西谷国登&新納洋介 デュオ・リサイタル

ヴァイオリニスト 西谷 国登とピアニスト 新納 洋介のデュオ・リサイタルが開催された。(at ヤマハ銀座コンサートサロン)

前回の西谷さんのリサイタルでは、新納さんのピアノは伴奏という役割が強かったが、今回のコンサートの趣向はピアノのソロ曲とヴァイオリンのソロ曲を揃えて、交互にソロを弾く、という、いわばダブル主演という形をとるということ。
ヴァイオリンもピアノも楽しめるのは贅沢だが、演奏者(とくにピアニスト)にとっては気の抜けない構成と言える。

1曲目の ファリャ作曲/クライスラー編曲 歌劇「はかなき人生」よりスペイン舞曲 は、ヴァイオリンのテクニックが詰まった曲で、西谷さんの手元の動きと、そこから奏でられる音を聴くことで、ヴァイオリンを弾けない僕にでも「すごいことやってるなー」というのがわかる。舞台が室内楽サイズのため、技術が間近で見え、よりその凄さが感じられた(このあたりは選曲の妙だ)。

続いてピアノのソロ。
次のヴァイオリンソナタへつなぐ意味もあってか、 グリーグ作曲「トロルドハウゲンの婚礼の日」op.65-6 を演奏。
新納さんのピアノソロを初めて聴いたのだが、ヴァイオリンリサイタルで感じた、ていねいさの中に遊び心のある演奏はそのままに、さらに男性ピアニストらしい大胆さと音の厚みがあって、ピアノの性能を120%ひきだすような演奏だった。

そして前半の最後は グリーグ作曲 ヴァイオリンソナタ第3番ハ短調op.45。

今回のコンサートが“ダブル主演”であることを意識したのか、たとえヴァイオリン・ソナタであっても、新納さんが前に出るというか、主張の強い演奏をしているように感じた。
それは「室内楽」というサイズならではなのかもしれないが、ヴァイオリンリサイタルのように裏方に徹して支えるというだけでなく、時には競いながら、時には寄り添いながらといった、ヴァイオリンとピアノの攻防のような印象をもった。
西谷さんも時にそれを受け止め、時にピアノを引き出し、なおもヴァイオリンの音色と混ざり合わせ、曲を昇華させていく。

二人のコンビネーションが2回のリサイタルと2枚のCDで結実してきたからか、あるいは室内楽的な場だからか、ともすれば、ヴァイオリンソナタという形式では「伴奏」として没個性となってしまうピアノ演奏を、新納さんは、ピアニストにしかわからないマニアックな魅力だけでなく、ヴァイオリンと渡り合うことで、この曲におけるピアノ自身の魅力を十分に披露していた。
そして西谷さんのヴァイオリンもそれを承知の上で「ヴァイオリン・ソナタ」という定石を守るようにコントロールしていく。
それは決して主導権を握り合うといった争いではなく、お互いの信頼関係の上で成り立つ、熟練した達人の演舞を見るような感覚だった。

あるベテラン俳優はセリフを脚本通りにせず、内容に沿いながらもほぼアドリブで芝居をするそうだ。それに周りの役者がどう反応するか、どう絡み合って、それでも筋書き通りに話を進めていくのか、といった勝負のような、知的ゲームのような高度なやりとりをしていると聞いたことがある。
音楽は、特にクラシック音楽は楽譜通りに演奏するのが定石で、それを崩してしまっては邪道になる。「定石通りではつまらない、崩しすぎると白けてしまう」というジレンマの中で、西谷さんと新納さんが、お互いの力量を信頼した上で、クラシックから逸脱しないギリギリの丁々発止の演奏が行われた。

西谷さん自身もリサイタル直前のブログ

新納さんと演奏することは、特別楽しく熱いです!自由に演奏させてくれるだけではなく、奏者の良さを色々と引き出してくれます。そして、伴奏に徹しているわけではなく、新納さんも色々と仕掛けてくださるので、音楽のキャッチボールが見事に出来てる感じで面白いです。観ている側もそう思ってもらえればと思います。

と書いているように、演奏者達の狙いどおり、聴いているこちらも、心地よい疲れが出るような素晴らしいヴァイオリンソナタだった。

休憩をはさんで、新納さんのソロは ブラームスの6つの小品op.118より第2曲。

演奏前に、新納さんから、もともと予定ではショパンを演奏する予定だったが、ピアニストにとってショパンとリストは特別な曲で、それを弾いてしまうと、その後はもう弾けない、というぐらい神経を使うらしく、この曲に変更したというコメントがあった。
これはとても興味深い。考えてみれば当たり前のことだが、演奏者は、力加減やペース配分を考えて演奏会のプログラムをつくる。
新納さんにとっては、自身のピアノソロと、ヴァイオリンソロの伴奏、ヴァイオリン・ソナタの演奏と、これだけ盛りだくさんの内容に加えて、ここでショパンを組み込んでしまうと、演奏のレベルが保てない、ということだろう。
聴く側はあれもこれも演奏してほしいと思うものの、高いレベルの演奏で楽しませるためにプログラムというものがきちんと決められているんだな、と改めて考えさせられる。

ピアノソロに続いての ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調では、グリーグでの競り合いから少し抑えめに、そのゆったりとした曲調も手伝って正統派にまとめていた。「緩急」で言えば、今回のプログラムの「緩」を担ったヴァイオリン・ソナタらしいまとまった演奏だったと思う。

そのあとに、ラフマニノフの曲を3曲ソロで弾いた新納さんだが、この時はまさに圧巻だった。
最初の 楽興の時op.16より第3番 の時から、曲の世界に浸っているのはわかったが、 前奏曲集op.23より第6番 でさらにエンジンがかかり、続く 第2番 では、鬼気迫る熱演。
新納さんがピアノを弾いて曲を歌っているというよりも、ピアノ自身が歌っているように聴こえる不思議な体験をした。
トークのときは、その人柄か、素朴で控えめに話すのに対して、ピアノでは雄弁に語る、むしろピアノに語らせる、ピアノ自身が歌っているように錯覚させる演奏を初めて聴いた。聴いているこちらにも緊張が走るような熱演。
とても良いものを聴けた。

そしてプログラムの最後を締めくくるのはサラサーテ作曲の カルメンファンタジーop.25。

西谷さんから演奏前に説明があったように、この曲には様々なヴァイオリンのテクニック、それも「超絶技巧」と呼ばれるものが多く使われている難曲。この曲を2時間近くの演奏会の最後にもってくるのだから、二人の力量の凄さとお互いの力量への信頼度がわかる。
その説明どおり、ヴァイオリンという弦楽器ひとつで、これほどの表現が可能なのだ、ということを見せられた(文字通り“視覚的に”)。
実際にヴァイオリンを弾く人は曲を聴いただけで、そこに使われているテクニックがわかるのだろうが、実際に見て、改めてその技術の高さが分かる曲。
西谷さんの左手の動き、弓の動きひとつひとつが演奏者にはお手本となり、聴衆には超絶技巧として楽しめる。
これこそ西谷国登というヴァイオリニストの真骨頂だと感じさせた。

テクニック曲で始まり、それを上回るテクニック曲で終わる。
そういった趣向も含まれたリサイタルだったと思う。

さて、アンコールにもふれておきたい。

本コンサートが、テクニックで魅了して終わったのに対し、アンコールは、西谷氏と新納氏の二人の“競演”のエクストララウンドといった様相だった。

「愛の挨拶」では、新納氏の楽譜が見当たらず、“愛が行方不明になる”というハプニングもあったが(無事、ステージ裏で見つかった)、ここでも最低限の約束事は守りつつ、お互い自由に弾き合うという演奏で、生演奏でしか体験できないものを聴かせてもらった。

その意向をさらに押し出したのは、ダブルアンコールの「好き勝手チャールダッシュ」。
これは、クラシックというよりジャズの感覚に近く(ジャズアレンジという意味ではなく)お互いが、この曲でどれだけ遊べるかにチャレンジした演奏。
プロ同士なら練習中にこういう遊びをするんだろうな、と思うが、それを観客の前で披露して、しかもきちんと楽しませるというところが二人のプロフェッショナリズムなのだろう(もちろんアンコールだからできること、と、チャールダッシュは誰もが聴いたことがあるだろう、ということも計算済みで)。

とにかく2時間、ただ「良い演奏を楽しんだ」という以上に「二人が作る世界に引きずり込まれて参加してきた」といった感じのリサイタルだった。
次回、二人の演奏を聴く際には、聴衆もその世界に引き込まれる覚悟が必要かもしれないなと思える、録音では得られない、まさにライブの楽しさを最大限に感じる圧巻のデュオ・リサイタルだった。

安藤梨乃 RINOLIVE Vol.2

石神井Int’lオーケストラで講師を務められていることでご縁のある、ヴァイオリニスト 安藤梨乃さんのライブに行ってきた。

RINOLIVE Vol.2』と題し、安藤さんとゲストによるトークと演奏を楽しむという趣向。
僕は安藤さんの演奏を、アマチュアオーケストラと共演する形では聴いたことがあったが、彼女メインのソロ(厳密にはピアノとのアンサンブルだけれど)の演奏を聴くのは初めてだったのでとても楽しみにしていた。
内容はクラシック、ポピュラー、映画音楽と幅広い選曲の構成になっていた。

出演者をたてて、魅力を引き出すMCの立花裕人さんの力も大きいだろうが、安藤さんの、物事や音楽へ誠実に向かい合っている真摯な態度や、その人柄の伝わるトークが良かった。そのせいか客席も和むような暖かいステージになっていた。

スペシャルゲストの小西のりゆきさんは、歌唱力の高さはもちろんのこと、経験から滲み出るカッコよさが歌に乗っていたし、長年ミュージカルのステージで培ってきたのだろう、舞台で“カッコよく魅せる術”をちゃんと知っている。本物のエンターティナーだな、と感じた。
合間のトークでは、ミュージカル『RENT』の裏話も楽しかった。

また小西さんはディズニー映画『魔法にかけられて』の挿入歌「そばにいて(So Close)」を歌った人なのだが、このライブのピアニスト青木響加さんは、この映画の大ファンだそう。“本物”の伴奏を担当するのは、相当緊張しただろうが、しっかり歌とヴァイオリンを支えていた。

安藤さんはまさにこの日、東京音楽大学大学院の卒業が決まったらしく、これから活躍が期待されるヴァイオリニストなのだろうが、ピアノとだけではなく、小西さんのヴォーカルとでも、お互いの良さを引き出すようなアンサンブル能力の高さを感じさせるなど、今後がより一層楽しみなヴァイオリニストだ。

この『RINOLIVE』は第3弾も予定されているとのこと。
格式ばったステージではないし、硬軟取り揃えた選曲。そして、ただ曲を聴かせるのではなく、そのバックグラウンドについてのトークもあるので(これも立花さんの進行が飽きさせない)、知らない曲でもその世界に入りやすい。
公演時間は2時間を超えたけれど、あっというまに過ぎた。クラシックは敷居が高いと感じている人の、はじめの一歩のライブに良いかもしれない。

次回は、どんなテーマの選曲で、また、ゲストとはどういうアンサンブルをみせてくれるのか、今から楽しみにしている。

『ボヘミアン・ラプソディ』

僕が初めて「クイーン」を聴いたとき、フレディ・マーキュリーはすでに亡くなっていた。

大学の友人が大ファンで、彼から「グレイテスト・ヒッツ」(vol.1)を借りたのがきっかけだった。その後、自分でそのCDを書い直して、学生時代と卒業後の一時期はやたらと聴いた。

当時、クイーンが有名なアーティストであるということはわかってはいたけど、僕にとってはベスト盤しかもっておらず、洋楽なら他にビリー・ジョエルやヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース、フィル・コリンズのほうが好みだったので、知識としては「フレディ・マーキュリーがAIDSで死んだ」ということぐらいで今日まで来た。
だから、この映画を絶対観よう、という気はなかったものの、やたら評判が良かったので、やっぱり観てみようと思ったのだ。

さて、フレディ・マーキュリーの自伝というより、あくまでも「クイーン」の歴史を、彼を中心として、バンドの結成から再結成して出演したライブエイドまでを映画化したもの。
もちろんフレディ・マーキュリーという唯一無二のアーティストの存在は大きいものの、このバンドが、決してワンマンの力でのし上がったのではなく、それぞれが影響しあって偉大なバンドたりえている、というのが面白かった。
とくにブライアン・メイのまとめ役としての能力がなかったら、このバンドはもっと早くに空中分解して、元の鞘に戻ることもなかったのではないかと思う(まあ、この映画で描かれていることが事実なら、だけど)。

実話をベースにしているので、フレディが破滅へと向かっていった原因が「あいつ(観た人はわかりますよね)が全部悪いんじゃねえか!」という描かれ方が本当なのか(っていうかあれでいいのか?)という点や、バンドとして挫折がなさすぎるのはストーリーとして気にはなったが、フレディの孤独や、アーティスト、そして人間としての魅力が伝わり、それを踏まえてのクライマックスであるライブエイドの歌唱シーンは、彼のそれまでの人生と歌詞の内容が相まって泣けた(さほど良い曲と思っていなかった「レディオ・ガガ」もすごく良かった)。

フレディ・マーキュリーの人生で、彼がゲイ(バイ・セクシャルとも言えるが)であることを描くのは避けられないけれど、それをブライアン・シンガーがどう描くのか(あるいはゲイのアイコンにしすぎるのではないかと)、途中でちょっと頭をよぎったけれど、最終的に、ゲイだろうがなんだろうが、人間としての付き合い、つながりで、メンバーや周りの人間が彼を「ひとりの人間」として付き合っていることも感動的だった。

あと、この映画がヒットしている理由は、観た人それぞれで心を揺さぶられる部分が違って、そして、ともかく自分の人生と重ね合わせて考えさせられる部分が多いからだと思う。
映画の中で、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞が「意味がわからない」と指摘されたときに、「歌詞は聴く人それぞれに委ねる」というようなことを言っていたのだけれど、それと同様に、映画の意味を「観る人それぞれに委ねられる」作品。

「クイーン」というバンドの偉大さを痛感するとともに、映画としてのスケールの大きさも実感する。確かに凄い映画だ。
そして、当然のごとく「グレイテスト・ヒッツ」を(今度はVol.2も含めて)買いたくなってしまった。
映像の力と音楽の力をまざまざと見せつけられる映画だった。

現役更新

仕事の後、2019年の歌い始めとしてワンカラへ行った。

いつもは自宅のヘッドホン持ち込むのだが、年末に「ヘッドホンのレンタル無料券」をもらっていたので、それを使ってみた。
ワンカラのヘッドホンは300円のものから1200円のものまである。どれでも無料というので、良い機会だから一番良いヘッドホンをレンタルした。
他のヘッドホンはビニールに入れて渡されるのに、それだけスチールの小型のアタッシュケースに入っていて、その時点でビビった。
音は「んー、良いと言われれば良いかなー?」という感想でした(猫に小判とはまさにこのことを言う)。

本当は90分歌おうと思ったけれど、若干風邪気味(鼻水がでる感じ)なのと、きっと腹が減るから、という理由で60分コースにして、詰め込みで10曲(+1番だけ1曲)を57分ぐらいで歌った。
だいたい、定番の曲を歌ったけれど、友人がTwitterで、ジャケ写を模写した絵をアップしていたのが懐かしくて「innocent world」を歌った。
本人映像でさらに懐かしかった。

あと、自分は「クリスタルキングの曲が原キーで歌えなくなったら、歌やめる」と言っている手前、ちゃんとまだ歌えるか、そして「まだ歌を続けていけるか」、テストとして歌ってみる。

今日は「愛をとりもどせ」にしたけれど、予想以上に“余裕で”歌えた(「大都会」のほうがキー高いのかね)。
その1曲前に「innocent world」を歌って、“「果てしなく続」けられた”ので、大丈夫そうだなと思ってはいたものの、その予想よりも楽に歌えたので、なんというか、今年はまだ歌っていこうと思います。

やっぱり60分はあっというまだ。ノンストップで歌って10曲程度だから、次回からは90分でもう少しのんびり(途中、喉を休めつつ)歌おうかなと思う(お腹が空かない時を狙って)。
あと、これまではJOYSOUND派だったが、年末、音がしょぼかった、というか、カラオケが僕の思うような感じの原曲トレースをしていなかったので、今日はDAMにしてみたら、最近の曲が僕好みのトレースだったので、しばらくはDAMで色々選曲してみるつもりだ。

そんな発見もしつつの、歌い始め。
今年はきちんと歌を形にするのだ。

思ったものと違うけど

music memosというアプリを落としてみた。

僕はこのアプリを「鼻歌を入れれば曲にしてくれる(楽譜に落としてくれる)」みたいに思っていたけれど、そうではなく、単純にマイクが拾った音が録音されるだけだった。だから当然、雑音も一緒に入る。
少し考えれば、耳コピしてくれる無料アプリがあったらすごすぎるんだけど、この時代の進化で、Appleならそれができる気もしていた(洗脳)。

なので、僕のニーズとはだいぶ違うアプリだった、というオチ。
ただ、一応メロディらしきものを入れると、音程を認識してコードをつけてくれるのは良い。
曲作りのとき、自分でギターで確認しながらコードを取っていく時間が短縮できるし、代理コードも提案してくれるので、自分では思いつかない複雑なコード進行に直すこともできる。
そう考えると、曲作りをまるっきりおまかせ、ではなくて、個人のアイディアを活かしつつ、それをサポートしてくれるものと思えば、かなり使えるアプリだと思う(もっともGarage Bandでも同じことはできるらしい。そのうちの録音機能に特化した姉妹アプリのようだ。立ち上がりが早くて、録音したものはGarage Bandにも連携できる)。
これまで、思いついたメロディはボイスメモに入れておいたが、それに比べると音楽系に進化したメモとして優秀かもしれない。

こうやってひとつひとつ新しいアプリを学んでいく。
その好奇心をまだ若いと言うべきか、ついていけない不安感を老けたと言うべきか。

センチメンタル

音楽仲間二人と2年ぶりに会った。

彼女たちと出会って18年ぐらいになる。しょっちゅう会う仲ではないが、こうやって1年とか2年とかのスパンで同窓会みたいなことをしている。

6月頃に電話をもらったらしいのだが、僕はなぜかそれに気づかず、1週間前に「16日に会うことに決めたからよろしく」と再度連絡をもらった。
昔から強引というか主導権も持っているというか、彼女たちに対しては僕は昔からハイハイと言うことを聞いている感じの間柄だった。それをとても懐かしく思った。

カラオケボックスで、思い出話をしている合間に歌ったりしながら、気づいたら終電まで話していた。
各々、20代の頃とは違う悩みと違う夢を持っているんだろうけど、それでも芯の部分は変わっていないように感じた。
そして自分がいまだに歌う場所を持っていることがとても貴重なことだとも。

僕らは一時期アカペラをやっていたことがあるのだが、練習の途中でやめてしまったため心残りの曲がある、という話から「またアカペラやってみようかー」と、嘘か本当かよくわからないテンションで話しておひらきとなった。
あの頃、ちゃんとできなかったことに18年越しでケリをつける、というのもカッコイイ気がする。

今朝、LINEで当時の楽譜が見つかった、という連絡が入った。
さて、メンバー集めからまた始めましょうかね。

脳とピアノの良い関係。イベント「楽器は、健康寿命を延ばす!」

銀座山野楽器で行われた「楽器は、健康寿命を延ばす!」という講演&コンサートに行ってきた。

これはピアニストの蔵島由貴さんの著書「生涯健康脳をつくる!ゆび1本からのピアノ」というピアノ教本の刊行記念イベントで、この本を企画した方と仕事上のつき合いもあるのだけれど、なにより今、僕がこの教本でピアノの練習をしているので、いち読者として楽しみにして参加した。

この教本は、数々のクラシックの名曲が左右1本ずつで弾ける練習曲になっていて(後半5本指の曲もあります)、しかもちゃんと原曲のエッセンスを活かしたアレンジがされているので、練習していてとても楽しい。
あと、僕のようにクラシックの曲が流れた時に「聴いたことあるけれど曲名がわからない」という人間には、曲を覚えるのにも役立つ。

僕は20年近く前に、保育士免許を取るためにバイエルを習っていて、免許取得後も2年ぐらいポピュラー曲を先生に習って練習していたのだけれど、家でピアノ(キーボード)を弾く機会がなくなってからは全くピアノに縁遠くなってしまっていた。
でも、ずっとピアノで弾き語りをしたいと思っていたし、とあるピアニストの方から「曲をつくるなら鍵盤楽器はできたほうがいい」とも言われていたので、今年電子ピアノ(ちゃんと88鍵あるやつだ)を買って、この教本で再チャレンジを始めたのだ。
「生涯健康脳」というタイトルから、どちらかというとシニア向けに作られたものなのだろうけれど、とにかく何か知っている曲が弾きたい、という人にもオススメしたい教本だ。

さて、そして今日のイベント。
3部構成の第1部。まずは教本を監修した東北大学の瀧靖之教授が、いかに趣味を持つことが脳の寿命を長くするのに良いか、ということを講演。楽器演奏者は脳年齢が若いということをエビデンスを交えて、説得力のあるお話しをされる。語り口が柔らかく、またご自身がピアノ愛好家ということで、音楽愛を感じる講演だった。

そして、第2部では、瀧教授と蔵島さんが、ピアノの楽しさや楽器演奏の脳への良い影響などを語った。
そのときに蔵島さんが語った「ゆび1本で弾く練習は、プロが初心に戻りたい時にする練習でもある」という話が印象に残った。
普段5本で弾いているものを1本にすることで、曲へのアプローチをシンプルにする。そうすることで、曲に対して自分の飾らない個性が出てくるとのこと。
ピアニストにとっては、5本で弾くよりも1本指で弾くほうが弾きにくい場面は多々でてくるが、1本指でも「歌うように弾くこと」を意識して弾くというエピソードにプロのストイックさを感じた。

休憩をはさみ、第3部は蔵島さんによるミニコンサート。
ショパンの「幻想即興曲」などを解説を交えながら演奏。その高い技術もさることながら、1音1音に魂を込めるように弾く姿に惹かれたし、それでいて表現が大袈裟になるわけではなく、むしろ各曲の世界観をきちんと表現していて聴き応えがあった。
会場がイベントスペースだったため、音響で苦労しただろうが、それを補ってあまりある演奏と、音楽に真摯に向かう姿勢が見られてとても良かった。大きいホールで演奏を聴いてみたいピアニストだ。

本のテーマでもある「ピアノを演奏することは楽しい」というメッセージが伝わり、1時間40分ぐらいの長丁場が、あっという間に感じられた素敵なイベントだった。
最近サボり気味だったので、心を入れ直してまたピアノ練習を再開しようと思う。

脳のためにもね。

ふじみ野のブルーノ・マーズ

ららぽーと富士見に行った。

郊外型のショッピングモールらしい作りで、通路が広くて買い物がしやすく、ファミリー層が多かった。
欠点はフロア移動するためのエスカレーター、エレベーターの配置がいまひとつなことだが、この手のモールにはめずらしく、フードコートの質が高かった。
こういうモールが車で行ける距離にあるのはありがたいと思う。

さて、ららぽーとの感想はそんなところで、今日の本題はそこではない。

そのららぽーと富士見で「ブルーノ・マーズの曲をアレンジした環境音楽」がずっとかかっていたのだ。
いや、ずっと、というのは語弊があるかもしれないが、僕が確認できただけで「Just  The Way You Are」、「Grenade」、「The Lazy Song」が(「Liquor Store Blues」もあった気がする)、さらには「Uptown Funk」までかかっていた。
そして全てカバー。

ブルーノ・マーズに限った話ではなくて、ビートルズやビリー・ジョエル、マイケル・ジャクソンといった有名な洋楽の環境音楽(たいていはアコースティック)アレンジが店でかかることは多いが、どちらかというと、こういうのは“揶揄される”楽曲なのだと思う。
それはモノマネでもなく、誰が歌っているか、誰がアレンジしたか(インストの場合も多数)などに言及されることもない。原曲よりも「良い」わけでもなく、なぜアレンジしてまで流しているだろうか、と不思議に思っていた。

でも今日、ブルーノ・マーズの曲のアレンジを聴いたら、原曲をそのまま流すと強すぎてショッピングのBGMには合わないのだ、と改めて気づいた。
それに、知ってる曲だしメロディラインは心地よいし、オリジナルの環境音楽を流されるより耳馴染みがいいのだ、ということにも気づいたのだ。
これまで、こういう“謎アレンジ”(とあえて言ってみる)って、作る意味があるのか?とまで思っていたのが、「ああ、これはこれでアリなのかもね」と納得してしまった。
それはブルーノ・マーズの力なのか、アレンジャーの力なのか、はたまたショッピングモールで買い物というTPOの力なのか(多分全部ひっくるめてだろうけれど)、音楽と環境の関係を考えさせられる、興味深い経験になった。
でも、このアレンジの方で曲を覚えて、原曲を聴いた人はどういう感想を持つのだろうか。経験のある人に聴いてみたい。

ところで、僕は20歳のときに、ちょっとした検査で手術を受けたことがある。
頸部から組織を取って検査したのだけれど(結果は良好でした)、その時は部分麻酔だったので、手術中の音はちゃんと聴こえていた。
で、その時かかっていたBGMで良く覚えているのは、チャゲ&飛鳥の「SAYYES」の外国人カバーバージョン。

なぜ手術中に、しかもなぜカバーバージョンがかかったのか。
僕はずっと手術を受けながらそのことばかり考えてしまっていた(だから手術に関する記憶はそれ以外抜け落ちている)。

手術中に「SAYYES」のカバー。
あれだけはいまだに謎だ。

人生の先輩に教わること

ジャズピアニスト 新井栄一さんのプロデュースするシニアジャズバンドのコンサートに行ってきた。
題して「トワイライト(黄昏)コンサート」。

新井さんには大変お世話になっている関係で、シニアバンドとソロの発表会コンサートには何度かお誘いいただいている(前回は自曲を歌わせていただいていたりもする)。

いつも思うことだが、もう還暦はおろか古稀や喜寿を迎えているような方々の演奏である。人生の先輩が演奏している姿はとても素敵だ。しかも一人の人がピアノ、ベース、ドラムと複数の楽器を演奏するのだ。
これは新井さんの教育方針でもあるらしいが、楽器を複数練習することで、曲やセッションに対する理解度を体感で覚えさせる意味があるようだ。

人生の大先輩たちが、懸命に演奏する姿はとても素敵だ。
正直、上手い人もいれば下手な人もいる。ただ誰しもさすがに年の功、度胸があるというか、物怖じせずにひたむきに曲に打ち込んでいる。しかもちゃんとバンドメンバーの音を感じて、自分の入りや力配分を考えて弾いている。

「新井栄一と時代屋」というレジェンドクラス揃いのジャズマンたちがサポートしてくれる安心感はあると思うが、音楽と向き合う時、アマチュアもプロも関係なくなるのだな、とつくづく思う。
音楽を前にすれば年齢も性別も経験も関係なくなる。ただ、真摯に向き合っているかどうかは見透かされてしまう。
それはちゃんと自分の人生が音楽に載っているかどうかだ。

その点、このシニアミュージシャンたちは皆が、自分の人生を音楽に載せて奏でていた。ある人は控えめに、ある人は大胆に。
そして聴衆もその音楽に自分の人生を少し重ね合わせている。だから、その場はすごく幸せな空間になるのだ。

僕も音楽を嗜む端くれとして、強い影響を受けたコンサート。
自分も音楽に真摯に向き合わないといけない。

探しものはなんですか

今や検索ひとつでどんな情報でも手に入れられる。

ということを誰もが思うだろうが、そうでもない。
なぜならば、検索するのにも上手い下手があるから。

10年以上前にイタリア語を習っていたことがある。
それを知っていた当時の同僚が「ドイツ留学時代にヨーロッパで超流行っていたから買ってしまった」と、イタリア人歌手 Tiziano Ferroの「Rosso Relativo」というアルバムを貸してくれたのがきっかけで、一時期イタリアンポップスにハマったことがある。
といってもすごく気に入ったのはTiziano Ferroだけで、あとはジャケ買いしたりして何人かの曲をちょいちょい聴いていただけなんだけど、今日、Youtubeで洋楽を聴いているうちに、どうしても聴きたいイタリアンポップスを思い出した。

NHKラジオのイタリア語講座のエンディングでかかっていた曲で、当時、YoutubeでPVを観て、曲もPVも良かったのでCDを探したのだけれどAmazonでも買えず、ituneでダウンロードしようと思っても日本版にはなかったため、そのうち忘れてしまっていたのだ。

あの曲を久々に聴きたい。
でも、歌手名も曲名も曖昧。
唯一「ナポリがセリエAで戦ってたってホントかよ」というような歌詞があったのを覚えていたので(本当にそういう歌詞かは不明)、うろ覚えのイタリア語で“Napoli ha gioca seria a”(文法的に間違ってます)でググってみたけど、当たり前のようにサッカーチームのナポリに関する情報しかでてこない。
いや、確かにそれであってるんだけど、探しているのはそれじゃない。

見つからないと余計に聴きたくなるもの。
確か「conなんちゃら」みたいな曲名で、双子ばかりでてくるPVだったので、Google翻訳で「双子」をイタリア語に変換したら「Gemini」となんの参考にもならない答えがでてくる。
いくつか意味の検討をつけて翻訳してみたが、ピンとくる単語はでてこない。

こうやって一度見つからないとドツボにハマりますね、検索って。

で、冷静に考えて、NHKラジオのイタリア語のエンディングだったのだから、そこから調べれば良いかと、wikiでまず調べたけど、番組についての情報はサラッとで、当然エンディングテーマまでは載っておらず、
「NHK イタリア語 エンディング」
をベースにちょっとずつ変えながら検索を続けた。
そしてついにYahoo知恵袋の過去ログで見つけたのだ!

思い立ってから30分くらいかかった。
自分はそこそこ検索名人だと思っていたが、まだまだ甘いと痛感した出来事でした。

ちなみに探していたのはPier Corteseの「Contraddizioni」という曲。
「Contraddizioni」の日本語訳は「矛盾」だって。

双子関係なかった。