今日は午後から出社なので、昨日は午前様(って言葉を今でも使うのだろうか)でも負担は少ない。
午前中を有意義に使おうと常々思うけれど、出社時間を気にするせいか、やることにいまいち身が入らないのは甘えかワーカホリックか。
でも洗濯はした。
晴れているから。
そして暑い。関東は梅雨明けしてるのだろうか?
この暑さの中、出社するなんて気が滅入るが、まあ今日のところは頑張ろう。
そうやって、一日一日ちょっとずつ頑張って今は過ごそうと思う。
今日は午後から出社なので、昨日は午前様(って言葉を今でも使うのだろうか)でも負担は少ない。
午前中を有意義に使おうと常々思うけれど、出社時間を気にするせいか、やることにいまいち身が入らないのは甘えかワーカホリックか。
でも洗濯はした。
晴れているから。
そして暑い。関東は梅雨明けしてるのだろうか?
この暑さの中、出社するなんて気が滅入るが、まあ今日のところは頑張ろう。
そうやって、一日一日ちょっとずつ頑張って今は過ごそうと思う。
まさか月曜から飲んでカラオケ行ってまだ帰らないなんて!
それもまたよし!
銀座山野楽器で行われた「楽器は、健康寿命を延ばす!」という講演&コンサートに行ってきた。
これはピアニストの蔵島由貴さんの著書「生涯健康脳をつくる!ゆび1本からのピアノ」というピアノ教本の刊行記念イベントで、この本を企画した方と仕事上のつき合いもあるのだけれど、なにより今、僕がこの教本でピアノの練習をしているので、いち読者として楽しみにして参加した。
この教本は、数々のクラシックの名曲が左右1本ずつで弾ける練習曲になっていて(後半5本指の曲もあります)、しかもちゃんと原曲のエッセンスを活かしたアレンジがされているので、練習していてとても楽しい。
あと、僕のようにクラシックの曲が流れた時に「聴いたことあるけれど曲名がわからない」という人間には、曲を覚えるのにも役立つ。
僕は20年近く前に、保育士免許を取るためにバイエルを習っていて、免許取得後も2年ぐらいポピュラー曲を先生に習って練習していたのだけれど、家でピアノ(キーボード)を弾く機会がなくなってからは全くピアノに縁遠くなってしまっていた。
でも、ずっとピアノで弾き語りをしたいと思っていたし、とあるピアニストの方から「曲をつくるなら鍵盤楽器はできたほうがいい」とも言われていたので、今年電子ピアノ(ちゃんと88鍵あるやつだ)を買って、この教本で再チャレンジを始めたのだ。
「生涯健康脳」というタイトルから、どちらかというとシニア向けに作られたものなのだろうけれど、とにかく何か知っている曲が弾きたい、という人にもオススメしたい教本だ。
さて、そして今日のイベント。
3部構成の第1部。まずは教本を監修した東北大学の瀧靖之教授が、いかに趣味を持つことが脳の寿命を長くするのに良いか、ということを講演。楽器演奏者は脳年齢が若いということをエビデンスを交えて、説得力のあるお話しをされる。語り口が柔らかく、またご自身がピアノ愛好家ということで、音楽愛を感じる講演だった。
そして、第2部では、瀧教授と蔵島さんが、ピアノの楽しさや楽器演奏の脳への良い影響などを語った。
そのときに蔵島さんが語った「ゆび1本で弾く練習は、プロが初心に戻りたい時にする練習でもある」という話が印象に残った。
普段5本で弾いているものを1本にすることで、曲へのアプローチをシンプルにする。そうすることで、曲に対して自分の飾らない個性が出てくるとのこと。
ピアニストにとっては、5本で弾くよりも1本指で弾くほうが弾きにくい場面は多々でてくるが、1本指でも「歌うように弾くこと」を意識して弾くというエピソードにプロのストイックさを感じた。
休憩をはさみ、第3部は蔵島さんによるミニコンサート。
ショパンの「幻想即興曲」などを解説を交えながら演奏。その高い技術もさることながら、1音1音に魂を込めるように弾く姿に惹かれたし、それでいて表現が大袈裟になるわけではなく、むしろ各曲の世界観をきちんと表現していて聴き応えがあった。
会場がイベントスペースだったため、音響で苦労しただろうが、それを補ってあまりある演奏と、音楽に真摯に向かう姿勢が見られてとても良かった。大きいホールで演奏を聴いてみたいピアニストだ。
本のテーマでもある「ピアノを演奏することは楽しい」というメッセージが伝わり、1時間40分ぐらいの長丁場が、あっという間に感じられた素敵なイベントだった。
最近サボり気味だったので、心を入れ直してまたピアノ練習を再開しようと思う。
脳のためにもね。
そんなわけで東京ディズニーシーに行ってきた。
数ヶ月前、友人たちとご飯を食べながら「タワー・オブ・テラーに乗りたい!」と宣言したところ、その場で行く日が決まって、そしてあれよあれよと本番当日(それが昨日だ)を迎えたのだった。
コースターは大好きだけれど、フリーフォール系のアトラクションは好きではない。むしろ高所恐怖症なので苦手なはずなのだが、タワー・オブ・テラーだけは「乗ってみたい」という思いがずっとあった。なんと13年越しに。
僕が前回ディズニーシーへ行ったのは13年前。
その時、タワー・オブ・テラーはまだ建設中で、ディズニーリゾートラインから見たその光景がなんだか特別に思えたのかもしれない。それと、1回転するコースターが苦手だった当時の彼女が、レイジングスピリッツなら大丈夫と言って2回も乗っていたように、フリーフォールが苦手な僕でもディズニーのアトラクションなら、そんなに怖くないだろう、とフリーフォールデビューをするのにちょうど良いという考えもあったのかもしれない(建物の中だから、高さをさほど感じないというのもある)。
で、念願のタワー・オブ・テラーに朝イチで乗る。
想像していたのと落下パターンが違って面白かった。ただ上がって落ちる、というのではなく、ちょっとずつストーリーを入れながら、あおりつつ最高点に到達するという演出もディズニーっぽくて、雰囲気づくりがうまいなと思った。
あと、怖い演出が始まった途端に同乗していた若者たちが悲鳴をあげたりして、“あえて自分から恐怖を楽しみにいく”姿勢で楽しむアトラクションなのか、とその楽しみ方も面白かったりした。
想像以上に楽しかった。そして長年の願いが叶って、ちょっと心の澱がとれた気もした。
さて、今回は僕のワガママにつきあってもらうので、一緒に行ってくれる人たちに粗相があってはいけないと、この日に備えて事前にきちんと「分刻み」の計画を立てて行った。
ディズニーリゾートだけではなくテーマパークに行くのに、ルート計画をたてたことは今までないのだが、これがなかなか楽しい作業だった。
「ポケット版 東京ディズニーランド&シー 裏技ガイド」という本を参考にしたのだけれど、この本には混雑状況ごとのアトラクション予想待ち時間だけでなく、取る時間によって、そのファストパスが何時台のものになるかという予想まで載っていて、とても役にたった。
今回、今までで一番ディズニーリゾートを満喫できたと思うが、それはこの本のおかげといっても過言ではない(実際のルートはかなりアレンジしたけれど、この本なしではベースができなかった)。
当日の朝、乗る予定をしていた「センター・オブ・ジ・アース」が休止になっていることを知り、入園して最初の行程がそのFPを取りに行くはずだったので、いきなりつまづいた形になったものの、行動の軸ができていたので、わりと簡単に修正ができた(かわりに「ニモ&フレンズ」に乗ったが、これに出てきたラッコが可愛くて思わずグッズを買ってしまったほど)。ディズニーシーといえども、計画って大事だ(恋人と行くときはあまり細かすぎると、かえってダメかもしれないけれど)。
あとメンバーのチームワーク。予定変更、順番違いが色々あったのだけれど、きちんと合わせてくれる友人たちでありがたかった。「誰と行くか」というのも楽しむためには大事な要素だ(というか、それが全てかもしれない)。
13年ぶりにディズニーシーに行って強く思ったのは、ここではこどもから大人まで、みんな楽しそうな顔をしていて、それから普段よりちょっと親切な感じもするということ。気持ちが明るくなるとひとにも優しくなれるということなのかもしれない。
そうさせる理由のひとつは、園内全体が、お客さんを楽しませようと、ありとあらゆるところまで気が利いているというところだと思う。園内にいる間、少なくとも僕は、普段悩んでいることがすっかり頭から抜けていた。
まさに浮世を忘れる別天地だ。
かといって帰る時には、東京ミッドタウンで感じたような「帰りたくない感」は不思議となかった。だけど、他のどこへでかけた時よりも「明日から頑張ろう」という気持ちを強く持った。
そう思わせられた秘密はまだ僕にはわからないが、東京ディズニーリゾートが多くの人に支持される理由はそこにあるのだろう。
そして一夜明けた今日。
仕事をしながら「どうして楽しいことだけで生きていけないのか。」そんな哲学的なことまで考えたりした。
恐るべしディズニーリゾート。でも楽しかった。サンキュー。
これ乗りに来たで。
今月最初のほうで休日出勤をしたかわりに、今週は1勤1休みたいな感じになっているのだけれど、集中して仕事するとなると週4勤務ぐらいがちょうどいいような気がしている。
で、今日一日頑張って働いて、明日休みをとったのだが、明日は13年ぶりにとある場所に行くのだ。
ヒントはここ1週間のブログにあるようなないような。
そんなわけで明日に備えて寝ます。
ワールドカップで日本がコロンビアに勝った。
オリンピックもそうだったけれど、なんだかんだ「勝つ」ということは盛り上がる一番の要素なのだなーと思う。
僕はこの試合をダイジェストでしか観てないので、日本代表が強かったのか、良い試合だったのかを書ける要素は何もないが、監督解任した時からの期待値の低さをひっくり返す衝撃があったのは確かだろう。
次のセネガル戦は観てみよう。
で、なんだかんだで応援しよう。
午後出勤なので、昨日ニュース速報に気づかなかった件もあり、テレビをちらちらとつけたりしていた。
ちょうどワイドショーの時間のせいか、次から次へと問題、というかあまり聞きたくないような話題が続く。
あまりハッピーな話題がでてこないのだ。
もちろん、昨日、大きな地震があったのだから、それについてはしかたがないと思う。それにしても、他の話題も含め全体的なトーンが、非難だったり、批判だったり、責任逃れだったり、うやむやなことだったり、疑惑だったりして、観ていて疲れてしまう。
ああ、そうか。だからテレビ観ないようにしたんだ。と改めて気づく。
もちろんこれは時間帯によるものが大きいのだろう。
楽しいドラマだったり、良質のドキュメンタリーだったり、そういう面白い番組もたくさんあるのだと思う。
ただ、出勤前にこういう話題を観て、ネガティブな感情で仕事に行くのは嫌だな、と思ってスイッチを切った。
これは、僕の気の持ちようかもしれないけれど。
朝、テレビを観なくなってからずいぶん経つ。
なので、今日、大阪で地震があったことを知ったのは発生から約20分後の8時20分頃。日経新聞のアプリ通知ではじめて知った。
あわててテレビをつけると、どこも速報を報じていて、やっぱり大変な地震だったのだとわかる。
普段テレビを観なくても、とくに困ったりはしなかったけれど、今回ばかりはかなり焦った。速報に気づかなかったことで、自分だけが世間から切り離されているというか、遅れをとっているような感覚。
ネットがあるから大丈夫、と思っていたけれど、テレビもまだまだ必要なメディアなのだと痛感。
ようはバランスなんだろう。
そのあたりを今後は上手く活用していきたい。
ららぽーと富士見に行った。
郊外型のショッピングモールらしい作りで、通路が広くて買い物がしやすく、ファミリー層が多かった。
欠点はフロア移動するためのエスカレーター、エレベーターの配置がいまひとつなことだが、この手のモールにはめずらしく、フードコートの質が高かった。
こういうモールが車で行ける距離にあるのはありがたいと思う。
さて、ららぽーとの感想はそんなところで、今日の本題はそこではない。
そのららぽーと富士見で「ブルーノ・マーズの曲をアレンジした環境音楽」がずっとかかっていたのだ。
いや、ずっと、というのは語弊があるかもしれないが、僕が確認できただけで「Just The Way You Are」、「Grenade」、「The Lazy Song」が(「Liquor Store Blues」もあった気がする)、さらには「Uptown Funk」までかかっていた。
そして全てカバー。
ブルーノ・マーズに限った話ではなくて、ビートルズやビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソンといった有名な洋楽の環境音楽(たいていはアコースティック)アレンジが店でかかることは多いが、どちらかというと、こういうのは“揶揄される”楽曲なのだと思う。
それはモノマネでもなく、誰が歌っているか、誰がアレンジしたか(インストの場合も多数)などに言及されることもない。原曲よりも「良い」わけでもなく、なぜアレンジしてまで流しているだろうか、と不思議に思っていた。
でも今日、ブルーノ・マーズの曲のアレンジを聴いたら、原曲をそのまま流すと強すぎてショッピングのBGMには合わないのだ、と改めて気づいた。
それに、知ってる曲だしメロディラインは心地よいし、オリジナルの環境音楽を流されるより耳馴染みがいいのだ、ということにも気づいたのだ。
これまで、こういう“謎アレンジ”(とあえて言ってみる)って、作る意味があるのか?とまで思っていたのが、「ああ、これはこれでアリなのかもね」と納得してしまった。
それはブルーノ・マーズの力なのか、アレンジャーの力なのか、はたまたショッピングモールで買い物というTPOの力なのか(多分全部ひっくるめてだろうけれど)、音楽と環境の関係を考えさせられる、興味深い経験になった。
でも、このアレンジの方で曲を覚えて、原曲を聴いた人はどういう感想を持つのだろうか。経験のある人に聴いてみたい。
ところで、僕は20歳のときに、ちょっとした検査で手術を受けたことがある。
頸部から組織を取って検査したのだけれど(結果は良好でした)、その時は部分麻酔だったので、手術中の音はちゃんと聴こえていた。
で、その時かかっていたBGMで良く覚えているのは、チャゲ&飛鳥の「SAYYES」の外国人カバーバージョン。
なぜ手術中に、しかもなぜカバーバージョンがかかったのか。
僕はずっと手術を受けながらそのことばかり考えてしまっていた(だから手術に関する記憶はそれ以外抜け落ちている)。
手術中に「SAYYES」のカバー。
あれだけはいまだに謎だ。