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飛躍 「石神井Int’lオーケストラ 第6回定期演奏会」

石神井インターナショナルオーケストラ(石オケ)の定期演奏会に行った。

これで6回目となる演奏会だが、振り返ってみると、練馬区に所属する石オケなのに、これまでの定期演奏会を「ホームグラウンド」の練馬で行ったのは、これで2回目。第2回の演奏会以来だ。
場所は同じ練馬文化センターだが当時は小ホール。今回は大ホールでの公演で、それは堂々の凱旋公演と言えよう。

僕は本公演開演ギリギリで到着したのだが、空席が見当たらないほどの客入りで、1曲目の「ホルベルク組曲 OP.40」(E.グリーグ)は立ち見で聴くことになった。
このホルベルク組曲の第1楽章が本当に良かった。
広い舞台に劣らない音の厚みがあるのは、チェロ、コントラバスという低音弦の充実と共に、団員が舞台の大きさに臆さず堂々と演奏できていたからだろう。

第1楽章が終わったときに、拍手がおこった。
楽章間では拍手をしないのが約束事となっているが、おそらくそれをわかった上でも、拍手を送りたかった人が多くいたからだと思う。
ここで拍手をするのが、当然なぐらい素晴らしい、そしてこれから今日の演奏会への期待をさせる第1楽章だったからだ。

この曲は特に第1ヴァイオリンが素晴らしかった。
ピチカートの部分などは、音も揃っているし、弾く動作もそれぞれ少しずつ個性がありながらも姿が揃っていてとてもカッコよかった。

 

続いて、イリノイ大教授で、5弦ヴィオラの奏者ルドルフ・ハケン氏を迎えての「5弦ヴィオラの為の協奏曲」(ルドルフ・ハケン)。

この曲を理解して弾くのは大変だったろうと思う。
作曲者自らがソリストを務めるので、曲の世界観を教わることは可能だったはずだが、それを理解し、かつ共有するのでは話が変わってくる。
この曲はカントリーっぽいものからジャズっぽいところ、ハリウッド映画の劇伴のような部分など、アメリカ大衆娯楽の歴史を感じる楽しい曲ではあるが、その分、ひとつの曲としてまとまらせるには力の入れ具合、さじ加減、ソリストとの意思の疎通といったものを演奏中に行わなければならないのだ。
それでも、この曲の肝といえる「アメリカ的」な音楽性をきちんと感じさせられ、ソリストのハケン氏とオケの掛け合いのなどのコミカルな部分は聴くこちらも楽しい気分になった。

他の曲と違い、この曲はこの場で初めて聴く人ばかりだったはずだが、事前知識なしでも楽しめる曲だった。

 

休憩をはさんで、ジョン・ケージ「4分33秒」に入る前に、音楽監督の西谷国登さんによるクラシック音楽の歴史(バロックから現代曲まで)のミニレクチャーがあり、プロ奏者4人のアンサンブルも楽しめた。ホルベルク組曲の第5曲でも、安藤梨乃さんと手塚貴子さんのソロがあったように、「アマチュアオケの演奏を聴きにいって、プロの演奏も聴ける」というのは、石オケの強みだと改めて思う。

さて、「4分33秒」。
3楽章全てが休符、つまり無音で演奏される(と言っていいのだろうか)この前衛的な曲は、人の数だけ解釈がある。初めて聴く僕が感じたことは、演奏者にとっての休符とは、己を見つめる時間なのではないか、ということだ。
聴衆を前にしているのに無音、というのは演奏者にとっては恐怖だろうし、ましてや楽器を手にしているのだ。それなのに、曲が始まっても休み続けるという行為はかなりの苦行である。
指揮者も当然、指揮をしたくなるだろうし、演奏者は音を出したくなるだろう。その衝動と戦う葛藤が舞台から感じられた。それは3楽章制であるこの曲の楽章間の「休み」と、演奏中の「休み」が目に見えて違うのがわかったからだ。
演奏者にとっては弾く以上に休むほうが疲労を覚えるのではないかと思うし、弾きたいという欲求を抑え込めるギリギリのラインがこの“4分33秒”という時間なのかもしれない。
その点で、この曲を傑作ととらえるか駄作ととらえるか、考え方が変わってくるのだろう。いずれにせよ(5弦ヴィオラを組み込んだ4分33秒としても)この演奏に立ち会えたことは貴重な経験となった。

 

最後の曲は、チャイコフスキーの「弦楽セレナード ハ長調 OP.48」。
印象的なフレーズ(「オー人事」のアレだ)がいくつも折り重なる壮大な第1楽章に始まり、華やかな第2楽章につながる。後半にいけばいくほど、しっかり弾かないとダレてくる曲で、普段このオケのトップで演奏しているプロ演奏家たちが最後列にまわるという配列で演奏された分、団員は他の曲以上にプレッシャーや不安があっただろう。
第4楽章で、低音部(チェロ、コントラバス)がフレーズを主導する部分があるのだが、最初はその不安さが音に乗ってしまったのがわかった。しかし、その直後のフレーズで他の3パート(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ)がしっかり支えたことで、立て直し、2度目以降の同フレーズはぐんと良くなった。いつもであれば支えてくれている低音部へのエールのように感じられ、こうやって曲の中でオケ同士が励まし合い、支え合う姿に感動したし、プロを後ろに控えさせながらも、そういうフォローができることに成長を感じた。

 

そしてアンコールはS.バーバーの「弦楽のためのアダージョ」だが、この曲は今までのアンケートの中で、「弾いてほしい曲」で最もリクエストの多い曲だったそうだ。
今回の演奏は、そのアンケート回答に応えたことになる。

 

「応えること」。

それが市民オケの役割だと思う。

今回多くの客席が埋まったのは、石オケが「みどりの風 区民コンサート」や「練馬ユニバーサルコンサート」など、要望に応えて、地元に密着する舞台で演奏する市民オケとしての道を確実に歩んできたことの証だろう。

石オケの団員が地元の人から愛され、同じ舞台にあがることが音楽愛好家の憧れとなり、聴衆の期待に応える存在になる。

その価値が今のこのオケには十分ある。
舞台にあがるメンバーも観客も顔見知りの多い、いわゆる“おらが”オーケストラから、広く音楽好きの地元人たちから支持される“市民のオーケストラ”として受け入れられたのを感じて、僕は終演後、しばらく動けなかったほどだ。
昨年「市民オーケストラ」のスタートラインにたったばかりに思われた石オケが、1年でここまで辿り着いたことに、正直驚きを感じている。
それは初期から応援してきた自分にとって嬉しく誇らしい反面、自分の知っているオーケストラが手元から離れてしまったような、一抹の寂しさもある。

ただ、これから高いレベルで、そしてより大きな様々な舞台で演奏をし、多くの人から受け入れられるためには、通らなければいけない道でもあるのだろう。

来年の演奏会は再び練馬を離れ、杉並公会堂大ホールが舞台となるそうだ(2020年6月20日)。団員の方々には、今回の地元公演を踏まえ、「練馬区に石神井インターナショナルオーケストラあり」という姿を、他の地域の音楽ファンに届けるチャンスと捉えてほしい。そして聴衆の方々はその日をぜひ楽しみに待っていてほしい。

より多くの人に、石神井Int’lオーケストラの音楽が届くことを願っている。

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』

『マーティン・フリーマンのスクール・オブ・ミュージカル』を見た。

タイトルからして、マーティン・フリーマンが『SHERLOCK』で有名になった後、日本でDVD化したパターンだろう。
現題は『Nativity!』でクリスマスのキリスト生誕の演劇を題材に、教師と生徒の交流を描く“典型的な”ファミリー向けコメディ。イギリスでは好評だったらしく『3』まで作られている(マーティン・フリーマンは『1』にしか出ていない)。
それなりに楽しく観れて大団円、といった王道さは、安心して見ていられた。

マーティン・フリーマンは、こういう、ちょっと“こじらせた”大人の役がよく似合う。そして上手い。
冷めた目で世間と距離を置き、皮肉を言いながらテキトーに過ごすが、何か(誰か)に巻き込まれたときに、イヤイヤながらもそれに付き合い、なんだかんだで期待以上に成果を上げる、という感じ。この映画の教師役しかり、『SHERLOCK』のワトソンしかり、『ブラック・パンサー』のエヴェレット・ロスしかり(考えたら『ホビット』のビルボもそんな感じじゃない?)。

なんというか、しれっとしながら「ここぞというときに頼りになる」キャラクターが多い。そして上手い。
その姿を見て、イギリス人って厄介だなーと思いつつ、その「愛すべき厄介さ」(僕はこれ「男の可愛げ」だと思うんだけれど、女性にはあんまり同意してもらえない気がする)を体現できる俳優なんだと思う。好きなタイプの役者さん。

とか書きつつも、そんなに彼の出ている作品を見ていないのだけれど(『SHERLOCK』はケーブルテレビでしょっちゅうやってるイメージの「ピンク色の研究」をいつも斜め見する程度だし)。今さらながら、追いかけていきたいと思う。

健診の日

待ちに待った(嘘)健康診断だった。

健診にあたって、色々持参しなければいけないのだが、朝から自分の排泄物を記録する行為というのは、考えてみるとシュールな光景だ。
しかも検査に備えて飲まず食わずの状態で、というのが「管理されてるディストピア感」を高める。「低予算のフランスSF映画っぽい」とか思いながら出したものと向きあう自分。
こういうわけのわからない思考になるほどに、きっと腹が減っていたのだろう。

さて、そうして臨んだ今回の検診は?

身長が1.2cm伸びた(昨年比)。
あれは測り方次第でプラスマイナス3cmぐらいはどうにでもなる気がする。もういい大人なんだし、成長の記録なんだから少し上振れしておいてもらえたら嬉しいが、よくよく考えるとそういう個人を喜ばす数値を出していると、いつのまにか健康を害している可能性もあるから、健康管理に影響があるよな。
どんな数値であれ、数値というものは厳密に出すべきなのかもしれない(他意はない)。

採血をしたのはベテランっぽい看護師さんだったが、注射針を刺すポイントが的確すぎて痛かった。
ヘッドショット率が高そうな、FPSで敵に回したくないタイプ(冗談も通じなさそうだった。美人だったが)。

それから毎度緊張する胃のレントゲン前のバリウムの儀(っていうか発泡剤の儀)もなんとかこなした。
でも、なんでアレ、ゲップしちゃいけないんですかね。幸い、一度も失敗したことはないのだけれど、そのたびにとても緊張する(ゲップしちゃいけない理由は胃が萎むかららしい)。

そんな感じで無事検査自体は終了。
結果が良いか悪いかで、その評価は変わるけれども、健診が終わった今は、自由に好きなものを食べられるし、好きなだけ飲めるし、といった自由を謳歌できるので、それはそれで嬉しい。
こう、支配社会を脱出してきた気になる(朝のディストピアを引きずっている)。

そう言いつつも、節制は大事だよね。
年1回とはいえ、こういう自分の体調を見つめ直す機会があるのは良いことなのだろう。
あとは結果が良いことを祈って待つ。

Meは何しに羽田まで?

友人の付き添いで、来日する外国人の方を羽田空港まで迎えに行った。

付き添いと言うよりも、ただ“付き合った”だけで何の役にも立たずに申し訳ない。
もっと言えば、羽田の国際線ターミナルに行ったことがなかったので「見学に連れていってもらった」というのが正しい表現だ。

で、国際線ターミナル。
成田よりは小ぶりだが、「和」をイメージしたつくりで斬新。
お店もどこもが時代劇にでてくるようなつくりになっていて、外国人客が楽しめそう(いや、僕もワクワクしたけど)。

空港内にある「にほんばし」

夕飯は友人オススメの「かつ仙」という店でいただく。

ひれかつとエビフライ膳

とても美味しかった。ただ、エビフライは“良い素材”すぎて、僕の好きな「ハンバークやカツの“付け合わせ”ででてくる」エビフライではなかった(贅沢を言っているな)。でも美味しい。普段いかに“ちゃんとした”カツを食べてなかったかを実感。

その後、来日した方とは無事会えたが、僕は本当に何もすることがなく(できることがなく)、なんというか“賑やかし”ですみませんという思いがある。
まあ“賑やかし”もたまには必要だろうと思うことにする。

で、今回は行けなかったけど、プラネタリウムもあったし、ボーッと飛行機を見る時間もなかなか良かった。

羽田展望デッキより

休みの日に、1日がかりで遊びに来てみようかなとも思った。
でも、旅行客の人たちを見てると、自分もどこか行きたくなるのも事実。
とりあえず旅行計画だけでも立てたい。

趣味的な

ダラダラと起きた。

休みだけれど、夕方から予定が入っているので、午前中にジムへ行った。
出だしが遅れたので、軽いワークアウトで終了。
あさってはいよいよ健康診断だから、少しでも健康体にしておこうという思いだ。
こういう「偉い人が来るから今日は笑顔で挨拶するように」みたいな付け焼き刃的な対応はいかがなものか、と思いつつ、それでもやらないよりはマシだろう。

その後、ブックオフで本を3冊買い、マクドナルドで昼食を買って帰ってきて、このブログを書いているわけだ。
先日、「趣味がない」的なことを書いたわけだが、ジムでワークアウトして(行こうか行くまいかすごい葛藤があったが)、ブックオフで本物色して、思い起こせば途中で「ポケモンGO」のレイドバトルして、そんでもってブログ書いている、というのもまあ「趣味」って言っていい気がする。
“趣味を満喫=リア充”というわけではない、ということだ。

そうして、このブログを10分で書き終える。
これもまた付け焼き刃だが「あー、忙しくて、時間なくて、更新できなかったー!」となるよりは良しとしましょう。

そして5月もあと2日で終わる。光陰矢の如し。
6月は本格的に頑張る(言ってみただけの気もする)。

リビルド

ホームページをリニューアル工事する。

本当は、半年前には始めなければならなかったのだが、諸々の事情により(8割は「やる気がでない」という理由)先延ばしにしてしまっていた。
でも、いつまでもタイトルに(仮)つけてる場合じゃない。
『ガールフレンド(仮)』かよ、っていう(そういうゲームがあった。やったことないけど)。
ましてや僕のホームページに“萌え”要素があるわけでもない(そこ共通点じゃないだろう)。

さて、リニューアル工事にあたって、ブログをしばらくお休みしようかとも思ったが、ブログを続けようが続けまいが、完成する時期は差はないし(だって、工事って言っても、文章書き直したりリンク貼ったりするだけの簡単なお仕事だもの)、それはブログネタからの“逃避”に過ぎないので、ブログはこんな調子ですが続けます。

このホームページはWordpressで作られているのだが、とっつきはいいものの「素敵なホームページ」を作ろうとすると、なかなか骨が折れる。どこからどう手をつけていいか、わからないのだ。
その一方で、僕は「素敵なホームページ」を作ることを硬く考えているのだなーとも思う。『マインクラフト』とか『ドラゴンクエストビルダーズ』みたいな「パーツを集めて世界を創ろう!」という感じで楽しみながらやればいいのだ。
Wordpressにそういったチュートリアル機能があると嬉しいのだが(贅沢)。

とはいえ、一応、参考書的な本を買っているので、読みながらチマチマ進めます。参考本が読み解けなくて、遅々として進まないにせよ、サグラダ・ファミリアよりは工事進捗早いと思う。
6月末には「素敵」とまで言わなくとも、せめて「(仮)」が取れるような目標で頑張ります。

1ヵ月ぶりのワークアウト

5月は全然ワークアウトしていなかった。

「忙しくてできなかった」
と言いたいところだが、行こうと思いながらも何度か挫けた日もあるので「していなかった」が正しいのだろう。
実を言えば、今日もジムへ行く前の予定が延びたので挫けそうになったのだけれど、前回行ったのが4月の23日と、もう1ヵ月以上もワークアウトしていないのはマズい、今週末は健康診断だし、という思いが勝ってなんとか行けた(ギリギリの戦いだな)。

そんなわけで、久々にマシントレや、ラン&ウォークしてきた。
マシンの重りを少し軽くしようかと考えたけれど、そのままやってみても、意外と苦ではなかった。そういうところは、身体がまだ対応しているのかもしれない(ランの時間はちょっと短めにした)。
体重も、ひと月運動らしい運動をしていなかったにしては増えていなかったので、少しホッとしたりもした(健診までの目標値にはおそらく届かないだろうけどね)。

ブランクがあるとジムを遠ざけちゃうというのは、結局、ワークアウトが「苦行」だと思っているからなんだろうなー、それを「楽しい」と思えるように思考を変えたい。
実際、行ってみてしまえば、対応できるということもわかった。
そういう点から、ワークアウト以外でも、遠ざけてしまっていることをちょっとずつ復帰してみようかとも思ったりもする(雑なポジティブ加減)。

とりあえずもう一度きっちり部屋を片付けようかね(それ遠ざけてるのかよっていう)。

前向きに

結局、最後はポジティブでいることだと思う。

いや、そういう気分でいつもいられるわけではないし、落ち込んだりイライラしたりすることはしょっちゅうだ。
それが人生だ(デカく出た)。

でも、最終的には「まあしょうがないか」で乗り切ることができる人が、人生なんとか楽しく過ごせるのではないかな、と思っている。
自分がこれまで(だって考えてみれば去年もそうだったんだぜ!)心が折れそうな時は、家族、友人の励ましと、そしてなにより自分が予想以上に“楽観主義”だったから乗り切ってこれたのだ。
周りが励ましても、自分が“楽観主義”でなければ立ち直れるものも立ち直れない。

周りを巻き込む過剰なポジティブさ(「元気の押し売り」的なの)はちょっと厄介だけれど、それでもネガティブなよりは良いのだろうと思う。

週の初めの今日だけれども、顔をあげて生きていこう。

とか、突然「自己啓発」的なブログを書いてますが、今日も通常運転です。
たまにはこういうのも書いておいてもいいだろう(っていうぐらいネタがないのだ)。

とにかく一週間、お互いに頑張りましょう!

ストック

最近、寝不足気味。

それでも今日は比較的、仕事をこなせたように思う。
調べ物とか、企画立てとか、そういうデスクワークが多くて、ついウトウトしがちだったけれど、予定していたものは終わらせられた。
昼休み、睡魔に襲われて、社食で夢みるほど寝たけどね。

そんなわけで、今日こそ早く寝て、睡眠をたくさんとろうとか思っているのに、ブログネタが見つからず、もう23時近くになっているのだ(いや、理由はそれだけじゃないが)。本当にネタがない。

強いてあげれば、『ザ・カンニング』の続編『ザ・カンニング アルバイト情報』を観た。
これはもう、前作のキャラは使っているけど「カンニング」関係ないし、もっといえばサブタイトルになっている「アルバイト」もほぼ関係ない。
また、映画のテイストが極端に変わっていて、これなら別に『ザ・カンニング』のキャラクター使わなくて良かったんじゃない?という出来。普通の(?)おバカラブコメだった。

こんなふうに、録り溜めた映画がけっこうあるのだが、本当に観たかった映画か、と問われると疑問。でも、なんでこんなの録ったんだろう、とまでは思わない。溜まっている本もそう。
ちょっとずつ、映画も本も消化していこう。

今日のところは、もう寝るけれどね。

肩書き

自分の肩書きってなんだろうと思う。

いや本当のところは「会社員」でいいんだろうけど、それは、アンケートとかで職業を問われた時に回答だ。
このブログの僕のプロフィールでは、
ライター(執筆・校正)、作詞・作曲、歌手、シンガソングライター、イベント&ワークショップコーディネーター、司会・進行、手相研究家
とか言っている。もう、なんか虚業の塊みたいな感じだ。

以前、とある文化人の方の名刺を見せていただいたことがある。
そこには、その方の名前だけがしっかりと書かれていた。
つまり、名のある方は肩書きなどいらないのだ。「名前=肩書き」という状態(そういう人に私はなりたい)。
とはいえ、今の自分の、というか「高野ザンク」としての肩書きってなんだろうと思った。

ブロガー?
いや、それはなんかアフェリエイトとかステマとかで稼いでいたり、キラキラポジティブな自己啓発メッセージを書いてバズっていたりするブログを書いている人にのみ名乗れる特権みたいなもののような気がする(偏見)。

そう考えると、無難なのは「ライター」なように思う。
もちろん文筆業で糧を得ている方にとっては、僕のような“ただ”毎日ブログを更新しているだけの輩が「ライター」などと名乗ることに物言いをつけたいだろうけれど、なんというか、こういう文筆業って「小説家」も含めて、“言ったもん勝ち”のような感じがするし、また、そう名乗ることによって、実際に文筆業で糧を得られるようになることがあるんじゃないか、と。
そういうマジックワードなんじゃないか、と思うのだ(こじつけ)。

そんなわけで、しばらく、高野ザンクは「ライター」を名乗っていこうと思う。
なんで肩書きが必要になったのか、というと、友人でヴァイオリニスト・指揮者の西谷国登さんのポッドキャストに、MC(っていうの?)として参加することになり、そこで肩書きが必要になったからだ。

KunitoのPodcast!(公式)
https://nkunito.com/podcast/

まだローカルな話題が多いのですが、良かったら、ネットサーフィンしながらでも聴いてみてください。
以上、“ライター”の高野ザンクでした!(慣れない)