風邪、花粉症そして厄除

先週の木曜から、ひどい花粉症が始まってしまった。鼻水がとまらない。箱ティッシュを1日1人で使いきるほどに。歯磨きしてる間、ずっと垂れてるぐらい。
それと同時に、ちょっと喉が痛かったりだるかったりして、風邪の諸症状も。

もう花粉症とは干支が一回りするくらい付き合いがあるので、これが花粉症なのか風邪なのかは判別つくはずなのだが、どうもこれは両方がハイブリッドしているぞ、という空気に。
木曜が花粉症40で風邪60だった感じがしたので、風邪薬中心に対処。金曜は花粉症80で風邪20なので(本当に何の役にもたたない比率だな)、花粉症の鼻炎薬で抑えていた。

そして土曜。鼻水はあいかわらずだが、いわゆる「綺麗な」やつだったので、花粉症だろうと鼻炎薬を飲んで対処したのに一向に収まらない。さらに昼頃になると寒気を感じるように。
いやいや、風邪じゃないよ、と自分に言い聞かせてスマホで、花粉症でも寒気を感じるか確認。すると、「花粉症でも、身体がウイルスと勘違いして寒気を感じることも」と書いてあるサイトをみつけて、やはり花粉症で間違いないと納得。
思い返してみるとなんでそこまで「風邪」であることを嫌がったのか、自分でもよくわからないんだけれども、とにかく「花粉症」でいたかったんだろう。「風邪をひくのは不摂生。花粉症は摂生しててもかかるから仕方ないよね」という自己弁護があったんだろうと思う。

頭痛薬を飲んで寒気は収まったものの、やっぱり鼻は一向に良くならないまま、日曜に車の定期点検があるため、土曜の夜は実家に帰宅。そして風呂に入ろうという時に寒気を超えて悪寒を感じ、ここでようやく、自分が風邪だ、という自覚を持ちました(あー、俺、不摂生。と認めた瞬間だ)。

だが、すでに夜のぶんの花粉症の薬を飲んでしまっていたので、もう薬を飲むことはできない(子どもの頃、間違えて風邪薬2倍飲んで最悪だった)。幸い眠れて、夜の10時くらいから8時まで寝てた。さすがの10時間睡眠でかなり楽になり、さらに自分が市販薬最強と信じて疑わない ハリーエース錠V を飲み始めて、ようやく少し鼻が収まるように(でも花粉症もプラスされてるからか完全には止まらない)。
日曜に1日3食、薬を飲みきったおかげでだいぶ体調は復活した。
はじめから風邪重視で対処していれば、もっと早く収まったのだろう。思い込みって良くない。

そして、翌日の月曜は仕事が午後出社なのを利用して、出勤がてら厄払いに行ってきた。実家に帰った理由の二つ目は、この厄除け祈願をすることだった。
さほど信心深いわけではない僕だが、厄年だけは気をつけなければと思っていて、前厄の年の1年前から大宮の氷川神社で祈祷をしていただいている。誕生日が1月で、暦はいろいろ見方があるので、旧正月を超えた2月中旬に行くのが定番。

(今年は本厄なので、早くいかねば)と、2月半ばから思っていたのだが、引っ越して大宮が遠くなってしまったこともあって、今まで行けず仕舞い。雨、そしてこの寒さ、さらに体調もバッチリではなかったけれど、ここで行くのを諦めるとヘタレだし、神様に申し訳ないし、いつ本厄パワーに襲われてしまうかと、ずっと心配でいるのも辛いので、自分を鼓舞して寒風の中、お参りしてきた。

(本厄だし)と、いつもより少し多めの祈祷料を収めて待合室で待つ。
平日、さらに寒雨のせいか、待っているのは僕ともう1人の男性だけ。待つ間、なにげなく壁にはられたポスターを見ると、そのうちのひとつが「2017年の厄年早見表」。
(そうそう、俺は本厄なんだよねー)と眺めると「昭和50年 後厄」の表示が。ここで自分が初めて“後厄”なことに気づく。
え?なんで?いつから勘違いしてたの?と思って、去年のツイートをみたら、去年の自分はちゃんと「本厄」なことをわかってた。そういえば、なんか「本厄だから気をつけて行動しないと云々」と言ってた気がする。そんな自分の記憶力が信じられない状況ではあったけれど、すでに本厄とは戦い終えていたことにちょっとホッとした(勝った気がしないが)。

いつもは結構な人数で祈祷するのでやらないのだけど、今回は2人だったので、葉っぱを神様に捧げる儀式(名称がわからないあたりが信心の浅さを感じるな)も自分でやった。

祈願の後、晴れてきたし、気温も春らしくなってきた。厄除け祈願のおかげとは思わないけれど、すべてが収まるべき日に収まったような気がする。

とはいえ、後厄真っただ中なのでいろいろと慎重に進めていこう。
せめて来年の今頃にちゃんと「後厄」だったと覚えているぐらいには。

オルケーストル・ウリープカ 〜1回限りのオーケストラ〜

オルケーストル・ウリープカの演奏会に行ってきた。

語感からわかる人もいるだろうが、演奏会の曲目はすべてロシア(ソビエト)の作曲家の曲。ロシア専門と言われれば、ショスタコーヴィチの曲を専門に演奏する オーケストラ・ダスビダーニャ を連想するが、ウリープカは今回1度限りのオーケストラなのである。
なんでも「ヴァイオリニスト西谷国登氏とともにハチャトゥリアンのヴァイオリン協奏曲を演奏するために結成された」そうで、ただその1曲を演奏するがために生まれた、贅沢な、ともすれば酔狂なオーケストラだ。

他にもムソルグスキーのオペラ「ホヴァーンシチナ」から『モスクワ川の夜明け』、ラフマニノフの交響曲第2番を演奏したが、やはりメインは西谷さんがソリストを務めるヴァイオリン協奏曲 ニ短調だ。

西谷さんとは仕事上の付き合いだけでなく、友人を飛び越えて、“Brother”というか“バディ”という感じの関係を築かせていただいているが、その演奏を生で聴く機会は意外と少ない(指揮はけっこう見ているけれど)。
しかもソリストとしての演奏を聴くのは初めてで、オーケストラとともに彼の演奏を聴くことをとても楽しみにしていた。
そして実際、ヴァイオリニスト 西谷国登の凄まじい力量を、あらためて見せつけられた感じがする。

西谷さんの最も凄いところは、曲の世界をきちんと表現しながら、その超絶技巧ぶりも観客に聴かせられるところだと思っている。並の演奏家はもちろん、上手いとされる演奏家でも、高い技術を必要とするいわゆる「難所」にかかったときには、一旦曲の世界から離れてしまう(聴衆を世界から離してしまう)ものだが、西谷さんの演奏は技術の上手さを感じさせたまま、世界につなぎとめてくれる。そしてやはり指導者としての一面を見せるのか、その技術の中には「これはこうやって弾くんだよ」というメッセージも感じられる(アンコールのクライスラー 『レチタティーヴォとスケルツォ』で特にそれを感じた)。
ソリストとしても持ち味を出しつつ、さらにオーケストラをきちんと引っ張っていく「陰の指揮者」ぶりを発揮する。演奏の中で、これだけのことをやってもらえたおかげで、存分に曲に浸ることができた。

オーケストラ自体は、このためだけに集まったとは思えない、まとまりのある演奏を披露した。ヨーロッパ本流とは違うロシアの(というか東欧の)曲らしい“暗さ”と“重さ”(そしてときたま現れる“つきぬけた明るさ”)をよく表現していたし、とくに1時間も続く交響曲第2番を弾ききった楽団員と指揮の三浦領哉さんのスタミナと精神力には敬意を表したい。
このオケならではの個性を発揮するまでは至らなかったが、結成してからの期間的なものを考えるとそれは当然といえば当然のこと。(もしあるとしたら、だけれど)第2回への楽しみにとっておこう。

西谷さんの演奏をオケと一緒に聴けただけでも、値段以上の価値は十二分にあった演奏会だった。

Twitterから離れて

毎日必ずTwitterをチェックしているわけだが、昨日、どういうわけか1度も開かなかったので、今の今まで、24時間超えでチェックせずにいる。
海外に行っている時もかかさずチェックしていたのに、見ないとなったら見ないで済むものだ。

ずーっと毎日ログインしていたスマホゲーム(たとえば「パズドラ」とか「ケリ姫」とかだ)も、ある日、一日ログインし損ねた(まあ、飽きていたというのもあるだろう)のをきっかけに卒業したのと同様、これを機にTwitter卒業もいいかなーと思いつつある。
とはいえ、ゲームと違って、Twitterは気になる情報が拾えたり、生身の人間のやりとりを楽しむものなので、明日あたり覗いてみようと思う。
なにせ、1日離れたことがなかったので、なんだか復帰するのにこそばゆい感じもする。何か大きく変わっていることはないのだろうけど、今はそういう気持ちを楽しもうと思う。