行機に載せるのって面倒だなー、と思ったものだ。ましてや大型の楽器となると、持ち運びの苦労を考えただけでも疲れてしまう。今回の楽器もどうしたって普通に機内持ち込みするのは不可能なサイズだもんな(ちなみにテレビではヴィオラ・ダ・ガンバの説明が雑だったけど、今回のはその中でも大きい種類のバスガンバでしたね)。

この出来事の見方は、音楽家側、航空会社側双方色々あるだろうけど、壊れた楽器の画像を見る限り「それにしても壊れすぎだろう!」という感想。
乱暴に扱った、というレベルではなく「プレス機にかけましたか?」という感じに。ケースの形状を見れば楽器とわかるのだから、あとあとのトラブルを考えたら、係員もちょっとぐらいは配慮するだろうから、おそらく荷物受取場に搬送する機械に引っかかって潰れてしまったのだろう。航空会社も超焦ったと思う。
その後の対応の不味さや、もう一席とるように言った言わないの応酬で泥仕合になっている模様だが、「すみません、機械に引っかかりまして。でも弁償は規定の金額しか出せません」では通用しないのかもしれない。

どんなモノでもいつかは壊れるのだ、という達観と、職業柄楽器を常に持っていないといけない音楽家への憐憫がないまぜになるニュースだった。

テノール大進撃

いつもお世話になっているヴァイオリニストの伊東佑樹さんが出るというので「テノールまみれのニューイヤーコンサート」に行ってきた。

昨年好評につき、今回はvol.2ということで、舞台にあがるのが歌い手も演奏家も全て男性という趣向。逆に観客は女性が多いのか、とも思ったが男女比としては他のクラシックコンサートと変わらない感じで、出演者達の客層の広さに期待が高まる。
ハーモニーは色々な音域があってこそ映える部分が大きいのて、「テノールのみ」という制約の中で、どれだけのことができるのかを考えるのはさぞかし難題だったと思うが、正統派のアリア独唱から、コスプレ合戦やモノマネという変化球まで、とにかくやれるだけのことやって観客を楽しませようという、その意気やよし。
主にクラシックを主戦場とする出演者たちのようだが、会場が一体となるグルーヴを作り出して、こちらも参加している気分が高まった。

同じテノールでも、それぞれ個性が違うというのも強く感じられたのも面白い発見だった。
隠岐速人さんは、リーダー格で愉快なMCとクラシック、ポピュラーともバランスのとれた歌唱力を発揮して、器用な人だな、という印象。
吉田連さんは、二期会期待のホープだけのことはあり、安定感と今後の伸びしろを感じさせた。
持木悠さんは、ポピュラー心を持ち、ミュージカルの舞台で活躍しているのが納得。
澤崎一了さんは、テノールとは思えない体格の良さだが、それをうまく活かした迫力の歌唱(アンコールで見せた、ロングトーンからの失神ボケは実力がないとできない)。
高柳圭さんは、歌詞の言葉が明瞭で聴きやすく、曲の途中から気持ちがどんどん乗っていくタイプに見えた。アリアだけでなく、オペラでの芝居が見たいと思った。

伴奏を務めた演奏家たちも、伴奏では歌手を載せる正確で歌いやすい演奏を、インストでのメインを張るときは、大胆で魅せる演奏をしていてプロの技を実感。伊東さんのソロを聴くのは久しぶりで2回目だったが、カッコ良かった。

男くささをマイルドにするためか、みんながそういうキャラクターなのか笑いを入れるシーンが多く、全体的に「コメディ要素」の強いコンサートだったが、新年の雰囲気にはもってこいの内容で、楽しい2時間だった。
来年の開催もすでに決まっているそうで、2019年1月4日の夜に行われるとのこと。お屠蘇気分で聴いたらより楽しめるように思えるので、テノールの声と愉快なステージが観たい方にオススメです。

脱スマホ依存

『退屈すれば脳はひらめく』という本を読んで(読みかけだけど)、スマホの使用時間を実際に調べてみようと思って「Moment」というアプリを入れてみた。これはスマホを立ち上げている時間を測ってくれるもので、さきほどの本にも載っていたアプリだ。
どのアプリをどれだけ使ったかは、わからないのだけど(有料版にすればわかるのかもしれないが、なにぶん英語オンリーなので不明です)、スマホにさわっていた時間はだいたいわかる。

で、僕の場合は休みの日は4時間ちょい、それ以外の日は1時間半~2時間、といったところ。平日については思ったよりも少なめな気がする。
昨年末までは某アプリゲームにハマっていたので、その時測ればもっと多かったろうが、今やっているのは「ポケモンGO」と「ねこあつめ」だけなのも、さほど使用時間に大きな影響はないようだ。
でも、休みの日の「4時間」は多いかもと思う。起きている時間を17時間と考えても4分の1近くをスマホに費やしていることになる。やっていることはネットサーフィン(この言葉は死語だろうか)か、ツイッター読んでるか、このブログの原稿書きか、なんだけど、たぶんネットサーフィンつまりはROMってる時間が多いのだろう。そう考えると、人生を無駄にしてる気がしてちょっとゾッとした。
こういうのは結局「クセ」だから、他のことに気を紛らわせれば徐々に使用時間を減らせるのだと思う。

そんなわけでスマホの時間を減らして、Switchでゲームする時間をつくっているのだが、果たしてそれは有意義なことなんだろうか。それが問題ではある。“より”楽しければそれはそれで良いと思いますが。

寒い夜だから

寒波が襲来していて、東京もじわじわと寒さがつのってきた。
新潟だと15時間も電車に閉じ込められたりしているので、それに比べればへいちゃらな寒さなんだろうけれど、それでも寒いものは寒い。
自分は、灯油仕様の暖房機器が禁止なところに住んでいるので、「直火」を使えない分、芯からあったまるということがなかなか難しい。

昔は家に灯油ストーブがあって、餅を焼いたり、やかんが置いてあったりした思い出があるが、最近の家庭は、せいぜい灯油ファンヒーターだろうから、そういう光景をみなくなってきているのかもしれない。若者の餅ばなれが心配だ(嘘)。
今の家は、エアコンがついているが、どうもエアコンの温風がもあっとして苦手なので電気ファンヒーターを導入した。ただ、電気ってそこまで暖かくはならないんですよね。頑張ってはいるけど。

で、今年は実家で使っていたオイルヒーターを譲り受けて使っている。実家にいる時は、これがスグレモノといっていいくらい、暖かかった気がするのだが、今の自分の部屋は6畳のくせになかなか暖まらない(そもそも部屋自体が寒いのかもしれない)。

なんでこんなことをつらつら書いたのか、というと、ネタもないし寒いと考えがまとまらないので、じゃあ寒いってことを書いてしまえ、っていうだけのことです。

まあ寒いので、みなさん、風邪に注意しましょうね。

スーパーマリオオデッセイプレイ記録 序盤編

「スーパーマリオオデッセイ」をちまちまと進めている。1日30分程度、まだ4日ぐらいのプレイなのでようやく3ワールド目だけど、安定した面白さがある。
「スーパーマリオブラザーズ」を、初めてプレイした時の感覚は、自分の入力に対して思った通りの反応をしてくれる楽しさだった。今作もその感覚は残っていて、あ、これはこうすればいいんだな、というこちらの入力に「正しく」反応してくれる。ちゃんと壊れるべきものは壊れ、敵を踏めばきちんとリアクションしてくれる(倒せるのか否かまでわかる)。アクションゲームの根本的な面白さだと思う。操作性が良いので、キャラクターが失敗するのも、自分のせいと納得できる。

とはいえ、スーパーマリオシリーズをするのはファミコンの「スーパーマリオ3」もしくはゲームボーイの「スーパーマリオランド」以来なので、「ウイッヒヒー!」とか「ウワァーオ!」とか言うマリオを実際に動かすのは初めて。完全に(間違った)イタリア系キャラがサマになってるね。ハイテンションでいい。ボスを倒してムーンをゲットした時のリアクションなんか、オーバー過ぎて笑う。ともあれ、まだ序盤も序盤だろうから、頑張ってオールクリアまでプレイしたい。

ところで、ボスクリアしてスタート位置に戻ったときにとるポーズが『シュガーラッシュ』(名作!)のフェリックスの決めポーズとほぼ同じなんだけど、これはどっちが先なの?パロディ返しなの?
もし後者だとしたら、すごい粋な計らいですが…さて。

昼寝の効用

一時期「3時間睡眠」の本を読んで感化されて、ショートスリーパーを目指したことがある。残念ながら5時間睡眠くらいまで削ったものの、最終的に挫折したけれど、その時に「足りない分の睡眠は昼寝でカバーする」ということが書いてあったので、平均睡眠時間が7時間に戻った今も、ときどき昼寝をする習慣がついてしまった(本末転倒)。睡眠時間が戻ったにも関わらず、ついつい昼に睡魔が襲ってくるようになってしまっているのはどうしたもんでしょうか。睡眠のリバウンドだろうかね。

昨晩はきちんと寝たはずなのに、今日は午前中から眠気が強かった。本格的に仕事が再開して1週間なので、疲れがたまってきているのかもしれない。なので昼休み時に昼寝をすることに。
内容は覚えていないが夢を3回くらい見た。なんとなくゼルダっぽかった気がする(まだSwitchのもスーファミのもゼルダやってないけれど)。
仕事途中の昼寝はなんだかんだと休憩時間を気にしてしまって、安眠とまではいかないが、昼寝のおかげか午後は比較的動けたので、きっと昼寝の効用はあるのだろう。ヨーロッパにはシエスタの習慣もあるし、実際に体に良いらしい。
と、しっかり昼寝したとしても、いつも通りの時間に眠くなっちゃうんだけどね。

声域なき社会進出

日本人女性の声は世界一高いという。https://courrier.jp/news/archives/109077/
ドイツで行われた調査のようだけど、その理由は体格が原因でもホルモンが原因でもなく、女性の社会進出の進み具合なんだそうだ。世界一女性の声が低いのはスカンジナビアで、男女平等が進んでいるとのこと。

にわかには信じがたい。

ようは甘える女性は声が高くて、政治家のように責任ある立場の女性は声が低いということらしい。なんとなく説得力がある感じはするが、それは「声の出し方」であって、実際の声域はまた違うんじゃないかと思う(安田大サーカスのクロちゃんが実際あの高さで地声を出すのではないように)。だいたい女性の声が低ければ、男女平等が進んでいるっていうのも暴論というか、それは必要十分条件を満たさないだろう。

音楽でいえば、調律の ピッチはA=440Hzから今や442Hzが主流になってきてるし、ヨーロッパでは444Hzもあるそうだ。このまま男女平等が進むと、ソプラノ受難の時代が来ると思ってしまう。

日本が男女平等の進んでいる国とは思わないが、声の高さうんぬんで社会進出しているかしていないかを決めてほしくはない。声低い人が社会的地位が高くて、高い人が地位が低い、みたいな見方もしたくない。ソプラノボイスの女性社長とか素敵じゃないですか(個人の見解です)。

成人の話

成人式には出なかった。

小学校から私立通いのため、地元に友達がいなかったのが一番の原因。あと早生まれなので、成人式の時点でまだ19歳で、なんだか一層「よそ様の行事」感があったのだろう。ただ、その年の成人の日には雪が降っていたように記憶している(あえて確かめませんが)。

成人年齢が18歳に引き下げられる、という法案が今年提出されるようで、ニュースでもそのあたりを取り上げていた。どのタイミングかわからないけれど、この法案が通って施行された時には、18歳から20歳までの全員が一気に成人になるわけで、その時の20歳の人の、後輩とタメになっちゃった感覚を思うと、ちょっといたたまれない。

社会に出てそこそこ経てば年齢の差などあまり関係なくなってくるが、18歳~20歳ぐらいって、年上年下にこだわる年齢層ではないだろうか。18歳なのに揃って成人になった場合の「年下なのに同学年」という状況にも似た、なんとも言えない感覚が20歳の人にはあるんじゃないか。2年のリードがあっさり奪われてしまうような。

とか考えてみたが、今の20歳以下の人たちはあまり「成人になる」って、そんなにたいそうなことだと思ってないのかもしれない。16歳でもしっかりしている人はいるし、25歳ぐらいになってもこどもみたいな人もいる。「成人」という制度は、あくまでも「目安」なのかもしれない。個人的にはしばらくは「20歳=成人」で良い気がするけど。

ともあれ、成人となった方々に幸多かれ!

時代劇ハシゴ観る

絶対に見よう!とまでの気はなかったけれど、放送に間に合ったので『西郷どん』を観た。鈴木亮平が気になるから。

鈴木亮平の出たドラマでまともに観たのは『天皇の料理番』の兄さん役と、あの『銭形警部』だけなのだが、その役の振れ幅と演技を見て「この人ならなんかやってくれる(っていうかいい意味で「やらかす」)」と思っているからだ。バラエティのロケで出た時に「手品が得意」と言ってて、試しに披露した手品が、出演者がひくほど高度な手品だったのも強く印象に残っている。この人マジな奴だ…と。

そんなわけで、「鈴木亮平ショー」を期待して観た『西郷どん』だったが、初回は子役が演じているイントロダクション的な回で少々残念。それよりも、風間杜夫、松坂慶子、平田満の並ぶ画ってすごいことだけど、元ネタわかる若い人いるの?とか、それを言ったら西田敏行のナレーションと鹿賀丈史の出演って『翔ぶが如く』のオマージュじゃねえか、と細かい部分が気になってしまった(つかみとしてはOKだろうけど)。

次回予告は「鈴木亮平ショー」の予感を感じさせたので来週に期待したい。

あと途中からだけど、ダラダラと『必殺仕事人』も観てしまった。これは藤田まことが過去映像と音声を駆使して復活する、と聞いていたから。

んー、この登場シーンはかなり苦しかった。東山紀之と話す2~3分のシーンで、ほぼ板の陰に隠れていて全身を見せないのは、まあ仕方ないのだが、それ以上に「セリフの会話が噛み合ってない」のが辛かった。目を合わせて喋る映像を使っているならまだしも、ほとんど隠れてたり、手だけだったりの映像だったので、声の似た人に喋りの芝居は任せたら良かったんじゃないかと思った。それだと故人に失礼かもしれないが、「藤田まこと」ではなく、「中村主水」を復活させるのだったら、そういうやり方を考えたほうがスッキリしたんだけどな。あ、ただしドラマ自体はなかなか面白かったです。

故人をアーカイブ復活させるという試みは、最初ブルース・リーで聞いた気がするが、あれから月日が経ち、技術が進歩してもこの程度なのか、と少々がっかりする出来映えだった(予算も関係してるだろうね)。少しオカルトじみた思考かもしれないが、故人が演じていたキャラクターがCGじゃなく、画面できちんと復活するのを単純に見てみたいし、それはその作品のファンなら夢のような企画だろう。映像関係の方々にはその方向もぜひ頑張っていただきたい。